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第11巻「赤いドワーフの戦い」

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プロローグ 移住開始

 夜空に月が出ていました。

 満月を過ぎて欠け始めた銀盤が、地上を明るく照らしています。

 月は山脈も照らし出していました。ひときわ高くそびえているのは北の峰と呼ばれる山です。まだ雪におおわれていて、月の光に青白く輝いています。暦は三月になりましたが、峰に本格的な春が訪れるのはもう少し先のことなのです。

 北の峰の麓(ふもと)には大勢の人影がありました。真夜中だというのに、百人を越す大集団です。月の光は彼らも照らし、夜の中にシルエットを黒々と浮かび上がらせています。

 人影の大半は屈強の男たちでした。皆、肩幅の広いがっしりした体格をしていて、手に手につるはしや槌(つち)などを持っています。近づいていけば、全員が赤い髪に胸まで届く赤いひげをしているのがわかります。その胸板は厚く、腕も太く、見るからに力の強そうな体つきです。そして、彼らは皆、驚くほど低い背丈をしていました。人間の少年くらいの身長です。彼らは人間ではありません。北の峰の地下の洞窟に住む、ドワーフたちなのです。

 

 ドワーフの集団の中に、明らかに体格の違う二人が混じっていました。人間の男です。ドワーフよりずっと背が高いのは当然ですが、そのうちの一人は、人間としても非常に大柄でした。それぞれに鎧兜(よろいかぶと)を身につけ、馬にまたがっています。

 すると、鈍い銀の鎧を着た大柄な男が、もう一人に話しかけました。

「兵たちの準備は整ったのか?」

 落ち着いた口調ですが、まだ若い声です。黒ずくめの鎧を着た男が丁寧に答えます。

「整いました、殿下。向こうで出発を待っております」

 こちらは壮年の男です。面おおいを上げた兜の下に、ひげの生えた精悍(せいかん)な顔があります。銀の鎧の青年はうなずき返しました。

「近づき過ぎず離れ過ぎず、何かが起きたらすぐ駆けつけられる距離をついてくるようにさせろ。我々の動きはまだどこにも知られてはいない。だが、見つかったら必ず妨害の手が差し向けられてくるからな」

 ひげ面の男は黙って頭を下げて同意しました。鋭いまなざしを月に照らされた周囲へ向けます。

 

 そこへ一人のドワーフが近づいてきました。他のドワーフは徒歩なのに、この男は馬に乗るように、一羽の大きな鳥にまたがっていました。首と足が長い、小ぶりのダチョウのような鳥で、背中に鞍を置き、くちばしには手綱もかけられています。走り鳥と呼ばれるドワーフの乗り物です。

「こちらも準備は整った。いつでも出発できるぞ」

 と人間たちに話しかけます。他のドワーフは皆、坑夫の格好なのに、このドワーフは毛皮の上着を着て腰に山刀を下げ、弓矢を背負って、猟師の格好をしています。よくよく見れば、その髪とひげも赤ではなく茶色をしていました。

 いぶし銀の鎧の青年はうなずきました。

「わかった。だが、もう少しだけ待て。城からもう一人援軍が来ることになっている」

「援軍?」

 とドワーフの猟師は聞き返しました。少しの間、考えるように黙り込んでから言います。

「あまりぐずぐずはしていられないぞ、王子。人目を避けて移動しなければならないんだ。ここは街道の終点だから、夜が明ければ人が来るかもしれん」

「わかっている。間もなく到着するはずだ」

 殿下、王子、と呼ばれた青年は、そう言って南東の方角を振り向きました。夜の中に深い森が黒々と横たわっています。その森を越えたはるか彼方に、彼が出発してきたロムド城があります――。

 

 すると、ふいに彼らのすぐ近くから声がしました。

「大変お待たせしました、皇太子殿下、ゴーラントス卿、ドワーフの皆様方」

 たった今まで誰もいなかった場所に、一人の人間が立っていました。白い髪とあごひげの痩せた老人です。いかにも年老いて見える人物なのですが、濃い眉の下で、二つの目が驚くほど強い眼光を放っていました。手には長い杖を握り、深緑(しんりょく)の長衣を身につけています。

「深緑の魔法使い」

 と青年がほっとしたように言いました。ロムド城を守る四大魔法使いの一人です。

「はるばるご苦労。城の守りは心配なくなったのだな」

「白と青の魔法使いがミコンから戻りましたゆえ。勇者の皆様方はサータマンへ元気に出発されたとのことです」

 と老人が丁寧に答えます。青年はロムド国の皇太子のオリバンです。魔法使いが仕える主君の跡継ぎでした。

「フルートたちはサータマンへ向かったのか」

 と言ったのは、老人からゴーラントス卿と呼ばれた黒ずくめの男です。とたんに老人は目を細めました。鋭い眼光が和らいで、穏やかな表情が現れます。

「金の石の勇者の皆様方は、白や青の魔法使いと共にミコンで大活躍されたようですぞ。デビルドラゴンを追い払って、神の都に再び平和と秩序を取り戻された、と白たちが話しておりました。ただ、闇の竜を倒す方法は見つからなかったので、もっと南のサータマンに向かわれたそうです」

「そうか」

 とゴーラントスは言いました。彼は金の石の勇者フルートの剣の師匠です。愛弟子が無事にまた旅立った知らせに、安堵の表情になります。オリバンも同じように安心した顔になっていました。金の石の勇者たちは、皇太子には弟妹のように大切な友人だったのです。

 

 深緑の魔法使いは、走り鳥に乗って近くにいたドワーフの猟師を見ました。一瞬目を鋭く光らせてから、また笑顔になります。

「これはこれは、ゼン殿の父君ですな。ゼン殿とよく似ておられる」

 ドワーフの猟師は苦笑しました。

「確かにゼンは俺の息子だ。だが、俺とゼンではまったく似ていないと思うのだがな。あれの母親は人間だったから、あいつの外見は人間に近くなった。体つきも髪や目の色もまるで違っている」

 ほっほっ、と老人は声を上げて笑いました。

「わしがお世辞を言っているとでも思いましたかな? わしは相手の本当の姿を見抜くのが得意な魔法使いですじゃ。血筋や外見がどうであれ、ゼン殿はまぎれもなく勇敢で誇り高いドワーフですぞ。見たところ、父君にも人間の血がいくらか混じっておられるようだが、やはり真の姿はドワーフじゃ。誰がなんと言おうと、その本質は変えられませんからのう」

 それを聞いて、茶色の髪とひげのドワーフは、ありがとう、と素直に感謝しました。

「そう言ってもらえるのは非常に嬉しいな。おまえの言うことに嘘がないこともよくわかる」

「わしは深緑の魔法使いと呼ばれておりますじゃ、ドワーフ殿」

「俺はビョール。今回の移住の護衛団長を務める。護衛団は全部で九名。皆、この北の峰の猟師たちだ」

 そこへ皇太子のオリバンが口をはさみました。

「ロムド国の我々の側からは、私とゴーラントス卿、そしてこの深緑の魔法使いがドワーフたちの護衛につく。他にロムド軍の一個中隊もいるが、おまえたちの目障りにならないようにさせる」

「それはありがたい。北の峰の洞窟のドワーフは人間嫌いばかりだ。王子は信用されているが、他の者たちまでそうというわけではないからな」

 それを聞いてオリバンはふと心配そうな顔になりました。生真面目(きまじめ)に尋ねます。

「ゴーラントス卿はどうなのだ? 我々の側の護衛隊長は彼なのだが」

 とたんにビョールは笑い出しました。

「ゴーリスはゼンやフルートたちが誰より世話になっている恩人だ。直接会うのは初めてでも、俺たちはとうに友だちのつもりでいるぞ」

 ドワーフは非常に実直な種族で、そのことばに嘘いつわりはありません。相手を地位や身分で尊敬することもしないので、ロムド国の重臣を、ただゴーリスと愛称で呼び捨てます。ゴーラントスが満足そうに顔をほころばせました。

 

 彼らのそばで百人近いドワーフの男たちが待っていました。皆、坑夫の道具を担ぎ、大きな荷物を背負っています。山のような荷物を積んだ馬車についているドワーフもいます。

 そんな仲間たちを眺めながら、ビョールが静かに言いました。

「俺たち北の峰のドワーフは、地下の大空洞に町を作ってから五百年間、この峰を離れることがなかった。他の種族だけでなく、別の里のドワーフとも関わりを持たず、地下の自分たちの町だけでずっと生きてきた。俺たち猟師だけは、地上で狩りをする分、少しは外の世界に触れてきたがな――。そんな我々を動かしたのがおまえだ、ロムドの王子。人間はずるくて、すぐに他人を裏切るが、そうではない人間も少しはいる。我々ドワーフを裏切るな、王子。そうすれば、ドワーフは世界で一番頼りになる味方になるだろう」

 少しも飾らないことばは、重いくらいに真剣です。オリバンはうなずきました。

「ジタン山脈には世に知られていない魔金の大鉱脈がある。どこの国であっても、あれが人間の手に渡ってしまったら、大陸中を巻き込む大戦争が勃発してしまうのだ。ジタンを人間に渡すことはできない。委ねられるのは、正直で偽ることをしない北の峰のドワーフたちだけだ……。おまえたちがジタンへ到着して、新しい町作りの基礎を始めるまで、我々は全力でおまえたちを守る。それは、この天と地にかけて約束する」

 これだけのことを大真面目で言うロムド皇太子もまた、実直そのものの人物なのでした。

 

 ビョールは走り鳥の上から仲間たちを呼びました。たちまち同じように鳥に乗った八人のドワーフが集まってきます。全員が山刀と弓矢を装備した猟師です。オリバンを挟むようにして並びます。

 荷物を持ったドワーフたちの注目を浴びて、オリバンは口を開きました。

「勇敢なドワーフの諸君――我々はこれから、ロムド国の南西にあるジタン山脈を目ざす。私の父であるロムド王はジタンを北の峰のドワーフに委ねた。あの山はすでに諸君のものだ。あの山に移り住み、ドワーフの定めに従って山を開発してほしい。だが、欲深い人間があの山を知れば狙ってくるかもしれない。旅路が妨害される可能性もある。充分に気をつけてくれ」

 人一倍大柄なオリバンは、馬にまたがると見上げるような巨漢になります。年若くても王の威厳を持つ皇太子です。たいていの者は、それを見ただけで恐れ入って服従する気持ちになってしまうのですが、ドワーフたちは黙って見ているだけでした。大人と子どもより身長の差があるというのに、堂々と向き合っていて、まったくたじろぐ様子がありません。

 ロムドの皇太子は敬意を込めて頭を下げました。

「大地の子であるドワーフたちに、神々の守りと祝福あれ。そして、諸君が我々の友情を信じてくれるように――」

 その隣でビョールが声を上げました。

「目指すはジタン山脈だ。夜を日に継いで歩き続けるぞ。遅れるな!」

 おお! とドワーフたちが声を上げました。すでに知らされていた方角を目ざして歩き出します。オリバンたちも馬を進め始めました。深緑の魔法使いもどこからか引き出した馬にまたがっています。ビョールたちドワーフの猟師は大きな鳥を前へ後ろへ走らせます。

 月が明るく照らす真夜中、ドワーフたちは長い列の影絵になり、やがて暗い森の中へと姿を消していきました――。

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