フルートとゼン、メール、ポポロ、ポチとルル、そしてキースの五人と二匹は、大神殿の中庭にいました。
今日もミコンは良い天気です。青空から日差しが降る中、木陰のベンチに座って話をしています。
大司祭長やネッセ、光の淵の最後について聞かされていたキースが声を上げました。
「うーん、聞けば聞くほど、その場面に居合わせなかったのは残念な気がするなぁ。ぼくは生け贄は絶対反対だけれど、彼らが光の淵に飛び込むときには、拍手で見送ってやりたかったぞ」
「しょうがないじゃん。あんた、トートンとピーナを家に送っていたんだからさ」
とメールが言います。
「まあね……。まさかトートンたちにそんな場面は見せられなかったから、これでよかったんだろうけどね」
そう言いながらも、やっぱりキースは残念そうです。
「で、次の目的地はサータマンでいいんだな?」
とゼンが言い、フルートがうなずきました。
「ぼくたちの旅に明確な目的地はないからね。とりあえず、ここから一番近くて、まだ行ったことがない場所と言ったら、南のサータマンになるんだ」
サータマンは大司祭長が聖戦を起こして攻め込もうとしていた国です。
「ワン、でも、行く先についてはむやみに人に話さない方がいいですよ」
とポチが言ったので、どうして? と仲間たちは聞き返しました。
「ワン、デビルドラゴンに聞きつけられたら、またミコンみたいに先回りされて、待ち伏せされるかもしれないからですよ。行く先々でも、ぼくたちが金の石の勇者の一行だと知られないようにしないと」
と賢い子犬は答えます。フルートは肩をすくめました。
「どうせぼくは誰にも金の石の勇者には見てもらえないから、そこは心配ないんだけどね」
「ったく。自分からそんなこと言うな! 情けねえだろうが」
ゼンに小突かれて、だって……と少女顔の勇者は口を尖らせ、他の仲間たちが笑い出します。その中にはポポロの笑い声もありました。フルートの隣に寄り添うように座っています――。
心地よい風が吹いてきました。ミコンはいつも常春の気候です。
風には詠唱の声も混じっていました。大礼拝の時間なのです。皆が礼拝に参列しているので、中庭には彼ら以外には誰もいませんでした。
メールがまたキースに話しかけました。
「そういや、あんたは大礼拝に出なくていいの? 今日もまた大神殿の警備係なの?」
いや、とキースは首を振りました。
「実は今朝、脱隊届けを出してきたのさ。もうぼくは聖騎士団じゃないんだ」
少年少女たちは驚きました。そう言えば、キースは今日は聖騎士団の制服を脱いで私服姿です。
「どうして!?」
「今回のことで昇進できるはずだったろ! 隊長さんが来て言ってたじゃないのさ! なのに、なんで――!?」
とフルートとメールが口々に尋ねると、キースは肩をすくめ返しました。
「ちょっとね……ミコンにいられなくなったのさ。やっぱりピーナは覚えていたからな」
「あん? 覚えてたって、何をだ?」
とゼンが聞き返しましたが、キースは謎めいた笑いを浮かべただけでした。
「ワン、じゃ、ミコンを出てどこへ行くんですか?」
とポチが尋ねると、キースは今度は大げさに両手を広げて見せました。
「国へ帰るさ――。他の場所へ行っても、すぐに父上の家来が追いかけてきてぼくを見つけ出してしまうんだ。ミコンだけは、その心配がなかったんだけど、しょうがない」
その、あまりに意味ありげな言い方に、一同はますます目を丸くしました。
「なんだかそれって、どこかの王子みたいなんじゃない?」
とルルが言うと、キースはまた手を広げました。
「当たり。これでもぼくの父親は一国の王さ――。ただし、ぼくは正妻の子じゃない。ぼくの上には王子が十八人、王女が十六人いるし、下にも同じくらいの数の弟妹がいる。ネコの子みたいな王子なのさ」
美しく整った顔が、一瞬嫌悪の表情を浮かべました。少年少女たちは思わず絶句します。
やがて、フルートが静かにこう切り出しました。
「それじゃ、キース……ぼくたちと一緒に来ませんか? ぼくたちはデビルドラゴンを倒す方法を見つける旅をしているし、ここであったような危険な戦いにもしょっちゅう巻き込まれるんだけれど、あなたは闇の敵にはすごく強いから、大丈夫な気がする。あなたに追っ手がかかったら、ぼくたちが一緒に撃退しますよ」
キースはひどく意外なことを聞いた顔になりました。フルートを見つめ返し、やがて、いつもの癖で頬をかきます。
「うーん、正直、君たちならそう言ってくれるかも、と期待しないわけじゃなかったけど……でも、本当に誘ってくれるとは思わなかったなぁ。いいのかい、フルート? ぼくが仲間に入ったら、ポポロがぼくに誘惑されちゃうかもしれないよ?」
とたんにポポロは目を丸くして真っ赤になりました。それをフルートが強く抱き寄せます。
「渡しません、絶対に!」
とキースに顔をしかめて見せてから、また真顔に戻って言います。
「それさえ約束してくれるなら、ぼくたちはあなたを歓迎しますよ、キース」
「あ、ついでにメールにも手を出さねえって約束しろ。そんなら俺も歓迎だ」
とゼンが口をはさみ、ゼンったら! と赤くなったメールからたたかれます。
キースはぽりぽりと頬をかきつづけました。迷っているような表情です。
ワン、とポチが言いました。
「キースは本当は国になんて帰りたくないんでしょう? 国を憎んでる匂いがすごくするもの……。そんな嫌な場所になんて、帰ることないですよ。フルートたちが一緒に行こうって言うんなら、ぼくだって賛成です」
「まぁね。フルートほどじゃないけど、あなたも相当いい人だものね」
とルルもまんざらでない口調で言います。
頬をかくキースの指が止まりました。苦笑いの顔になってこう言います。
「まったく……君たちにはまいるな。あんまりまっすぐで、疑うってことを知らないんだからな……」
「でも、あなたはいい人だ、キース」
とフルートがきっぱりと言い切ります。
「いい人かぁ」
キースは空を見上げました。苦笑する顔と声のまま、こう続けます。
「でも、ぼくには――があるからなぁ」
「あ? 何があるって?」
ゼンが聞き返すと、キースはまた彼らへ目を戻しました。薄く微笑しながら答えます。
「翼、だよ」
とたんに、彼らの後ろで激しい爆発音がしました。フルートたちは飛び上がって振り向きましたが、そこには何もありませんでした。ただ中庭の芝草に日が当たっているだけです。
「空音(からおと)……?」
とポポロが目を丸くしました。魔法で作り出す音のことです。
すると、今度はすぐ近くから羽音が聞こえてきました。大きな鳥が舞い上がるような、ばさばさという音です。一同がまた驚いてそちらを見ると、そこにはやっぱり何もいませんでした。鳥も何も、そして、その場所に座っていたはずのキースも――。
彼らがあわててあたりを見回していると、頭上から声がしました。
「こっちこっち。ここだよ、みんな」
見上げると、ベンチに影を落としていた大木の梢に大きな鳥が留まっていました。
いえ――鳥ではありません。人の姿をしています。長い黒髪をたらした美しい青年が、太い枝の上に座っていました。地上から五メートル以上も高い場所です。その青年の背中には大きな翼が二枚ありました――。
フルートたちは、呆気にとられて立ちつくしました。声も出せずに青年を見上げてしまいます。それはキースでした。梢から彼らを見下ろして笑っています。
「わかっただろう? ぼくにはこんなふうに翼がある。――翼だけじゃない。角と、牙もね」
そう言った青年の頭の両脇には、ねじれた二本の大きな角がありました。口元からは白い牙がこぼれています。梢の下に広げられた翼は、濡れたような黒い色です。服までが、いつの間にか黒一色に変わっていました。
「闇の民……?」
とフルートは言いました。なんだか茫然としてしまって、自分の目が信じられません。
キースは皮肉に笑い返しました。
「その通り。闇の国の王の十九王子、キース・ウルグ――ってのが、ぼくの本名さ。ウルグ、というのは、半分人間、っていう意味なんだけれどね」
ゼンが、はっとした顔になりました。我に返ってどなります。
「じゃ――おまえのあのおふくろさんは――人間だったんだな!?
」
「そう。人間の世界から闇の国にさらわれていって、そのまま闇の王の妾にされたのさ。ぼくも母さんも大した地位にあったわけじゃない。怪物の生け贄に簡単に差し出されてしまうような、その程度の存在さ。でも、半分人間だったおかげで、ぼくは聖なる都に入っても平気だし、金の石や聖なる光にも耐性がある。母さんが育った人間の世界を見たくて、闇の国を抜け出してきたんだけど、こんな面白い経験ができるとはね。予想以上だったよ」
その妙に乾いた声の響きに、フルートは、はっとしました。自分から遠ざかっていこうとする者の声です。フルートは思わず言いました。
「闇の民だって、人間だって――なんだっていいよ! キース、ぼくたちと一緒に行こう!」
キースは呆気にとられた顔になりました。翼が生え、角と牙が生え、全身黒い闇の民の姿になっても、キースはやっぱりキースの表情をしています。また指先で頬をかき、困ったように言いました。
「自分が言っている意味がわかっているのかい、フルート……? ぼくは闇の民なんだぞ」
フルートは首を振りました。ゼンがどなります。
「馬鹿野郎! それがなんだってんだ! 闇の民の友だちなら、もう持ってらぁ!」
「ワン、一人は人間に生まれ変わっちゃったけど、もう一人と一匹は今でも闇の民と闇のグリフィンですよ」
とポチも言います。
キースはますます呆気にとられた顔になりました。
キース! とメールとルルが呼びます。ポポロが宝石のような瞳で青年を見上げます。
フルートは梢へ手を伸ばしながら、また強く呼びかけました。
「キース、一緒に行こう!!」
キースは枝の上で片膝を立て、そこにもたれかかって笑い出しました。笑い声に合わせて頭の角と背中の黒い翼が揺れます。
「君たちにはまいった! 本当に闇のものさえ仲間にしようって言うのか――。でも、残念ながら、ぼくは君たちとは行けないな。こっちの身が持たない。君たちと一緒に行ったら、戦いのたびごとに強烈な聖なる光を食らうことになるだろう。一応人間の部分が守ってくれているけれど、それでも、あんなものすごい光を何度も浴びていたら、いつかこっちが消滅しちゃうからな。ぼくは闇の民だ。君たち光の戦士とは――相容れない存在なんだよ」
最後の一言が、ひどく淋しげに響きました。
キース!! と一同は叫びました。フルートがポチに言います。
「風の犬になれ! あそこまで――」
けれども、フルートが言い終わるより早く、青年は木の上から飛び立ちました。真っ黒な翼が広がり、青空へと舞い上がっていきます。
「だめだよ、フルート――いくら闇と一緒に生きると言ったって、程度ってものがある。君たちは光の戦士だ。光と闇は交わらない。運が良かったら、またいつかどこかですれ違うくらいのことは、あるかもしれないけどな――」
羽ばたきの音を響かせながら、キースは遠ざかっていきました。その姿はまるで黒い天使のようです。ポチが風の犬になって後を追いました。キースを風の体で引き止めようとします。
すると、その目の前でキースが消えました。どこにも姿が見当たらなくなります。
茫然と見上げる一同の耳に、キースの声が聞こえてきました。
「うん……人間の世界もなかなか面白かった。ちょうどいい退屈しのぎになったよ……」
笑うような、陽気なキースの声です。けれども、その声の裏側には、深い孤独がありました。痛いくらいの淋しさが伝わってきます。
キース!! と彼らはまた叫びました。それに応える青年の声はありません。
フルートは拳を握りしめました。
「キース――ぼくたちは必ずあなたをまた見つける! 見つけて――そして、絶対に仲間に引き入れてやる!!」
空をにらみつけて、フルートは強くそう言い切りました。
聖なる都の上には、青空がどこまでも広がっていました――。
The End
(2008年7月8日初稿/2020年3月23日最終修正)