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第10巻「神の都の戦い」

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95.決着

 大司祭長は地面の上に起き上がると、自分を見つめている人々を見回しました。短い銀髪は乱れていますが、相変わらず穏やかで優しげな顔をしています。その瞳は、もう魔王の赤い色ではありませんでした。

 天空王を見たとたん、大司祭長は目を見張りました。確かめるように言います。

「あなたは天空王ですね……。天空の国の魔法使いの長だ。何故あなたがここにいるのですか?」

「ここはユリスナイの聖地。私にも訪れることが許されている地なのだ」

 と天空王が落ち着いて答えます。

 大司祭長は立ち上がり、天空王に向かって一礼してから続けました。

「すぐに天空の国へお戻り下さい、天空王。ミコンはユリスナイの恵みと慈愛に守られた場所です。天空の民の助けは必要ないのです」

 まるで、今初めて天空王に出会ったような口ぶりです。

「あの人、自分が魔王になっていたことを覚えていないの?」

 とルルがポチに尋ねると、子犬は、くん、と鼻を鳴らしてから答えました。

「いいえ、ちゃんと覚えていますよ。忘れたふりをしているだけです」

 とたんに、大司祭長の表情が変わりました。ぎろりとポチをにらみつけます。

 

 天空王が大司祭長に言いました。

「そなたの罪は、そなたがどれほど忘れたふりをしようとも、消えてなくなることはない。私が放った聖なる光はミコン中から闇の怪物を消し、傷ついた人々を癒した。だが、天空王の私でも、死んだ者を生き返らせることはできない。今夜ミコンでは百名を超す人々が死んだ。すべては、そなたがしでかしたことだ」

 すると、大司祭長は頭をそらし、開き直って言いました。

「それがどれほどのことだと言うのだ。偉大な業績に犠牲はつきもの。彼らはそのために喜んで死んでいったのだ」

 デビルドラゴンが去って魔王でなくなっても、横柄で冷酷な口調のままです。なんだとぉ!? とゼンたちがいきり立ちます。

 フルートが大司祭長に言いました。

「すべてをミコンの人たちに話せ! そうして、ミコンの市民が下す罰を受けるんだ!」

 すると、大司祭長がどなり返してきました。

「何を言うか、勇者の小僧! 決断できないおまえが大勢の市民を死に追いやったのだ! おまえこそ、己の役目を果たさなかった責任を取るがいい!」

 フルートが青ざめ、ゼンが怒って飛びかかろうとします。

 

 その時、出し抜けに素っ頓狂な声が上がりました。

「大司祭長!! お帰りになっていたのですか――!?」

 ネッセが林の木にしがみつくようにして立っていました。痩せた顔は血の気がなく、髪は乱れて目の上にまでかかっています。着ている服もしわくちゃです。

 ネッセはフルートに蹴り倒された後、ずっと林に近い場所で気絶していました。闇トカゲは数え切れないほどかたわらを通り抜けていったのですが、連中は生きている餌しか食べないので、死んだように倒れたネッセには見向きもせず、おかげでネッセはこうして無事でいたのでした。

 大司祭長を見て、ネッセは本当に驚いた顔をしていました。駆け寄り、まじまじと見上げ、さらに両手で何度も体に触ります。顔にまでべたべたと触られて、大司祭長が不愉快そうにネッセを押し返しました。大司祭長が光の淵から戻ってきたのは知っているはずなのに、どうしてこんなに驚くのだろう、とフルートたちは呆気にとられてしまいました。

 すると、ネッセが、ああ、と急に大きくうなずきました。

「大司祭長はユリスナイ様に生き返らせていただいたのですね。ユリスナイ様は本当に慈悲深い。すばらしい奇跡です――」

 言いながら笑い、いきなりさめざめと涙を流し出したので、一同はまたびっくりしました。泣きながらネッセが言い続けます。

「わかっています、わかっています。ミコンの大司祭長はあなただ。人々は私よりあなたを待っていました。あなたが生き返ったのを見て、きっと大喜びするでしょう。ユリスナイ様、私は本当に罪深い。大司祭長のお帰りを憎んでしまっております。私はどうすればよろしいのでしょう――?」

 ネッセの声は、笑っていても泣いていても、妙にうつろで平板でした。自分の罪深さを反省しているようなことを言っていても、心の痛みを感じさせる感情が声に載っていません。その不気味さに少年少女たちは思わず身を引き、魔法使いたちはいぶかしい顔をしました。

「ネッセ殿……?」

 すると、ネッセは白の魔法使いを眺め、またいきなり駆け出して彼女の足下にひれ伏しました。

「おお、ユリスナイ様! ユリスナイ様! ここにおいででしたか! 輝かしいそのお姿を見せていただけて、本当に幸せでございます!」

 叫ぶ声にも、やっぱり感激の感情はありません――。

 

 白の魔法使いは思わず青の魔法使いと顔を見合わせました。怪物に襲われたときにほどけた金髪は、長く背中を流れています。そうすると意外なほど女らしい姿ですが、光の女神に見えるはずはありません。それなのに、ネッセは本物のユリスナイを前にしたように、何度も何度も額を地面にすりつけているのです。

「狂ってますな……」

 と青の魔法使いがつぶやくように言いました。ネッセが白の魔法使いに向かってユリスナイ様、と繰り返し呼びかけます。白の魔法使いが何とも言えない表情になります。

 すると、ふいに天空王が声を上げました。

「どこへ行くか、大司祭長?」

 こっそりその場から逃げだそうとしていた老人が、ぎょっと立ちすくみました。憎々しい顔になって天空王をにらみます。卑怯者! とメールやゼンが大司祭長の行く手をふさぎます。

 すると、天空王は白の魔法使いに言いました。

「ネッセはユリスナイの声を待っている。己の務めを果たせと言ってやりなさい」

 白の魔法使いは驚き、畏怖も忘れて天空王を見つめてしまいました。天空王がうなずき返します。そこで、彼女はとまどいながら言いました。

「あなたの――務めを果たしなさい、ネッセ殿」

 とたんに、ネッセは顔を上げました。信じられないように白の魔法使いを見上げた顔が、みるみるうちにまた涙を流し始めます。

「おお……とうとう命じてくださいましたね、ユリスナイ様! はい……はい、私は私のお務めを果たします……!」

 言いながら立ち上がり、ふらふらと近寄っていったのは、大司祭長のところでした。痩せた手で老人の腕をつかみ、いきなり引っ張り始めます。

「な――何をする、ネッセ!?」

 と大司祭長が思わず声を上げると、ネッセは泣きながら笑って言いました。

「我々のお務めを果たすのですよ、大司祭長。ミコンを闇から守らなくてはなりません。一緒に光の淵へまいりましょう――」

 

 フルートたちは思わず立ちすくみました。

 ネッセは大司祭長の腕をつかんで、ぐいぐいと光の淵へと引っ張っていきます。淵では強烈な聖なる光が、青い水のように輝き続けています。

 大司祭長はネッセをどなりつけました。

「行くなら勝手に一人で行け! 私にはまだまだ、なすべきことがあるのだ!!」

 すると、ネッセが泣き笑いで答えました。

「いいえ、大司祭長、だめです……。私だけが死ねば、あなたは必ずまたミコンの大司祭長に返り咲いてしまわれる。皆があなたを歓迎します。それは……絶対にさせませんよ……」

 ネッセの笑い顔が、ぞっとするような暗さに彩られます。さすがの大司祭長も青ざめ、ネッセの手を振り切って逃げ出しました。

 すると、その目の前に突然、幽霊の青年が姿を現しました。

「だめだよぉ。みんなから尊敬される大司祭長が、自分だけ逃げ出すなんてさぁ」

 ランジュールが空中でにやにやしていました。大司祭長はクモの巣でも払うような手つきで、それを追い払いました。

「ええい、どけ! 私はこんなところで死ぬわけにはいかないのだ! 神の国をこの世に実現して、世界中を導くのが私の務め――」

 とたんに目の前から青年が消え、代わりに今度は巨大な怪物が姿を現しました。黄泉の門の番犬のケルベロスです。大司祭長に向かって三つの頭で激しくほえかかります。

 大司祭長は、ぎょっと立ち止まり、思わず後ずさりました。その肩掛けをネッセが後ろから捕まえます。

「さあ、大司祭長――まいりましょう、ユリスナイ様の元へ――」

 自分自身もミコンの大司祭長の地位に就いたのに、ネッセは最後まで相手を大司祭長と呼び続けていました。ネッセは自分の肩掛けをどこかになくしてしまっていました。ただ、相手の銀の肩掛けを引っ張り続けます。

「ええい、放せ、馬鹿者が――!!」

 大司祭長が力任せに肩掛けを引き返して振り切ろうとします。

 とたんに、ネッセは後ろ向きに光の淵へ身を投げました。淵は彼のすぐ後ろにあったのです。肩掛けを引き戻そうとしていた大司祭長も一緒に引きずられて落ちていきます。

 老人の悲鳴とネッセの狂った笑い顔――そんなものを残して、彼らは光の水に呑み込まれました。青い水面が一瞬揺れて、また静かになっていきます……。

 

 すると、彼らの目の前から光の淵が消え始めました。青い光が見る間に薄れ、吸い込まれるようになくなっていきます。やがて、光の水は完全に消え、地面には黒い岩の裂け目だけが残りました。急に暗くなったあたりに、ただ天空王が淡い銀の光を投げかけています。

 ランジュールがまた空中に姿を現して、へえ、と言いました。

「大司祭長が死んだんで、光の淵も消えたんだねぇ。あんな物騒なもの、なくなってちょうど良かったよねぇ?」

 一同は本当に何も言えなくなって、光の淵のあった場所を眺めました。そこにはもう光も闇も残ってはいません。

 すると、幽霊の青年はうふふ、と笑い、空中に首だけ出していた魔犬に呼びかけました。

「さあ、ケルちゃんは急いで黄泉の門に戻った戻った。たった今、賑やかな二人のおじさんたちが行ったからねぇ。しっかり捕まえて、絶対にこの世に戻ってこないように門の中に引きずり込むんだよぉ」

 ガウッ、とケルベロスがそれに答えて消えていきます。

 そんな幽霊の青年に天空王が目を向けました。

「そなたはやがて勇者たちに害をなすものとなるだろうな、ランジュール。だが、今回はそなたも勇者たちの助けになった。今はこのまま去るが良い」

 うふん、とランジュールは笑いました。

「それはどぅもぉ。さすがに天空王サマの魔法にはかなわないもんねぇ。強い魔獣はいなくなっちゃったし、ケルちゃんもお仕事があるから連れ歩けないし、また新しい魔獣を見つけなくちゃなぁ――。じゃあねぇ、勇者くん。またステキに強い魔獣を連れて、キミを殺しに来てあげるから、それまで元気でいるんだよぉ」

 フルートに投げキッスを送って消えていきます。フルートは顔をしかめ、ゼンは拳を振り回して、二度と来るな! とどなりました――。

 

 

 あたりは急に静かになりました。

 光の淵だった岩の裂け目のそばには四人の少年少女と二匹の犬、二人の魔法使い、そして天空王と金の石の精霊だけが残っています。

 天空王がフルートの前に立って言いました。

「自分を責めておるな。ミコンが闇に襲われ、大勢が死んだのは自分のせいだと」

 フルートは顔色を変え、あわてて目を伏せました。言われたとおりだったのです。うつむいて唇をかみます。

 そんな――! と言いかけた仲間たちへ、天空王はうなずいて見せました。

「そうだ、それはフルートの責任ではない。デビルドラゴンと、それに取り憑かれた者、そして、心に抱えた闇に負けていった者のしでかしたことだ。彼らは自分自身でその罪の罰を受け取っていった。だが――フルートにその責任を感じるな、と言うこともまた難しいのだ。フルートは優しいからこそ、人の痛みも自分のもののようにわかってしまう。それは強さになるが、同時にフルートを苦しめる定めにもなる。優しさは、優しさを持つ当人だけには、決して優しくないものなのだ」

 いつか、キースがつぶやいたようなことを、天空王は言っていました。一同はまたことばが出なくなります。

 すると、天空王は、そっとフルートの金髪の頭に手を触れました。

「そなたのその苦しみをなくしてやることは、私にはできない。そなたの本質の優しさを奪うことと同じになってしまうからだ。だから、代わりにそなたの理性を強めておいてやろう。人が傷ついたことに苦しんでも、優しさがそなたに追いついて死に追いやってしまう前に、大事なことを思い出せるようにな――。そなたは皆と共に生きることを選んだ。その道を進み続けるのだ」

 天空王の手が淡い銀の光を放ったとたん、フルートの顔から苦悩の表情が消えました。目を上げて天空王を見ます。そんなフルートに、天空王は笑ってうなずきました。

「そなたの友だちが待っている。帰りなさい、フルート」

 彼らのいる場所からゼンたちが立っている場所までは、歩いてほんの数歩の距離でしたが、フルートは素直にうなずきました。仲間たちの所へ戻っていきます。

 ゼンがフルートの肩を抱き、メールが笑いかけ、犬たちが足下にすり寄りました。精霊の少年はいつの間にか姿を消し、フルートの胸の上で金の石が穏やかに輝いています。ポポロがそっと近づいていくと、フルートはそれを腕の中に抱きしめました。そんな彼らの様子を白の魔法使いと青の魔法使い、そして天空王が黙って見守ります。

 大神殿の建物に囲まれた中庭は静かでした。建物の間からのぞく東の空が、近づく夜明けに白み始めていました――。

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