少女は目を見張りました。自分の耳がどうしても信じられません。それでも、顔が赤くなっていくのが自分でわかります。
少年はそんな少女を見つめていました。優しくほほえんでいます。光の淵が青い輝きを投げる中、少年の瞳はもっと青く、鮮やかに見えます。その瞳の中に少女の顔が映っています――。
仲間たちはポポロよりもっと仰天していました。一瞬茫然とした後、我に返って口々に叫び出します。
「フルートがとうとう告白したっ!? 嘘だろ!!」
とメールが言えば、ルルも信じられないように首を振りました。
「今まであんなに――どういう心境の変化よ!?」
「ワン、それもこんな大勢の前で!」
ポチはあきれ顔です。
今まであれほど長い間ポポロへの想いを秘め続けてきたフルートです。周囲の人々にはその気持ちがありありと見えていたのに、それでもポポロに伝えようとはしませんでした。まさかここで、こんなにはっきりとそれを口にするとは、誰も想像していなかったのです。
ひゃっほう! とゼンが歓声を上げ、飛びかかってきた武僧を殴り倒してからどなりました。
「この馬鹿、やっと言ったな! 遅えぞ!」
すると、フルートは口を尖らせてゼンに言い返しました。
「うるさいな。自分が先にメールに告白してたからって威張るな」
へへへっ、とゼンは笑い、執拗に襲いかかってくる信者たちをまた投げ飛ばしました――。
「あ、あの……」
ポポロはフルートを見つめました。その顔は耳の先まで真っ赤になっています。あまりに意外なことを聞かされて、うろたえてしまってことばが続きません。
すると、フルートはまた優しく笑いかけました。
「本当だよ。嘘じゃない。ずっと君が好きだった。白い石の丘の麓で初めて君と出会ったときから、ずっと――」
見開かれたポポロの目が、みるみる涙でいっぱいになっていきました。宝石のような緑の瞳がうるんで揺れます。
フルートは笑顔で言い続けました。
「だから、ロムド城の城壁の下で、君がぼくを好きだと言ってくれたとき、ぼくは本当に嬉しかった。君たちと一緒に生きていきたいって、心の底から思ったんだ。ぼくは君と一緒に生きていく。君や、ゼンたちみんなと一緒にこの世界で生きていく。光にはならない。闇の心があったって、それと一緒に生き続けるんだ」
それだけを一気に言い切って、フルートはポポロを抱きしめました。星のきらめきを持つ黒い衣の少女を、大切に胸に抱き寄せます。
ポポロが声を上げて泣き出します。
そんなやりとりを呆気にとられて眺めていた白の魔法使いが、うつむき、拳を額に当てて笑い出しました。
「まったく……。素直におなりなさい、とは申し上げたが、まさかここまで堂々と言われるとはな。想像もしていなかった」
「子どもならではの素直さですな。我々大人には、とうていかないませんぞ」
と青の魔法使いが腕組みして言いました。感心しているような口調でした。
キースがいつもの癖で頬をかきながら言いました。
「うーん。この場合、やっぱりぼくが縁結びの神をしたってことになるのかな……」
こちらは、なんとなくうらやましそうな声です。
ネッセが真っ青な顔でわめいていました。
「ゆ、勇者殿が闇に墜ちた! 闇に心奪われて、自分の務めを放棄されたのだ! なんと言うことだ!」
それを聞いてメールが言い返しました。
「うるっさいねぇ! 勝手にフルートに死ねって言っといて、なにさ、その言いぐさ!」
「勇者殿を光の淵へ! なんとしても、ユリスナイ様の元へ行っていただくのだ!!」
とネッセは叫び続けました。何かに取り憑かれたような顔は、すでに正気ではありません。
ざっと淵のほとりは一気に緊張しました。
仲間たちが、フルートを守っていっせいに身構えます。見上げるような武僧や聖騎士団の隊員たちが、ゼンとの戦いを放り出してフルートめがけて走り出します。ゼンに何度も投げ飛ばされて、すでに傷だらけなのに、それでも躊躇することがありません。
馬鹿野郎! とゼンはどなり、後を追いかけながら、また次々と衛兵たちを捕まえて投げ飛ばしていきます。
すると、フルートが言いました。
「ぼくが光の淵に飛び込んだって、闇は払えないよ。ううん、誰が飛び込んだってだめなんだ。これには、そんな聖なる力なんかないんだから」
「な――な、なにを――!?」
ネッセは怒りのあまり息が詰まりそうになりながら叫びました。
「こ、これはユリスナイ様の聖なる泉だ! ユリスナイ様が語りかけ、姿を現し――聖なる心の持ち主が飛び込めば強い光を放って闇を払い――大司祭長だって、こうしてそこからよみがえってこられたではないか――!!!」
「だから。そういうのがみんな嘘だ、って言っているんだ。全部はったりなんだよ。ここは見せかけの聖なる泉なんだ」
仲間たちは思わずフルートを振り向きました。どういう根拠でそれを言うのだろう、と見つめてしまいます。
すると、ネッセが金切り声を上げて飛び出してきました。
「い、言うに事欠いて――ユ、ユリスナイ様の恵みを疑うとは――!!」
自分からフルートにつかみかかっていきます。ネッセは痩せた男ですが、怒りに我を忘れて飛びかかってくる様子には鬼気迫るものがあります。仲間たちはとっさにそれを防ごうとしましたが、それより早くフルートが前に飛び出しました。ネッセの両手を捕まえ、強く引き寄せて腹に膝蹴りをたたきこみます。ネッセは、その場にばったり倒れました。
衛兵たちを残らず投げ飛ばして、ゼンが駆けつけてきました。気絶しているネッセを見て、フルートに言います。
「まあまあかな。だいぶ腕を上げたじゃねえか」
「君のご指導のおかげでね」
とフルートが笑います。ゼンは、フルートが剣を使えない場合でも敵と戦えるようにと、ずっとフルートに組み稽古の相手をさせていたのです――。
白と青の魔法使いがやってきて、倒れているネッセを見下ろしました。
「ネッセ殿は自分が聖なる魔法を使えないことを悔しがっていたのだ。自分がずっとミコンの副司祭長だったこともな。力が足りなくて生涯二番手であることを、ずっと口惜しく思っていた。そこへ、ユリスナイの聖なる声だ。他の者には聞こえない声が聞こえるようになったことで、ネッセ殿は自尊心が充たされた。この場所が己の拠り所になっていたのだ。拠り所を失いそうになって、ついに壊れたのだな――」
淡々と言う白の魔法使いに、青の魔法使いがちょっと苦笑しました。
「相変わらず手厳しいですな。……だが、その通りだ」
すると、フルートが静かに言いました。
「聖職者だって、心の中にはそんなふうに闇の部分を持つんです。誰だって、どんなに偉い人だって。みんなそうなんだ」
フルートは光の淵を眺めました。青く美しく輝く光の水が、揺れることもなくたたえられています。
フルートは続けました。
「ここは、とても美しい。だけど、光は必ず影を生む。光が明るければ明るいほど、反対側にできる影は暗く濃くなる。その影の中に、闇の怪物は潜んでいた。都の入り口の金の門でも、大神殿のホールの中でも。それは、人の心だって同じなんだ。――その人も、心の中に闇を持っていた。皆から聖職者の鏡、信者の手本と讃えられ、光やユリスナイについて人々に説き続けていたけれど、それでもやっぱり心の中には闇があったんだ。それがどんなものだったのか、ぼくにはわからない。でも、それはとても暗くて深い闇の想いだったんだ――」
フルートはいつの間にか一人の人物を見ていました。気絶したネッセではありません。淵の向こうに立つ、白い衣に銀の肩掛けの人物です。じっと、その顔を見つめます。
大司祭長は答えました。
「それは私のことですか、勇者殿? 私が闇に取り憑かれていると? ですが、私は光の淵をくぐりましたよ。私はもう、生身の人間ではない。それに、以前、勇者殿が持つ金の石に触れても平気だったことも覚えておいでですか?」
「闇の障壁を周囲に張り巡らせば、少しの間は聖なる光にも耐えられる。金の石にだってね。この淵は見た目通りのものじゃない。表面には聖なる光がたたえられているけれど、その下の方には深い闇がよどんでいるんだ。この淵に入った金の石が証言していたよ。あなたは素早く光の中をくぐり抜け、その下の闇の中に潜んだ。そして、そこから闇の怪物をミコン中に送り込み、ユリスナイの声を送り出していたんだ」
「私が? 何故。なんのためにそのようなことをしなくてはならないのです。私はミコンと信者たちを守る大司祭長であるのに」
大司祭長の声はあくまでも穏やかです。少しも揺らぐことがありません。
すると、フルートは笑いました。
「なんのために? そんなのは決まってるじゃないか。願い石を持つぼくを、この世から消滅させるためにだよ。そうだろう――魔王?」