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第10巻「神の都の戦い」

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83.別の道

 ポポロが衛兵の武僧たちにつかまったとたん、それまで無表情だったフルートがいきなり叫びました。

「彼女に乱暴するな!!」

 怒りに顔を染めて衛兵をにらみつけています。

 ネッセ大司祭長が穏やかに言いました。

「何もいたしません、勇者殿。ただ静かに儀式を見守っていていただきたいだけです」

「放して! 放して!!」

 ポポロが必死でもがいていました。衛兵の手を振りほどこうとしているのですが、華奢で小柄な少女にそんなことができるはずはありません。一歩も進めなくなって、涙を浮かべながら叫びます。

「戻ってきて、フルート! 行っちゃだめよ! そばにいて!」

 すると、フルートがほほえみました。一瞬の激情が去って、また穏やかになった顔に、淵の放つ光が青く映っています。

「だめなんだよ、ポポロ……ぼくが行かなくちゃいけないんだ。わかっちゃったんだよ」

 少女は、さっと体の中が氷のように冷たくなるのを感じました。血の気が引いたのです。震えながら尋ねます。

「わかったって……何が?」

「デビルドラゴンを倒すための、本当の方法がさ――」

 とフルートは言い続けました。とても静かな声です。そして、すぐ近くまでポポロが来ているのに、決して近づこうとしませんでした。

 

 キースとポチとルルは、魔法の力で地面に抑え込まれていました。どうしても身動きすることができません。その格好で驚きに目を見張り、やっと首をねじってフルートを見ました。

 フルートはポポロに向かって話していました。

「デビルドラゴンは先の大司祭長が淵に飛び込んで消滅させたよね……。でも、あいつは影の竜だ。本体はまだ世界の最果てにあって、あの光でも消滅してはいないんだ。だから、この世界には闇の怪物がまだ残っていて、町や人々を襲っている。もっと強い守りの者が行く必要があるんだよ。それがぼくなんだ――」

 フルートがそう言ったとたん、ネッセや信者たちがいっせいに頭を下げました。フルートに向かってうやうやしくお辞儀をします。馬鹿な……! とキースは叫ぼうとしましたが、やはり声は出ませんでした。

 ポポロは両腕を衛兵につかまれたまま首を振りました。

「だめ……だめ、フルート……行かないで……」

 ここまでこらえてきた涙が、とうとうまたこぼれ出しました。大粒の雫が頬の上を次々と転がり落ちていきます。

 ごめんね、とフルートは言いました。いつものあの優しい声です。

「ぼくは世界のために行くけど、本当は君たちのために行くんだ。君たちに、ずっと生きていてもらいたいから――それがぼくのたった一つの願いだから」

 ポポロは声が出なくなりました。泣きながら首を振ります。フルートに駆け寄り、その腕を強く抱きしめて、どこにも行かないように引き止めたいと思うのに、自分をつかむ衛兵たちをどうしても振り切ることができません。

 

 すると、それに代わるように、少ししゃがれた声が言いました。

「だから! どうしておまえはそういう発想になるんだよ! いい加減にしやがれ、これで何度目だ!?」

 ゼンでした。メールも白の魔法使いも青の魔法使いもいます。カイタ神殿で彼らを襲ってきた怪物をようやく全滅させ、ここまで駆けつけてきたのでした。

 ゼン、とフルートは言いました。ほほえむような顔です。

「心配かけてごめんね……。でも、それも今度でもう終わりだよ。ぼくはもう決めたから。ぼくは光の淵を通じてユリスナイの所へ行く。そして、ユリスナイと一緒にデビルドラゴンの本体を倒すんだ。――ユリスナイは、ぼくに永遠の命を約束してくれたよ。ぼくの体は消えてなくなっても、ぼく自身は天の国へ行って、ずっと君たちを見ていることができるんだ。心配いらない。きっとまた会えるから――」

 馬鹿野郎! とゼンはどなりました。

「寝ぼけたこと言うんじゃねえ、って、本当に何度言ったらわかるんだ!? ぶん殴る! 絶対に本気でぶん殴って、その目を覚まさせてやる!」

 怒ったゼンが飛び出そうとすると、とたんに、何かに激突して跳ね返されました。驚いて目を凝らしますが、そこには何も見えません。すると、魔法使いたちが顔色を変えました。

「結界――?」

「馬鹿な、いつの間に!?」

 自分たちが結界に取り込まれていることに気がつかなかったのです。急いで杖を向けますが、彼らの魔力では結界を破ることができなくて、また驚きました。彼らはロムド城の四大魔法使いです。その自分たちを抑え込むだけの魔法を誰が使っているのだろう、とネッセの後ろの魔法司祭たちを眺めます。

 

 ゼンとメールは必死で結界をたたき、体当たりを繰り返しました。どんなに力を込めても見えない壁は壊れません。

「この――!」

 とゼンはわめきました。

「ふざけんな! 俺たちはここに別の道を探しに来たんだぞ! おまえを光にするために来たわけじゃねえ!」

 とたんに、フルートはすっと表情を変えました。これまで見せたことがなかったような、静かで真剣な表情になります。

「ねえ、ゼン……こんなことは考えたことがなかったかい? 光は確かに闇を消し、デビルドラゴンを消し去る。でも、人の心に闇がある限り、また闇の想いは寄り集まって、その中からデビルドラゴンが生まれてくるんだ。何度倒してもデビルドラゴンはまた復活してくる。そして、この世界を襲う――。ぼくたちがしてきたのは、終わることのない戦いの繰り返しだったんだよ」

 その時のフルートは、いつもの優しい顔でも、ユリスナイの声に囚われた放心状態の顔でもありませんでした。もっと深く、もっと暗い、まるで果てのない闇を見透かしているような目をしています。思わず仲間たちはことばを呑みました。なんと返事をしていいのかわからなくなってしまいます。

 フルートは静かに言い続けました。

「願い石に願えば確かに闇や闇の竜を倒すことはできる。でも、それは一度きりだ。次にまたデビルドラゴンが復活してきたとき、もう倒す者はいなくなってしまう。ぼくも金の石も、存在さえ燃え尽きて消滅しているんだから――。でも、ユリスナイは永遠の命を約束してくれる。それは誰もが死んだ後に約束してもらえるものだ。それなら――その形でなら、ぼくは死んだ後も、ずっと君たちを見守って、君たちが闇の危険に襲われたときに助けに駆けつけることができるんだよ。ゼン、ぼくは死ぬわけじゃない。ぼくの体はこの世界から消えるけれど、ぼくの魂は残る。そして、向こうの世界で君たちを見守って、いつだってまた助けに来るんだ。それが別の道だったんだ。君たちも、そしてぼくも、一緒に幸せになるための――たった一つの方法だったんだよ」

 仲間たちは愕然としました。何か言い返そうと思うのに、ことばがまったく思いつきません。死ぬことこそが幸せになるための道だったんだ、と言い切るフルートを見つめてしまいます。

 

 白の魔法使いが叫びました。

「なりません、勇者殿! その考え方は禁忌です!」

「左様! 我々聖職者たちがユリスナイから禁じられている考え方だ! 天の国へ行くことで人を救う特別の力を得ようとしてはならんのです!」

 と青の魔法使いも言います。

 宗教には必ず、突き詰めると人を呑み込む落とし穴のようなものがあります。

 死んでも、魂は天国へ行って、そこで永遠の命を得ることができるのだ、特別な存在になっていくのだ、と彼ら聖職者は信者たちに語ります。それを聞いた人々は安心した顔になり、音もなく近づいてくる死の恐怖から少し解き放たれます。死は誰にでも訪れますが、それが恐ろしくない者はありません。永遠の命を約束されることで、その定めがわずかに耐えやすくなるのです。

 けれども、それを強く信じ、積極的に追い求めてしまうと、人はこの世で生きることよりも、天国での新たな生の方を望むようになってしまいます。特に、誰よりも深く神を信じ、その世界へ想いをはせる聖職者たちはそうなのです。天の国へ行こう、そこで神のために働こう――そう考える聖職者たちが自ら命を絶ってしまわないために、彼らには積極的に天の国へ行こうとしてはならない、という禁忌が課せられているのでした。有り体に言えば、神のための自殺を禁止されているのです。

 白の魔法使いはネッセに向かって言い続けました。

「気づかれよ、ネッセ殿! あなたがしていることはユリスナイの禁忌だ! 自分が神のために死んではならないように、誰かを神のために死なせてもいけないのだ! ユリスナイはそれをお許しにならない!」

 すると、ネッセが答えました。

「大司祭長に向かって説教ですか、マリガ……? 自ら死ぬことをユリスナイ様はお許しにならない。それは確かにそうです。ですが、これは自殺ではありません。闇を討ち払うためにユリスナイ様の力になりに行く、尊い行為なのです。ユリスナイ様はご自分に力を与える者をお待ちです。これはユリスナイ様のご意志なのです」

 魔法使いたちはまた何かを言い返しました。――が、その声はもう外の人々には聞こえませんでした。結界が声をさえぎってしまったのです。ゼンやメールがまた見えない壁をたたいて叫び出しましたが、それも聞こえてきません。

 

 ポポロは衛兵たちにつかまれたまま、ぽろぽろと涙を流し続けました。淵の向こうに光に照らされながら立つ少年を見つめます。

「フルート……」

 少年は優しい目で少女を見返しました。

「本当に、心配しないで、ポポロ。ぼくは見えなくなるだけだから。これからだって、ずっとちゃんと君たちのそばにいるから。ぼくは死ぬんじゃない。デビルドラゴンと新しい戦いをするために行くんだ。君たちのために――そして、みんなのためにね――」

 ポポロは首を振りました。心臓が締めつけられるような気がして、声がもう出てきません。泣きながらフルートを見つめ続けます。

 地面に押し倒された犬たちが叫びました。

「ワン、だめだ、フルート! ぼくたちを置いて行っちゃだめですよ!」

「そうよ! 約束よ! 生きるって! 生きて幸せになるんだって! そう約束したじゃない――」

 ふいに犬たちの声もとぎれました。キースと同じように魔法で声を抑え込まれたのです。

 光の淵のほとりはまた静かになります。

 

 ネッセがフルートへ一礼して言いました。

「闇の誘惑は去りました。勇者殿、どうぞ聖なる務めをお果たしください」

 青い光の淵へと手を差し伸べます。

 フルートはうなずきました。もう何も言いません。泣いているポポロから静かに目をそらし、淵へと歩いていきます。

 ポポロは泣き続けました。止めなくちゃ、と思うのに、本当にもう声が出てきません。泣き声さえ上げることができませんでした。

 フルートが淵のほとりに立ちました。清らかな光がフルートを照らします。少し癖のある金髪が青く輝きます。

 すると、フルートは首の鎖に手をかけて、ペンダントを外しました。じっと見つめます。魔石は灰色に眠ったままです。フルートは、それを光の淵へと差し出しました。

 ポポロは、ゼンとメールは、犬たちは、そして魔法使いたちやキースは、いっせいにそれぞれの場所ではっとしました。淵から立ち上る青い光を受けて、ゆらゆらと揺らめく金のペンダントを見つめてしまいます。まさか……と全員が考えます。

 すると、フルートが手を放しました。ペンダントはまっすぐに落ち、青い光の水の中に音もなく沈みました。あっという間に輝きに呑み込まれてしまいます。

 

 仲間たちは何も言えませんでした。

 本当に、何も言えませんでした。

 光の中のどこにも、もう金の石は見当たりません――。

 

 フルートはまた一歩前へ出ました。光の淵のすぐ際です。次に一歩進み出れば、そこはもう光の水の上でした。その場所に立って、フルートは水面を見つめました。聖なる美しい輝きです。金の石を呑み込み、今度はフルートの全身を光り輝かせています。その姿は、すでに光に変わってしまったようにさえ見えます。

 仲間たちはフルートの名を呼びました。結界の中で、地面の上で。けれども、その声はやっぱり届きません。

 ポポロは泣きながら心の中で呼び続けました。行かないで、フルート! 行ってしまわないで! ――それでも少年は振り向きません。

 

 フルートはうつむきました。その横顔が微笑を刻んでいるのを、人々は見ました。優しい優しい微笑みです。

 そして、フルートは顔を上げました。自分を見つめる人々を振り向いて、にっこりと笑って見せます。

 フルートの声が、皆に聞こえてきました。

「なぁんてね――嘘だよ」

 

 いたずらっぽくそう言って、少年はぺろりと舌を出して見せました。

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