青い光があたりに充ちていました。
美しい光。聖なる輝きです。
その中に、フルートは一人だけで立っていました。
金の鎧兜を着て剣を背負っていたはずなのに、防具も武器もいつの間にか消えていました。フルートは普段着姿です。ただ遠くを眺めながら、ぼんやりと立っています。
すると、その胸の上でペンダントがきらりと光り、かたわらに小さな少年が姿を現しました。黄金そのものを糸にしたような髪をゆすって見上げてきます。
「フルート」
フルートはそれを見下ろしました。
「金の石の精霊。目覚めたんだね?」
その落ち着いた口ぶりに、精霊の少年はあきれた顔をしました。
「本当に君はもう……。どうしてそう、敵の罠にはまりやすい性格をしてるのかな。こんな見え見えの手に落ちてしまうんだから。――ぼくはまだ目覚めていないよ。これは君の夢だ」
ああ、とフルートはうなずきました。どれほど精霊が怒っていても、まったく関心のない顔をしています。その表情は穏やかです。
そんなフルートを精霊は見上げ直しました。ちらっと、焦るような表情がのぞきます。
けれども、口調はあくまでいつもの冷静さで、精霊は言い続けました。
「君は約束をしたはずだろう? 君の仲間たちと。それに、どうして連中のやり方に乗ってやらなくちゃいけないんだ? ぼくたちは願い石を持っている。それを捨てて光の淵へ飛び込む必要が、どこにある」
「だって、君は目を覚まさない」
とフルートは答えました。とたんに、精霊は、かっとした顔になりました。
「目を覚まさないんじゃない! 力を奪われているんだ!」
フルートは意外そうな顔で見返しましたが、それ以上は何も言いません。あるところから先、思考が進まなくなっているのです。
金の石の精霊は、いらだちながら言い続けました。
「光の淵に大司祭長が飛び込んで、ものすごい光があたりを照らしたとき、ぼくは力を奪われて強制的に眠らされてしまった。あんな経験は初めてだ。聖なる光は、普通、ぼくに力を与えるものだからな――。フルート、あれは見た目通りのものじゃない。神聖な場所に見えるが、その正体は違っているんだ――!」
精霊の少年は、いつになく熱心に言い続けていましたが、フルートはやっぱりあまり反応を示しませんでした。ふぅん、と言っただけで、また遠くへ目を向けてしまいます。
フルート! と精霊は声を上げ、その体の中へと目をこらしました。青い光がとぐろを巻き、まるで蛇のようにフルートの心を絡め取っているのが見えます。フルートが飲み干した契約の杯の光です。精霊は光に向かって手を伸ばしました。
すると、それより早く、光がフルートの中から抜け出してきました。青く輝きながら寄り集まり、フルートと精霊の間をさえぎってしまいます。
思わず後ずさった精霊の前で、光が人の形に変わっていきました。青い長い髪とドレスの女性の姿です。その顔は輝きに包まれて見極めることができません。
「去りなさい、守りの石。フルートは自分の役目に立ち返り、それを果たそうとしているのですよ」
と光の女性は言いました。
金の石の精霊は金の瞳に怒りを燃やして相手をにらみつけました。
「それはぼくの役目でもある。余計な手出しは無用だ」
すると、光が揺れました。女性が声を上げて笑ったのです。
「あなたは自分の役目を忘れているではありませんか。世界を守る石のはずなのに、どうしてフルートの方を守っているのです? 人の想いから生まれてくる魔石は、人の想いに強く影響を受けます。人と共にいる時間が長くなるほど、本来の役割から離れていくものです」
「ぼくが守りの石ではなくなっている、と言うつもりか?」
と精霊が聞き返しました。ひやりとするほど鋭い声です。けれども、それでも光の女性は笑うのをやめません。
「自分のしていることを振り返ってごらんなさい、守護石。自分が誰を守ってしまっているのかを。あなたにはもう世界を守ることはできません。デビルドラゴンを倒すことだってできません」
とたんに、精霊の少年から怒りの表情が消えました。すっと金の目を細め、青く光り輝く女性を見つめ直します。
「デビルドラゴンを倒すことができない? あの闇の竜は、君が消滅させたはずじゃないか、ユリスナイ」
女性の笑い声が止まりました。一瞬返事に迷うように、沈黙の中で青い光が大きく揺らめきます。
それを見て、精霊は言いました。
「やはりそうか。君の正体がわかったぞ。君は――」
とたんに、女性は片手を上げました。青い強い光が輝き渡ります。
「去りなさい、魔石! フルートは世界を守ろうと心を決めています。守りの石のあなたに、それを止めることはできませんよ!」
光が消えていったとき、そこにはもう精霊の少年の姿はありませんでした。フルートの胸の上ではペンダントが揺れ続けていますが、その石は相変わらずくすんだ灰色のままでした。これほど女性と精霊が強く言い合ったのに、フルートは少しも表情を変えていません。ただ静かに立っているだけです。
そんなフルートを光の女性は両腕の中に抱き寄せました。
「いらっしゃい、光の勇者。あなたはこの世にあるものではなかった。天国と人が呼ぶ光の国こそ、あなたが本来いた場所です。あなたは世界から闇を払うためにそこから遣わされ、この世に生まれてきた存在です。役目を果たして、あなたが元いた場所へとお戻りなさい。この世は、あなたが生き続けていくには、あまりにつらい場所なのだから……」
フルートは青い光に包まれていました。女性の袖は、まるで青く燃える炎のようですが、熱さは少しも感じません。むしろ、ひやりと冷たく感じられます。
フルートは、ちょっと首をかしげました。
もう本当に難しいことは考え続けることができません。目の前で起こることも、話しかけられることも、遠い別の場所でのことのように思えます。それでも、その中にかすかに、心を引き止めるものがありました。一生懸命フルートを捕まえ、呼び戻そうとしているのです。
「なんだか、怒られそうな気がするな……」
とフルートは言って、また首をかしげました。誰に、どうして怒られてしまうのか、思い出すことができなかったのです。いいか、今度寝ぼけたこと抜かしやがったら本気でぶん殴ってやるからな――と誰かの声が聞こえたような気がしましたが、それもたちまち遠ざかって消えてしまいました。
光の女性がフルートをのぞき込みました。どれほど近づいても、輝きがまぶしくて、女性の顔は見えません。
「あなたは、あなたの仲間たちを心配しているのですよ、フルート」
と女性は言いました。
「でも、心配はいりません。彼らと別れているのは束の間のこと――。離別の悲しみは確かに訪れますが、時間がそれを癒してくれます。そして、時がめぐれば、あなたはまた彼らと会うことができるのです。光の国の中で。――優しい勇者。あなたの定めは誰にも取りのけることはできません。ただ、私はあなたに慰めと希望をあげましょう。あなたが願い石に光を願ってしまえば、あなたは肉体も魂も燃え尽きて、この世界から完全に消滅してしまいます。光の国に入ることさえできなくなるのです。ですが、私の元に来て、私に力を与えるならば、あなたの魂は守られます。あなたは黄泉の門をくぐって死者の国へ下り、さらに天上の国へと導かれます。そこでお待ちなさい。人の一生は、世界の営みから見れば一瞬に過ぎません。すぐにまた、大切な人たちと再会できます。それはあなただけでなく、あなたの大切な人たちの悲しみも癒すのです――」
フルートは女性を見上げ続けました。小柄なフルートに比べて、光の女性はとても背が高かったのです。そんな少年に、女性は優しく言い続けました。
「私はユリスナイ。光と正義と慈愛の神です。恐れず私の元へおいでなさい。死の悲しみと苦しみから人を解き放つためにも、私は存在しているのですから――」
遠く遠く、かすかな場所で、自分を呼んでいる声が聞こえる気がしました。ユリスナイの声ではありません。もっと弱々しい、今にも泣き出しそうな声です。フルート、と必死で呼び続けています。
フルートは静かにそれを聞いていました。心が動くことはありません。ただ、不思議なくらい、うつろな気がしました。空っぽな淋しさの中にフルートは立っています。
すると、女性が言いました。
「かわいそうな勇者……。あなたのその悲しみは、すべて私に委ねなさい。心安らかに旅立てるように、私はあなたと共にありましょう」
女性の唇がフルートの頬に触れました。ひやりと冷たい感触です。そこからまた光が流れ込んでくるのをフルートは感じました。濃い光が心をさらに強く抱きしめ、そのまま考える力を奪っていきます。
力なくもたれかかってきた少年を、光の女性は抱きしめ直しました。青い輝きが強まり、そのきらめきの中へ、二人の姿は見えなくなっていきました――。