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第10巻「神の都の戦い」

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第21章 行く者

79.光の心

 「だめ、やっぱりフルートは見つからないわ……」

 ポポロが泣き出しそうになりながら言いました。カイタ神殿の広場です。すっかり暗くなった中に少年少女たちと犬たちと二人の魔法使いが集まっています。遠いかがり火が彼らを照らしていましたが、ポポロはもうずいぶん長い間魔法使いの目を使っていたので、顔に疲労が濃く漂っていました。

 ゼンが渋い表情で腕組みしました。

「どこに隠れてやがんだよ、あいつ。こりゃよっぽどすねてるな。優しいくせに、とことん頑固なヤツだからなぁ」

「すねてるだけかな?」

 とメールが心配そうに言いました。

「もうこんなに暗くなってるんだよ。闇の怪物が出るかもしれないってわかってるのに、戻ってこないなんて変だよ」

「ワン、そうですね。自分のことはともかく、ぼくたちが怪物に襲われるかもしれないって考えて、帰ってきそうなものなのに」

 とポチも言って、くんくんと夜の空気をかぎました。しばらく前に、一瞬だけ上の方からフルートの匂いが漂ってきた気がしたのですが、それももう消えてしまっていました。

 ルルが厳しい口調でポポロに尋ねていました。

「本当に全部調べたのね? 見逃したところはないのね?」

 ポポロは大きな瞳を涙でいっぱいにしていました。

「町の通りは全部見たつもりよ……神殿や、修道院も……。でも、やっぱりいないの。どこかの家の中にいるなら別なんだけど……」

 さすがのポポロも、よその家の中までのぞき込むことはできません。そこまでは見てはいけない、という気持ちが自然と働くので、魔法使いの目がその先に進まなくなるのです。

 

「ポポロ様が呼んでも応えられないのですね?」

 と白の魔法使いが尋ねました。彼女はまだ青の魔法使いに肩を抱かれていました。ユリスナイの声が聞こえ続けているのです。一歩そこから出てしまえば、また強く呼び寄せられそうな気がして、さすがの彼女も強がることができませんでした。

 青の魔法使いは首をひねりました。

「勇者殿が怒って声を遮断してしまっているということは――」

 とたんにポポロが泣き出しました。こらえにこらえていた涙がこぼれだしてしまったのです。あわてて青の魔法使いは続けました。

「いやいや! そんなことは勇者殿に限ってありえない――と申し上げたかったのです! これほど一生懸命呼んでいるポポロ様に応えないなどというのは、本当に勇者殿らしくない」

 けれども、ポポロの涙は止まりませんでした。もとより、自分がフルートを怒らせてしまったのだと思いこんでいる彼女です。やっぱり自分はフルートに嫌われてしまったのだ、と考えて泣きじゃくります。

 白の魔法使いは溜息をつくと、闇に視線を向けました。耳の奥底ではずっとユリスナイの声が聞こえ続けています。ぞっとするほど綺麗な呼び声です。大神殿の光の淵へ優しく彼女を誘います――。

 

 白の魔法使いは、ふっと眉をひそめました。闇を見ながらつぶやきます。

「勇者殿と私は似ている……そういう話をしたことがある」

 青の魔法使いがいぶかしそうに彼女を見ました。他の者たちも女神官に注目します。

「勇者殿は他者を救うためには自分自身をいっさい省みなくなってしまわれる。それは神を信じ、その意志に従って人々を救おうとする信仰にとてもよく似ている。――勇者殿は、自分で意識していなくても、本物の信仰を持っておられるのだ。それも、非常に深くて敬虔な信仰だ」

 ゼンが、それを聞いて口を大きく歪めました。

「俺たちは、あいつを天使みたいだって言い続けてるぜ。あの馬鹿、あんまり人が良すぎて、なんだかこの世のものじゃねえみたいだからな」

 苦々しい声です。そんなフルートを引き止めるのに、ゼンたちは本当に苦労してきているのです。

 白の魔法使いはつぶやくように言い続けました。

「そういう人間も、まれに存在するのだろう。生まれつきなのか、そういう育ち方をしたのか、そこはわからないが――光に非常に近い存在なのだ。そして、私が聞いているこの声は、深い信仰に呼びかける。人の心を聖なる声で誘惑して絡め取ろうとするのだ――」

 白の魔法使いはことばを切りました。一瞬、またその場を飛び出し、声を追っていきそうになったのです。青の魔法使いの服をつかんで必死で踏みとどまります。青の魔法使いが抱き寄せる腕に力を込めます。

 白の魔法使いはまた続けました。絞り出すような声です。

「――この声は、勇者殿には聞こえないのだろうか? ユリスナイの声は、光の心を持つ勇者殿にも――聞こえているのではないのだろうか――?」

 

 一同は顔を見合わせました。夜の中、遠い灯りを受けた顔は、どれも青ざめていました。

 まさか……とメールがつぶやき、ポチとルルが不吉なものを感じたように振り向きました。そこには何も見えません。ただ夜の暗がりが広がっているだけです。

 突然、ゼンがどなりました。

「ポポロ、あいつを呼べ! なんでもいい、あいつが返事しそうなことを言え! 返事をしなかったら、大神殿のてっぺんから飛び下りてやる、とでも脅かせ!」

 冗談のようなことばですが、ゼンの顔は真剣です。ポポロも泣き顔のまま真っ青になっていました。両手で口をおおい、遠い目になります。夜の闇の中へ、心の声を送ります。

 フルート! お願い、フルート、返事をして――! 返事をしてくれなかったら、あたし――あたし――悲しくて死んでしまいそうよ――!

 

 夜風が広場を吹き渡っていきます。遠い夜の中から、悲鳴のような鳥の声が聞こえます。いえ、怪物の声なのかもしれません……。

 けれども、少年の返事はありませんでした。恐ろしいほどの空白だけが、夜の中に横たわります。

 ポポロは震えながら言いました。

「フルートは……返事をしないわ……。そんなわけないのに……そんなわけ――」

 わあっと声を上げて泣き出してしまいます。そんなポポロをルルが叱りつけました。

「泣いている場合じゃないわよ! フルートを探さなくちゃ! 本当にどこにもいないの!?」

 ポポロは泣きながら首を振りました。ミコンの町のどこを探しても、フルートの姿は見つからないのです。

 すると、白い子犬が、はっとしたように顔を上げました。

「ワン、白さんがいなくなったときと同じですよ! フルートもユリスナイの声に呼ばれていったんだとしたら、行き先は――」

「光の淵か!!」

 とゼンがどなり、次の瞬間には駆け出していました。大神殿目ざして広場を飛び出していきます。その後にメール、ポチ、ルル、ポポロが続きます。

「なんということだ――」

 とうなる青の魔法使いに、白の魔法使いが言いました。

「我々は魔法で先に行くぞ」

 手には別空間から取りだした杖を握っています。青の魔法使いもこぶだらけの杖を握り、二人は同時に地面を強く打ちました。

 が、何も起きません。彼らはカイタ神殿の広場に立ったままでいます。

 白の魔法使いは怒りに唇を震わせました。

「妨害されている。――あの場所で何かが起きているのだ」

「急ぎましょう」

 と青の魔法使いは言って、少年少女たちの後を追って駆け出しました。その片手は白の魔法使いの肩に回したままです。ユリスナイの声は相変わらず女神官の耳の底に響き、心に絡みつこうとしています。払っても払ってもほどけない、聖なる呪詛です。声が誘う大神殿へ向おうとする心と、それに抵抗しようとする心とがぶつかり合って、白の魔法使いは速度が上がりません。

 

 すると、白の魔法使いがふいに立ち止まりました。両手をまた耳に当て、驚いている青の魔法使いに言います。

「声がやんだ――いきなり聞こえなくなった」

「やんだ?」

 青の魔法使いはいっそう驚きました。

 白の魔法使いは耳を澄まし続けました。もう悲しく美しい呼び声はまったく聞こえませんでした。大神殿へ彼女を招く力も感じません。あたりが信じられないくらい静かに思えます。

 何故、声はやんだのだ? と白の魔法使いは考えました。それは声がもう彼女たちを呼ぶ必要がなくなったからです。それは何故だ、とさらに考え続け、いきなり気がついてしまいます。声は手に入れたのです。彼女たち信者に代わる、別の生け贄を――。

「勇者殿!」

 と女神官は思わず声を上げました。

 その時、彼らの先の方で声が上がりました。メールとポポロの叫び声です。ワンワンワン、と犬たちが激しくほえ、ゼンのどなり声が響きます。

「怪物だ! よけろ――!」

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