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第10巻「神の都の戦い」

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77.夜の道

 ミコンを夜の闇が包み、怪物たちが姿を現し、ユリスナイの声が人々を呼び始めるより少し前のこと――。

 沈んでいく太陽に赤く染まった坂道を、フルートは必死で走り続けていました。夕日はフルートの鎧兜にまぶしく照り返し、夕風がマントの裾をなびかせます。

 フルートは仲間たちがいるカイタ神殿へ急いでいました。頭の中は、さっき道の外れでネッセ大司祭長から言われたことでいっぱいでした。人々は、あなたの身代わりになって光の淵へ飛び込もうとしています。彼らを死なせたくはないのです。どうぞあなたの役目をお果たしください――。ネッセの声は悲しげで、それだけに、どうしようもなくフルートに迫っていました。

 だめだ……! とフルートは心で叫び続けていました。だめだ! ぼくは行けない! 行くわけにはいかないんだ!!

 脳裏に仲間たちの姿が浮かんでいました。頼もしいゼン、伸びやかで鋭いメール、健気なポチ、言うことはきつくても本当は優しいルル、そして、かわいいかわいいポポロ――。

 走りながらフルートはいつの間にか泣いていました。見えない何かが追いかけてきて、フルートに向かって大声でどなっています。

 卑怯者! 卑怯者! おまえの代わりに、ミコン中の人間が光の淵に飛び込もうとしているんだぞ? 五万もの人たちだ。おまえがそうやって意地を張り続けるから、彼らはおまえの代わりに死のうとしているんだ。それでいいのか? おまえのその命、おまえの幸せのために、そんなに大勢が命を捨てようとしているんだ。本当にいいのか? それで正しいと思っているのか――?

 フルートは自分の体を抱きしめました。歯を食いしばり、涙を流しながら走り続けます。

 だめなんだよ! どうしてもだめなんだ! だって――だって、ぼくはみんなと約束したんだから――!

 

「おまえの命はおまえだけのものじゃねえんだぞ」

 とゼンは言ってくれました。

「フルートの幸せは、あたいたちみんなの幸せだよ」

 とメールが笑い、犬たちが、うんうん、とうなずきます。

 ポポロは何も言わずにフルートの腕をしっかりとつかみ、ただ想いを込めてフルートを見上げてきました。行かないで、そばにいて……。まなざしは、そう言い続けてくれています。

 けれども、その瞬間、フルートの脳裏にもう一つのポポロの顔が浮かびました。青ざめ、目を見張り、今にも大泣きしそうになっていた彼女です。自分を遠ざけ、とうとう「ポポロなんてくれてやる!」とキースにどなってしまったフルートを、悲しみと絶望の顔で見つめます。

 ごめん、ポポロ……! とフルートは心で言いました。傷つけてごめん。悲しませてごめん。本当はこう言いたかったんだよ。そばにいてくれ――ずっと、ぼくのそばにいてくれって――。

 

 得体の知れない恐怖はフルートを追いかけ続けています。捕まってしまえば、あっという間にそちらへ引っ張られていきそうです。それは美しい声をしていました。澄んだ笛の音のような呼び声です。金の石の勇者に言い続けています。

「おいでなさい、優しい小さな勇者。私と共にこの世を悲しみから救いましょう。私と一緒に世界を守りましょう――」

 本当は、その時フルートにユリスナイの声は聞こえていませんでした。これはフルートの心の中で繰り返されている声です。澄み切った青い輝きが遠くに見えます。

 だめなんだ! とフルートはまた心の中で叫びました。

 その方法じゃだめなんだ! それじゃみんなが悲しむから! それとは違う道を、ぼくたちは探しているんだよ――!

 すると、追いかけてくるものが、ふいに変わりました。澄んだ青い輝きが燃え上がり、一瞬で紅蓮の炎に変わります。その中に一人の女性が立ちます。赤い長い髪を高く結って垂らし、火花のようなドレスを着た激しい姿の女性です。炎の中からフルートをじっと見つめます。

 フルートは息を呑みました。願い石……と、つぶやきます。

 けれども、赤いドレスの女性はすぐにまた消えていきました。姿が見えなくなる瞬間、石のように冷ややかな声が聞こえてきました。

「守護のは眠っている。そなたの願いはかなえられない」

 

 フルートはそれ以上走り続けることができなくなって立ち止まりました。膝に両手をついて、ぜいぜいと激しくあえぎます。心臓が今にも破裂しそうに脈打っています

 そうやって息を整えてから、フルートは顔を上げました。すると、真下にカイタ神殿が見えました。仲間たちが待つ場所です。すぐ近くまで戻っていたのでした。夕日は西の山々に沈もうとしていますが、西の空の端はまだ明るく輝き、神殿を赤く照らしていました――。

 フルートは体を起こしました。もう少しです。みんなのところへ戻れるのです。なんだか本当にほっとして、また新しい涙が出てきてしまいそうになります。

 ところが、再び駆け出そうとした瞬間、フルートは思わず躊躇しました。またポポロの泣き顔を思い出してしまったのです。

 神殿の広場で、ポポロはまだ泣いているのでしょうか。フルートの理不尽な仕打ちに傷ついて、悲しく泣き続けているのでしょうか。フルートの体と心がひるみます……。

 

 

 するとその時、後ろの方で若い女性の悲鳴が上がりました。続いて、不気味なうなり声が聞こえてきます。

 フルートは即座に振り返りました。今のは怪物の声です。剣を抜いて駆け戻っていくと、横道から通りに女性が転がり出てきました。その後から黒い生き物が追って飛び出してきます。

 フルートは女性を後ろにかばいました。黒い生き物は人面トカゲでした。鋭い牙でかみついてきます。フルートが剣で受け止めると、トカゲはガギン、と堅い音を立てて一度剣をかみ、すぐに放して飛びのきました。

 フルートは剣をふるいました。切っ先がトカゲのうろこを傷つけ、小さな炎を吹き上げます。ギィィ、とトカゲが悲鳴を上げます。

 女性はフルートの後ろでへたり込んでいました。腰が抜けたのです。すると、そこにまたトカゲが飛び出してきました。真っ正面から襲いかかってきます。飛びのいてかわせば、まともに女性が襲われてしまいます。

 フルートは逃げずに、逆に前へ飛び出しました。迫ってくる怪物へ剣を突き出します。とたんに、猛烈な衝撃を剣に食らい、小柄なフルートの体が吹き飛びました。ガシャン、と石の道にたたきつけられ、女性が悲鳴を上げます。

 ところが、剣は見事に怪物を貫いていました。人面トカゲがまた悲鳴を上げ、次の瞬間、大きな炎を吹いて燃え上がりました。あっという間に燃え尽きていきます――。

 

 フルートは息を弾ませながら立ち上がりました。魔法の鎧を着ているので、道にたたきつけられても、まったく怪我はありません。大丈夫ですか? と女性を振り返ります。

 女性は茫然としていました。座り込んだまま、道に両手をついています。夕日は完全に沈み、夜はどんどん濃くなっています。薄暗くてよく見えませんが、女性に怪我はないようでした。

 すると、ふいに女性が言いました。

「怪物がミコンを襲うわ……たくさんの怪物が……みんなを守らなくては」

 フルートはいぶかしい顔をしました。自分に向かって言われたんだろうか、と思わず考えます。けれども、女性は放心した顔で、どこか遠い場所を見ていました。

「闇がミコンや世界を襲うのよ……追い払わなくては……ユリスナイ様に力を差し上げて。ユリスナイ様、今まいります――」

 フルートは、ぎょっとしました。夢を見ているような女性に駆け寄り、急いでそれを抑えようとします。

 ところが、女性は勢いよく跳ね起きると、フルートを突き飛ばして駆け出しました。猛烈な勢いです。踏みとどまれなくてまた道に倒れたフルートの耳を、こんな声が打ちました。

「ユリスナイ様、待っていてください! 今まいります! 私を光の力にお使いください――!」

 フルートは、ぞおっと総毛立ちました。顔を上げて大声を出します。

「だめだ!! 行くな!!」

 けれども、女性は走っていってしまいます。自分が持っていた手提げ袋も荷物も道に置き去りにして、坂道を駆け上がっていきます。その頂上で待っているのは青く輝く光の淵です。

「待て!! やめろ!!」

 フルートは叫んで跳ね起きました。薄暗がりの中に女性の後ろ姿が遠ざかっていきます。フルートはそれを追って駆け出しました。黒い石を切り出した道は夜の闇の色です。靴音が冷たく響きます。

 それは、夜空を背景にそびえている大神殿へと続く道でした――。

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