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第10巻「神の都の戦い」

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76.キース

 ユリスナイ様、ただ今まいります、と言う武僧の声に、魔法使いや少年少女たちは、はっとしました。それは、大神殿で人々の中から飛び出し、淵へ身を投げた若者とまったく同じことばでした。

 仲間の武僧たちが必死で引き止めていましたが、若い武僧はがむしゃらに神殿を飛び出そうとします。行こうとしている先は、あの大神殿の光の淵なのだろう、と一同は考えました。

 すると、カイタ神殿の別の場所でも同じような騒ぎが起き始めました。やはり別の武僧が仲間の武僧たちを振り切ろうとしています。「ユリスナイ様! ユリスナイ様!」と狂ったように呼び続ける声が、神殿前の広場に響き渡ります。

 白の魔法使いはこれ以上できないというほど青ざめました。青の魔法使いの上着を強くつかみ続けながら言います。

「私と同じだ……。彼らもユリスナイの呼び声を聞いているのだ」

「あのままじゃ光の淵に行っちゃうよ!」

 とメールが言いました。ユリスナイの名を呼ぶ武僧たちは、本当に死にものぐるいで出て行こうとしているのです。

「ったく――どいつもこいつも!」

 ゼンが腹を立てながら駆け出しました。カイタ神殿の入り口で大暴れしている若い武僧に無造作に近づき、飛んできた拳を軽く受け止めて言います。

「話がややこしくなるから、おとなしく寝てやがれ!」

 と自分の拳を武僧の腹にたたき込みます。

 武僧は一声うなってその場に崩れました。気を失ったのです。ゼンはもう一人の武僧にも駆け寄って、同じように当て身を食らわせました。屈強の武僧が、やはりあっけなく気絶していまいます。

 

 

 その様子を見ていたキースが、細い眉を寄せました。

「ユリスナイの声が大勢に聞こえてきているんだ。一度声を振り切ったはずの人間にも……?」

 考え込むような表情が、ふいに変わりました。

「じいさん!」

 と叫んで、いきなり駆け出します。黒髪の剣士は、ミコンの町中に住むトートンとピーナの祖父のことを思い出したのでした。驚く者たちをその場に残して、神殿の広場を飛び出し、彼らの家へ駆けつけます。

 トートンたちの家は扉が閉まっていました。すりガラス越しに家の灯りが通りへ漏れています。すると、その中から突然鋭い悲鳴が上がりました。ピーナの声です。

 キースは扉から家の中に飛び込みました。広くもない居間の中に、トートンとピーナ、そしてその祖父の三人がひとかたまりになっていました。どの顔も恐怖におののいています。部屋の片隅に真っ黒い怪物がいたからです。大きなトカゲの体に人の頭――人面トカゲでした。

 

 キースは即座に剣を抜いてトートンたちの前に飛び出しました。襲いかかってきた怪物へ剣をふるうと、血しぶきが散って怪物が飛びのきます。

「キース!」

 と歓声を上げたトートンたちにキースは言いました。

「この家に怪物がいないのは確かめていたんだ。あいつはどこから入ってきた?」

「きゅ、急に現れたんだよ! そこの暖炉の陰から――!」

 とトートンが答えます。

「影の中に隠れていたんじゃなく、影を通じて送り込まれていたのか」

 とキースはつぶやくと、トートンや、ピーナを抱きしめている祖父に言いました。

「ぼくの後ろにいろ! 絶対に外に出るなよ!」

 そこへ人面トカゲがまた飛びかかってきました。間にあったテーブルを飛び越え、頭上から襲いかかってきます。キースは鋭く剣を振りました。怪物が深手を負い、声を上げて飛びのきます。キースに切られた傷は回復していきません。

 怪物が入り口の扉に体当たりをしました。そのまま外へ逃げ出していきます。怪物は前足を一本切り落とされていました。走ろうとしてもうまく走れずにいるところへ、キースが追いついてきました。

 人面トカゲは振り向きました。牙をむき、キースめがけて飛びかかっていきます。

 キースは剣を突き出しました。怪物が胸を貫かれ、地面に落ちて動かなくなります。

 キースは、ふうっと息をしました。通りには夜になるとかがり火が焚かれます。その光が通りのあちこちに暗い影を揺らめかせます。その中から新たな怪物が現れるのではないかと目を凝らします――。

 

 すると、家の中からまたピーナの声が聞こえてきました。

「おじいちゃん! おじいちゃん! 待って、おじいちゃん!」

 キースは仰天して、また家に駆け込みました。外に出ようとしていた老人と、真っ正面からぶつかります。老人はキースを押しのけながら言いました。

「ど――どくんじゃ、キース! わしは怪物を倒しに行かなくちゃならん! ユリスナイ様がわしを呼んでらっしゃるんじゃ――!」

 やっぱり! と青年は唇をかみました。あわてて出口の扉を背中で押さえて、外に出られないようにします。

 老人の目は正気ではありませんでした。遠い何かを見つめ、彼らには聞こえないものを聞きながら、まっしぐらにそちらへ駆けていこうとしています。孫のトートンとピーナがそれにすがりつきます。

「やめろ! やめろよ、じいちゃん! ダメだよ!」

「行っちゃやだ、おじいちゃん! 行っちゃいや! 死んじゃいやぁ――!!」

 子どもたちの悲鳴が、遠い日の自分自身の声のように聞こえて、キースは思わず顔を歪めました。歯を食いしばって、必死で不快感に耐えます。また繰り返されようとする悲劇を防ごうと、全身の力で扉を押さえ、老人の行く手をさえぎり続けます。

 すると、トートンがふいに床に倒れました。祖父にしがみついて、力任せに突き飛ばされたのです。がつん、とテーブルの脚に頭をぶつけた音がします。

 とたんに祖父は我に返りました。あわててトートンにかがみ込みます。

「す、すまん、トートン! 大丈夫か……!?」

 そんな祖父へ少年はまたしがみつきました。しわだらけの首に腕を回し、ぎゅっと抱きついて叫びます。

「行かせないぞ、じいちゃん! じいちゃんがいなくなったら、オレたち生きていけないじゃないか! じいちゃんがユリスナイの所に行っちゃうなんて、絶対にいやだからな――!」

 ピーナも兄の下から祖父の体にしがみついていました。大泣きに泣いていて、もう声も出せません。

 

 そんな孫たちを見るうちに、老人の表情が変わっていきました。憑きものが落ちていくように穏やかになっていきます。老人は震える腕の中に孫たちを抱きしめました。

「トートン……ピーナ……」

 キースは、ほっと溜息をつきました。

「正気に返ったかい、じいさん? この子たちのために生きることにしたんだろう? 忘れないでくれよ」

 キース、と老人はつぶやき、改めて腕の中の子どもたちを見つめました。二人の孫たちは泣きながら祖父にしがみついています。それを抱きしめて、老人も泣き出しました。

「ユリスナイ様……お許しを。わしは行けません……どうしても行けませんのじゃ……」

「そう、勝手に行っちゃだめだぜ。トートンとピーナが二人ぼっちになるじゃないか。いくら聖地でも、子どもだけで生きていくのはあんまり大変だし、淋しいんだからな――」

 言いながらキースは老人に近づき、子どもたちから引き離しました。まだ泣いている老人を見つめて、短くこう言います。

「じいさん、ごめんよ」

 次の瞬間、老人はキースにみぞおちを打たれて、気を失ってその場に崩れました。

「キース!!」

 驚く子どもたちの前で、青年は老人を抱きかかえてベッドに運びました。

「声はまだ呼び続けているみたいだからな。寝ていてもらった方が安心なんだよ。おまえたちはじいさんについていてやるんだぞ。目を覚ましたときに、また呼ばれていかないように気をつけるんだ」

 うん、とトートンはうなずきましたが、ピーナは心配そうに尋ねました。

「キースは? どこに行くつもり?」

「大神殿だ。どうやらあそこに偽物のユリスナイがいるみたいだからな。そいつをやっつけてくるよ」

「危険よ、キース! 大神殿にはさっきみたいな怪物がいっぱいいるのよ! 行かないで!」

 必死で止めるピーナに、キースは茶目っ気のあるしぐさでウィンクして見せました。

「ぼくに愛の告白かい、ピーナ? でも、さすがにまだちょっと若すぎるな。あと十年たったら言ってくれよ。じゃ、ぼくが出て行ったら扉に鍵をかけて――影に気をつけるんだぞ」

 わかった、とトートンが少年らしい顔つきでうなずきました。

 

 

 キースが家の外に出ると、すっかり暗くなった夜の中、道の上の方から騒ぎが聞こえてきました。誰かが制止を振り切って駆け出していったのです。ユリスナイ様! と叫ぶ女の声が遠ざかって行きます。

 キースはまた顔を歪めました。

「あそこでもか……。あの声は何が目的なんだ、本当に!」

 吐き捨てるように言って、足早に坂道を上り始めます。ユリスナイの名を呼びながら駆け出す人々の行く先は、あの光の淵です。キースもそこを目ざして急ぎます。

 すると、突然後ろで子どもの悲鳴が上がりました。ピーナです。キースの後を追ってきて、闇から飛び出してきた怪物に襲われたのでした。

 キースはとっさに引き返し、剣を抜いて怪物に切りつけました。ひらりと身をかわした怪物が、かがり火の光に照らされました。やはり人面トカゲです。

 後ろへかばったピーナへキースはどなりました。

「どうしてついてきた!? 家に隠れてろって言ったじゃないか!」

「だ――だって――」

 ピーナは泣き声でした。

「大神殿には悪魔がいるんでしょう? キース、殺されちゃうわ。勇者様たちだって――!」

「ぼくたちは殺されたりするもんか」

 とキースは答えてまた剣を振りました。再び飛びかかってきた怪物に切りつけたのです。それをかわした人面トカゲが、ピーナの体を足がかりにして飛びのきました。トカゲの後足で強く蹴られたピーナが、大きくよろめき、道の端の手すりから落ちそうになって悲鳴を上げます。

「ピーナ!」

 キースは怪物を一刀で切り捨て、手すりに駆け寄りました。ピーナを捕まえて引き戻そうとします。

 ところが、その直前で、ピーナの体が手すりの向こうに落ちました。そこは家々の屋根が並ぶ場所ではありませんでした。とある修道院の裏側です。道の端の手すりから下の地面までは、十数メートルの垂直な崖になっています。

 死んじゃう! とピーナは思いました。恐怖に身がすくんで声が出ません。目も開けられません。ただ真っ逆さまに落ちていく自分を、気が遠くなりそうになりながら感じます。

 

 すると、それが突然ふわりと何かに受け止められました。激しい羽音のようなものが聞こえ、たちまち墜落が止まって、また両足が地面に着きます。

 ピーナは目を開けました。そこは坂道の上でした。確かに道の端から下に落ちたはずなのに、また元の場所に戻っていたのです。キースが、ほっとした顔でのぞき込んでいました。

 ピーナは驚き、次の瞬間、目を丸くしました。夜の闇の中、キースの後ろに翼のようなものが見えた気がしたのです。

 ピーナがまじまじと見つめ直すと、キースは人差し指を唇に当てて、言いました。

「しっ」

 そのままにこりと笑うと、剣を鞘に収めて離れていきます。

「戻れ、ピーナ。絶対外に出るんじゃないぞ――!」

 キースの行く先は大神殿です。ピーナは茫然とそれを見送り続けました。どれほど目を凝らしても、キースの背中にはもう何も見えませんでした……。

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