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第10巻「神の都の戦い」

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第19章 日没

71.光と闇の声

 フルートたちはまた、大神殿の中庭の林にいました。黒い岩の裂け目に光の水をたたえて、光の淵が静かに横たわっています。淵の周囲は聖なる青い輝きでいっぱいです。

「木が消えている……」

 とフルートがあたりを見回しながら言いました。林の木々が、淵の周囲三メートルほどの範囲で、溶けるようになくなっていたのです。青く輝くむき出しの地面が、淵の岸まで続いています。

「強烈な聖なる光に二度も照らされて、存在できなくなったんですな」

 と青の魔法使いが難しい顔で言いました。他の者たちも、なんとなく薄気味悪い顔になって淵を眺めました。今ここで淵がまた光を放ったら、光の爆発にまともにさらされて、自分たちも消滅してしまうかもしれない、と感じたのです。

 けれども、その中でフルートだけはためらう様子もなく淵に近づいていきました。じっと光の水面をのぞき込みます。

「勇者殿」

 と白の魔法使いがそれを引き戻しました。聖なる光を見つめすぎるのが良くないことを、女神官は身をもって知っていたのです。

 すると、フルートが唇を震わせました。

「あの人はここに飛び込んだんだ……。ホールから飛び出して……ぼくたちの後ろを駆け抜けて……。わかっていたら、止めたのに!」

 怒りと後悔が声の中にありました。

「それは言ってもしかたのないことです、勇者殿。それより、あの声の正体を見極めなければ。ここに長居をするのは危険です。早く確かめましょう」

 白の魔法使いの言うことはもっともでした。フルートはまだ唇をかみしめていましたが、他の者たちはそれぞれに淵の周りを調べ始めました。見回し、匂いをかぎ、地面に手を当て、魔法使いの目で見透かします――。

 

 やがて、一同はまた集まって溜息をつきました。

「どこにも怪しいところはありませんな」

 と青の魔法使いが言うと、犬たちがうなずきました。

「ワン、悪意の匂いがする場所は全然ないですよ」

「闇の匂いもまったくしないわ。本当に、聖なる光と匂いでいっぱいよ」

「魔法使いの目で地面の中を見ても何もないわ。ここは聖なる場所。本当にそれだけなのよ」

 と困惑するポポロの隣で、キースが言いました。

「あの声ってのさえなければ、ここは本当に信仰の中心地になるんだろうけれどね」

 やはり、あまりにも怪しすぎるユリスナイの声でした。

 メールとゼンが首をひねりました。

「あたいにはなんにも聞こえてこないんだけどなぁ」

「俺もだ。どうしてユリスナイの声が聞こえるヤツと聞こえねえヤツがいるんだ?」

 白の魔法使いがそれに答えました。

「本物の声ではないからです。心の声と言われるもので、人の頭の中に直接話しかけてくるのです。同時に、術をかけてくるのですね――」

 こみあげてきた恐怖をそっとこらえる顔になります。

 

「あの大勢の人たちの中で、あの男の人だけがユリスナイの声を聞いた」

 とフルートは考えながら言いました。

「ユリスナイに、今まいります、と言っていた。声に、ここに来るように呼ばれたんだ。前の大司祭長や白さんが言われたのと同じように、ここに飛び込めって――。何故だろう? この淵は人が飛び込むと聖なる光を放って闇の怪物を消滅させる。闇を倒そうとする声なんだ。ってことは、あの声は、やっぱり闇の声じゃないんだろうか――?」

 少しの間、沈黙があってから、白の魔法使いがまた答えました。

「闇の声、とは感じられませんでした。むしろ聖なる声に思えたのです。心の中の聖なる想いに共鳴する声でした。おそらく、あの声は信仰の深い者にいっそう強く働きかけるのでしょう」

「人の聖なる心を捕らえる声かよ。闇の声と正反対だな」

 とゼンが言って、おもむろに腕組みしました。考え込み、やがて、低い声で続けます。

「なのによ――なんでこんなに闇の声に似てるように感じられるんだ? 片方は、他人のために身を捧げろって言ってるし、もう一方は、てめえの幸せのためには他人なんか裏切れって言う。言ってることは正反対のはずなのによ。なんだか、どっちも同じものみたいに思えてくるぞ」

 フルートも考え続けました。

「人の心にはいつも光と闇が背中合わせに存在する、って占いおばばは言った……。光と闇は心の両極端にあるものだけど、どっちに行きすぎても危険だってことなんじゃないかな? 強すぎる聖なる光を浴びると、人は消滅してしまう。それと同じように、光の想いも、あんまり強すぎるとその人を破滅させる。そこが闇と似てるんじゃないのかな」

 とたんに、仲間の少年少女たちと犬たちは、なんとも言えない表情になりました。まじまじと自分たちのリーダーを見つめてしまいます。

 ゼンが急にフルートの肩に腕を回して引き寄せました。

「その通りだ。よくわかってきたじゃねえか」

「え?」

 フルートは物思いから覚めてゼンを見返しました。言われた意味が理解できなかったのです。

 そんな友人をゼンはどなりつけました。

「あんまりいいヤツすぎて破滅しそうになってんのは、おまえ自身だろうが! それくらいちゃんと自覚してろ、阿呆――!!」

 

 

 太陽は彼らの頭上をすでに通りすぎていました。木が消失した林の中央に日差しが降りそそぎ、その分、淵が放つ青い光は色が薄くなっているように見えます。風が林の中を吹きすぎていって、またあたりが静かになります。

 青の魔法使いがおもむろに言いました。

「ここを調べてもわからないとなると、後はやはりネッセ殿を直接問いただすしかないでしょうな。他の者には、いつ誰にユリスナイの声が聞こえるかわかりませんが、ネッセ殿だけは常に声を聞いているのですから」

「ネッセ殿の他にもユリスナイの声が聞こえる者が何人かいた。彼らにも当たってみよう」

 と白の魔法使いが答えます。

 すると、メールがまた首をひねりました。

「ねえさぁ、ホントに、なんであの人たちはここに飛び込もうとしないわけ? ユリスナイの声がずっと聞こえてるならさ、あの人たちこそ真っ先に身を捧げていいはずじゃないか」

「ユリスナイからの命令がまだ下らないんだ、とか言ってやがったよな。ったく、都合のいいユリスナイだぜ!」

 とゼンが吐き捨てます。

「とにかく、これ以上ここにいてもしかたがないし、危険です。引き上げましょう」

 と白の魔法使いに言われて、皆は林を戻り始めました。どの顔も釈然としない表情です。声は聞こえても姿を見せない「ユリスナイ」、聖なるようで限りなく闇に近いものを感じさせる呼びかけ。追いかけても追いかけても正体がつかめなくて、誰もがじれったさと不安を感じています。

 

 そして、そんな中、ポポロはずっとフルートを見つめていました。

 フルートは今日もポポロに一言も話しかけてきません。ずっとなのです。視線さえ合わせようとしません。

 どうしてそんなふうに無視されるのか、ポポロにはわけがわかりませんでした。自分が何かしたんだろうか? フルートを怒らせるようなことをしてしまったんだろうか? 懸命に考えますが、理由がさっぱり思い当たらないのです。

 どうして、フルート? とポポロは心の中で問いかけました。どうして怒ってるの? あたしが何をしたの? あたしのどこが悪いのか教えて。そうでないと、あたし――どうしたらいいのか全然わからないわ――。

 考えるうちに、宝石のような緑の瞳が涙でいっぱいになってしまいます。想いと悲しみが渦巻きますが、それをことばにする勇気がどうしても出てきません。

 すると、何かのはずみのように、フルートがポポロを振り向きました。一瞬、フルートの青い瞳がポポロをまともに見ます。涙ぐんでいる彼女に、フルートは目を見張ったようでした。

 ポポロは、どきんとしました。フルート、と思わず呼びかけようとします。

 ところが、それより早くフルートは目をそらしました。そのまま顔をそむけて、また歩き出してしまいます。ポポロなど見ていたくないと言うようです。

 とうとうポポロの目から涙がこぼれました。悲しくて悲しくて、でも全然わけがわからなくて、声もなく泣き出してしまいます。

 

 一行は林から出ようと歩き続けていました。ポポロもその一番後について、とぼとぼと歩きます。

 気がつくと、フルートが林の途中で立ち止まっていました。ポポロを待っていたわけではありません。ずっと遠い場所に立って、今来た方向を振り返っているのです。ポポロが通りすぎていっても、まったく無視します。

 ポポロはうなだれながら歩き続けました。足下の土の上に、大粒の涙が落ちていきます。

 悲しみにくれるポポロは、フルートが彼女を少しも見ていないことに気づきませんでした。意地になって目をそらしているのではありません。ポポロが通りすぎたことに気がつかなかったのです。

 フルートは光の淵を眺めていました。木立の間を青い光が充たしています。その輝きを見つめながら、少年は不思議そうに眉をひそめていました――。

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