怪物だ、逃げろ、というゼンや青の魔法使いの声に、礼拝に参列していた人々はいっせいに立ち上がりました。悲鳴を上げて逃げだそうとします。
すると、今度はいきなりホールの正面出口で風の音が巻き起こりました。幻の竜のような白い風の犬が舞い上がり、人々の頭上を飛び回りながら叫びます。
「こっちもダメよ! 怪物が出たわ!」
言うなりまた出口へ急降下していきます。そこではキースが剣を抜いて黒い怪物と戦っていました。やはり人面トカゲです。
すると、白の魔法使いがふいに後ろへ向かって杖を振りました。ドン! と激しい音がして通路の床が破裂します。それに吹き飛ばされ、向こう側に着地したものがありました。人の頭に大きなトカゲの体――三匹目の人面トカゲでした。白の魔法使いやフルートに飛びかかろうと、通路にできた穴の向こうから身構えています。
「ワン、囲まれた!」
とポチは叫び、風の犬に変身して飛び上がりました。ルルは正面出口でトカゲと戦い始めていました。ポチも右の通路に現れたトカゲに風の牙で襲いかかっていきました。
通路に大勢の魔法司祭や衛兵たちが駆けつけてきました。三匹の人面トカゲへ攻撃をしかけようとします。白の魔法使いは叫びました。
「直接魔法で攻撃するな! 跳ね返ってきて、自分がやられるぞ!」
けれども、魔法司祭の一人がトカゲへ魔法を繰り出しました。フルートのすぐ隣にいた男です。とたんに魔法が跳ね返されて、男の体が吹き飛びました。フルート自身も激しい魔法の衝撃を食らって吹き飛びます。
「馬鹿者!」
白の魔法使いがまた杖を振りました。魔法司祭には間に合いませんが、フルートの体は白い光に包まれて止まります。
フルートは剣を構え直しながら言いました。
「ありがとうございます――でも、大丈夫です! ぼくは魔法の鎧を着てるから!」
そのまま飛び出し、魔法司祭に食いつこうとするトカゲに切りかかっていきます。白の魔法使いは思わず溜息をつきました。
「いくら金の鎧でも魔法の衝撃は食らうのに。本当に自分を顧みない方だ」
風の犬のポチが人面トカゲに跳ね飛ばされました。再び司祭に飛びかかろうとするトカゲに、フルートが剣をふるいます。傷口が火を吹き、怒り狂ったトカゲがフルートに襲いかかろうとします。その前に白の魔法使いが魔法で壁を作ります――。
そんな彼らの上を無数の花が飛んでいきました。メールが呼んでいるのです。ホールの左側の通路に集まって、花の鳥に変わっていきます。ゼンが人面トカゲに矢を放ち、青の魔法使いが杖を振っています。
正面入り口でキースとルルが人面トカゲと戦い続けていました。キースの剣は相変わらず闇の怪物に有効です。切りつけるたびにトカゲに傷が増えていきます。
ルルも、トカゲに跳ね飛ばされないよう、素早く切りかかっては離れることを繰り返していました。そうしながら、一人後ろに立っているポポロへ叫びます。
「ここは私たちが抑えるから、みんなに早く脱出するように言うのよ!」
ポポロは弾かれたように駆け出しました。ホールの周りは通路が回廊になって取り囲んでいて、一段低い場所に参列者たちが集まっていました。どの顔も恐怖におののきながら、周囲で繰り広げられる戦いを見上げています。そこへ向かって、ポポロは精一杯に声を張り上げました。
「皆さん、逃げてください! 出口はあたしたちが守るから、今のうちに、早く――!」
細い少女の声でしたが、せっぱ詰まった響きは人々の耳にも届きました。回廊では、風の犬や花鳥が怪物を出口に近づけないようにしています。剣や弓を持った戦士たちが激しく戦い、杖を持った魔法使いがそれを援護しています。
回廊へ上がる階段はホールの周りのあちこちにありました。人々はいっせいにそちらへ走り出そうとしました。
とたんに、ホール中に男の声が響き渡りました。
「逃げてはなりません! 今こそ、皆で心を一つにして祈るのです! 恐怖に耐え、ユリスナイ様の助けを求めましょう!」
ネッセ大司祭長でした。奥の祭壇で両手を高く上げて呼びかけています。
「馬鹿野郎!!」
とゼンは激しく叫びました。
「ユリスナイが何をしてくれるってんだ! 早く逃げろ! 怪物に食い殺されるぞ!」
戦う彼らは気がついていました。この人面トカゲの狙いは、願い石を持つフルートではないのです。人の大勢いる所を狙って飛び込んでいこうとします。腹を減らしているのです――。
大司祭長がまた言いました。
「留まるのです! 祈りを合わせ、ユリスナイ様の助けを呼びましょう! 大丈夫です、ユリスナイ様は決して我々をお見捨てになりません! 今こそ信じる心をユリスナイ様に捧げるのです――!」
騒然としたホールの中なのに、ネッセの声は隅々まで響き渡っていました。そばにいる魔法司祭が声を広げているのです。早く逃げて! というポポロの悲鳴も、死ぬ気か馬鹿野郎! とののしるゼンの声も圧倒してしまいます。
人々は打ちのめされたように次々とその場に膝をついていきました。手を合わせ、指を組み、頭を垂れて祈りを捧げ始めます。
「馬鹿な……」
と白の魔法使いは青ざめてつぶやきました。人々は逃げることを放棄したのです。本当にその場に留まり、また祈りだしてしまったのです。ネッセの声が朗々と響き渡ります。
「ユリスナイ様! お救いください! 今こそ、その奇跡を我々にお示しください――!」
フルートはトカゲと激しく戦い続けていました。丈夫なうろこを持つ怪物です。何度切りつけてもなかなか燃え上がりません。その耳に、ホールの祈りが聞こえていました。ネッセ大司祭長の声が、それに合わせる人々の心の声が、フルートに向かって押し寄せてきます。
救いを。救いを。どうか我々をお救いください――!
フルートは、まるで何かの痛みを感じているように、兜の奥で目を細めました。歯を食いしばりながら剣をふるい続けます。
すると、ついに人面トカゲの全身から炎が上がりました。炎の剣がやっとうろこの下まで届いたのです。黒い怪物が悲鳴を上げて燃えていきます。
左の回廊でも、突然火の手が上がりました。青の魔法使いが杖を突きつけている後ろで、ゼンが弓を構え、メールが花を呼び戻しています。ゼンとメールが怪物の動きを止めた隙に、青の魔法使いが火をかけたのです。怪物が炎の中で燃え尽きていきます。
すると、セエカ! という少女の声が聞こえてきました。キースに飛びかかった人面トカゲをポポロが魔法で跳ね返したのです。さすがの人面トカゲも、ポポロの強力な魔法は返すことができませんでした。まともに食らって通路の床にたたきつけられたところを、キースに剣でとどめを刺されます――。
自分の敵を倒して、ほっとしていたフルートが、それを見てたちまち笑顔を消しました。キースに駆け寄っていくポポロから目をそらします。白い服の剣士の青年と、黒い衣の魔法使いの少女。その姿は薄暗い神殿の中でも、鮮やかすぎるほど、くっきりと見えています。
すると、フルートのすぐ近くから、誰かがのんびりと話しかけてきました。
「安心しちゃっていいのかなぁ、勇者くん? あれはボクが呼び寄せてる魔獣じゃないんだよぉ。油断しない方がいいと思うんだけどなぁ」
フルートは、ぎょっと振り向きました。半ば透き通った幽霊の青年が空中に浮かんでいました。驚いて見上げる人々を、にやにやしながら見下ろします。
「はぁい、どぉもぉ。ボク、勇者くんたちの古い友だちで、魔獣使いのランジュール。よろしくねぇ」
と衛兵たちを相手に自己紹介します。フルートは思わず叫び返しました。
「誰が友だちだ! 今のはどういう意味だ!?」
「あれぇ、つれないなぁ。君を追って死者の国から舞い戻ってきたボクの一途な想い、受けとってもらえないのぉ? やっぱり皇太子くんより子どもだなぁ。ボクの愛情が理解できないだなんて」
オリバンだって絶対に理解しないぞ! と言い返したくなったのをぐっとこらえて、フルートはまた繰り返しました。
「今の意味は何だと聞いてるんだ! あいつらを呼び寄せた奴が、また何かすると言うのか!?」
うふん、とランジュールは笑いました。
「そっかぁ。君たちには見えてないんだねぇ。ほら、神殿にだって闇はそこにもここにもあるんだよぉ。全部調べたはずだって? 人には届かない高い場所にだって、闇はあるじゃないかぁ。そこで動いてるもの、ホントに見えないのぉ――?」
高い場所? とフルートたちはあわてて頭上を見ました。回廊の天井を見上げます。天井に近い壁に、神の物語を描いたステンドグラスがはめ込まれています。色とりどりのガラスを通った光が回廊の中に差し込んでいます。
「そっちじゃないよぉ。彼らの頭の上さぁ」
楽しそうに言って、ランジュールが、うふふ、と笑います。相変わらず女のような笑い声です。
白の魔法使いが駆け出し、回廊の手すりをつかんで叫びました。
「いけない! あそこだ!」
見上げたのはホールの大天井でした。金と大理石を組み合わせたアーチが支える天井は、ホール中にともされた蝋燭とかがり火に照らされていました。揺らめく光は、同時に揺れる影も作っています。その影の奥からうごめきながら這い出してくるものがありました――。
フルートも回廊の端に駆け寄って、ホールへ叫びました。
「逃げろ! 怪物は頭の上だ――!!」