「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第10巻「神の都の戦い」

前のページ

65.星の夜

 その夜、フルートたちはミコンの町中にある、カイタ神殿の広場にいました。祭りの時に格闘試合が行われ、招魔盤から怪物が現れて戦いが起きた場所です。

 今、その広場の隅に三つのテントが張られて、フルートたちが中にいました。闇の怪物はフルートを狙ってきます。少しでも被害が及ばないように、と人家ではなく神殿を、それも、腕自慢の武僧たちがいるカイタ神殿を宿泊場所に選んだのです。

 もう夜も遅い時間でした。ほの白く見える町並みの上に、星が明るくまたたいています。青の魔法使いが広場の端に立って見張りをしていました。

 

 すると、テントのひとつから少年が這い出してきました。フルートです。金の鎧兜を身につけ剣を背負った完全装備の格好で、青の魔法使いの隣に行きます。

「どうされました、勇者殿。眠れませんか?」

 と青の魔法使いは尋ねました。見上げるような大男ですが、その瞳は夜の中でも暖かい色をしています。

 フルートはうなずくと、そのまま夜景へ目を向けました。何も言いません。いつもおとなしくて穏やかなフルートですが、この時にはいっそう静かでした。……しょげていると言ってもいいほどです。

 青の魔法使いはしばらくそれを眺めてから、おもむろに口を開きました。

「テントでは寝心地が悪いのではありませんかな? 神殿の中にお泊まりになればよいのに、と武僧長が心配しておりましたぞ。ここはカイタ神殿です。確かに女人禁制の場所ですが、こういう状況ならば話は別だし、いくら闇の怪物でも神殿の武僧たちは簡単には襲えませんから、それほど気をつかう必要はないのですぞ」

「寝心地は悪くないです。野宿は慣れてますし」

 とフルートは答え、夜の町並みとその上の星空を眺めました。ミコンは春の気候ですが、星座は冬の並びです。明るい星々が華やかに空を飾っています。フルートがつぶやくように言いました。

「静かですね……。まだ闇の怪物がいるかもしれないのに」

「町中を武僧や衛兵たちが巡回しています。家々に護符も配られた。このまま一晩中、怪物がじっとしていてくれると良いのですがな」

 フルートはうなずきました。また何も言わなくなってしまいます。

 青の魔法使いは、ふむとつぶやき、そっと後ろへ目を向けました。そこに並ぶテントのひとつを見やります。すると、間もなくそこから一人の人物が出てきました。長い金髪を垂らした白い衣の女性――白の魔法使いです。青の魔法使いと視線を合わせてから、静かにそこに並びます。

「安眠のお茶でもお作りしましょうか、勇者殿? 日中、あれだけの戦いをしたのですから、お休みにならなくては」

 フルートは黙って首を振りました。白の魔法使いが青の魔法使いに心の声で呼ばれて来てくれたのはわかっていましたが、それでも何も言おうとはしませんでした。

 

 そんなフルートを少しの間眺めてから、白の魔法使いはまた言いました。

「テントの中でポポロ様が泣いておられますよ。ずっと泣き通しです」

 フルートは表情を変えました。目をそらすようにしてうつむいてしまいますが、やっぱり何も言いません。

 青の魔法使いが太い腕を組みました。

「喧嘩なさったのですか? いけませんな、勇者殿たちが仲違いをするなど。命にさえ関わりますぞ」

「喧嘩したわけじゃないです――」

 とフルートは答えました。やっぱり、それ以上は話しません。胸と頭の中に渦巻いている感情は、フルート自身にも手に負えなくて、ことばにすることができないのです。華々しい戦歴を持つ金の石の勇者は、本当は、とても不器用で口下手な少年でした。

 白の魔法使いはそんな少年を見つめ続けました。女神官の長い髪に神殿のかがり火が映って、夜の暗がりの中に淡い金色が揺れています。

 やがて、彼女はまた口を開きました。

「私たちは今日、初めて勇者殿の本当の戦いぶりを目にしました。魔法の武器もなく、防具もなく、金の石さえない状態で勇者殿がどんな戦い方をなさるのか。――正直、怖いと思いました。そのお姿で、何故あそこまですることができるのか、と。皇太子殿下もユギル殿もゼン殿たちも、皆様が勇者殿を心配なさいますが、そのわけがよくわかりました」

 フルートは薄くほほえみました。少女のように優しい顔立ち、小柄で華奢な体つき。金の鎧兜で身を包んでいても、そんな外見を隠しきることはできません。

「何も考えてないんです」

 と勇者の少年は答えました。

「その時になると、自分の身を守ることなんか全然考えられなくなっちゃうんです。それで、いつもゼンやオリバンには叱られるんだけど……」

「勇者殿は他人を救う場面では他がいっさい見えなくなるのですな。その集中力が強さの源なんでしょうが」

 と青の魔法使いは言い、少年がまた口を閉じてしまったのを見て、何か暖かい飲み物でももらってきましょう、と神殿の方へ歩き出しました。フルートには白の魔法使いの方が話しやすいようだと察して、席を外したのです。

 

 

 夜風が神殿の広場を渡っていきました。白の魔法使いの長い髪をなびかせ、兜の奥のフルートの前髪を揺らしていきます。二人とも金髪ですが、女神官の方がずっと淡い色合いをしています。

 フルートは長い間、何も言いませんでした。白の魔法使いも何も言いません。ただ、フルートと並んで立って、眼下に広がるミコンの町並みを一緒に眺めます。

 すると、とうとうまたフルートが口を開きました。

「ぼくは……いつだって、みんなに守ってもらっているんです……」

 白の魔法使いは、うつむきがちな少年の顔を静かに見下ろしました。

「みんな、というのは、ゼン殿やポポロ様たちのことですね?」

 フルートはうなずきました。

「……みんな、一生懸命守ってくれます。危なっかしいヤツだ、もっと自分を大事にしろ、って言いながら……。ポポロも、ぼくが願い石の誘惑に負けそうになると、真っ先に飛んできて引き止めてくれます。何も言わないんだけど、いつも必死になって……」

 フルートは夜の町を見ているようで、その実、別のものを見つめていました。また長い間、何も言わなくなってしまいますが、それでも白の魔法使いが待ち続けると、ようやくことばを見つけてまた話し出しました。

「……ぼくは、わがままになってるのかもしれません。みんながそうやって守ってくれるのが嬉しくて……。いつの間にか、それが当たり前になってきて……だから、ぼくを一番に考えてもらえないのが悔しいのかもしれないんです……」

 白の魔法使いは驚いてフルートを見直しました。この少年に、一番大切にしてもらえないのが悔しい、などという身勝手なイメージはまったく合いません。けれども、少年は目を伏せたまま、じっと唇をかみしめているのです――。

 

 白の魔法使いは後ろに並ぶテントを振り向きました。

「勇者殿は、ポポロ様に自分を一番大切に思っていてほしい、と考えてらっしゃるのですね」

 フルートは何も答えませんでした。ただ堅くうつむいています。その顔はおそらく真っ赤に染まっているのだろう、と白の魔法使いは考えました。

「それはご自分を責めるようなことではございませんね。そう思って当然の、自然な感情です。誰でもそうです」

 すると、フルートが顔を上げました。

「白さんも、ですか?」

 女神官は一瞬返事にためらいました。少年は、まっすぐな目で見上げています。

「そう……私もです」

 と白の魔法使いは正直に答えました。この場に少年と自分の二人だけしかいないことを密かに感謝します。

 すると、少年はさらにたたみかけるように言いました。

「それって、やっぱり、青さんのことなんですか?」

 白の魔法使いは本当に返事に詰まりました。まさかこんなふうに聞かれるとは予想もしていなかったのです。思いがけない時に、思いがけないほどはっきりと言ってくるのがフルートでした。女神官はつい赤くなってしまった顔をそらしましたが、それでも少年は見つめ続けています――。

 

 ふっと白の魔法使いは小さな溜息をつきました。広場の外れから夜の町を見ながら静かに言います。

「私は、青の気持ちに応えることができないのです」

 フルートは目を見張りました。どうして? と尋ねますが、女神官はそれには答えずに、町並みを眺めながら話し続けました。

「私は十三年前、このミコンで青と出会いました。私はもうロムド城を守る魔法使いの任務に就いていましたが、定期参拝のためにミコンを訪れていたのです。青は当時、非常に乱暴で自己中心的な男でした。自分の強さにうぬぼれて、強そうな相手に片端から勝負を挑み、打ち負かしてその頂点に立つことに夢中になっていたのです。対戦相手の中には、再び立つこともできないほど重症を負わされた者も、死にかけた者さえもいました。そのような男が神の使徒を名乗っているのを、私はとても見過ごすことができませんでした。彼が非公式の百人抜きに挑戦していると聞いて、対戦相手に名乗りを上げたのです。ちょうど百人目の相手だったようですが――」

 その話は、フルートたちも青の魔法使い自身から聞いていました。それこそ、今いるこのカイタ神殿の広場で聞かされたのです。

 白の魔法使いは町を見ながらほほえんでいました。

「青は本物の武闘家です。相手が女であっても、強いと認めれば手加減なしに本気で戦ってきます。ですが、彼の攻撃は魔法が単調でした。かわして隙を突けば、たちまち崩れたのです。私は当時まだ娘と呼んでもらえる年齢でしたから、当然、それに負けた青はミコン中の笑い物になってしまいました。ですが――彼はそれを恨まなかったのです。力の劣る者が勝る者に負けるのは当然、そうであるならば従うだけだ、と言って、あっさりこの聖地を捨てて、私と一緒にロムドへ来てしまいました。私は彼をいいかげんな男なのだと思っていたので、陛下が彼に青の魔法使いの名前を与えて城の守りの要にお着けになったときには、本当に驚きました。ロムドの守りを台無しにするおつもりですか、と陛下に食ってかかったほどです。だが、その後の彼の働きぶりは、誰もが認めるくらい立派なものでした。型破りは相変わらずだが、ロムドをよく守り、四大魔法使いの一角としてなすべき役割を果たします。戦いの最中に青に背中を任せておいて、危険だったことは一度もないのです。だから――」

 

 ふっと、女神官の声が揺れました。口に出そうになった何かを抑えるように、夜空へと目を上げます。遠いかがり火を受けたその横顔は、静かなほほえみを浮かべ続けていました。

「――青はそんな男だから、いつかきっと、彼にふさわしい女性が現れるだろうと、私は考えています――。その時のために、青には特別な感情は持たないと決めているのです」

 星を見上げる顔は、何故かひどく淋しげに見えました。どうして!? とまたフルートが尋ねると、白の魔法使いはにっこりと笑い返してきました。

「聞き飽きていることばでしょうが――大人の世界にはいろいろなことがあるのですよ、勇者殿。気持ちだけでどうにかできることはあまり多くないのです。ですが、勇者殿たちはまだ子どもであられる。自分自身に素直でいて、まだそれが許される歳なのです。素直におなりなさい、勇者殿。理屈をつけて、自分の本当の気持ちを隠してしまうなどということは、大人になってからすればよろしいのです」

 フルートは何も言えませんでした。また夜空を見上げた白の魔法使いを眺めてしまいます。いつも毅然としている横顔が、信じられないくらい優しくはかなく見えます。

 すると、白の魔法使いが、また微笑しました。

「いけませんね。夜はいつも人の心を正直にしすぎます――。もうテントに戻りましょう、勇者殿。明日に備えて、今夜は休むことにいたしましょう」

 と先に立って歩き出します。

 フルートはそれを見送りました。白い長衣を着た後ろ姿は男のようにさっそうとしていますが、それでもやっぱり、どこか淋しげでした。

 少年はとまどう目を行く手のテントに向けました。宝石の瞳の少女はどうしているのだろうか、と考えてしまいます。まだ泣き続けているのでしょうか。それとも、もう泣き疲れて眠ってしまったでしょうか……。

 それを確かめてみることもできなくて、フルートはただ立ちつくしていました。

素材提供素材サイト「スターダスト」へのリンク