風の犬のルルは大神殿の中庭の林から出ると、フルート、ゼン、ポチの二人と一匹を乗せたまま地上に下りました。犬の姿に戻ります。
そこへ仲間たちが駆けつけてきました。フルートが顔から胸にかけて傷を負って血を流しているのを見て、全員が息を呑みます。
「こちらへ、勇者殿」
と白の魔法使いが引き寄せ、片手をフルートの上にかざしました。皆の見ている前で出血が止まり、ゆっくりと傷口がふさがって、やがて薄く傷の痕が残るだけになります。
「ありがとうございます」
とフルートが礼を言うと、隣で青の魔法使いが言いました。
「白の治癒魔法は私より強力ですからな」
「勇者殿の金の石の力にはとても及びませんが、石が眠っている以上、とりあえずはこれで」
と白の魔法使いが答えます。
「フルートったら! 相変わらず無茶ばっかりするんだからさ!」
とメールが声を上げました。ちょっと怒った口調ですが、安心した顔をしています。ポポロの方は目を涙でいっぱいにして、声も出さずに泣き出していました。
キースも安堵の表情をしています。人面トカゲに尻尾で殴り倒された彼ですが、怪我はないようでした。
ポポロとキースを見たとたん、フルートは目をそらしました。また二人が並んで話していた場面を思い出してしまったのです。二人には何も声をかけずに、先に立って歩き出します。
「行こう。ネッセ大司祭長と話さなくちゃ」
フルートが自分を無視したのをはっきりと感じて、ポポロは目を見張りました。さらに大粒の涙を浮かべて泣き出してしまいます。けれども、フルートは立ち止まらず、振り返ることもしませんでした――。
中庭では戦いが終わろうとしていました。いたるところで怪物を焼き払う火が燃えています。衛兵や司祭が怪物の残党にとどめを刺し、トートンたち町の人々に駆け寄って怪我がないか確かめています。
そんな光景の中、大司祭長のネッセは数人の魔法司祭に囲まれて立ちつくしていました。その顔色は真っ青でした。もう少しで人面トカゲに食われそうになったのですから、無理はありません。
そこへフルートは近づいていきました。
「大司祭長、お怪我はありませんね?」
ネッセはうなずき、頭を下げて言いました。
「ユリスナイ様のご恩情に感謝します……。あなたたちのおかげで大神殿は救われました」
「これほどの騒ぎになるまで、何故お気づきにならなかったのです?」
と白の魔法使いが厳しい声で尋ねました。大神殿の最高責任者であるネッセが、一番最後にようやく中庭に出てきたことを追及しているのです。
ネッセは顔を伏せました。
「ユリスナイ様のお声を聞いていたのです――。ユリスナイ様は大切なことをお話しくださっていて、この中庭の騒ぎのことは何もおっしゃいませんでした」
ユリスナイの声が? と一同は思わず驚き、中庭の林を振り返ってしまいました。その奥にある光の淵は、ここからでは見えません。
「声はなんと?」
と白の魔法使いが重ねて尋ねました。
「世界にはまだ闇が残っている。それを一掃しなくてはならない、と――」
言って、ネッセはことばをとぎらせました。それ以上何も言わないので、青の魔法使いが進み出ました。
「闇の残党を一掃? どうやって! また聖戦を始めるとでも言われるつもりか!?」
白の魔法使いに劣らず厳しい声になっています。他の者たちも、いっせいに、はっとします。
けれども、ネッセは首を振りました。
「いいえ、ユリスナイ様は今回はそれはお命じになりませんでした――」
やっぱり、どこか歯切れの悪いネッセの口調です。魔法使いたちは首をかしげましたが、ネッセは黙り込んでしまっています。
すると、フルートが口を開きました。
「今回の闇の怪物は、ぼくたちが知っている魔獣使いの幽霊が連れ込んだものです。でも、最後に出てきたあの大トカゲだけは別だと言っていました。あれには別の主人がいて、その命令でみんなを襲っていたようです。あのトカゲは神殿の中から出てきました。思い当たることはありませんか?」
いつかフルートの声は非常に鋭くなっていました。魔法使いたちよりも険しいくらいです。
ネッセはまた首を振りました。
「ここはユリスナイ様に守られた光の神殿です。闇がここに棲みつくことなどありえません――」
「でも、現実にミコンにも大神殿にも闇の怪物が出てきてるじゃねえかよ!」
とゼンがどなりました。二言目にはユリスナイの威光を口にして、それ以上真実を確かめようとしない聖職者たちに、いらいらしています。
すると、キースが言いました。
「神殿にだって闇は棲めますよ、大司祭長。闇の怪物には光に強い連中もいる。ある程度までの光なら、体の表面から取り込んで分解してしまうんです。光のあるところには必ず影もできる。光が明るいほど、できる影は濃い。怪物たちは、普段はそういう影の中に潜んでいて、そこから襲いかかってくるんです。光の場所だからって油断はできませんよ」
「詳しいじゃないのさ、キース」
とメールが感心すると、聖騎士団の青年は肩をすくめました。
「常識さ、こんなのは」
「衛兵たちにいっそう警備を強化させましょう。司祭たちには町に潜んだ闇を徹底的に探させます――」
とネッセは言って大神殿へ歩き出しました。魔法司祭たちがそれに従っていきます。
「それだけで本当に大丈夫なのかよ!? 敵はてめえらン中にいるかもしれねえんだぞ!?」
とゼンがどなりましたが、ネッセは静かに言いました。
「我々はユリスナイに仕える者たちです。闇に心奪われる者はおりません。それに、闇が我々の中にいれば、ユリスナイ様が必ずお知らせくださいます」
とりつく島がありませんでした。彼らを残して、大司祭長は神殿の中へ入っていきました――。
「ネッセ殿には、相変わらずユリスナイの声が聞こえているのだな」
と白の魔法使いが考え込むように言いました。青の魔法使いが答えます。
「確かめなくてはなりませんな。声の正体を。どうも、やっぱり本物のユリスナイの声とは思えませんぞ」
「そうだな――」
けれども、フルートはまったく違うことを考えていました。しばらくじっと足元を見ながら黙り込み、やがて目を上げて、きっぱりとこう言いました。
「ミコンを出て行こう。荷物をまとめて、今すぐに」
仲間たちは驚きました。ミコンを見捨てると言うのだろうか、とフルートを見つめ返してしまいます。少年は優しい顔に厳しい表情を浮かべていました。
「ランジュールは必ずまた闇の怪物を呼び寄せる。あいつらはぼくを狙っているんだ。このままミコンにいたら、ミコンの人たちが危険になるんだよ」
ああ、と一同は思わず頭を抱えました。あまりにも、いつものフルートらしい言いようでした。
白の魔法使いが言いました。
「怪物たちはミコンの正門を壊して侵入したようです。先ほど衛兵たちが言っていました。だが、それももう修理はすんだのだ、と――。ミコンは光によって守られ、闇の目から隠されている都です。だが、一歩その外に出てしまえば、その守りもなくなってしまう。金の石が眠りについている今、勇者殿がその外に出て行けば、たちまちその姿は闇から丸見えになって、それこそ数え切れないほどの闇の怪物に襲いかかられることになります。――いけません。そんなことを勇者殿にさせるわけにはまいりません」
白の魔法使いの話に、仲間たちはますます顔色を変えました。ポポロがフルートに飛びつき、その腕を抱きしめます。
すると、フルートは黙ったままその手の中から腕を引き抜きました。ポポロの顔は見ずにこう言います。
「それじゃ、トートンたちの家を出て行こう。とにかく、人の多いところから離れたい。闇の怪物が襲ってきたら迎え撃てるような場所にいなくちゃ――」
ポポロは立ちすくみました。大きな瞳をいっぱいに見開いて、フルートを見つめてしまいます。フルートは確かにポポロを拒絶したのです。どうしてそんな態度をとられるのかわからなくて、たちまち涙ぐんでしまいます。
けれども、フルートは歩き出していました。ゼンや魔法使いたちと一緒に話しながら、衛兵たちに守られているトートンやピーナのところへ行きます。その後をメールや犬たちが追っていきます。
立ちすくみ、泣き出してしまったポポロの隣で、キースが、うぅん、と頬をかいていました。少年の気持ちを完全にこじらせてしまったのだと悟ったのです。
「本当にまだ十五歳だったんだなぁ……」
肩を怒らせて足早に離れていくフルートの後ろ姿に、キースはそうつぶやきました。