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第10巻「神の都の戦い」

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58.混乱

 フルートは一人でミコンのつづら折りの道を上り続けていました。

 心臓が激しく脈打っていて、胸がひどく痛みます。まるで大きな棘が突き刺さっているようです。息をするのさえ苦しい気がして、フルートは唇をかみながら歩き続けていました。道の途中で何人もの人とすれ違うのですが、そんなものも目に入りません。

 頭の中で見つめ続けていたのは、トートンたちの家の前にいたポポロとキースの姿でした。二人は道の端に並んで腰を下ろして、ずっと何かを話していました。話の内容まではわかりませんが、肩と腕とが触れあいそうなほど接近して座って、親しげにことばを交わしていたのです。長い黒髪の美しい剣士と、輝く赤毛のかわいらしい少女。時々少女が青年にほほえみかけました。とても優しい笑顔です――。

 フルートはまた息が詰まりそうになって、思わず立ち止まりました。胸の奥から何か得体の知れないものが湧き上がってくるような気がします。苦しくて苦しくて、自分の体を抱きしめて、やっと息をします。

 

 二人が特別な関係などでないことは、フルートにだって見てわかりました。恋人同士だとか、好き合っているとか、そういうことではないのです。ただ友だちとして話をしていただけです。

 それはちゃんとわかっているのに、二人が寄り添い、ことばを交わしている姿を見たとたん、フルートはどうしようもなく苦しくなりました。脈絡もなくポポロをどなりつけたくなってしまって、そんな自分に自分で驚き、あわててその場から逃げ出してきたのです。

 理不尽です。わけがわかりません。ポポロはただ友だちとしてキースと話しているだけなのに。友だちと話すことくらい、ポポロの自由だというのに……。

 フルートは肩で息をしながら、足下からまた目をそらしました。目の前にまた、寄り添う二人の姿が見えるような気がしたのです。ポポロの笑顔がちらつきます。

 優しいポポロ。かわいいポポロ。その笑顔を独占している青年に、たまらない嫉妬を覚えてしまいます。あの笑顔はぼくのもののはずなのに――。

 フルートは心の底から湧き上がってきた自分の声に、また愕然としました。ぼくのもの――? 違う。ポポロは誰のものでもない。彼女はただ彼女自身のものだ。ぼくのものだなんて言う権利は、ぼくにはない!

 なのに、どんなに自分に言い聞かせても、フルートの胸から苦しさは消えません。キースにポポロを奪われたような気がして、悔しくて悔しくてたまりません。本当に、今ここにあの二人がいたら、声の限りどなりつけてしまいそうです――。

 

 大混乱した気持ちの中で、フルートはまた道を上りだしました。何をするあてもありませんが、とてもじっとしてはいられなかったのです。自分で自分を抱きしめたまま、ひたすら上へ歩いていきます。

 青空も白い町並みも目の前に広がっているのに、本当に何一つフルートには見えていませんでした。暖かい日差しも爽やかな風も、まったく感じられません。ただ感じるのは、胸に突き刺さった棘の痛みです。打ち消しても打ち消しても浮かんできてしまうのは、キースに優しくほほえみかけているポポロの笑顔です……。

 

 やがて、フルートは町の頂上に着きました。ユリスナイの大神殿がそびえています。広場の中央で泉が音を立てながら水を噴き上げ、流れ出した水が、階段の中央の水路を流れ下っていきます。大神殿は静かです。大礼拝が終わったのです。

 フルートは広場を横切り、向こうに見えていた展望台へ行きました。広場の外れに手すりがあって、そこからミコンの町を一望できるようになっています。手すりは、柱も横木も本物の金でできていて、空から降りそそぐ日差しに輝きます。フルートはそこにもたれかかりました。本当に、ぼくは何をやってるんだ、と自分自身に尋ねます。

 ポポロはただ、キースと話をしていただけじゃないか。心配するような話じゃなかったのは、見ただけでわかったじゃないか。それなのに、どうしてこんなに――こんなに、悔しいんだよ――。

 フルートは唇をかみました。手すりにもたれた両腕に、自分の顔を突っ伏してしまいます。

 

 以前は、これほどの気持ちは感じませんでした。

 確かにポポロとゼンが仲よく話していたり、ポポロがゼンに慕う目を向けると、胸の中が熱くなって、どうしようもなく悔しくなりましたが、それでも我慢することはできたのです。ポポロがゼンを好きなことはわかっていたし、ゼンだってポポロを好きだったから、今よりもずっと深刻な状況だったはずなのに。ポポロが誰を好きになったって、それはポポロの自由だもの、と自分を納得させることができたのに――。

 唐突に、ポポロの顔が浮かんできました。フルートを見上げ、涙でいっぱいになった目でほほえんできます。

「フルート。あたしはあなたが好き。あなたが誰よりも好き――。だから、行かないで。消えてしまわないで。あたしはずっと、あなたのそばにいたいの――」

 薔薇色の姫君の戦いの終わりに、ポポロはそう言ってくれました。フルートを引き止めるように強く抱きしめるポポロの腕の感触が、体の上によみがえってきます。ポポロの腕は温かかったのです。ポポロの胸は柔らかかったのです。湧き起こってくるいとおしさに、なんだか泣き出してしまいたくなります――。

 

 フルートは胸に深い痛みを抱えたまま、またその場から歩き出しました。本当に泣き出してしまいそうになったのです。

 展望台からまた大神殿の方へ、そして、建物に沿って奥の方へと歩いていきます。

 大神殿はいくつもの大きな塔や建物が集まってできています。建物と建物の間は渡り廊下で結ばれていたり、屋根がかかっただけの通路でつながっていたりします。通路さえなくて、建物の間が離れている場所もあります。

 そんな建物の切れ間から、大神殿の中庭に入り込むことができました。灰色の石畳が敷かれた広場とは違う、土の地面が広がる中庭です。草が生え、木が揺れ、修道士や修道女たちが耕す畑が緑の絨毯になっています。

 じっとしていられない気持ちに突き動かされてそこまで来たフルートは、急に、はっと足を止めました。中庭の向こうの方から賑やかな声が聞こえてきたのです。

 たくさんの人々が集まって、中庭の片隅で何かをしていました。大人も大勢いますが、それと同じくらいの数の子どもたちもいました。皆、大きな歓声を上げながら何かを見守っています。

 その中に、トートンとピーナがいることに、フルートは気がつきました。人々の間に長身のメールの姿も見えます。花を中庭に植えにきたメールの一行がそこにいたのです。

 フルートは、あわてて向きを変えました。彼らはまだフルートに気がついていません。急いでそのまま中庭を出て、大神殿から立ち去ろうとします。

 ところが、展望台まで来ると、今度はつづら折りの道を上ってくる犬たちの姿が目に入りました。白い子犬と茶色の犬――ポチとルルです。町を見物しながら、こちらへ上がってきているのです。

 フルートはまた立ち止まりました。犬たちは大神殿の階段に向かっています。大神殿から出ようとすれば、途中で必ず出くわしてしまいます。こんな気持ちでいる時に犬たちと会いたくはありませんでした。人の気持ちに鋭い犬たちです。必ず胸の内を見抜かれてしまいます――。

 フルートはあたりを見回しました。中庭には戻れません。それなら、もっと奥へ――。フルートは、大神殿の建物に沿って、奥の方へと歩き出しました。

 

 すると、大神殿の建物の陰の、中庭の方向から、大勢の叫び声が聞こえてきました。フルートは驚いて振り向きました。歓声ではなく悲鳴だったのです。

 とたんに、建物の中からは雨が降るような音が聞こえてきました。ざーっと激しい音を立てながら、色とりどりの虫の大群のようなものが入り口から飛び出してきます。神殿に供えられていた花たちが、茎を離れて飛んでいるのです。その行き先は中庭です。

「メール!」

 とフルートは思わず叫びました。メールが花たちを呼んでいるのです。

 何かあった!!

 フルートはそう直感すると、花の後を追って中庭へ駆け込んでいきました――。

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