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第10巻「神の都の戦い」

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第15章 心

56.残酷な優しさ

 朝が来ました。

 ミコンのトートンとピーナの家でフルートたちは目を覚ましました。フルートたち四人と二匹の他に、二人の魔法使いとキースまで泊まっているので、狭い家の中は満員なのですが、ミコンと悶着があった彼らとしては、他の場所に泊まる気になれなかったのです。

 ゼンとメールとポポロが朝食の支度を手伝い、他の者たちは寝具を片づけ、居間を掃除して食事をする場所を作ります。そんな中、フルートとキースは一言もことばを交わさず、目も合わせようとしませんでした。前の晩からずっとそうなのです。トートンやピーナが驚いたように二人を見ていましたが、青年と少年はそれでも何も話そうとはしませんでした。

 

 やがて、キースが子どもたちの祖父に頼まれて、家の裏庭へ出て行きました。庭と言っても切り立った岩壁との間の狭い隙間で、上には屋根がかけられて物置代わりになっています。そこに燃料の薪を取りに行ったのです。

 薪の束を抱えて戻ろうとすると、いつの間にか家の裏口にゼンが立っていました。腕を組み、裏口の戸にもたれかかるようにしてキースを見ています。

「なんだい?」

 とキースが尋ねると、ゼンが言いました。

「フルートから聞いたぜ。あいつに、正義に酔ってるって言ったって?」

 ゼンの声に怒りや批難の調子はありませんでしたが、キースは不愉快そうに顔をしかめました。

「もうその話はしたくない。気分が悪くなるからな」

「あんたのおふくろさんのことを思い出させるからか?」

 とゼンが遠慮もなく言います。こちらの話はポポロから聞いていたのです。

 キースはゼンをにらみつけました。怒りと憎しみが目の中に黒くひらめきます。ゼンは肩をすくめました。

「んな顔すんなって。おふくろに先に死なれて恨みたくなる気持ちなんてのは、俺にだって嫌ってほどわかるんだからよ」

 ゼンの母親は人間で、ゼンが生まれて間もなく病気で亡くなりました。それは誰にもどうしようもないことだったのですが、人間の血が混じっていることを洞窟のドワーフたちから馬鹿にされるたびに、残されたゼンとしては、死んだ母親を恨むしかなかったのです。――それもフルートたちと仲間になってからは、いつの間にか忘れてしまった感情でしたが。

 キースが意外そうに見返してきたので、ゼンはまた肩をすくめました。

「ま、俺のことは気にすんな。そうじゃなくて、あいつのことをそんなふうに見るのはやめろ、って言いにきたんだよ。そのへんの下らない人間どもがあいつを馬鹿にしたり崇めたりするのは、いつものことだから、いちいち気にしてらんねえけどよ――友だちだと思ってたヤツからそんなふうに言われると、あいつはえらく傷つくからな。あいつは正義に酔ってなんかいねえ。死んで誰かからほめられたいとか、感謝されたいなんてのも考えちゃいねえ。ただ、みんなを助けたいだけなんだよ。馬鹿みたいに、ほんとにそのことしか考えてねえんだ――」

「らしいね。ポポロもそう言ってた」

 とキースが冷ややかに答えました。

「だけど、彼が自分から死にたがっているのは同じことだ。大司祭長が光の淵に飛び込んだとき、彼は後を追いかけようとしていたんだよ。一緒に飛び込もうとしていたんだ。自分でも気がついていなかったようだけど、こっちには、はっきりとそれが見えた。白の魔法使いの場合は術にかかって、そういう気持ちにさせられたようだけど、彼の場合は自分からだからね。それが不愉快だ、と言ってるんだよ」

 

 ゼンは少しの間、何も言いませんでした。考えるように黙り込み、やがて、苦笑いしてこう言います。

「ま、それは確かにその通りか」

 てっきりゼンがフルートを弁護するだろうと思っていたので、キースは目を丸くしました。

 ゼンは苦笑いのまま、裏口から家の中を見ました。他の人たちは居間や台所で動き回っていて、誰かがこちらへ来る気配はありせん。

「あいつはとことんお人好しさ。それこそ、二千年に一人出るか出ないかの筋金入りなんだ。だから、ついつい願い石の声を聞きそうになるんだけどよ――でも、あいつはいつもそれと戦ってるんだ。普通のヤツらは、自分のわがままとか身勝手なんかと戦わなくちゃならねえんだけど、あいつは自分の優しさと戦ってんだよ」

 とたんに、はっ、とキースが笑いました。

「やっぱりご立派! さすがは金の石の勇者だね。心の戦いも崇高なもんだ!」

「ほんとにそう思うか?」

 とゼンが聞き返しました。静かですが、鋭い声です。

「俺たちはそうは思わねえよ。あいつのどこが立派なもんか。あんまり優しすぎて危なっかしいだけだよ。だから、俺たちはあいつのそばにいるんだ。そうしねえと、あいつはきっとすぐに――自分の優しさに殺されちまうからな」

 キースは驚いたようにゼンを見返しました。優しさに殺される、という言い方は、ひどく意外なことばに聞こえます。

 

 彼らの頭上から歌声が響いていました。町の頂上の大神殿で、大礼拝が始まったのです。神を賛美する歌が、天から響くように降ってきます。

 それにちょっと耳を傾けてから、ゼンはまた言いました。

「あんたたちは、優しいってのは最高すばらしいってよく言うよな。ユリスナイの教えってのも、そうなんだろう? 人に優しくしろ、人に親切にしろ、ってな。でもな――もともと優しいヤツに、もっと優しくしろ、なんて迫るのは、脅迫以外のなにものでもねえんだよ。そんなことを言われたら、あいつはどんどん追い詰められていく。優しいからこそ、本気で悩んじまう。そして、いつか本当に願い石を使っちまうんだよ。――んなこと、させられるか!」

 ゼンの声が初めて乱暴になったので、キースはまた目を丸くしました。とまどいながら、こう言います。

「人に優しくしろ、っていうのは、優しくできない人間のための教えさ。元から優しくできている人が聞くことじゃない」

 すると、ゼンが皮肉に笑いました。

「それなら、そこんとこ、ユリスナイによく言っておけよ。言い聞かせる相手を間違えるな、ってな。とにかく、俺たちはあいつをユリスナイにも願い石にも渡さねえんだ。あいつだって、必死でそれと戦ってる。けっこうしんどい戦いだと思うぞ。あいつ、かなりつらそうだもんな。そういうヤツをよ――正義に酔ってるだけだ、なんて決めつけんなよな」

 キースはゼンを見つめました。その頭の中をよぎっていったのは、「金の石の勇者は、そんなすばらしいものなんかじゃない!!」と激しく叫んだ、フルートの声と姿でした……。

 

「どうしてさ?」

 とキースは尋ねました。

「どうして、彼はそこまでするんだ? もっと自分勝手に生きればいいだけのことじゃないか」

 ゼンはまた苦笑いしました。

「だから、それができるくらいなら、あいつだって苦労しねえんだったら……。あんただって、自分を置いてったおふくろを恨む気持ちはなくせねえんだろ? それと同じだ。あいつは優しい。とにかくそれがあいつだから、どうしようもねえんだよ」

 キースはあきれたように肩をすくめ、自分と対等にこんな話をするゼンを、改めて見直しました。

「君たち、何歳だったっけ……? 子どもの姿の魔法をかけられているだけで、本当はもっと年上だったんだな?」

「俺たちは正真正銘十五歳だぜ。ポポロはまだ十四だけどな。あいつと一緒に旅して闇と戦ってりゃ、嫌でもこういうことを考えさせられるんだよ」

 ま、とにかく、あいつにはもう突っかからないでくれよな、と言い残して、ゼンは家の中に戻っていきました。そのついでに、キースの手の中から薪の束を取っていきます。奥の台所から、ゼン、遅いじゃないのさ! とメールが文句を言う声が聞こえてきます……。

 

 家の裏口を眺めながら、キースは腕組みをして、ふん、とつぶやきました。

「いい友だちを持っているものだね、金の石の勇者ってのは」

 頭上の大神殿からは、まだ神を賛美する歌声が流れ続けていました。どこかもの悲しい、美しい響きです。

「つまり、優しさは優しい人間には残酷、ってことか」

 そう言ったきり、キースは黙り込みました。その目は遠い日の記憶を振り返っているようでした……。

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