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第10巻「神の都の戦い」

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54.生け贄(いけにえ)

 フルートとゼンが道ばたで大司祭長のネッセと側近たちを見送っていると、家の中からメールが声をかけてきました。

「お茶の準備ができたよ。二人とも中に入りなよ」

 その後ろからキースも顔をのぞかせます。

「今、ネッセ殿の声が聞こえた気がするけれど……?」

 ゼンが大きく肩をすくめました。

「ああ、たった今までここにいて、ありがたいお達しをくださったぜ。ユリスナイと大神殿に反逆した俺たちは、無罪放免だとよ。あんたも聖騎士団に戻っていいって言われたぞ、キース」

 へぇ、とキースは気のない返事をしました。腕組みして外に出てきます。

「さて、どうしようか……。なんだかもうミコンにもうんざりし始めているんだけどな」

 ゼンはまた肩をすくめると、メールと一緒に家の中に入っていきました。

 フルートも家に入ろうとしましたが、戸口の前でまた町を振り返りました。明るく照らされた白い石壁、その反対側にできる黒い影。照らす光が明るいほど、できる影は濃く暗くなります。けれども、その影の中に、四枚翼の竜の姿はやはり見当たらないのです……。

 

 キースがフルートと並んで、一緒に町を眺めました。そうしていると、小柄なフルートはキースの肩あたりまでしか背が届きません。

 すると、キースがフルートを見下ろして言いました。

「君は光の淵で大司祭長を本気で助けようとしていたよね。もうちょっとで、君まで淵の中に落ちるところだった」

 フルートは、すぐに頭を下げました。

「キースが捕まえてくれたおかげで助かったんです。ありがとうございました」

「いや、別にお礼を言ってほしくて話しているわけじゃないよ。君はどうしてあんなことをしたのかな、と思っているだけさ。ぼくたちをあんな目に遭わせた大司祭長だったっていうのに」

 聞かれて、フルートは苦笑しました。

「それはそうなんだけど……あの時には、そんなこと考えてる余裕がなかったんです。とにかく助けなくちゃ、ってことしか頭になかったから」

 フルートの顔から笑いが消え、ただ苦いものだけが残りました。自分の手をじっと見つめます。一度は大司祭長の衣を捕まえたのに、その手の中から衣はちぎれて抜け落ちていきました。止めきれなかった後悔に胸が痛みます。

 すると、キースが続けました。

「あれは自分がやることだった、と思っているのかい? メールから聞いたよ。君の中には願い石っていうのが眠っていて、それが君を光の生け贄にしようとしてる、って言うじゃないか。でも、君はそれから逃げられて喜んでいるようには見えないな。大司祭長にお株を奪われて、がっかりしているんじゃないのか?」

 青年の声は、いつになく厳しいものになっていました。まるでフルートを糾弾するような口調です。さすがのフルートも、むっとしてそれを見返しました。

「ぼくはがっかりなんてしていないですよ」

「どうかな? ミコンにはそういう奴らが大勢いるよ。みんな、ユリスナイに自分の命を捧げるのが何より尊いことだと信じ込んでいるんだ。他には何もしないで、ただユリスナイが自分の命を奪ってくれることを祈っているだけの奴もいる。君もそういう人間じゃないのかい?」

 フルートは、かっと顔を赤くしました。

「ぼくは生け贄なんかになりたいわけじゃない! ただ――誰にもぼくの身代わりをさせたくなかっただけだ!」

「だけど、君はそうして後悔している。本当は自分が行くべきだったと考えているんだ。君はミコンの聖人たちと同じだな。自分は正しくて、誰よりも清らかだと信じ込んでいるんだ。それはそうだ。君は光の戦士、誰からも尊敬される金の石の勇者なんだからな」

 キースの声には鋭い揶揄があります。フルートは、思わず力いっぱい家の扉を殴りつけました。だん、と激しい音がします。

「金の石の勇者は――そんな――すばらしいものなんかじゃない!! あなたにわかるもんか!!」

 激しく言い捨てると、扉をくぐって家の中に入っていきます。音に驚いて外をのぞこうとしていたゼンやメールたちが、びっくりしてその後を追っていきます。

 

 一人、その後に取り残されてしまったポポロが、とまどいながら外に出てきました。フルートに負けないくらい怒った顔をしているキースを見て、そっと尋ねてきました。

「どうしたんですか……? フルートがあんなに怒るなんてこと、めったにないのに……」

 引っ込み思案のポポロには珍しいことでしたが、フルートがあまり怒っていたので、聞いてみないではいられなかったのです。

 キースは腕組みすると、鋭い声のまま言いました。

「彼は死の女神に取り憑かれているんだよ。自分では気がついていないけれど、死んでしまいたくてしかたないんだ。聖なる光に自分を捧げる、ってやり方でね。馬鹿げている!」

 ポポロは目を見張りました。もう閉じてしまった家の戸を眺め、またキースに目を戻します。

「それ、フルートが願い石に願いたがっていることを言ってるんですか……?」

「そう! 彼は皆のために生け贄になるっていう、甘美な魔法に捕まっているのさ! 自己陶酔の極みだね! 吐き気がする!」

 いつも美しい顔で軽口をたたくキースが、信じられないほど激しい調子で言い続けます。

 けれども、ポポロが大きく目を見張り、瞳を涙でいっぱいにしているのを見ると、たちまちキースは我に返りました。あわてたように言います。

「ああ、ごめん、ポポロ――君を怒っているわけじゃないんだよ。そんな顔はしないで――」

 おろおろと謝られて、ポポロは言いました。

「キース……フルートは、そういうのとは違うの……。フルートはただ、ものすごく優しいの。本当に、ただそれだけなのよ……」

 やっぱり涙がこぼれました。ポポロは顔をおおって泣き出しました。

 

 キースは頭をかきました。しまった、という顔をしていましたが、やがて大きな溜息をつくと、またミコンの町へ目を向けました。

「前に話したよね。ぼくが名前も知られてないような、遠い国の出身だという話……。そこはちょっと変わった場所でね、普通じゃないものがいろいろあるんだ。そのひとつが、フノラスドっていう怪物さ――。巨大で、とんでもなく凶暴な奴でね、普段は魔法で眠らされているんだけど、時々腹を減らして目を覚まして大暴れするんだ。そいつが暴れ出すと、きっかり百人を餌に食うまでどんな魔法でも止めることができなくなる。だから、その国の王と人々は、自分たちが食われないように、怪物が目を覚ますと急いでよその国から百人の生け贄をかき集めてくるのさ。力づくだったり、だましたりして――。凶暴な怪物だけど、それだけに力が強い。王がよその国と戦うときに、戦力としてすごく重宝がられているんだ」

 キースの口調は淡々としていました。自分の国の恐ろしい話のはずなのに、まるで他人事のように話しています。その様子がなんだか気になって、ポポロは思わず泣きやみました。美しく整ったキースの横顔を見つめます。

 キースは話し続けました。

「ある時、目を覚ましたフノラスドのために生け贄をかき集めたら、百人目がその前に死んでしまったことがあった。フノラスドは死んだ餌は食べない。それで大急ぎで百人目を見つけなくちゃならなくなった。その白羽の矢が立ったのが、まだ小さかったぼくさ――。突然家に男たちがやってきて、ぼくを連れていこうとした。ぼくは本当にまだ小さかったから、何が起きているのかわからなかった。ぼくの母親が、ぼくの代わりに行く、と言い出しても、それがどういう意味なのかもわからなかったんだ――」

 キースがふいに黙り込みました。自分の足下を、じっと見つめます。ポポロは目を見張っていました。淡々としたキースの声が語っていることを想像し、思わず息を呑んでしまいます。キースの母親は、息子の代わりに怪物の生け贄になりに行ったのです……。

 「生け贄のどこが美しいもんか!」

 とキースは突然吐き出すように言いました。

「誰かのため? みんなのため? 誰かの身代わりになって、自分の体と命を食わせることはすばらしいって!? 馬鹿言え! そんなのは綺麗に飾り立てただけの自殺だ! 生きるのが嫌になった奴が、見た目のいいことばで自分を正当化しているだけだ! そうやって――後に残された者がどんな気持ちで生きるかなんて、考えてもいないんだからな!!」

 ポポロは立ちすくみました。キースから激しい怒りが伝わってきます。恨みの想いも伝わってきます。まるでポポロを責めているようです。

 思わずまた泣き出しそうになりながら、ポポロは懸命に声を出しました。

「でも……お母様がそうしてくださったから、キースはこうして生きているんでしょう……? お母様が助けてくれたから……」

 すると、キースはポポロを見ました。その目は、今まで見たこともなかったほど、暗く黒い色をしていました。

「いっそ死んでいた方がましだったと思う人生だってあるさ」

 冷ややかな声でした。いっさいの感情が殺されている平坦な口調です。

 声が出なくなったポポロの前で、キースは背を向けました。そのまま黒い坂道を歩いて下りていってしまいます。聖騎士団の青いマントが遠ざかっていきます。

 ポポロは口を両手でおおったまま、どっと泣き出してしまいました。

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