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第10巻「神の都の戦い」

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38.嫉妬

 「勇者殿、ここにおいででしたか」

 と木陰の席で話す少年少女のところへ近づいてきた聖職者がいました。白い司祭の服を着て、細い青い肩掛けを身につけています。大神殿の司祭長の一人でした。

「大司祭長とお話し中のマリガ様たちが、勇者殿をお呼びなのです。ぜひ、お話し合いに混ざっていただきたいそうです」

 フルートは我に返ったように振り向きました。ずっと赤毛の少女と黒髪の青年の二人を見つめ続けていたのです。

「白の魔法使いが――? わかりました、今すぐ行きます」

 と答えて席を立ちます。

 ところが、ポポロがそれについていこうと立ち上がると、フルートが振り向いて言いました。

「君はここに残っておいで。ぼくだけで行ってくるから」

「え?」

 とポポロは目を見張りました。フルートの口調は穏やかです。けれども、その中に拒絶の響きがあることを感じ取ったのでした。あの……とポポロが言いかけると、フルートがまた言いました。

「せっかく楽しく過ごしているんだもの、一緒に来ることなんかないさ。いいから、そのまま話していろよ――」

 ことばの最後が乱暴な響きを帯びました。少年はもうポポロを見ていませんでした。わざとらしいほど顔をそむけて視線を外してしまっています。

 あらら、と仲間たちは驚きました。先にポポロがキースと話をしていたことも青天の霹靂の出来事でしたが、こちらのフルートも非常に珍しい態度です。

 ポポロは目をいっそう大きく見張りました。みるみるうちに涙がいっぱいにたまります。そんな様子はわかっているはずなのに、フルートは振り向きませんでした。仲間たちを残したまま、迎えに来た司祭長と一緒に離れて行ってしまいます。ポチがあわててその後を追いかけていきます。

 茫然するポポロに、ルルが足下から叱るように言いました。

「馬鹿ね、ポポロったら」

 そのまま、ルルもフルートとポチを追いかけていってしまいます。

 ポポロには何がどうなっているのか、さっぱりわかりませんでした。自分が何をしたのだろう、どうしてフルートは急に怒ったような様子を見せたのだろう。疑問が頭の中でぐるぐるとめぐりますが、自分ではその答えが思いつきません。大きな瞳から涙がこぼれ出します。

 

 さすがにキースの方はフルートの態度からその気持ちにぴんと来たようでした。指先で頬をかきながら言います。

「まずかったかな……天空の国の話が珍しかったから聞いていただけだったんだけど」

 メールが腰に手を当てて苦笑しました。

「そりゃねぇ。あんたったら、そんなにハンサムだしさ。あんた、恋人はいないの?」

 とたんにキースは表情を変えました。気障なほどの笑顔になります。

「気にしてくれてるのかい、メール? いないよ。この前ふられたばかりさ」

 けれども、そういう青年の声に、恋人を失った悲しみやつらさは微塵も感じられません。ふられたのではなく、ふったのだな、とメールとゼンは気がつきました。

 すると、キースがメールにかがみ込んできました。

「どう? 今ならぼくの隣の席が空いているんだけれど。夕方、ぼくの勤務が終わったら町に出ないかい? 先日の店よりもっと落ち着いた、素敵な店に案内するよ」

 メールは目を丸くしました。露骨すぎるお誘いは、もちろん本気ではありません。ポポロと話していてフルートを怒らせてしまった気まずさに、今度はメールに声をかけているだけなのです。ふざけるのはやめなよ、と答えようとします。

 ところが、ゼンはそれを本気に取りました。いきなりメールをひったくるように抱き寄せて、キースに言います。

「誰が行かせるか、冗談じゃねえ! 俺の女に気安く声かけるんじゃねえや!」

「ちょっと、ゼン――」

 メールがたちまち真っ赤になり、キースは驚いた顔になりました。

「俺の女……? じゃ、君たちって恋人同士だったんだ。へえ」

「ゼン、その言い方はやめなって言ってるだろ! あたいがいつ、あんたのものになったっていうのさ!」

「あれれ? ひょっとしたらゼンの片想いかい? それならぼくにもまだ可能性はあるのかなぁ?」

 とキースがまた言います。ゼンがあまりむきになるので、からかっているのですが、単純なゼンにはそんなことはわかりません。完全に怒って、メールを抱いたまま立ち上がってしまいます。

「うるせえ! 誰が片想いだ! こいつは俺の婚約者だよ、手を出すな!!」

 ちょっと、ゼンったら! と声を上げるメールを抱えて、ずんずんと足音も高くその場から立ち去ってしまいます。やがて、少し離れた木立のところで、ゼンとメールは騒々しい話し合いを始めました。だいたいおまえが! どうしてそうなるのさ!? と言い合う声が聞こえてきます。

 

 キースは苦笑しました。ちょっとやりすぎたかな、と考えたのです。それから、青年はポポロに目を戻しました。赤いおさげの少女はまだ泣き続けていました。大粒の涙を次々にこぼしながら、それを手でぬぐっています。拭いても拭いても、涙はあふれつづけています。

 そんな様子に、やがてキースは静かに話しかけました。

「ポポロはフルートと恋人同士だったんだね……。悪かったね、変な誤解をさせるようなことをしちゃって」

 すると、ポポロが、ううん、と首を振りました。泣きながら答えます。

「あたし……フルートの恋人なんかじゃないわ……。あたしが一方的にそばにいるだけなの……」

 この場にメールやゼンや犬たちがいれば、即座に、そんなことはない! と言ってくれたことでしょう。けれども、ポポロは本当にそう考えていました。ポポロはフルートに自分の気持ちをことばで伝えました。でも、フルートがポポロに向かって「好きだ」と言ってくれたことは、まだ一度もなかったのです。

 ポポロには、フルートが何故急に怒ったのか、本当に理由がわかりませんでした。ただ、自分がまた何かへまをしてしまったのだろう、それでフルートの機嫌を損ねてしまったのだろうと考えて、悲しくて泣き続けていました。

「うーん、そんなこともないと思うんだけどな」

 とキースが言いましたが、それはポポロの耳には入りませんでした。

 

 木漏れ日が降っていました。彼らが立ったり椅子に座ったりしている場所に、ちらちらと光の模様を投げかけます。町の頂上に建つ大神殿には爽やかな風が吹いてきます。光と風の中で小柄な少女は泣き続けています。

 やがて、そんなポポロを見ながら、キースがまた言いました。

「本当に、君はぼくの母に似てるな……。ぼくの母親もすごい泣き虫だったんだよ。そんなふうに、しょっちゅう泣いてばかりいたんだ」

 思い出す口調でした。遠いまなざしを中庭の彼方へ向けます。

「一度泣き出したら、本当になかなか泣きやまなくてね。ぼくは、どうしたらいいかわからなくて、おろおろしていたもんさ。ぼくはまだ小さかったからね……」

 ポポロが聞いていてもいなくても、キースは構わずに話し続けていました。まるでひとりごとを言っているようでした。

「母は、すごく優しい人だったよ。息子のぼくのことを叱ることもできないくらいでね、ぼくが何か悪さをすると、怒る代わりに泣いてしまうんだ。そうすると、ぼくも困ってしまって、結局それで悪いことができなくなってしまう。そんな感じだったな……。子ども心にも、とてもか弱い女性に思えていたんだけど、芯は強い人だった。君もきっとそうだね、ポポロ」

 その口調が、ふっとポポロの心の琴線にふれました。なんとなく直感のようなものがして、ポポロは思わず泣くのをやめました。

「そのお母様は……今は?」

 とたんにキースが笑いました。今まで見たこともなかったような、ほの暗い笑顔です。

「亡くなったよ。ぼくが小さい頃にね」

 そして、青年の声はまた遠い口調になりました。はるか彼方の何かを眺めるように、こう言い添えます。

「ぼくの身代わりに行ったんだ。ぼくの命を助けるために――」

 ポポロは目を見張りました。

 青年はそれきり口を閉じました。青い瞳は、ただ風に揺れる木立を眺め続けていました。

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