闇の怪物やデビルドラゴンが神殿前の広場に突然姿を現し、魔法使いやフルートたちに撃退された翌日。フルート、ゼン、メール、ポポロ、それにポチとルルの四人と二匹は、ミコンの町の頂上に建つ大神殿の中庭にいました。
そこは聖職者しか立ち入れない専門の区画でした。綺麗に手入れされた芝生の上には石の椅子とテーブルがいくつも並んでいて、かたわらから、大きな木が気持ちの良い木陰を落としています。フルートたちはそこに座って、ずっと話をしていました。皆、装備は外して私服姿です。時折吹く風にフルートの金髪が揺れて光っています。
すると、そこへ一人の人物が近づいてきました。白い上下の服に青いマントをはおり、腰に剣を下げた聖騎士団の若者です。親しげにフルートたちへ声をかけます。
「やあ、こんな所にいたんだ」
「キース!」
と少年少女たちはいっせいに歓声を上げました。
「へえぇ、驚いたな。ここでまた会えるとは思わなかったぜ。ここは神殿の関係者しか入れない場所だって聞いてたからよ」
とゼンが言うと、黒髪の美剣士は、にこりと笑い返しました。
「昨日の戦いぶりが評価されてね、なんと大神殿の警備に配属されたのさ。君たちも大神殿に行ったと聞いていたから、ちょっと期待はしていたんだけど、大神殿も広いからね。ぼくも本当に会えるとは思わなかったな」
「みんなの前で金の石を使ってみせたから、あのまま町中にいるわけにはいかなかったんです」
とフルートが苦笑いして答えました。フルートは金の石でデビルドラゴンや怪物を撃退しましたが、同じ光は青の魔法使いや他の武僧たちの怪我も跡形もなく治してしまいました。それを大勢の人々が見ていたので、ミコン中が金の石の勇者の話題でもちきりだったのです。
だろうね、とキースは言いました。
「大神殿に避難して正解だったと思うよ。町中の病人と怪我人が君のところへ殺到するところだったから。実際、町中にそうしたい人たちは大勢いるんだけれど、さすがに大神殿の奥までは立ち入れないでいるのさ。ここはユリスナイに許された者しか入れない場所だからね」
「本当は他の人たちも治してあげたいけど、そういうわけにはいかないんです……。金の石がすっかり疲れているから」
とフルートは顔を曇らせて、服の胸元からペンダントを引き出して見せました。ペンダントの真ん中で、金の石はぼんやりと暗く光っています。
キースはそれを手に取ると、つくづくと眺めながら、また言いました。
「本当に、意外なくらい小さいんだね、金の石っていうのは。それであれだけの力を発揮するんだから、使いすぎれば力も弱ってくるだろうな」
「休ませてあげる暇がないから……」
とフルートは答えて、そっと唇をかみました。あの後、大神殿に来てから、フルートは何度も石にまた眠るように言い聞かせたのですが、精霊の少年は姿を現さず、石ももう灰色にはならなかったのでした。
すると、メールがキースに話しかけました。
「それにしても、昨日のあんたには驚いたね。闇の怪物を聖なる武器なしで切り倒せるなんてさ。ホント、すごいじゃないか」
「聖なる武器なしで?」
とフルートやゼンや犬たちは驚きました。戦いが激しすぎて、キースの戦いぶりまでは見ていられなかったのです。
キースはちょっと気障なしぐさでメールに一礼を返すと、笑いながら言いました。
「昨日も言ったけど、ぼくの特殊能力でね――。あれのおかげで、ミコンの門の前で闇の敵と戦ったときにも、ぼくは傷ひとつ負わなかったのさ」
「聖なる魔力があるの?」
とルルが尋ねると、キースは首を振りました。
「生まれつきだよ。ぼくの一族に伝わってる力ってところかな。ぼくの父親も親戚も、みんな普通に闇の怪物を倒せるのさ」
「ワン、キースの出身ってどこです? このあたりじゃありませんよね。そんな力を持った一族の噂なんて、ぼく、聞いたことないもの」
と博識の子犬が驚きます。キースはまた、にこりと笑いました。美しい笑顔です。――が、何故かそこに一抹の影が差しました。
「まあね……。君たちが名前も聞いたことのないような、へんぴで小さな国の出身だよ。ただ、そこではぼくのような力を持つ者は珍しくないんだ」
青年はそれ以上詳しい話をしようとはしませんでした。何か触れられたくないものがあるようだと察して、フルートたちもそれ以上は追及せずに、話題を変えました。
「トートンとピーナはどうしていますか? おじいさんは?」
とフルートが尋ねると、青年がまた笑いました。今度は明るい笑顔です。
「元気だよ。じいさんなんて、すっかり病気が良くなったもんだから、もう元気すぎるくらいさ。金の石の勇者の正体は天使なんだ、ってまわり中に力説しているよ」
フルートは思わず頭を抱えてしまいました。
「ほんとに、どうしてそうなっちゃうのかな……。ぼくはただの人間なのに」
「どこが! ただの人間がフルートみたいなわけないじゃないか!」
とメールが声を上げ、ゼンもうなずきました。
「だな。こんなヤツを人間の基準にしてみろ。誰も人間じゃなくなっちまうぞ」
フルートは、むっとしました。
「人を怪物か何かみたいに言うなよ」
「ばぁか、怪物の方がまだかわいげがあらぁ」
「なんでさ――!?」
たちまちフルートとゼンが言い合いになってしまいます。メールが口をはさんで火に油を注ぎ、犬たちが足下でワンワン、とほえたてます。
急に賑やかになってしまった少年少女たちを、キースはあきれて眺めていましたが、やがて、騒ぎから一人離れて立っているポポロに話しかけました。
「君はあそこにまざらないの?」
ポポロは、ぱっと顔を赤くすると、何も言わずに首を振りました。引っ込み思案のポポロです。知らない人から話しかけられただけで、口がきけなくなってしまうのでした。
キースは改めてそんなポポロを眺めました。本当におとなしそうな少女です。赤い髪をお下げに結って、白い巡礼服を着ています。力など何もなさそうなのに、この少女は昨日、カイタ神殿の広場で結界に闇の怪物やデビルドラゴンを閉じこめました。あの強力な女神官でさえ、その結界を破ることはできなかったのです。すさまじい魔力の持ち主でした。
今、魔法使いの少女は両手を握りしめたまま、うつむいていました。キースがそばにいるだけでひどく緊張しているのが伝わってきます。黒髪の青年は指先で頬をかき、少し考えてから、こんなことを言い出しました。
「君は――女神ユリスナイが天空の国とミコンでは少し違っている、って昨日言っていたよね? その話を聞かせてもらえるかな」
ポポロは驚きました。思わず顔を上げて相手を見てしまいます。
青年は、にこりと笑いました。端麗な笑顔です。が、同時にとても親しみを感じさせました。冷たい美しさではなく、暖かさと安心感を与える美しさです。ポポロはまた目を伏せ、しばらくの間ためらいました。青年は何も言わずにただ待っています。とうとう、ポポロは思いきって声を出しました。
「ユリスナイのこと……?」
「うん。どこがどんなふうに違っているわけ?」
キースの口調はとても穏やかです。年齢は違いますが、ちょうどフルートの話し方を思い出させます。それになんとなく後押しされて、ポポロは小さな声で話し出しました。
「天空の国に……ユリスナイ以外の神様はいないの……」
「ユリスナイの下に十二神はいないんだね。それで?」
「天使もいないわ……。天使なんて、天空の国にいる頃には聞いたこともなかったの」
「なるほどね。ユリスナイだけが唯一の聖なる存在なんだ」
青年は十二神や天使がいないことに、白や青の魔法使いのように驚いたりはしませんでした。ただ、ポポロの話をそのまますんなりと聞いてくれます。そんな様子に少しずつ勇気を得て、ポポロは話を続けました。
「ここに来てから、ユリスナイの像や絵を見たけれど、それも天空の国にはないの……。ユリスナイの姿は、天空の国では知られていないのよ。ユリスナイは目には見えない、形のないものだけれど、いつでも、どこにでもいるものだと言われているから」
「へえ。形のない神なのか。ひょっとしたら、ユリスナイの象徴もないんじゃないの?」
「ええ。ユリスナイの教会はあるけれど、そこはユリスナイを感じて祈るためだけの場所だから、ステンドグラスも神様の像も象徴も、なにもないのよ。ただ、聖なる光と力に充ちているだけ――」
「天空の国の人たちは魔法使いで、そういう聖なる力を感じられるから、目に見える象徴や像はいらない、ってことなんだろうな。面白いね」
聖騎士団は聖職者ではありませんが、聖地ミコンを守る剣士なので宗教にも深い造詣(ぞうけい)があります。話したことがすぐに理解してもらえる嬉しさに、さすがのポポロも少しずつ打ち解けてきました。さらにあれこれと、二つのユリスナイの相違点について青年に話して聞かせます。
そんな二人を、いつの間にか他の仲間たちが眺めていました。誰もが、青天の霹靂(せいてんのへきれき)という顔で驚いてしまっています。あの引っ込み思案で人見知りのポポロが、会ってそれほどたってもいない青年と会話をしています。それも、聞き役になっているのではなく、とても熱心に自分の方から話しているのです。
「信じられない……」
と他でもないルルがつぶやきました。ポポロとは姉妹のようにして育ったルルですが、ポポロがこんなふうに積極的に話す様子など、初めて見たのです。自分の目を疑ってしまっています。
「ワン、ポポロが喜んで話してますよ」
とポチが言えば、
「あのポポロがねぇ」
とメールも目を丸くします。驚きすぎて、ポチもメールもそれ以上ことばが続きません。
ゼンがフルートを肘で小突きました。
「おい、いいのかよ、フルート?」
フルートは何も言えませんでした。ただただ、茫然と立ちつくし、楽しげに話す二人を見つめてしまいます。本当に、こんなふうに他人と打ち解けて話すポポロを見るのは初めてのことです。
すると、ポポロが笑いました。かわいらしいその笑顔に、黒髪の青年が笑ってうなずき返します。
とたんに、フルートの胸の奥底で、ちりっと熱いものがうずきました。鋭い痛みさえ感じたような気がします。
熱さは一瞬で過ぎました。けれども、胸の奥の痛みだけは、まるで深い棘(とげ)が刺さったように、いつまでもうずき続けて消えませんでした――。