白と青の魔法使いが大司祭長たちに連れていかれたのは、ユリスナイの大神殿の中庭でした。尖塔になった建物に囲まれるようにして地面が広がり、そこが畑や小さな林になっています。大神殿自体がかなり大きな建物なので、中庭も結構な広さがあります。畑を耕しているのは修道士や修道女たちで、そうやって農作業をすることも、大事な修業のひとつなのでした。今は皆、礼拝に参列しているのか、中庭に人の姿は見当たりません。
大司祭長は副司祭長や魔法使いたちを連れて、中庭の林に入っていきました。真冬でも春の気候のミコンです。林には柔らかな緑の葉が揺れています。
ところが、林へ足を踏み入れたとたん、白と青の二人の魔法使いは、いぶかしそうな顔になりました。
「これは……?」
妙な気配を感じたのです。
悪しき気配ではありませんでした。彼らに危害をくわえるような危険も感じません。ただ、非常に強い力の存在が行く手から伝わってきました。圧倒的な力で、思わず足を止めてしまったほどです。
すると、大司祭長が振り向きました。
「あなたたちほどの実力者ならば感じることでしょう。普通の者たちならば、自分でそうと気づかないままに、ここを回避して近づかなくなってしまうのです」
相変わらず、地位は高いのに非常に穏やかなもの言いをする大司祭長です。
白の魔法使いが言いました。
「これはなんです……? 以前はこのようなものは、ここになかったはずです」
「ユリスナイの恵みです」
と大司祭長はほほえんで答え、さらに林の奥へと入っていきました。白と青の魔法使いがそれに続き、最後に副司祭長がついてきました。誰も見ていないことを確かめるように、時々後ろを振り返っています。
歩きながら、大司祭長は話し続けました。
「この林の奥に空井戸(からいど)があることは、あなたたちも知っていることと思います。二百年前まではそこから水が湧き出ていたのですが、大神殿を建立する際に、当時の司祭たちが魔法で水脈を動かして、神殿の入り口に泉を作ったので、この井戸からは水が出なくなったのです。水脈の後が空洞になったために、いくら雨が降っても、空井戸に水がたまることもありませんでした。……そこに変化が現れていることに、ネッセが気づいたのです」
大司祭長が副司祭長の名前を言ったので、魔法使いたちは後ろを振り向きました。えんじ色の肩掛けの司祭を見ます。
副司祭長が答えました。
「五日ほど前のことです。林の前を通りかかったとき、私を呼ぶ声を聞いたのです。美しい女性の声でした。ユリスナイ様の私をお招きになっていると直感して林の中に入ったところ、これを見つけたのです」
彼らはもう林の一番真ん中まで来ていました。目の前に井戸の痕があります。それは石積みで囲まれた汲み上げ井戸ではなく、自然に湧き出した泉を利用したもので、水のない今は、まるで小さな谷のようになっていました。長さ二十メートル、幅十五メートルほどの大きな穴がぽっかりと口を開け、その中は黒い岩の崖になっています。神殿が載っている黒い岩の丘の下まで続いている、深い深い縦穴でした。
その穴の縁に近づいて、二人の魔法使いは立ちすくんでしまいました。穴に水はありません。黒々とした岩肌が地面の奥に向かって切り立っているます。けれども、そこは空っぽではなかったのです。不思議な青い輝きを放つ透明な光が、穴いっぱいに充ちて、まるで水のように静かに揺れています――。
魔法使いたちは大司祭長を見ました。
「な――なんですか、これは?」
目の前の谷にあふれる青い光は、美しい輝きを岩壁に投げかけています。水面は彼らが立つ地面から五メートルほど下の所にあります。穴の縁に立って見下ろし、その奥を見透かそうとしても、輝きがあまりにまばゆくて、中を見ることはできません。
「光の淵(ふち)、と私たちは呼んでいます」
と大司祭長は答えました。
「この光の中がどうなっているのかは、私たちにも見通すことはできません。あまりに光が神々しいので、中に入っていくこともできません。これは神聖な光です。人が立ち入るようなものではありません」
「それで、ユリスナイの恵み……ですか。だが、この光にはどのような力があるのです?」
と青の魔法使いが尋ねました。
穴の中の光から危険なものは感じません。澄み切った美しい光ですが、これだけ大量となると、何か力を持っているような気がします。
すると、同じく穴の縁に立って見下ろしながら、副司祭長がまた言いました。
「ユリスナイ様の声が聞こえてくるのです……。この光を通じて、私たちに話しかけてこられるのです」
魔法使いたちは同時にいぶかしい表情になりました。光に青く照らされた副司祭長の顔を見ます。
「ユリスナイから勅(みことのり)があった、という話はこれまで聞いたことがございませんな。ユリスナイは太陽の神、日の光こそがユリスナイの声、と我々は教えられてまいりました。ミコンの六百年余りの歴史の中でも、ユリスナイが話しかけてきた、という事実は一度もなかったと思いますが」
と青の魔法使いが言うと、とたんに副司祭長は、かっとしたように顔をあげました。
「私が嘘をついているとでも!? あれは紛れもなくユリスナイ様のお声です! 私だけでなく、他にも何人もの司祭長や修道士たちが声を聞いているのですから!」
「どのような声なのですか?」
と今度は白の魔法使いが尋ねました。
副司祭長は光の淵に向かって手を合わせて一礼すると、また魔法使いたちに向き直って答えました。
「闇の権化がミコンと世界を狙っている。やがて魔王が復活し、この世を生きた地獄に変えていくだろう。世界を守るために、すべての想いと存在を私に捧げて力となりなさい、と。ユリスナイ様はおっしゃっていたのです」
二人の魔法使いは、はっきりと厳しい顔つきになりました。
「それはどういう意味でしょう?」
と聞き返した女神官の声も、自然と険しくなっています。どう聞いても、世界を守るために神の犠牲になれ、と言っているように思えたのです。
すると、副司祭長が答えるより先に、大司祭長が穏やかに言いました。
「私たちにも、その本当の意味はわかってはいません。声を聞いた者たちで協議をしているところです。ただ、この光の淵は、我々がミコンの門を閉じ、ユリスナイに助けを求めて祈り始めたときに、ここから湧き出してきました。非常に聖なる力を感じる光です。ユリスナイが私たちの祈りに応えて、ここに与えてくださったのは、間違いないのです」
魔法使いたちは難しい顔で光の淵を眺めました。青い光は水のように揺れ続けています。確かに綺麗なのですが、あまりに美しすぎて、なんだか不安になってくるほどです……。
「これはユリスナイ様の救いです! この光の力でデビルドラゴンや魔王を撃退するように、とユリスナイ様はおっしゃっているのです!」
と副司祭長が熱心に言いました。痩せた頬を紅潮させています。
また顔を見合わせた魔法使いたちに、大司祭長は話し続けました。
「同じ声はネッセの他にも数名の者たちが聞いています。残念なことに、私はまだ聞いていませんが……。非常に微弱ですが、神殿の祈りの場まで声が届くこともあるようです。信者の中からも、ユリスナイの声を聞いた、という者たちが出てきています。おかげで困った事態も起きているのですが」
大司祭長の声が急に曇りました。同じ声を聞いた信者たちが、ユリスナイの声に従って、都のあちこちで自殺を始めていることを言っているのですが、この時、魔法使いたちはまだその事実を知りませんでした。それを大司祭長に確かめる余裕もありませんでした。
青の魔法使いが、白の魔法使いに尋ねました。
「これをどう見ますか?」
「わからない」
と白の魔法使いが正直に答えます。彼らロムド城の四大魔法使いは、近くにいれば声に出さなくても心の中だけで話をすることができます。二人の会話は大司祭長たちには聞こえていませんでした。
「どれほど見つめても、邪悪な気配はまったく感じられない。確かにこれは聖なる存在なのだろう。だが――」
「自分にすべてを捧げろ、というところが気に入りませんな。本当にユリスナイの声なのだとしたら、いったいどういう意図なのでしょう?」
「それもまだわからない。ただ、勇者殿の持つ願い石と非常に近いものを感じる……。一度戻って、勇者殿たちと相談した方が良さそうだ」
「左様ですな」
そこで、二人の魔法使いは大司祭長たちに言いました。我々は勇者殿たちの元へ戻って、このことを話し合ってみようと思います――。
とたんに、副司祭長が気色ばみました。
「こ、この光の淵を、神に仕える者以外に教えると言うのですか!?」
一番最初に光を見つけ、その声を聞いたという副司祭長は、すっかり光の淵の番人のつもりでいるようです。大司祭長が穏やかにそれをたしなめました。
「金の石の勇者たちはデビルドラゴンを倒す使命を受けています。勇者たちがミコンを来訪するのに先立って、光の淵が湧いたのも、きっとユリスナイのご意志があってのことですよ」
大司祭長から直々にそう言われては、副司祭長もそれ以上はごねられません。怒ったように口を閉じました。
一同が光の淵に背を向けて林を戻り始めた時、白の魔法使いはふと、何かを聞いたような気がしました。細く細く澄んだ音――まるで笛の音か何かのようです。思わず足を止めて耳を澄まします。
すると、青の魔法使いが振り向きました。
「どうしました、マリガ?」
白い衣の女神官は我に返って青の魔法使いをにらみました。
「職務中に名前で呼ぶなと何度言ったらわかる」
厳しく言ってまた歩き出し、足早に青の魔法使いを追い越していきます。音のことはすっかり忘れてしまっていました。
青の魔法使いは苦笑いでそれを見送ると、すぐに真顔に戻りました。見透かすように林の奥を振り返ります。
光をたたえた淵は、静かにそこに横たわっていました。淵のほとりに立つ木々が、淵からの輝きに淡く青く照らし出されています。光は清らかで美しく、本当に、どれほど見つめても、その奥まで見通すことはできませんでした。