大神殿で飛び下り自殺しようとした老人を助けたフルートたちは、聖騎士団の青年や子どもたちに案内されて、老人を家まで連れていきました。そのまま神殿のそばにいると、隙を見てまた飛び下りかねない状況だったからです。
老人と子どもたちの家は、ミコンの町の丘の麓近くにありました。入り口の門とは反対の方向です。他の家々と同じ低い四角い建物で、二階はありません。中に入ると、こぢんまりした居間の正面の壁に女神の大きな肖像画が掲げてあって、その下に花が飾られていました。ユリスナイの祭壇です。
ずっとゼンに抱えられてきた老人が、床へ下ろされたとたん、へたへたと座り込んでしまいました。おじいちゃん！ と男の子と女の子がまた老人にすがりつきます。
黒髪の青年がフルートたちに言いました。
「本当にありがとう。最近、このミコンではみんながちょっとおかしくなってるんだが、じいさんまで変になってたとは思わなかったんだ。まさか礼拝の途中であんなふうに飛び出すなんて、予想もしていなかったんだよ」
フルートはちょっと首をかしげて青年を見ました。確かめたいことはいくつもありましたが、まずこう尋ねます。
「この子たちはこのおじいさんの孫みたいだけど、あなたもそうなんですか？」
「いや、ぼくは親戚じゃないよ。ただの知り合いさ。ああ、まだ名乗っていなかったね。ぼくはキース。ミコンを警護する聖騎士団第五部隊に所属する騎士だよ」
「オレはトートン。こっちは妹のピーナ。じいちゃんを助けてくれてありがとう、金の石の勇者のお兄さんたち！」
と男の子が笑顔で言いました。子どもたちは本当に素直です。フルートたちが勇者にしては小さく見えていても、少しも疑わずに尊敬の目を向けてきます。
フルートたちは穏やかに笑い返して、自分たちの方でも名前を言いました。金の石の勇者フルート、ドワーフのゼン、海の王女のメール、天空の国の魔法使いのポポロ、そしてもの言う犬のポチとルル……。ポチたちが人間のことばで挨拶したので、青年たちはびっくりしましたが、天空の国の魔法の生き物なのだと教えられると、納得したようにうなずきました。
「本当に、君たちは金の石の勇者の一行なんだね。噂はずいぶん聞いていたけど、本物はずいぶんとそれとは違っているものだねぇ」
とキースという青年が感心したように言います。
そんな青年にフルートはまた尋ねました。
「ミコンではみんながおかしくなってるっておっしゃいましたよね？ どこがどんなふうに？ どうしてそれで自殺なんかするようになるんですか？」
老人は、自分はもう助からないからユリスナイに命を捧げるんだ、と言って死のうとしていました。どうやら宗教がらみの行動らしい、と感じていたのです。
青年は端麗な口元を歪めて、難しい顔をして見せました。
「正気を失ってきている、って感じかな……。ミコンをものすごい数の怪物が襲ってきたのが、今から三週間前のことなんだが、ぼくたち聖騎士団や武僧軍団、神官や僧侶たちが総力を挙げて戦っても、闇を撃退することができなかったんだ。こんなのは、六百年以上の歴史があるミコンでも初めてのことでね。住人も巡礼者もえらくショックを受けて、茫然自失状態になったのさ。毎日毎日、みんな一日中ユリスナイに祈っている。まあ、それはいいんだが、そのうちに変な噂まで流れ始めてね。闇をミコンから追い払うには、ユリスナイに自分の命を捧げて、ミコンを守る力になればいい、というのさ。それを真に受けた信者たちが、あっちでピョンと飛び下り、こっちで井戸に飛び込み――毎日十人以上も死んでいるのさ。まったく、まともじゃないね」
「そ――そんなことはない！」
と座り込んでいた老人が突然声を上げました。
「わしは聞いたんじゃ！ ユリスナイ様の声じゃ！ 世界を守る力となるためにすべてを捧げよ、とおっしゃっていた！ わ――わしはもう助からん病気じゃ。行く先短い命なら、いっそユリスナイ様に捧げて、ミコンを守るために使っていただいたほうがいいんじゃ！」
おじいちゃん！ と子どもたちがまた泣き声を上げました。
キースという青年は、はっきりと顔をしかめて不愉快な表情になりました。
「そんなの、空耳に決まってるだろう。それに、じいさんの病気が助からないなんて、誰が言ったんだ。ぼくがちゃんと毎日薬を運んできてやってるじゃないか。少しずつでも元気になってきただろう？」
「いいや、いいや、わしにはわかっとる――！ わしの病気は体の中で増えて毒を出しつづけるんじゃ。始めは腹だけだったが、今はもうまわり中に広がって、胸まで苦しくなっとる。キースの薬は確かに楽にしてくれるが、一時だけじゃ。わしはもう助からん！ 覚悟はできておるんじゃ！」
「馬鹿な、そんなはずあるか！」
と、どなり返した青年が、ひそかにぎくりとしたことに、ポチは気がつきました。ああ、おじいさんの言うとおりなんだ、と考えます。本当にこの老人は不治の病にかかっているのです――。
すると、フルートが静かに言いました。
「今はどうですか、おじいさん？ まだ胸は苦しいですか？」
えっ、と老人は言って、怒った声になりました。
「むろん苦しいにきまっとる！ こうやってしゃべっているだけで息が切れてきて――」
「切れてないじゃねえか」
とゼンがにやにやしながら口をはさみます。
老人は意外そうな顔に変わりました。確かに、老人はこれだけ大声でどなっているのに、少しも苦しそうではなかったのです。自分の胸に手を当てて、確かめるように息を吸い、さらに驚いた顔になって、何度も何度も深呼吸をしました。
「く、苦しくない！ 全然苦しくないぞ！ さっきまであんなに――何故じゃ！？」
フルートはにっこりしました。さっき老人を助けようとしたときに、金の石は老人の病気まで一緒に治していたのです。
「もう大丈夫ですよ、おじいさん」
とフルートは静かに言い続けました。
「これからもずっと元気で生き続けられます。だから、おじいさんはこの子たちのそばにいてあげなくちゃ。……この子たちの家族って、おじいさんしかいないのでしょう？ この子たちだって、こんなにおじいさんを大事に想っているんだもの。いなくなったりしちゃだめです。そのほうが、ユリスナイだって喜びますよ」
老人は目を見張りました。金の鎧兜を着たフルートの優しい顔を見つめます。と、その目に大粒の涙が浮かびました。フルートに向かって祈るように手を合わせ、深く頭を下げて言います。
「天使様――あなたは天使様でしたか――！ ユリスナイ様がわしらを助けに遣わしてくださったんじゃ！ ありがとうございます。ありがとうございます！」
フルートに向かって、泣きながら何度も何度も頭を下げます。
面食らって目を丸くしているフルートの後ろで、仲間たちが苦笑いしました。
「あーあ、フルートったら、とうとう天使にされちゃったよ」
「いや、案外、本当に天使なのかもしれねえぞ。こんな徹底したお人好し、度が過ぎてて人間離れしてらぁ」
「ぼくは人間だったら！」
フルートは真っ赤になって、仲間たちにどなり返しました――。
