大神殿から再び外に出た一同は、なんだかとてもほっとしました。抜けるような青空を見上げてしまいます。
神殿前の広場では、相変わらず丸い泉から澄んだ水が湧き続けていました。水路の中を音を立てて流れていきます。日の光が流れの上で銀のきらめきに変わります。
フルートがしっかりした表情に戻ったのを見て、ゼンとポポロは安心して手を放しました。もう願い石は心配ない、と考えたのです。ところが、ポポロが胸の中からフルートの腕を下ろしたとたん、フルートが残念そうな顔になったので、ゼンがまたその頭を殴りました。
「なんだよ、おまえ！ 露骨に惜しそうな顔しやがって！ さては、どさくさまぎれにポポロの胸に触ってたな？」
「そ――そんなことない！ 変なこと言うなよ！」
フルートがたちまち真っ赤になって言い返しました。ポポロも真っ赤になってしまいます。
「いいや。おとなしく見えるヤツこそ、実はむっつりすけべなもんだ。おまえは絶対そっちだ！」
「うるさい！ 勝手にそんなこと決めつけるな！」
それまでの深刻な雰囲気も忘れて口喧嘩を始めた少年たちを、メールと犬たちは、やれやれ、と笑って眺めました。本当にもう大丈夫そうです――。
日の光は明るく降り続けていました。眼下に広がるミコンの町で、家々が白く光っています。間をぬうように下へ続く黒い道と青い水路が、町の中にジグザグの模様を描いています。
彼らは暖かな日を浴びながら待ち続けました。白と青の魔法使いは、神殿の奥で大司祭長と面談しているはずです。その後、礼拝に集まっている大勢の人々へ、もうミコンは闇から解放されているのだと伝えることでしょう。まだもうしばらく時間がかかりそうでした。
待つことが嫌いなメールが言い出しました。
「ねえさぁ、ただここにいるのなんて退屈だよ。町の中に行ってみようよ」
「でも、町の連中はほとんどこの神殿に集まってきてるんだぞ。誰もいねえだろう」
とゼンが言います。
「それでもいいじゃないか。ここ、今まで見たどんな人間の町とも違ってて面白そうだよ。見て回ろうよ」
それはその通りでした。フルートやポチでさえ、こんな変わった町を見るのは初めてです。話はすぐに決まり、全員は広場の階段を下りて町へ入っていこうとしました。
ところが、その時、後ろから声が響きました。
「やめて！ やめて――おじいちゃん！」
フルートたちはびっくりして振り向きました。声は神殿から聞こえてきます。それも、アーチを重ねたような高い塔の、ずっと上の方からです。叫んでいるのが幼い少女の声だったので、そのことにもフルートたちは驚きました。
「あそこだ！」
と目のいいゼンが尖塔の中程を指さしました。塔にはステンドグラスをはめ込んだ窓の他に、普通の窓がいくつもあります。危険がないように手すりがついていますが、そのひとつから大きく身を乗り出している人間がいました。頭のはげ上がった老人です。塔に沿って吹き上げる風に、白っぽい衣が激しくはためいているのが見えます。
「やめろ！ やめろよ、じいちゃん――！」
今度は男の子の声が聞こえてきました。やはり同じ窓からです。老人にすがりつく小さな手が見えました。
「自殺だ！」
とフルートたちは顔色を変えました。窓は地上から二十メートル以上も高い場所にあります。しかも下は石畳です。落ちたら絶対に助かりません。
老人が子どもの手を振り切って手すりに足をかけました。そのまま宙へ大きく身を躍らせます。メールとポポロとルルが悲鳴を上げます。
「ポチ！！」
とフルートは叫びました。子犬は一瞬で風の犬に変身すると、ごうっとうなりを上げて舞い上がりました。落ちてくる老人に向かって飛んでいきます。
すると、老人の体が、塔の途中のひさしにぶつかりました。大きく跳ね返ってまた落ち続けます。まるで、物が落ちてくるような光景です――。
そこへ、ポチが追いつきました。激しく渦を巻いて、風の体の中に老人を巻き込みます。見ず知らずの人間を背中に乗せることは無理だったので、そのままつむじ風に巻き込んで、ゆっくりと地上へ下ろします。
風の犬が消えて広場の風がやむと、フルートたちはいっせいに駆け寄っていきました。子犬の姿に戻ったポチが叫びます。
「ワン、早く早く、フルート！ このおじいさん、怪我をしてますよ！」
そこでフルートは急いで首からペンダントを外しました。老人は口から血を流して石畳の上に横たわっていました。頭にも大きな傷があります。その体に、フルートは金の石を押し当てました。
「あれ……？」
フルートは眉をひそめました。目の前で老人の怪我が治っていきます。血が止まり、傷に肉が盛り上がり、皮膚がその上をおおっていくのですが、いやに時間がかかるように感じられたのです。いつもならどんな大怪我も一瞬で治してしまう金の石なのに。
その違いには仲間たちも気がつきました。
「ワン、いやに治りが遅いですね」
とポチが不思議そうに言います。それでも怪我は治っていくので、一同はそれを見守りました。やがて、傷は跡形もなく消え、血も完全に止まって、ただ顔の上に血の痕が残るだけになりました――。
そこへ、神殿の中からばたばたと激しい足音が聞こえてきました。一人の青年が二人の子どもたちを連れて飛び出してきたのです。
石畳に横たわる老人を見たとたん、子どもたちが泣きながら飛びついていきました。
「じいちゃん！」
「おじいちゃん！ おじいちゃん――！」
まだ気を失っている老人にすがりついて、激しく揺さぶり始めます。
「大丈夫だよ。あんたたちのおじいさんはちゃんと生きてるよ」
とメールが子どもたちに話しかけました。とたんに、老人がうめき声を上げます。息を吹き返したのです。子どもたちは歓声を上げて、また老人にすがりつきました。十歳ぐらいの男の子と、それよりもう少し年下に見える女の子です。
少し遅れて青年が近づいてきました。フルートは急いでペンダントを首にかけて鎧の中へしまいました。癒しの魔力を持つ金の石を人目にさらしたくなかったのです。
その青年は白い上下の服を着て腰に剣を下げ、青いマントをはおっていました。聖騎士団の服装です。黒い長い髪を後ろ手に束ね、きちんとした格好をしていますが、青いマントの裾は裂けたようにぼろぼろになっていました。この青年も門の前で闇の軍勢と戦ったのに違いありません。
聖騎士団の青年は、意外なくらい整った綺麗な顔をしていました。少し釣り目の青い瞳で、倒れている老人と周りにいる少年少女たちを見回し、また老人に目を戻します。老人はうめきながら目を開けるところでした。二人の子どもが、わっと声を上げてその首にしがみつきます。
「怪我をしていない――？」
と青年はいぶかしそうに言いました。またフルートたちへ目を向けます。
「ぼくは上から見ていたけれど、この人は確かに途中で神殿にぶつかったはずだ。すごい勢いだった。それを風の怪物が助けたようにも見えた。あれは君たちの仕業かい？」
フルートたちは互いに顔を見合わせました。なんと答えたらいいのだろう、と考えてしまいます。本当のことをそのまま話して、はたして信じてもらえるものでしょうか？
すると、老人に抱きついていた男の子が顔を上げました。メール、ポポロ、ゼンと順に見ていって、最後にフルートを見たとたん声を上げます。
「金の鎧兜！ それに剣――！ そうか、お兄さんは金の石の勇者だね！」
えっ、と少女も驚いて顔を上げ、黒髪の青年の方は目を丸くしました。
「おい、トートン。それはいくらなんでも……」
いくらなんでもありえないだろう、と青年は言おうとしたようでした。フルートたちは本当に幼く小さく見える一行です。フルートやゼンは防具を身にまとい、武器も背負っているのですが、なんだか剣術を習う子どもたちが稽古に行くような雰囲気があります。そこにかわいらしい少女たちや犬たちまで一緒なので、とてもこれが噂の勇者たちには見えないのです。
けれども、小さな少女も目を輝かせて手を打ち合わせました。
「そうよ！ 金の石の勇者様はすごい魔法使いを連れているんですもの！ 魔法でおじいちゃんを助けてくれたのね！」
青年が、ますます呆気にとられます。フルートたちは互いに顔を見合わせました。本当になんて答えたらいいんだろう、と考えます。
その時、完全に正気に返った老人が立ち上がりました。怒ったように言います。
「わしを助けちゃならん！ 助けんでくれ――！」
周りの子どもたちを押しのけるようにして、広場の階段の方へと駆け出します。老人とは思えない勢いです。階段は急傾斜になっています。そこから飛び下りて一番下まで転げ落ちたら、命に関わりかねない大怪我をします。
「いけない！」
と思わず後を追って駆け出したフルートたちを、黒髪の青年が追い抜きました。老人の襟首を捕まえて引き戻します。
「やめろ、じいさん！ 早まるんじゃない！」
「止めんでくれ！ わしはどうせもう助からん！ それならば、せめてこの命をユリスナイ様にお捧げして、皆を守る力にしてもらうんじゃ！」
「落ちつけったら！ じいさんの命なんか何の役にも立たないぞ！ 後に残るトートンとピーナはどうなる！？」
「この子らはミコンの子どもたちじゃ！ ユリスナイ様がきっとお守りくださる――！」
おじいちゃん、と男の子と女の子が泣きながら追いつき、すがりつこうとしましたが、老人はそれを近寄らせませんでした。驚くほどの力で青年を振り切り、また階段へと走ろうとします。
ゼン！ とフルートが叫びました。
「ったく。いい加減にしやがれ」
ゼンは老人の行く手に回ると、その体に手をかけました。歳はとっていても、ゼンよりずっと背が高い大人の男の体です。それをあっという間に片手で持ち上げてしまったので、老人は仰天して金切り声を上げました。
「安心しろって。じいさんみたいに軽いもん、落とすかよ」
とゼンが笑います。
すると、男の子がまた、そうか！ と言いました。
「怪力のドワーフって、お兄さんのことなんだ！ そうだろう！？」
青年はますます信じられない顔をしました。小柄な少年が、自分よりはるかに体の大きな老人を、子猫か何かのように軽々と差し上げています。その老人に、塔から落ちたときの怪我はありません――。
まさか、とつぶやきながら青年は振り向きました。そこに立つフルートを見つめます。フルートはちょっとためらってから、黙ったまま鎧の内側から金の石のペンダントを引き出してみせました。
とたんに青年はぽかんと口を開けました。あわててまた少年少女たちを見回し、彼らが妙に大人びた微笑を浮かべているのを見て、とうとう声を上げます。
「君たちは、本当に金の石の勇者たちなのか！ 金の石の勇者ってのは、こんな――こんなに――！」
言いかけて、青年はことばをにごしました。さすがにその先を続けるのは失礼だと考えたのです。
すると、フルートが、にっこり笑って言いました。
「ええ、金の石の勇者ってのは、こんなにガキで女みたいな顔をしているんです。だけど、本物なんですよ」
「ちぇ。自分で言うなよな、フルート。情けねえだろうが」
老人を持ち上げたまま、ゼンがそうぼやきました。
