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第10巻「神の都の戦い」

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24.祈り

 ステンドグラスが並ぶ大神殿の通路の奥に、巨大なホールがありました。神殿の入り口からはいくつもの通路が奥へ延びていましたが、それがすべて、同じひとつのホールにつながっていたのです。

 通路の終わりからそこを見たとたん、フルートたちは思わず絶句してしまいました。目を丸くして、立ちつくしてしまいます。

 ホールは通路より数メートル低くなっているので、通路からは全体が一望できます。そこに数え切れないほどの人々が集まっていたのです。白っぽい服を着ている人が多いのですが、普通の服を着た人や色美しいドレスの貴婦人、鎧兜で身を包んだ戦士の姿もあります。格好もさまざまならば、年齢も性別も髪の色も違う雑多な人々が、ホールの床に座り込み、奥にある祭壇に向かって手を合わせていました。皆、同じように頭を垂れて、祈りを捧げています。そんな人の姿が見渡す限り一面を埋め尽くしていました。何万という人数なのは間違いありません。

 フルートたちはこれほど大勢の人間を一度に見るのは初めてでした。ロムド城の大広間に貴族たちが詰めかけた時にも驚きましたが、ここにはその何十倍もの人間が集まっています。あまり数が多くて、目が回ってきそうでした。

 

「ねえ……これだけの人数に、怪物はいなくなったよって教えるのは難しいんじゃない?」

 とメールが言いました。ささやくような声になってしまっています。神殿のホールには隙間もないくらい大勢の人がいるのに、驚くほど静かだったからです。たまに抑えるような咳は聞こえてきますが、それ以外には、ざわめきも話し声も聞こえてきません。ただ、一同の頭上に、男性の声が朗々と響き渡っていました。

「ユリスナイはいつも我々を守ってくださっています――」

 と声は人々に向かって語りかけていました。正面の祭壇に立つ司祭です。姿はホールの彼方に小さく見えるだけなのに声がはっきりと聞こえてくるのは、魔法で声を広げているからに違いありませんでした。

「闇の怪物は都の入り口に陣取り、我々が都から出てくるのを待ちかまえています。きわめて凶暴で残忍な怪物たちです。我々は門を出て行くわけにはまいりません。ですが、ユリスナイはきっと我々に救いの手を差し伸べてくださいます。必ずや、天から救いの軍勢が訪れ、我々を闇の手の中から救い出してくださるのです」

 司祭が力強く言い切ると、人々がいっせいに深く頭を下げました。さらに強く手を合わせたり、指を組んだりしたのが、通路の端からよく見えました。

「ちぇ。闇の怪物を追っ払ったのは俺たちだぞ。天の軍勢なんかじゃねえや」

 とゼンがぼやきましたが、その声も低いささやきになっていました。あまりにも大勢の人間が静まりかえっているので、なんだか圧倒されていたのです。

 フルートも難しい顔をしていました。後ろから声を張り上げて、「門の前の怪物はもういません! ぼくたちが倒しました!」と言えば、その声は全体に届きそうな気がします。それほどホールは静まりかえっています。けれども、人々は正面の祭壇を向き、司祭のことばを一心不乱に聞き続けていました。そこに口をはさむこと自体、人々にはとても許せないだろう、とフルートは直感したのです。

 すると、白の魔法使いが静かな声で言いました。

「あそこで説教をしているのは大神殿の司祭長ですが、ここにはミコンの最高責任者である大司祭長もおいでです。おそらく神殿の奥の間にいらっしゃるでしょう。そこは聖職者以外は立ち入れない場所ですので、私と青が行って、大司祭長に直接話してまいります。皆様方はここでお待ちください」

 フルートたちはうなずきました。そうやって大司祭長から集まっている人々に事情を話してもらうのが、一番良いやり方のようでした。

 

 二人の魔法使いが脇道から別の通路へ姿を消した後も、フルートたちは通路の端からホールを眺め続けました。

 礼拝は司祭長の説教が終わり、長い祈りに入っていました。司祭長が神に捧げる祈りのことばに、ある者は手のひらを合わせ、ある者は指先を絡め合わせ、ある者は両手の指を深く組んでいます。祈りは両手を合わせれば良いだけで、特に決まりがあるわけではないのです。皆、深く頭を下げ、心を合わせて祈っています。

 そんな人々の中に負傷した者が多いことに、フルートは気づいていました。頭に血のにじんだ包帯を巻いた人、腕に包帯を巻いて首からつり下げている人、隣に座る人にやっと支えられている人……本当ならば家で安静にしていなくてはならないような人たちが、大神殿のホールにうずくまり、ひたすら神に祈りを捧げているのです。

 ホールの一角には同じ制服を着ている男たちもいました。年齢や背格好はさまざまですが、全員が白い上下の服を着て腰に剣を下げ、青いマントをはおっています。祈る姿は他の者たち以上に敬虔ですが、戦士の雰囲気を漂わせています。このミコンを守る戦士たちだろう、とフルートは見当をつけていました。聖騎士団と呼ばれる軍団がある、と以前白の魔法使いから聞いていたからです。

 聖騎士団にも、負傷者は大勢いました。中には片腕や片足を失った人さえいます。揃いの青いマントはぼろぼろになっています――。

 門の前で闇の敵と戦って敗れたんだ、とフルートは考えました。闇の怪物たちの上にはデビルドラゴンがいました。騎士団や都の魔法使いたちに勝てるはずがありません。彼らはミコンを守って死闘を繰り広げ、内門を魔法で閉じることで、なんとか敵に踏み込まれるのを防いだのです。

 闇に打ち勝つ力がないことを痛感した人々に残されたのは、ただ祈りを捧げることだけでした。自分たちでは敵を退けられず、一歩も町の外に出られず、ただただ、天に助けを求めるしかなかったのです。

 突然、ホールの片隅で一人の年配の女性が泣き出しました。祈りながら激しく嗚咽を上げます。その女性の胸には、一人の若者の肖像画が固く抱きしめられていました。肖像画を収めた額は黒いリボンで飾られています。

「神よ、私たちは闇に傷つけられ、深手を負っております――」

 祭壇で司祭長が祈りを捧げ続けていました。

「闇からミコンを守るために、多くの同胞が命を落とし、天使と共にこの地上を去りました。夫を失った者、子供を失った者、恋人を失った者、愛する友人を失った者……数え切れない大切な人々を我々は失ったのです。それでもなお、闇はこの聖地と、この世界とを狙い続けています。光の神、ユリスナイよ。私たちに救い手をお与えください。闇から私たちを守り、救ってくれる光の力を――どうぞ、お遣わしください――」

 司祭長もいつか泣いていました。声を涙に震わせながら祈り続けています。両手を天に差し上げると、白い衣の袖が下がって腕があらわになりました。その右手は手首の先からなく、代わりに血のにじんだ包帯が堅く巻き付けられていました。司祭長もまた、闇の軍勢と戦って負傷していたのです。

 

 ホールのそこここからすすり泣きの声が上がるのを聞きながら、フルートも、また泣き出していました。涙があふれて止まらなくなってしまいます。ミコンに闇を招いてしまったのは、デビルドラゴンと闇の怪物たちから狙われているフルート自身です。激しすぎる自責の念に、通路の端の手すりを固く握りしめ、声もなく涙を流すしかありませんでした。

 救いを――と祈りは続いています。救いの力を、光を、と。

 ミコンはもう救われています。門の前の怪物たちはいなくなりました。けれども、デビルドラゴンはただ離れていっただけなのです。今もどこかで、依り代にした魔王と一緒に、この世界を狙い続けているのです。フルートの胸の奥で、熱いものが激しく渦巻き始めます――。

 

 

 その時、フルートは頭にがん、と衝撃をくらいました。ゼンにいきなり殴られたのです。

 フルートが仰天して我に返ると、ゼンがものも言わずにその手をつかみました。ぐいぐいとフルートを引っ張って通路を戻り始めます。

「お、おい、ゼン――!?」

 とフルートがいっそう驚くと、うるせえ! とゼンにどなられました。

「外に出るぞ! あんな祈り、聞かせておけるか!」

 他の仲間たちも足早にそれを追いかけてきました。ポポロが飛び出してゼンとは反対側のフルートの腕をつかみ、手を握りしめてそのまま胸に抱きかかえてしまいます。

「ポ、ポポロ?」

 フルートは思わず真っ赤になりました。それをゼンがさらに引っ張り続けます。全員が怖いほど真剣な顔をしています。

 そんな仲間たちの様子を見て、フルートは、はっとしました。

「待って! もしかして――ぼくは、願い石を呼ぼうとしていた――?」

 とたんに仲間たちが足を止めました。フルートを振り向いてきた顔は血の気が失せていて、ことばよりもはっきりと答えを言っていました。フルートはまた願い石に願いそうになっていたのです。突然赤く光り出したフルートを見て、驚いた仲間たちがその場から連れ出してくれたのでした。

 

 フルートは目を閉じると、ぞおっと背筋を這い上がってきた悪寒に耐えました。心の奥底で激しく燃える赤い炎が、薄れて消えていく気がします。自分の手を握るゼンとポポロの手が、自分をこの世界につなぎ止めているように感じます。

 ごめん……とやっと声を振り絞ったフルートに、ゼンが言いました。

「とにかく、神殿の外に出るぞ。で――おまえはもう二度と礼拝に近づくな。おまえみたいな天然お人好し馬鹿には、祈りは薬が効きすぎて毒にならぁ」

 真顔でそれにうなずいた仲間たちでした。

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