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第10巻「神の都の戦い」

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17.精霊

 行く先のわからない光の通り道の中、突然現れた願い石の精霊を、フルートは茫然と見つめました。赤い燃えるような髪、火花のようなドレス、本当に激しい姿の精霊です。

 すると、フルートのすぐ隣から、別の声がしました。

「フルートは君を呼んではいないよ、願いの」

 いつの間にか、小さな少年がそこに立っていました。鮮やかな黄金の髪と瞳をして、異国風の服を着ています。姿は幼い子どものなのに、大人のように落ち着いたまなざしと表情をしているのが違和感です。フルートが首から下げている金の石の精霊でした。

 赤いドレスの精霊が答えました。

「そうだろうか、守護の? 私は呼び声で目覚めた。フルートが私を呼んだのだ」

「困惑して、どうしようと考えているだけだ。ここからの脱出を願おうとしてるわけじゃない」

 精霊たちの会話は淡々としています。感情もほとんど顔に表れません。とても美しい二人ですが、まるで石を刻んだ彫像のように、冷ややかに向き合っています。

 フルートは目をぱちくりさせて、また周囲を見回しました。光のカーテンの迷路は絶え間なく揺れ動いていて、どこへ続いているのか、どうなっているのか、まったく見通すことができません。淡い色合いが変わるたびに、妙に不安な気持ちにかられます。――その不安な気持ちが、フルートの内側で眠る願い石を呼び起こしてしまったのでした。

 

 すると、金の石の精霊が腰に手を当ててフルートを見上げてきました。

「本当に、君たちは無茶ばかりするな。魔王が闇の手を伸ばしている中で、別空間を通り抜けようとするなんて。魔王が道を歪めてるのに決まっているじゃないか。奴は君たちを見ていたからな。君だけを仲間たちから引き離して、ここに放り込んだんだ」

「じゃ、他のみんなは無事なんだね? 離されたのはぼくだけなんだな?」

 とフルートが言ったので、金の石の精霊はあきれた顔になりました。

「そこでほっとするんじゃねえ、お人好し! ――とゼンなら言うぞ。他の者が無事でも、君は全然無事じゃないんだからな。ここは光の迷路の中だ。ぼくにだって、どこが出口に通じているのかわからないんだ」

 すると、赤い願い石の精霊が話しかけてきました。

「人間に光の迷路を抜け出すことは不可能だ。それこそ、私に願いでもしないことにはな」

「君に願えば、フルートは引き替えに大事な何かを君に奪われる。そんな願い事はできないだろう」

 と金の石の精霊がまたフルートより先に答えました。なんだかフルートに返事をさせまいとしているようです。フルートはちょっと苦笑しました。

「大丈夫だよ、金の石の精霊。ぼくは願い石に願ったりしないから。ゼンやポポロとそう約束してるからね……。それに、願い石でここから抜け出すと、引き替えに肉体を奪われたり、今じゃない時代に送り込まれたりしそうな気がする。遠慮しておくよ」

 精霊の少年はちょっと肩をすくめると、片方の口元を歪めて笑いました。本当に大人のような表情をする精霊です。

 

 光のカーテンは揺れ続けていました。淡い赤からピンク、黄色から緑、そして淡い青へと見る間に色を変え、やがて真っ白に輝く光そのものになると、再び色を帯び始めます。それは本当に、北の大地の空で見たオーロラとよく似た眺めでした。延びたり縮んだりを繰り返しながら、他のカーテンとつながり合い、また離れ、そのたびにカーテンの通路は形が変わっていきます。

 フルートはそれを眺め続けていました。どこかに突破口はないかと目を凝らして探し続けます。

 金の石の精霊がまた言いました。

「ここに連れ込まれるときに、魔王に空間を歪められたからな。みんながいる場所がつかめない。それさえわかれば、ぼくの力で君をみんなの元へ送り届けられるんだが」

 すると、願い石の精霊が冷ややかに言いました。

「それは無理であろう、守護の。ここは我々が属しているのとはまったく別の世界だ。ただの結界から脱出させるのとはわけが違う。そなたには、ここからフルートを脱出させるほどの力はない」

 願い石相手には無表情だった金の石の精霊が、急に、じろりとにらむ顔になりました。

「なんだか、フルートに願いを言わせようとしているみたいだな。願い事の強制は契約違反だぞ、願いの」

「フルートには予想外に待たされているからな。少々退屈になってきているだけだ」

 と願い石の精霊が答えます。冷静そのものだった声に、ほんのわずかですが、相手をからかうような響きが混じります。

 ふん、と精霊の少年は言いました。また冷ややかな顔と声に戻ります。

「ぼくたちは何千年もの時を生きる石だ。人間の一生の時間を待つことくらい、ぼくたちにとってはほんの一瞬に過ぎないはずだぞ」

「ほう、フルートに一生願わせないつもりか。それも、そなたの『守り』の役目か?」

 そう言って、精霊の女性が、はっきりと表情を表しました。面白がるような目で相手を見ます。

 とたんに、金の石の精霊は勇者の少年に言いました。

「いつまで願い石を呼び出しているつもりだ、フルート! いいかげんもう眠らせろ」

 すると、赤いドレスの精霊が音もなく姿を消していきました。淡い赤い光の中に、吸い込まれるように見えなくなっていきます。

 消える瞬間、また願い石の精霊は笑うような目を精霊の少年に向けました。精霊の少年がそれを無視します――。なんとも冷ややかな魔石同士の喧嘩に、フルートは目を丸くして驚いてしまっていました。

 

 その後も、金の石の精霊はしばらく憮然としていましたが、やがて、ひとりごとのようにまた口を開きました。

「ここから脱出しなくちゃならないな。さて、どうやって出口を探すか――」

 そこまで言いかけて、精霊の少年は急に、おや、という顔になりました。首をかしげて言います。

「ポポロの声だ。呼んでいる」

 えっ、とフルートはあわてて耳を澄ましました。光のカーテンは音もなく揺れていましたが、その無音の広がりの中に、遠くからかすかな声が聞こえていました。

「……ト……フルート……」

 確かにポポロの声です。懸命にフルートを呼び続けています。

 フルートは歓声を上げ、声を張り上げて答えました。

「ポポロ! ポポロ!!」

「フルート!」

 ポポロの声が突然はっきり聞こえてきました。遠いどこかで、少女がフルートに向かって手を差し伸べたのを感じます。フルートはそれに向かって手を伸ばしました。

「ポポロ――! ぼくはここだよ!」

 すると、重なり合う光の向こうから呪文の声が聞こえてきました。

「レドモリョーロイメノリカヒヨトールフ……」

 ポポロの魔法です。とたんに、フルートの隣で金の石の精霊も片手を高く上げました。

「光の迷路よ、道を開け! ポポロの元までフルートを送り返すんだ!」

 精霊の全身が金の光を放ちます。それと同時に、光のカーテンの向こうからは、まぶしい緑の光が差してきました。二つの光は混じり合い、たちまち周囲から光の幕を追い払っていきました。金と緑の星が散り、向こうの景色が見え始めます。

 すると、伸ばしたフルートの手を誰かがつかみました。ポポロの手ではありません。もっと大きな、大人のように強い手です。ぐっとフルートの手を握って引っ張ります――。

 

 

 ずざぁぁっと砂がこすれるような音を立てて、フルートは雪の中に倒れ込みました。フルートの手をつかんで引っ張った人物も一緒です。雪は表面で凍りついていて、音を立てながら砕けていきます。粉々になった雪は、粗いガラスかザラメのようです。

「ゼン」

 とフルートは驚きました。すぐ隣の雪の中に友人が倒れていたのです。

 すると、ゼンが跳ね起き、握っていたフルートの手を高く掲げて歓声を上げました。

「やったぜ! 戻ってきたぞ!」

 そこへ、わっと仲間たちが集まってきました。メール、ポチ、ルル、白の魔法使い、青の魔法使い……。ポポロは、フルートとゼンのすぐそばに立っていました。空に差し上げていた両腕をゆっくり下ろして、フルートを笑顔で見つめます。と、その瞳から大粒の涙がこぼれ出しました。後から後からこぼれてきて、まったく止まらなくなってしまいます。

 白の魔法使いが深く頭を下げて言いました。

「申し訳ありません。魔王の魔法に干渉されたのです。別空間を通る途中で勇者殿を見失ったのですが、ポポロ様が魔法で勇者殿を呼び戻してくださいました。まったくすばらしい魔力です」

 すると、ポポロが、ううん、と首を振りました。

「あたしだけの力じゃないの……。金の石も力を貸してくれたのよ。だから、フルートを連れ戻せたの……」

 涙を流していても、ポポロは笑顔でした。他の仲間たちも嬉しそうにフルートをのぞき込んでいます。ゼンが、いきなりフルートを押さえ込みました。

「ったく! あんまり心配かけんじゃねえぞ、この馬鹿!」

 と笑いながら叱りつけてきます。ごめん、とフルートはいつものように謝りました。

 

 ひとしきり仲間たちにもみくちゃにされてから、フルートはようやく雪の中から立ち上がりました。さっきまでいた山道ではありません。もっと広い斜面の真ん中です。一面雪は積もっていますが、こちらの雪は表面が堅く凍りついていました。先の場所よりも気温が低いのです。

「ここは……?」

 と言いかけたフルートへ、青の魔法使いが上の方を指さして見せました。

「あれをご覧になれますかな、勇者殿」

 雪の斜面の上に、黒い絶壁がそそり立っていました。ほとんど垂直の岩の壁です。雪が積もることができなくて、黒っぽい岩肌がよく見えています。

 その上に、白い石造りの壁が巡らしてありました。さらにその向こうには、数え切れないほどたくさんの尖塔があります。どれも驚くほど鋭く長い形をしていて、青空に向かって高くそびえています。まるで、無数の塔たちがてんでに背伸びをして天まで届こうとしているようです。

 白の魔法使いがそちらへ一礼してから言いました。

「ここが聖地ミコン。神の国に一番近いと言われている都です、勇者殿」

 鮮やかな青空の下、日の光を浴びて、聖なる都は尖塔の屋根や石壁を白く明るく光らせていました――。

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