吹雪明けの宿場町を出発して五日後、フルートたちの一行は、天候にも恵まれて、無事に南山脈の麓(ふもと)までたどりつきました。
「あれがカナラの宿場町です。南山脈の入り口に当たる町で、ここから先は次第に山道になっていきます」
雪が積もった丘の上に寄り集まった家々を指さして白の魔法使いが言うと、それを受けてポチがゼンたちに説明しました。
「ワン、ミコンは南山脈のちょうど真ん中あたりにあって、東回りのルートと西回りのルートで行けるんです。こっちは東回りで、巡礼の道って呼ばれています。西回りの方は信仰の道。ぼくたちが最初に通っていこうとしたのは、その西回りの信仰の道のほうだったんですよ」
それを聞いて、青の魔法使いが言いました。
「この時期、西回りはきつかったでしょうな。あちらの山道は傾斜が急な上に、海を渡って吹いてくる風が山にぶつかるので、積雪量も多いのです。馬が道を踏み外して谷底に転落することもしばしばです」
フルートたちが西回りをやめたのは、仮面の盗賊団の戦いが起きたからでしたが、結果的にはそれが正解だったようでした。
ところが、カナラの宿場町に入った一行は、思いがけない光景に目を見張りました。町中至るところが、人と馬でごった返していたのです。
宿という宿は泊まり客で一杯で、食堂や酒場では大勢が呑んだり食べたりしています。宿の入り口の柵にはつながれた馬が鈴なりになっていますし、通りをぶらぶらと歩く人の姿も大勢見られます。宿に泊まりきれなくなって、あぶれたのでしょう。道ばたで火を焚いて、毛布やマントにくるまりながら当たっている人までいました。
フルートたちも驚きましたが、それ以上に驚いていぶかしい顔をしたのは、二人の魔法使いでした。この時期、カナラの宿場町がこんなに混雑することはまずなかったのです。宿の前で馬の世話をしていた下男に青の魔法使いが尋ねます。
「これはどうしたことですかな? 何故、こんなに町が混雑しているのでしょう?」
すると、下男が肩をすくめました。
「ミコン山脈の巡礼の道が大雪で通れなくなっちまったんですよ……。雪が人の背丈より深く積もって、どこが道かわからない有り様です。まあ、何年かに一度はこういうことがあるんですが、いつもならミコンからすぐに僧侶の皆さんがやってきて、魔法で雪をのけて道を作ってくださるのに、今回はいくら待ってもいらっしゃらないんです。道が開通しないんで、みんなこの町で通れるようになるのを待っているんですよ」
フルートたちは思わず顔を見合わせました。下男がミコン山脈と言ったのは南山脈のことに違いありません。このあたりではそう呼んでいるのです。ミコンへ行けなくなっていると聞いて、心配になってきます。
青の魔法使いが下男に尋ね続けました。
「ミコンとはまったく連絡が取れないのですかな? 山の中の宿場の人々はどうしたのでしょう?」
ミコンへ至る山道は長くて、とても一日で越えることはできません。山の中には、途中、ところどころに小さな宿場や山小屋が準備されていて、巡礼者たちが安全にミコンへ到着できるようになっているのでした。
下男が首を振りました。
「宿場の人たちは大雪の前に全員がここへ避難してきました。それも不思議な話でして――雪が降る前に、すべての宿場や山小屋でユリスナイ様の像が壊れたり、ひびが入ったりしたと言うんです。守りの像が壊れるとはただごとではない、というんで、宿の者や小屋主(こやぬし)たちが巡礼客を説得して下りてきたんですが、その翌日から猛吹雪が一週間も続いて、ようやくやんだと思えばこの有り様です。あのまま宿場や山小屋に残っていたら、孤立して、どうにもならなくなっていたでしょうね。ユリスナイ様が大雪をお知らせくださったんだ、と宿場の人たちは感謝しているんですよ」
そう話すと、下男自身もちょっと手を合わせて神に感謝をしました。ここは巡礼の道の途中にある宿場町です。町の住人たちにも、熱心な信者が多いのでした。
二人の魔法使いは、少年少女たちを連れて、また宿場町の外に出ました。ミコンがある南山脈は、今は晴れ渡った空の中によく見えています。降り積もった雪におおわれて純白に輝いています。
近くに人がいないのを確かめてから、青の魔法使いが口を開きました。
「巡礼の道が通れなくなるというのは、未曾有(みぞう)の事態ですな」
「僧侶たちが姿を見せない、というのが腑に落ちない」
と白の魔法使いも言います。魔法使いたちは二人とも難しい顔で山を見ていました。
フルートは尋ねました。
「ミコンで何かあったんでしょうか……? この大雪も普通のことじゃないのでしょう?」
青の魔法使いは腕組みをしました。
「さっき下男が話していたユリスナイの像というのは、ミコンの職人たちが作る彫刻で、聖なる守りの魔法がかけられております。宿や家を守るために置くのですが、それがいっせいにすべて壊れた、というのは、ただごとではありません」
「聖なる像が壊れた? じゃ、闇の力が働いた証拠じゃないの!」
とルルが声を上げ、ポポロも言いました。
「聖なる像はあの山脈のあちこちにあったんでしょう? 山全体に闇の力がかかったんだわ……。あんな広い場所に働きかける闇って……」
ちっ、とゼンが舌打ちして、首の後ろに手を当てました。
「どうもこのへんがちくちくして来やがる。山に敵がいるぞ」
「闇の敵だね」
とフルートも山を見つめながら言いました。
「巡礼の道に闇の敵がいるんだ。それって――」
言いかけてフルートはことばを切り、鎧の胸元からペンダントを引き出しました。金の透かし彫りの真ん中で、聖なる魔石が静かに光っています。まだ山の中に足を踏み入れていないせいか、石は明滅して闇の敵を知らせてはいませんでした。
「怪物かな? 前に宿屋であたいたちの行く先を聞いていたもんね」
とメールが言ったので、フルートは唇をかんでうつむきました。闇の怪物たちはフルートの中の願い石を狙ってきます。自分のせいで闇が南山脈やミコンを襲ったのでは、と考えたのです。以前魔法使いたちが心配していたとおりの反応でした。
その時です。
フルートの鎧の胸当ての上で揺れていたペンダントが、突然強く輝き出しました。まばゆいほどの金の光を周囲へ放ちながら、ガラスの鈴を振るような音を響かせ始めます。
シャラーン、シャララーン、シャラララーン……
三度鳴り渡って、音はやみました。
全員が見つめる前で、金の石がまた輝きを収めて、静かに光るだけになります――。
一同はしばらく声も出せませんでした。
聖なる守りの魔石が強く輝いて、鈴のような音を鳴らす。それが意味することは、たったひとつです。
「また魔王が誕生した。デビルドラゴンが新しい依り代を見つけて取り憑いたんだ……」
フルートが、ひとりごとのように言いました。その顔は青ざめています。
すると、ゼンがふいに腕を伸ばしました。フルートの馬の手綱をつかんで引き止めます。フルートが突然馬を走らせようとしたのです。
「何する気だ、この馬鹿!」
とゼンにどなられて、フルートは言い返しました。
「ミコンに行かなくちゃ! ミコンはデビルドラゴンに襲われたんだよ! ぼくたちの行く先を知られて先回りされたんだ!」
手綱をゼンの手から奪い返そうとします。
「落ち着けったら! ったく、おまえってヤツは――。ここで飛び込んでいったら、それこそデビルドラゴンや魔王の思うつぼだろうが! 考えろ!」
「それに、道は大雪で通れなくなってるんだよ!」
とメールも一緒になってフルートを止めます。
フルートは顔を歪めて南山脈を見上げました。唇を血がにじむほど強くかみしめます。
すると、白の魔法使いが言いました。
「ミコンは強力な魔法使いたちに守られた聖なる都市です。いくら魔王であっても、そう簡単に堕とせるものではありません。おそらく、都を閉じて守りを固めていることでしょう」
「この大雪は、我々をミコンに行かせないための仕業でしょうな」
と青の魔法使いも言います。どちらも冷静な声です。
「ワン。ということは、デビルドラゴンがミコンを特別に考えてるってことですよね? ぼくたちがミコンに行くと、あいつには都合が悪いんだ」
賢い子犬はそう言うと、籠からフルートを振り向きました。
「ワン、やっぱりミコンにはデビルドラゴンを倒す手がかりがあるのかもしれないですよ。行って確かめなくちゃ」
「だが、どうやってミコンまで行く?」
とゼンが尋ねました。巡礼の道は人の背丈より深い雪におおわれています。いくら馬でも、そんな雪の中は進めません。
「我々にお任せあれ」
と青の魔法使いが答えました。
「これでも、我々はロムド城最強の魔法使いですからな――。幸い、この雪で山に入る者もありません。遠慮なく魔法で通り抜けていきましょう」
その手には、いつの間にかこぶだらけの太い杖が握られていました。白の魔法使いも、自分の細い杖を手にしています。
二人の魔法使いが、馬の上からそれぞれの杖を突き出したとたん、行く手から雪が消え始めました。切り立った雪の壁の間に幅二メートルほどの土の道が現れ、みるみる先へ延びていきます。
「すっげぇ」
とゼンが声を上げ、他の少年少女たちも目を丸くしました。魔法使いたちの魔力に改めて感心させられます。
「まいりましょう」
と白の魔法使いが先頭に立って道を進み始めました。それに青の魔法使いが並び、フルート、ポポロ、メール、ゼンが続きます。全員が馬に乗っています。
雪の中に現れた道は、南山脈に向かってどこまでも延びていました。道に雪は少しもありません。馬の乾いた蹄の音が、かっぽかっぽと響きます。
けれども、彼らが通り過ぎた後、道は再び雪におおわれ、どこにあるのかわからなくなってしまいました。一面の雪野原には、足跡ひとつ残りません。
カナラの宿場町の誰もが気がつかないうちに、魔法使いと勇者の一行は、南山脈へ姿を消していったのでした――。