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第10巻「神の都の戦い」

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第3章 吹雪明け

9.中庭

 「ひょう! やっと天気が良くなってきたぞ!」

 とゼンが頭上を振り仰いで声を上げました。一面にたれ込めていた厚い雪雲が風に流されて、切れ目から青空がのぞき始めています。もう午後も遅い時間です。せっかく明るくなってきた空ですが、すでに夕方の気配が漂い始めていました。

 雪の積もった中庭に立って、フルートも空を見上げていました。嬉しそうに言います。

「きっと明日は晴れるよ。ようやく出発できるね」

「えらく長い吹雪だったよなぁ。三日もここで足止めされたもんな」

 とゼンがぼやきます。

 ここはもうロムド国ではありませんでした。隣のエスタ国にある小さな宿場町です。東の街道からミコンに向かう街道に入ったのは良いのですが、途中で猛吹雪にあってこの町までたどり着き、そのまま宿から一歩も外に出られなくなっていたのでした。

 宿の中庭には、二人の少年の他にメールも一緒にいました。毛皮のコートを着た肩をすくめて、こう言います。

「ほぉんと、やんでくれて良かったよ。あと一日あの天気が続いてたら、あたい、退屈で爆発してたところさ。吹雪でもなんでも出発しよう! って言おうと思っていたんだから」

 いかにも待つことが嫌いなメールらしいことばですが、フルートもうなずきました。

「そうだね。時間がたつほど闇の危険は高まるんだ。急いでミコンに行かなくちゃいけないよ――」

 勇者の少年は考え込むような表情になっていました。

 闇の権化のデビルドラゴンは影の竜です。この世界での実態を持たないので、闇の心を持つ生き物を依り代(よりしろ)にして取り憑き、その生き物を魔王に変えます。そうすると、魔王は世界の支配者になろうとして、殺戮(さつりく)と破壊を始めるのです。

 暦はすでに二月半ばでした。仮面の盗賊団の戦いでデビルドラゴンが逃げ去ってから、一ヶ月近くがたっています。そろそろ闇の竜が次の依り代を見つけて、新しい魔王を生み出してもおかしくない時期になっていました。

 

 すると、思い出したようにゼンが言いました。

「そういや、闇の怪物の方は、あれ以来さっぱりだな」

 以前泊まった宿で、闇の敵らしいものが部屋を探っていて、青の魔法使いに撃退されたことを言っているのです。

「やっぱりあの時の魔法で死んでたんじゃない?」

 とメールが言いましたが、フルートは首をひねりました。闇のものは生命力が非常に強いのが特徴です。切っても吹き飛ばしても、またいつの間にか元通りになって復活してきてしまいます。それを倒すには、聖なる武器の攻撃で消滅させるか、首を切って動けないようにしてから全身を焼き払うしかないのです。いくら青の魔法使いの魔法でも、そこまでの力があっただろうか、と考えます。

 そんなフルートの胸の上ではペンダントが光っていました。今は鎧兜を身につけていないので、外からも金の石がよく見えています。それを眺めながら、ゼンは言いました。

「俺たちの姿は金の石の力で闇の目から隠されてるから、一度は気がついても、また俺たちを見失ったのかもしれねえな。でも、油断はするなよ、フルート。絶対に金の石を手放すな。それと――絶対に俺たちから離れるなよ」

 本当に信じられないほどたくさんの闇の怪物から狙われているフルートです。そんな怪物の攻撃から仲間たちを守ろうとして、フルートはすぐに一人で離れて行ってしまいます。敵の目を自分だけに惹きつけようとするのです。

 ゼンに釘を刺されて、フルートは苦笑いしました。わかってるよ、と少し照れたように答えます――。

 

 

 そこへ、宿の中から青の魔法使いが出てきました。中庭に少年少女たちを見つけて話しかけてきます。

「ここにおいででしたか、皆様方。ようやく吹雪がやみましたな。明日にはここを出発できるでしょう」

 ところが、そう言う青の魔法使いが長衣もシャツも脱いで上半身裸でいたので、フルートたちはびっくりしました。いくら吹雪がやんでも、外は凍りつくほどの寒さです。

「どうしたんだよ、その格好?」

 とゼンが尋ねると、青の魔法使いが答えました。

「三日も宿に閉じこめられて、体がなまりましたのでな、ちと稽古でもしようかと思いまして。ちょうど良かった。ゼン殿、お手合わせ願えますかな?」

「あぁ? 俺に組み稽古の相手をしろってのか?」

 とゼンが目を丸くします。

「はい。ゼン殿は格闘家としても素晴らしい腕前であられる。前々から、一度勝負をしてみたいと思っておったのです」

 そう言う青の魔法使いの胸や腕には、筋肉が分厚く盛り上がっています。

 うーん、とゼンはためらうように考え込み、フルートとメールは顔を見合わせました。どちらも心配そうな表情をしています。

「いやいや、稽古の時には魔法など使いません。正々堂々力の勝負をいたしますので、ぜひ」

 と青の魔法使いが熱心に頼み続けます。ゼンは、ほ、と言うと、大男をじろりと見上げました。

「そこまで言うなら相手してやってもいいけどよ……その前に、まずこれを見といてくれ。フルート、ちょっと俺の相手をしろ」

 急に親友に呼ばれてフルートは驚いた顔をしましたが、すぐに、わかった、と答えました。二人で雪が積もっている中庭の真ん中に出て行きます。

 

 三日三晩降り続いた割に、庭の雪はあまり深くありませんでした。小柄なフルートたちが立っても、せいぜいふくらはぎのあたりまでしかありません。強い風が雪を吹き飛ばしてしまったからです。その中で、二人の少年は身構えました。両手を前に上げ、膝を曲げて腰を落とし、互いに相手の出方を待ちます。

 先に動き出したのはゼンでした。

「行くぞ、フルート!」

 と言うと、雪を蹴って駆け出し、握った右の拳を突き出します。

 フルートはそれをよく見ていました。すばやく後ろに下がって拳をかわすと、次の瞬間、自分も雪を蹴って前に飛び出しました。ゼンの腕の下をかいくぐり、駆け抜けざま肘鉄を繰り出します。ゼンは防具を身につけていません。その横腹にフルートの肘がめり込むかと思った瞬間、今度はゼンが横に飛びのいてかわします。雪の中、二人の少年が向き直って、また身構えます。

「腕を上げたじゃねえか、フルート。危なかったぜ」

 とゼンが言うと、フルートは、にやっと笑いました。

「最近ずいぶん相手をさせられているもんな。これくらいはね」

「へっ。でも、まだまだだぜ。素手で俺に勝とうなんてのは、百年たったって――」

 ゼンがまだ言い終わらないうちに、今度はフルートが飛び出しました。頭を低くして突っ込み、肩からゼンにぶつかっていきます。不意打ちを食らったゼンは、体勢を崩して仰向けに倒れました。雪の中に半ば埋まったところへ、フルートが飛びかかってきます。

「んなろ!」

 ゼンがそれを蹴り上げると、フルートはまた身をかわしました。雪の中に片手を突き、側転して着地します。その間にゼンも跳ね起きます。

「この! 卑怯だぞ、フルート!」

「油断しているそっちが悪い」

 互いに言い合って、また飛びかかっていきます。

 ゼンが伸ばした手をフルートがまたかわし、背後に回って、握り合わせた両手で思いきり殴りつけようとします。今度はそれをゼンがかわします。

 

 ほう、と青の魔法使いが感心しました。少年たちの勝負はなかなかのものです。力は明らかにゼンの方が上なのですが、フルートは敏捷な身のこなしでゼンに捕まらないようにしながら、攻撃の隙を狙っています。

 またゼンが飛び出してきました。右の拳を繰り出しますが、フルートは横へ飛んでそれをかわします。と、そこへゼンのもう一つの拳が飛んできました。左手で殴りかかってきたのです。避けきれなくて、フルートはとっさに両手で拳を押さえました。そのまま拳の勢いに乗ってゼンから離れます。

「ったく! 逃げ方だけはうまくなりやがって!」

 ゼンが歯ぎしりしながらまた突進してきました。太い腕でフルートを捕まえようとします。フルートは頭を下げると、低い位置から拳を突き出しました。布の服を着ただけのゼンの腹に見事命中します。うっ、とうめいて思わず前のめりになったドワーフの少年に、今度は膝蹴りを食らわせます――。

 ゼンは雪の中に膝を突き、したたかに蹴られた腹を押さえてうずくまりました。かなり効いたようで、しばらくそのまま動きませんでしたが、やがて、うなるような低い声を出しました。

「こンの野郎…………」

 フルートは、はっとしました。ゼンがこういう声を出したときは要注意です。爆発するよりももっと激しく腹を立てている証拠なのです。

 急いで飛びのいて距離を取ろうとした時、出し抜けにゼンが飛びかかってきました。逃げようとしたフルートの腕をつかみ、そのまま、すさまじい力で投げ飛ばしてしまいます。フルートの小柄な体が十メートル以上も飛ばされて中庭を越え、庭の向こうの宿の壁に激突します。めきっと響いたのは、骨の折れる嫌な音です――。

「フルート!!」

 とメールが悲鳴を上げました。壁にたたきつけられたフルートが、力なくその場に倒れていきます。メールはあわてて駆け出し、通りすがりにゼンの背中をひっぱたきました。

「もう! あんたったら、どうしていつもそうなのさ!?」

 とたんにゼンも我に返りました。顔色を変えて駆け出します。

「フルート! おい、フルート! 大丈夫か!?」

 すると、壁の下からフルートが起き上がりました。口や鼻から流れる血をぬぐい、紅く染まった自分の手を見て顔をしかめます。けっこうな出血の量でしたが、もう血は止まっていました。

 そこに駆けつけてきたゼンへ、フルートはどなり出しました。

「ぼくを殺す気か! ぼくは今、金の鎧を着てないんだぞ! 金の石がなかったら本当に死んでたじゃないか! もっと手加減しろよ!」

「わ、悪ぃ、フルート。つい、かっとなっちまってよ……」

 ゼンが必死で弁解します。

 

 そこへ青の魔法使いも駆けつけ、少年たちのやりとりを茫然と眺めました。そんな魔法使いに、メールが言います。

「わかっただろ? あたいたちが心配してたのは、ゼンじゃなくて、あんたの方だったんだよ。ゼンったら、戦いに夢中になってくると全然手加減できなくなっちゃうんだもん」

「あれでも手加減はしてるんだ。本気だったら即死させてらぁ」

 とゼンが言い、まったくもう! とメールにまた背中をたたかれます。

 フルートは立ち上がると、青の魔法使いに苦笑いして見せました。

「あなたは金の石は持ってない。いくら魔法使いでも、ゼンと勝負するのはやめておいた方がいいと思いますよ」

 その顔はまだ血で汚れています。

「確かにそうかもしれませんな……」

 と青の魔法使いは答えると、顔から冷や汗をぬぐいました。こちらは苦笑いさえ出てこないようでした――。

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