やがて、夕食をすませた一行は、熱い黒茶を飲みながら打ち合わせを始めました。
白の魔法使いが何もない空中から丸めた羊皮紙を取り出して、テーブルの上に広げます。ロムドの東側からエスタ王国、さらに南の山脈の向こうまでを描いた地図です。それを指でなぞりながら話し出します。
「我々が現在いるのは、ロムドの王都ディーラとエスタの王都カルティーナを結ぶ東の街道です。この道を東へ進んでいくと、やがてエスタの西外れの都市ケイトに着きます。そこからミコンへ向かう街道が出ております。この時期ならばミコンまでは三週間以上かかる長い旅になりますが、南の山脈の端を通ることになるので、山越えはあまりきつくありません。冬場に聖地を訪ねる巡礼者は、たいていこのルートを通っていくのです」
金髪をたらした白の魔法使いは、相変わらず美しく見えていましたが、その口調はそっけないほど実務的です。表情も毅然としていて、女性らしい柔らかさとは縁遠い感じがします。この魔法使いは、ロムド城最高の魔法軍団のリーダーです。当然といえば当然のことかもしれませんでした。
一方、青の魔法使いは、すっかり酔っぱらって、椅子の中で眠ってしまっていました。酒ばかり呑んでいて、夕食もほとんど食べなかったのです。ルルがまた鼻にしわを寄せて、どうしようもないわ、と言うように頭を振りました。
フルートは、白の魔法使いの反対側から地図をのぞき込んでいました。山脈の南側にミコンという地名を見ながら、今まで漠然と感じていた不安を口にします。
「ぼくたちは巡礼者じゃありません。戦士です……。ぼくたちのような者でも、ミコンに入ることはできますか?」
敵と戦うような者は血で汚れているので、聖地に足を踏み入れてはならない、と言われそうな気がしたのです。
けれども、白の魔法使いは首を振りました。
「ミコンは、神々の中で最も力のあるユリスナイに捧げられた都なので、その勢力を手に入れようとする国々から、過去に何度も攻撃を受けてきました。それらの敵と対抗するために、独自の戦力を抱えているのです。聖騎士団と呼ばれる戦士たちや、青のような武僧たちです。巡礼者の中にも戦士は大勢います。戦う者が聖地で差別されることはありません」
「巡礼者ってのは、聖地までお参りに行く人たちのことだよね? たくさんいるの?」
とメールが尋ねました。
「そうですね。今は冬なのでそれほど多くはありませんが、それでも巡礼者がまったくない季節というのはありません。世界中の信者たちが訪れる都ですから。逆に厳しい冬場にこそ巡礼をする、敬虔(けいけん)な信者もいるほどです」
それを聞いて、ゼンがあきれた声を出しました。
「なにもわざわざこんな季節を選ぶこともねえだろうが! いくら南にある山だって、冬には雪も積もるし吹雪だって起きるんだろう? 危ねえぞ」
「熱心な信者ってのは、そういうことをあえてやって、自分の信仰を示すものなのよ」
とルルが説明しましたが、ゼンは、理解できねえ! と頭を振りました。
すると、ポポロが地図を見ながらおずおずと話し出しました。
「あの……あたしたち天空の民も、同じユリスナイを信仰しているから、天空の国にも神殿はあるんですけど……そこには司祭様たちがいるんです。ユリスナイに祈りを捧げたり、みんなにユリスナイの教えを話してくれたりします。ミコンでもそうですか?」
「同じです。ミコンには司祭たちと、その長である大司祭長がいます。神殿で修業をする修行僧や修道女たちも大勢います。それらの人々が暮らす神殿や修道院は、都の至るところにあって、数え切れないほどです」
と白の魔法使いが答えます。
ワン、とポチが口をはさみました。
「でも、ミコンにはそれ以外の普通の人たちも暮らしていますよね? 司祭たちだって修業をする人たちだって、食べたり飲んだりしなかったら死んじゃうし、服だって、他のいろいろなものだって必要になるわけだから」
「それはもちろんです。ただ、ミコンでは、それらのこともすべて神に仕える行為と認められています。麦や野菜やブドウを作ることも、機を織ることも、家畜を飼うことも、すべて神を信じる人々を支えることになるからです」
「素敵ね。本物の信仰の都だわ」
とルルが嬉しそうに言いましたが、ゼンは顔をしかめました。
「そうかぁ? そんなのは人が生きるのに絶対必要なことじゃねえか。いちいち信仰だとかなんとか言われなくても、やって当たり前のことだぞ」
「もう。本当に不信心ね、ゼンは! そんなこと言っていると、ミコンに入れてもらえなくなるわよ!」
と今度はルルが顔をしかめました。光と正義の国のもの言う犬のルルと、地下に住む現実主義のドワーフのゼン。こと信仰に関しては、どうもかみ合わない部分が多いようです。なんとなく険悪になってきた二人を、あわててフルートが引き離します――。
その時、椅子の中で寝ているとばかり思っていた青の魔法使いが、ふいに頭を上げました。片手を差し上げて空中からこぶだらけの杖を取り出すと、その先を部屋のドアへ向けます。とたんに、外の通路で、ドン、と激しい音がしました。床がぐらぐらっと大きく揺れます。
突然のことにフルートたちが驚いていると、白の魔法使いが冷静な声で言いました。
「何がいた?」
「正体はわかりませんが、どうも良くない気配のものでしたな」
と答えながら、青の魔法使いが立ち上がってドアを開けます。外の通路の床に大きな穴が開き、そこから白い煙が上がっていました。出口まで走ってきたルルが、嫌な匂いをかいだような顔をします。
「闇の気配よ……どうしてこんなところに?」
白の魔法使いもやって来て言いました。
「闇のものはどこにでも現れます。すぐそばを見えない闇の怪物が通り過ぎていくことも、決して珍しくはないが――」
「部屋の中をうかがっていたようですな。手応えはあったが、消滅させられたかどうかはわかりません。逃げられたかもしれません」
さっきまであれほど酔っていたはずの青の魔法使いが、今はもうまったくの素面(しらふ)に戻っていました。白の魔法使いも、当然のことのようにそれと会話しています。
「痕を追えるか?」
「無理でしょう。赤がいませんからな。深緑がいないから、正体を見抜くのも難しいです」
ふむ……と白の魔法使いが考え込みます。
フルートは魔法使いたちと並んで通路の穴を見ました。
「闇の怪物でしょうか? ぼくに気がついたんだろうか?」
言いながら服の胸元からペンダントを引き出しました。金の鎖の先で、花と草の透かし彫りに囲まれた魔石が揺れています。石は穏やかな金色に光っているだけで、闇の敵が近づいてきた信号である明滅はしていませんでした。
白の魔法使いが言いました。
「青は敵の気配を察知する力に優れているのです。敵が近くで動けば、即座に反応します。ドアの外にいたのが闇の怪物かどうかはわかりませんが、我々の敵であるのは間違いがないでしょう」
勇者の一行は何も言えなくなりました。こぶだらけの杖を握った大男と、そのかたわらに立つほっそりした女性を見つめてしまいます。
すると、そこへ音を聞きつけた宿の主人が飛んできました。床に大きな穴が開いているのを見て、仰天してわめき出します。
「な、な、なんということを――! べ、弁償だ! 弁償してもらいますぞ――!!」
そんな主人に白の魔法使いが片手を上げました。相手の話をさえぎるような動きです。
とたんに、宿の主人は黙り込みました。ぼんやりした顔つきになって、魔法使いたちを見つめます。それへ、白の魔法使いは話しかけました。
「心配はいらない。ここでは何も起きてはいない。床もどうもなってはいない。音は外から聞こえてきた。風で何かが倒れたのだろう――」
ささやきかけるような、旋律を持った声です。
その隣で、青の魔法使いが、とんと杖で通路を突きました。たちまち大穴がふさがって、元通り板張りの床に戻ってしまいます。宿の主人はそれを見てうなずきました。
「なるほど。なんでもありませんでしたな。あれは風の音だったんだ。失礼いたしました、お客様」
と一同に丁寧に頭を下げて戻っていきます。床に穴が開いていたことも、それが目の前で消えていったことも、全然不思議に思う様子がありません。白の魔法使いの魔法で、そのことをすっかり忘れてしまったのです。
「すっげぇ……」
とゼンは思わず声を上げました。本当に、頼もしいことこの上ない魔法使いたちです。
すると、白の魔法使いが穏やかに笑いました。
「そうおっしゃるが、あなたがたのポポロ様のほうが、我々四大魔法使いより、はるかに強力な魔法使いでいらっしゃるのですよ。我々の魔法など、ポポロ様の足下にも及びません」
そう言われて、フルートたちは今度はポポロを見つめてしまいました。え……とポポロが真っ赤になってとまどいます。とてもそんな偉大な魔法使いには見えない、小さな少女でした――。