ロムド国の北の森の上には一面の青空が広がっていました。
もう一月も下旬です。森も地面も降った雪に白く凍りつき、降りそそぐ日の光に輝いています。
森の真ん中にぽっかり広がった空き地に、二人の青年が立っていました。いぶし銀の鎧(よろい)を着込んだ大柄な青年と、黒い服の上に灰色のマントをはおった長い銀髪の青年です。雰囲気はそれぞれ違いますが、二人とも非常に整った容姿をしています。ロムドの皇太子オリバンと、一番占者のユギルでした。
オリバンは太い腕を胸の前で組んで空を見上げていました。その足下には鎧と揃いの兜(かぶと)が置かれています。防具も腰に下げた剣も、今はもう出番がありません。森に潜んで北の街道の町や村を片端から襲ってきた仮面の盗賊団は、残らず逮捕されて王都ディーラへ連行されて行ったからです。
すると、オリバンと一緒に空を見上げていたユギルが、目を細めるようにして言いました。
「お戻りになられました」
彼方を見つめる占者の瞳は、右が青、左が金の色違いをしています。加えて、輝く銀の髪に浅黒い肌――本当に不思議な色合いの青年です。
けれども、ユギルが見つめる空にはまだ何も見えていませんでした。さらにもうしばらく待っていると、ようやくそこに、ぽつりと二つの影が現れました。
二匹の白い怪物が、長い体を空にひらめかせて、猛スピードで飛んでいました。大蛇か異国の竜のような姿ですが、その頭と前足は犬の形をしています。風の犬と呼ばれる魔法の生き物ですおも。近づくにつれて、その背中に乗った人の姿も見えてきました。向こうでも二人の青年たちを見つけて、大きく手を振ります。ひゃっほう! と陽気な少年少女たちの声が空から響いてきます。
オリバンは、ほっとした顔になると、組んでいた腕をほどきました。
「元気に帰ってきたな。――ユギルの言ったとおりだ」
「勇者の皆様方は希望を失わない、と占盤が言っておりましたので」
と占者の青年が答えました。あまり表情を外に出さない青年ですが、今はオリバンと同じように、穏やかな微笑を浮かべています。
空からやってくるのは、金の石の勇者とその仲間たちでした。闇の破滅からこの世界を救うと言われている一行ですが、全員がまだ十四、五歳の少年少女たちです。彼らを乗せている風の犬も、やはり勇者の仲間です。彼らは仮面の盗賊団との戦いを終え、大事な友人を故郷に送ってきたところだったのです。
空き地の真ん中に風の犬たちが舞い下りてきました。たちまち強い風が渦を巻き、周囲の森を揺らして雪煙を上げます。
と、その風が突然やみました。風の犬が姿を消し、真っ白な子犬と茶色い長い毛並みの雌犬に変わったのです。そのかたわらには二人の少年と二人の少女が立っていました。全員が青年たちを見て歓声を上げます。
「オリバン! ユギルさん!」
「やっぱり待っててくれたんだな!」
「ただいまっ!」
まるで自分の家に帰ってきたような賑やかさで、青年たちに駆け寄っていきます。その足下を、ワンワンワン、と犬たちも元気に駆けていきます。
オリバンは笑顔でそれを迎えました。
「無事に帰ってきて安心したぞ。ワルラ将軍たちはもうロムド軍と共に出発した。一刻も早く城に戻って父上たちに報告をする義務があるからな。おまえたちにくれぐれもよろしくと言っていた。ジャックもおまえたちを心配しながら行ったぞ」
それを聞いて、金の鎧兜の少年が、にこりと笑いました。もう十五歳だというのに、小柄でほっそりとした少年で、まるで少女のように優しい顔立ちをしています。それが、世界を救う金の石の勇者のフルートでした。守りと癒しの魔力を持つ金の石と、どんな願いもひとつだけかなえる願い石の、二つの魔石を持ち主です。同時に重い定めも背負っているのですが、そんなつらさは微塵(みじん)も感じさせません。ただ穏やかに笑っています。
そのかたわらに、もう一人の少年が並びました。身長はフルートより少し低いのですが、肩幅のあるがっしりした体格で、腕など大人ほどの太さがあります。北の峰のドワーフを父に、人間の女を母に持つゼンです。やはり十五歳になったばかりの少年ですが、もう一人前の猟師で、青い胸当てを装備した上に毛皮の上着を着て、大きな弓矢を背負っていました。
「俺たちも出発するぜ、オリバン。デビルドラゴンは仮面の盗賊団ごと追っぱらったからな。またちょっかい出してこねえうちに、あいつをやっつける方法を見つけなくちゃならねえんだ」
ゼンの声はしゃがれています。声変わりの真っ最中なのです。ことばづかいも乱暴ですが、その口調は明るくて屈託がありません。
「もう行くのか? 城には立ち寄らないのか」
とオリバンが驚いたように言いました。彼らも一緒にロムド城へ来るものと思っていたのです。
「急ぎますから。ゼンも言ってるとおり、ぐずぐずしていると、またデビルドラゴンが新しい魔王を生み出すかもしれませんからね」
とフルートが答えました。見た目通りの穏やかな口調ですが、そのことばの陰に、ことばにはできないもう一つの想いがありました。
フルートが持つ願い石は、持ち主の体に同化してしまう不思議な石です。その魔石を手に入れようとする闇の怪物の大群が、フルートを見つけて食おうとつけ狙っていました。あまり頭の良くない連中で、近くの人々にも一緒に襲いかかってきます。他人を巻き込んでしまわないために、人が大勢住む王都や城には、できる限り近寄りたくなかったのです。世界を闇の竜から守る金の石の勇者は、そんなふうに、いつも自分のことより他人を心配してしまう、心優しい少年なのでした。
ロムドの皇太子にも、そんなフルートの性格はよくわかっていました。しかたのない奴だな、という顔をすると、口調を改めてまた尋ねます。
「それで? 今度はおまえたちはどこへ行こうというのだ?」
「ミコンだよ! 神の国に一番近い都って言われてるところさ!」
と元気に答えたのは、緑の髪に青い瞳の美少女でした。髪を後ろでひとつに束ね、痩せた長身に長い毛皮のコートをはおって、足には毛皮で裏打ちされたブーツをはいています。その下は花のように色とりどりの袖無しのシャツに、うろこ模様の半ズボンという格好です。世界の海の西半分を治める渦王(うずおう)の一人娘、メールでした。
オリバンは目を丸くしました。
「宗教都市国家のミコンか。何故そんなところへ?」
それに答えたのは、茶色い雌犬でした。
「ミコンには光の女神の神殿があるんでしょう? 闇の竜を倒すには、光の力が必要なんだもの。そこへ行けば、デビルドラゴンを倒す手がかりが見つかるかもしれないのよ」
「ワン、デビルドラゴンを倒すために、フルートに願い石を使わせるわけにはいきませんからね。そんなことしたら、フルートは願いの引き替えに消滅しちゃうんだから。手がかりが見つかりそうな場所を片っ端から当たってみるんですよ」
と白い子犬も言います。茶色い犬のルルと白い子犬のポチは、それぞれに天空の国のもの言う犬の血筋で、人のことばで話すことができます。二匹は同じような銀の首輪も首に巻いていて、そこにはめ込んだ魔石の力で、さっきのような風の犬に変身するのでした。
すると、最後まで何も言わずにいた小柄な少女が、おずおずと口を開きました。天空の国の魔法使いのポポロです。
「あたしたち天空の民は、光の女神ユリスナイを信仰してるんです……。ユリスナイはあたしたちの光の魔法を作ったとも言われています。だから、その神殿がある場所に行けば、何か見つかるかもしれないと思って……」
ポポロはとても引っ込み思案な少女でした。赤いお下げ髪に宝石のような緑の瞳をしていて、しかにもかわいらしいのですが、いつも仲間たちの陰に隠れるように、ひっそりと控えています。話す口調も蚊の鳴くような細い声です。自分に自信が持てなくて、何かというとすぐに涙をこぼす泣き虫ですが、最近はそれも少しずつ変わり始めていました。
オリバンと一緒に彼らの話を聞いていたユギルが口を開きました。
「皆様方がミコンへ向かうことは、わたくしの占盤にも現れておりました。ミコンは光と信仰に守られた都です。きっと勇者の皆様方の力になってくださることと――」
ふっとユギルが言いよどんだので、オリバンは鋭く振り向きました。
「なんだ!?」
「いえ……」
占者の青年はまるでそこに何かが見えているように、何もない空間をじっと見つめていました。
「かの都は常に明るい光に包まれていて、デビルドラゴンや魔王、闇の怪物といったものたちには立ち入ることができません。近づいただけで闇の体を光に焼かれるからです。ミコンはユリスナイを信仰する人々が集まる光の聖地です。きっと、皆様方はそこで何かを見つけられることでしょう」
ユギルは世界中の存在や真理を、象徴の姿で占いの場に見て、その様子や動きでこれから起きる出来事を予言します。今もまた、誰の目にも見えない象徴を虚空に映し出して、未来を読み取っているのでした。
光の聖地、と聞いて、少年少女たちの表情が明るくなりました。
彼らは闇の権化であるデビルドラゴンを、何とかして世界から消滅させなくてはなりません。闇に対抗するものは光です。光の聖地で本当にその手がかりが見つけられそうな気がして、嬉しそうにうなずき合います。
けれども、ユギルだけは黙って虚空を見つめ続けていました。その整った顔が考え込むような表情を浮かべています。
占者の心の目には、光に包まれたミコンが見えていました。清らかな光は、邪悪なものを遠ざけ、善なるものを引き寄せます。その明るさに安心していいはずなのに、ユギルはなんとなく心落ち着かない気持ちになっていたのです。光は、明るすぎると目がくらんで、中で何が起きているのか見ることができなくなってしまいます。ちょうど、深すぎる闇を見通すことができないように――。
ユギルは少年少女たちをそっと眺めました。それぞれ光や聖なるものを象徴にする勇者たちです。中でも、金の石の勇者のフルートの象徴は、まばゆいほど強く明るい金の光です。
目がくらむような光の都と、鮮やかすぎる光の勇者。
それがひとつの場所で一緒になった時、いったい何が起きてくるのだろう……。
占者の青年は心の中でそうつぶやき、光の行く手を読み取ろうとしました。けれども、明るすぎる光は占者の追いかける目をさえぎってしまって、どうしてもその向こう側を見通すことはできませんでした――。