一時間後――。
勇者の少年少女たちは、風の犬になったポチとルルに乗って、コネルアの町に近い野原に舞い下りました。コネルアは、小さなロキの故郷です。仮面の盗賊団に火をかけられて町はすっかり焼けましたが、住人は近くの森に避難して無事でいます。小さなロキの両親もそこにいるのです。
ロキが、ぴょん、とポチの背中から飛び下りました。その姿はもう本当に薄くなって、やっと体や顔が見える程度です。それがすっかり消えてしまった時、代わりに幼くて小さなロキが姿を現すはずでした。
風の犬たちが犬に戻り、少年少女たちは地面に立ちました。フルート、ゼン、メール、ポポロ、そしてポチとルル。今ロキと一緒にいるのは、この四人と二匹だけです。黙ってロキを見つめ続けます。
ロキが森の入り口に立って奥を眺めながら言いました。
「町の人たち、まだちゃんとあそこにいるよな？ おいらの父ちゃんと母ちゃんはどこにいるんだろ？ ポポロ姉ちゃん、わかる？」 ポポロは黙ってうなずきました。魔法使いの目は、森の中に小さなロキの両親の姿を見つけ出していたのです。いっそうつらそうな顔になったフルートたちと、逆に落ち着き払った表情をしているロキを見比べてしまいます。
「じゃ、ポポロ姉ちゃん、案内してよ。でさ、おいらの母ちゃんたちのそばまで行ったら、金の石をおいらに当ててほしいんだ。そうすれば、すぐにちっちゃなロキに戻れるはずだからさ」
ロキの口調は明るく乾いていました。すぐに森へ入っていこうとします。
ゼンは思わずそれを捕まえました。
「待てよ、馬鹿野郎――！ やっぱりさせられるか！ おまえは俺たちの仲間なんだよ。行かせられるか！」
とロキを強く抱きしめてしまいます。その大人のように太い腕の中で、ロキの体は今にも消えそうなほど淡くはかなく揺れていました。
へへっ、とロキがいつもの笑い方をしました。
「まいっちゃうなぁ。ゼン兄ちゃんたら……。もっと大人になれよ。おいらがいたら、兄ちゃんたちはデビルドラゴンに勝てないぞ。そしたら世界が滅んじゃうじゃないか。おいら、せっかくまた生まれ変わってきたんだからさ、それは困るんだよ」
「ぼくらが守るさ」
とフルートがきっぱりと言いました。真剣そのものの目でロキを見つめます。
「どんなことがあったって、君を死なせたりしない。君が人間でいたって、戦力にならなくたって、そんなのは全然かまわない。ぼくたちは君に一緒にいてほしいんだよ、ロキ」
「フルート兄ちゃん……」
ロキはつぶやき、目を伏せました。涙がこみ上げてきたように、急いでまばたきをします。
ポチが続けました。
「ワン、天空王を呼びましょう！ そして、ロキをこのままの姿でいさせてもらいましょう！」
メールとポポロ、そしてルルがそれに大きくうなずきます。全員が頭上に広がる青空を振り仰ぎます――。
けれども、やっぱりロキは首を振りました。思わず泣き出しそうになる少年少女たちに向かって、静かな声で話します。
「おいらさ……今朝、自分が消え始めてるのに気がついてから、いろいろ考えたんだよ。このままの恰好でいるにはどうしたらいいだろう、って……。天空王に頼むってのは思いつかなかったけど、ポポロ姉ちゃんに毎日魔法をかけてもらって、それが一日中続くようにしてもらったらいいかな、とかさ。そしたら、急に思い出しちゃったんだ……」
なにを、とゼンは聞き返しました。何を聞かされても絶対に放さないぞ、という言うように、いっそう強くロキを抱きしめます。
「ゼン兄ちゃん、苦しいったら！ おいら、こんなでも普通に息はしてんだぞ。窒息させる気か！」
とロキははかない姿で文句をつけ、ゼンがあわてて力を緩めると、やれやれ、と息をしてから続けました。
「おいら、母ちゃんと父ちゃんのことを思い出したんだよ……。北の大地の時のじゃなくて、こっちの、コネルアの母ちゃんたちさ。おいらは生まれ変わってからずっと、兄ちゃんたちのことを忘れないために、なんにも見なかったし、なんにもしゃべらないできた。そうしたらすぐに兄ちゃんたちのことを忘れちゃう、ってわかってたからな。だから、母ちゃんたちにも何も話しかけなかったし、甘えたりもしなかったんだけど……母ちゃんも父ちゃんも、そんなおいらを本当に大事に育ててくれたんだよな。普通、こんな子どもには嫌気がさしてもいいはずなんだぜ。いくら愛情かけたって、全然なつかないんだもんな。いつも一人でボールばっかり追いかけててさ……。だけど、母ちゃんたちはいつだっておいらのことを見守ってくれた。おいらが返事をしなくても話しかけてくれたし、おいらが知らんぷりしてたって笑いかけてくれた……。どんなに周りが見えないって言ったってさ、それくらいは目に入ってくるんだよ。母ちゃんたちは、おいらのことを本当に愛してくれてるんだ。……もしも、おいらがこの恰好のままでいて、ちっちゃなロキに戻らなかったら、母ちゃんと父ちゃんはどう思うのかな、って考えたんだよ。きっと、母ちゃんたち、すごく悲しむよな。おいらが無事で帰るのをずっと待ってるはずなんだもん。だろ？ ポポロ姉ちゃん」
ロキにまっすぐに見つめられて、ポポロはためらいました。もしもここで、「いいえ、あなたのご両親はもうあなたを殺されたと思ってあきらめてしまっているわ」と言えば、ロキは思いとどまって、自分たちと一緒に来るのかもしれません。
けれども、ポポロの魔法使いの目は、ロキの両親の姿をありありと見てしまっていました。木漏れ日の差す森の中、切り倒した木をベンチにして、ロキのお母さんが顔をおおって泣いています。ロキが盗賊にさらわれてしまってから、ずっと泣き続けているのです。そのかたわらには、ロキのお父さんが黙って座っています。妻の背中を抱きながら、森の入り口の方を眺めています。二人は待っているのです。自分たちの小さな息子が、勇者たちに救い出されて無事に戻ってくるのを、ずっとずっと待ち続けているのです……。
ロキを抱くゼンの手が力をなくしていました。ロキがそこから抜け出していっても、引き止めることはできません。小さい頃に母を病気で亡くしたゼンです。母親を引き合いに出されれば、もうそれ以上強引なことはできませんでした。
フルートは黙ってロキを見つめ続けました。つらさをこらえて唇をかみしめます。遠い日の後悔が胸をよぎります。あの時――北の大地でロキを死なせることがなければ、今またこんな悲しい別れをすることもなかったのに、と――。
すると、ロキが顔をしかめました。もう本当に透き通って見えるロキの顔です。今にも消えそうなほど淡く頼りないのに、その表情だけは陽気で小生意気なままです。
「また自分を責めてるだろ、フルート兄ちゃんは。相変わらずだなぁ……。あのな、おいら今度は消えちゃうわけじゃないんだぞ。ただ姿が変わるだけさ。そりゃ、ちっちゃなロキに戻ったら、きっとまた全然わからなくなるだろうし、今度は兄ちゃんたちのことも完全に忘れちゃうんだろうけどさ……でも、おいらは死ぬわけじゃないんだよ。そうじゃなくてさ――おいら、もう一度、生まれ直しに行くんだよ」
フルートは思わず見つめ返しました。生まれ直しに行く、ということばに、なんだか胸を突かれます。
ロキは静かに笑っていました。
「この恰好でいるのはやめよう、ちっちゃなロキに戻ろうって決めてからは、おいら、闇のものはなんで生まれ変わるんだろう？ って考えてたんだよ。人間だってドワーフだって、みんな死んだら死者の国に行って、で、天国に行くだろ？ でも、天国は光の国だもんな。闇のものだけは天国に入れなくて、また世界に戻ってくるんだ。おいらみたいに人間に生まれ変わることもあるし、何かの動物になることもあるし、また闇のものになることもある……。闇のものだけなんだよ。そんなふうに生まれ変わるのって。それってどうしてなんだろう、って考えてさ……でさ、なんとなくわかった気がするんだ」
消えそうな顔の中、ロキの大きな瞳だけは生き生きと輝き続けています。
「おいらたちはさ、やり直せ、って言われてるんだよ。闇のものは心まで闇に縛られてさ、地下の闇の国に隠れながら悪いことばっかりしてるけれど、生まれ変わったら、もう闇じゃなくなるかもしれないんだよな。光の中でお日様を仰ぎながら堂々と生きられるかもしれないんだ。ジャック兄ちゃんだって、そうだろ？ 前に悪いことしてたって、やり直すことができるんだもんな。おいらたち闇のものだって、やっぱりそうなんだよ。おいらたちは、もう一度やり直すために生まれ変わるんだ。今度こそ、光の中で生きられるようにさ――」
ロキ……とフルートはつぶやきました。それ以上はことばが続きません。見つめる目から、今にも涙がこぼれ落ちそうになります。
すると、ロキは口を尖らせました。
「泣くなよ、兄ちゃん！ もう大きいんだろ？ 泣いてばかりじゃおかしいぞ――！ おいらは生きるために行くんだ。フルート兄ちゃんと同じだよ。おいらは、おいらを大切に思ってくれる母ちゃんたちと一緒に生きるんだ。だからさ――」
ロキは自分を見つめる年上の友人たちを見回しました。
「泣くなよ、フルート兄ちゃん。ゼン兄ちゃんも――姉ちゃんたちも、ポチもルルも。おいらの旅立ちなんだもん。笑って見送ってくれなくちゃ、いやだぞ」
そう言って、小さな少年は、えへへっと笑いました。はかないはかない笑顔は、フルートと同じように、今にも涙をこぼしそうに見えました――。
