見えない壁のような闇の結界の中で、ロキとジャックは立ちすくんでいました。
太陽が地平線から投げる赤黒い光を浴びて、フルートと盗賊の首領が最後の戦いを繰り広げています。首領を追い詰めたまま、また動けなくなったフルートに、首領が短剣を向けます。その切っ先はフルートの急所を狙っています。ロキとジャックは必死で叫びました。危ない、フルート! 逃げろ――!
けれども、フルートは逃げませんでした。代わりに、突然叫び、猛烈な勢いで首領へ剣を振り下ろしたのです。
真っ赤な血しぶきが飛び、首領が悲鳴を上げて、どうっと倒れます。光が去っていく野原に、フルートの声がこだまのように響いていきます。ぼくは生きるんだ! みんなと一緒に生きていくんだ! ……と。
「兄ちゃん……」
ロキはつぶやいたまま、それ以上声が出なくなりました。ジャックもことばを失っています。
すると、それに代わるように、地の底から這い上がる低い声が聞こえてきました。
「ふるーとガ人間ヲ切ッタ。馬鹿ナ。ソンナ――ソンナ馬鹿ナ――」
デビルドラゴンは空中で羽ばたき続けていました。実体を持たない影の竜は、手先にしていた首領を倒されても、自分から攻撃をしかけることができません。キチキチキチ、と悔しそうに歯をかみ鳴らします。
その黒い体が急速に薄れて見えなくなっていきました。夕日の最後の光と共に消えていきます――。
すると、ロキとジャックの目の前からも見えない壁が消えました。二人とも壁にすがりついていたので、支えるものをなくして転びそうになります。
とたんに、彼らをまた吹雪が包みました。真っ白い闇が視界を閉ざします。ごうごうとうなる音は、遠い北の大地に吹きすさぶブリザードのようです。フルートの姿ももう見えません。
「兄ちゃん! フルート兄ちゃぁん……!」
ロキは必死で呼び続けました。なぜだか、もう二度とフルートに会えないような気がして、涙がこみ上げてきて、どうしても止めることができません。
すると、すぐ近くから、少ししゃがれた少年の声がしました。
「ロキか――? そこにいるのか!?」
ゼンの声でした。それと同時に、吹雪が急におさまってきました。風のうなりが止まり、横殴りの雪が上から降るようになり、じきにそれもやんでしまいます。
そこは、元の森の中でした。雪に真っ白になった針葉樹が無数の槍のようにそそり立っています。日は沈んでしまいましたが、白い木々に薄暮が反射して、あたりはまだぼんやり明るく見えます。
その中にゼンがいました。オリバンも、メールも、ポポロも、ポチとルルの二匹の犬たちも――ユギルやワルラ将軍、ガスト副官の大人たちの姿も見えます。皆がいっせいに駆けてきます。
「ロキ! ジャックも! 無事だったな。フルートはどこだ!?」
とゼンが尋ねます。ロキはフルートがいたあたりを振り向きました。ここはもう日暮れの野原ではありません。森の木々がそそり立っていて、フルートの姿はどこにも見えません。
けれども、ポポロが先に立って言いました。
「いるわ。フルートはこっちよ――!」
木立を何本か越えただけのすぐ近い場所に、フルートがいました。足下に倒れた盗賊の首領を、黙って見下ろしています。その姿を見たとたん、仲間たちは思わず立ちすくんでしまいました。フルートが握る剣の刃は紅く染まり、切っ先から血のしずくがしたたり落ちていたのです。
フルートはまったく動きませんでした。ただ倒れた男を見つめ続けます。
ゼンがそっとフルートに近寄りました。隣に立って尋ねます。
「殺したのか?」
ううん、とフルートは首を横に振りました。今にも泣き出しそうに目を細め、顔を歪めて、足下の首領を見つめ続けます。
「殺そうと思ったんだけど……何百人もの人を殺して平気でいる、救いようのない悪党なのはわかっていたんだけど……でも……どうしても、とどめが刺せなかったんだよ……」
まるでそれが重大な罪ででもあるように、フルートは声を震わせました。剣を固く握りしめて、唇をかんでしまいます。少女のように優しい顔は、本当に、今にも大泣きしてしまいそうです。
その足下で盗賊の首領が小さくうなりました。肩から胸にかけて深手を負って気を失っていますが、それでも確かにまだ生きています。
ふう、とゼンは溜息をつきました。肩の力を抜いて笑って見せます。
「無理すんなって。殺せなくたって、そんなのはかまわねえんだ。とりあえず、おまえは戦って自分の身を守ったんだからな。それだけで充分なんだよ」
そう言って腕を伸ばし、親友を抱き寄せます。フルートは黙ったまま、その広い肩に頭をもたせかけました。何かをこらえるように、じっと唇をかみ続けます。
すると、そこへワルラ将軍が副官と一緒に近づいてきました。
「ゼン殿の言うとおりですぞ、勇者殿。こういう者を捕らえて裁くために、我々軍隊や裁判官がいるし、国王陛下もいらっしゃるのですからな。何もかも自分一人でなさる必要はない。任せられるところは我々に任せなさい」
そして、将軍は首領にかがみ込み、副官に言いました。
「救護班に手当をさせろ。北の街道で悪行の限りを尽くした盗賊団の首領だ。裁判にかけて、皆の前でしっかりと罪を償わせなくてはならんからな」
ガスト副官がすぐに救護班を呼びに駆けていきます――。
フルートの前に一人の少女が立ちました。黒い衣の上にコートを着たポポロです。ゼンがそっとフルートから離れて、ポポロに場所を譲ります。
青ざめきってうつむく少年に、ポポロは話しかけました。
「フルート、ありがとう……」
フルートは、意外なことばを聞いたように顔を上げました。何を感謝されたのかわからなかったのです。すると、ポポロはにっこり笑いました。
「ありがとう、約束を守ってくれて。あたしたちのところへちゃんと戻ってきてくれて。ありがとう、フルート……」
フルートの手の中から、握り続けていた剣がすべり落ちました。両腕を伸ばし、目の前で自分を見上げる少女を抱きしめます。
その震える体にポポロは自分の腕を回しました。暖かく抱き返します。
フルートはいっそう強くポポロを抱きました。何も言わずに、大粒の涙をこぼします。そんな少年を、少女は優しく抱きしめ続けます……。
その光景に、ジャックが目を丸くしていました。こんなフルートの姿を見たのは初めてです。とまどうようにつぶやいてしまいます。
「おい、これって……もしかして……」
隣にいたロキが聞きつけて笑いました。
「うん、ポポロ姉ちゃんはフルート兄ちゃんの恋人だよ。今まで気がつかなかったの?」
ジャックはますます目を丸くしました。
抱き合う二人を、仲間の少年少女と犬たちが笑顔で見守っていました。
「これでやっと本当に一件落着か」
とオリバンがユギルを振り向きました。確かめるような口調です。
銀髪の占い師は静かにうなずき返しました。
「左様でございますね……。仮面の盗賊団は一人残らず敗れました。まだ生きている者は何名かおりますが、もう戦うことはできません。逃げ出して森の奥に隠れている者も一、二名いるようですが、それはすぐに見つけ出すことができます。今夜中には完全に盗賊団を制圧することができましょう」
オリバンはうなずきました。かたわらに立つ老将軍に言います。
「ワルラ将軍、角笛だ。全軍に勝利を伝えろ」
承知、と将軍は答えて、少し離れた場所にいた信号兵に呼びかけました。
「仮面の盗賊団は敗れた! 角笛を鳴らせ!」
信号兵から歓声のような返事が返ってきました。ほどなく、角笛が高らかに吹き鳴らされます。
ウポォォォーーーーポオォォォーーーポォォーーーー……!
角笛の音は勝利と平和を告げながら、何度も何度も森に鳴り響きました。