「ねえ、フルート……あたしたちって、デビルドラゴンを倒すために旅をしてるのよね」
魔の森に集合して世界に旅立ったその日の夜、泊まった宿屋の一室で、ポポロがそんなことを言い出しました。今さらのようなことを大真面目に話し出されて、フルートは面食らってうなずきました。何を言いたいのだろう、とポポロを見つめてしまいます。
ポポロは暖炉の前に座っていました。星空の衣が変わった赤いスカートが床の上に広がって、まるで花が咲いているようです。暖炉の暖かな光がスカートや赤いお下げ髪の上で踊っています。
「もちろん、デビルドラゴンは絶対に倒したいのよ。でもね、そうやってデビルドラゴンを倒してしまったら、その後はどうしようって急に考えちゃったの……。ねえ、フルートはどうしたい? デビルドラゴンを倒して、世界が平和になったら」
世界が平和になったら? とフルートは思わず繰り返してしまいました。今の今まで、本当に、そんなことは考えたこともありませんでした。ただデビルドラゴンを倒そう、世界に平和を取り戻してみんなを守ろう、とそのことだけを考え続けていたのです。
とっさには何も思いつかなくて、フルートは逆に質問しました。
「ポポロは? 君は、世界が平和になったら何がしたいの?」
とたんに、小柄な少女は顔を赤らめました。恥ずかしそうにフルートを見上げて尋ねます。
「笑わない……?」
うん、とフルートはまたうなずきました。同じ部屋にいたゼンやメール、ポチやルルも話に興味を惹かれて集まってきます。
「なんだなんだ?」
「ポポロは何をしたいのさ?」
すると、ポポロはほほえみました。赤い顔のまま、こう言います。
「あたしね、地上の世界をよく見てみたいの……。こんなふうに、デビルドラゴンを倒す旅じゃなくてね、みんなと一緒に、いろんなところに行ってみたいの。フルートの家に行って、フルートのお父さんやお母さんに会ってみたいし、渦王の島にも行ってみたいし、ゼンの北の峰にももう一度行きたいわ……。谷川のホタル、とても綺麗だったわよね。またみんなと一緒に見られたら素敵だろうな、って思うの……」
「見られるに決まってらぁ。ホタルは毎年谷川に飛ぶんだぜ。今年だって、またいやってほど出てくるぞ」
とゼンがあきれたように言うのを、メールが小突きました。
「馬鹿だね、ゼン。ポポロが言ってるのはそういう意味じゃないんだよ」
「馬鹿とはなんだ。じゃ、どういう意味だよ」
たちまちゼンとメールが口喧嘩のようになります。
フルートはポポロを見つめ続けました。なんとなく、胸の中が暖かくなっていました。
たとえデビルドラゴンを倒すための死闘の旅でも、フルート自身は充分嬉しかったのです。どんな時にも仲間のみんなと一緒にいられる。どこまででも一緒に行ける。それだけでも本当に幸せだったのに、平和な世界になれば、誰かが死ぬことも傷つくことも心配せずに旅ができるようになります。ああ、そういうのはいいなぁ、と心から思ってしまいます。
すると、足下からポチが、ワン、とほえました。
「で、フルートは? 平和になったら何をしたいんですか?」
うーん、とフルートはうなりました。本当に、具体的にどうしたい、ということは浮かんできません。少しの間考えてから、こう答えました。
「ぼくは、みんなの笑顔が見ていたいな。何をしていたっていいから、みんなが笑ってる顔を、いつも見ていたいよ」
「もう! どうしてフルートってそうフルートなの!」
とルルがあきれた声を上げました。
「もうちょっと自分のための夢ってないの!? 自分が楽しいこととか、自分の得になることとか! フルートったら、ほんとにいつも他の人のことばっかり考えているんだから!」
年上の犬の少女から叱られて、フルートは首をすくめました。
「だ、だって……ぼくには本当に、それが一番の夢だから。君たちが笑ってくれてるのが何より嬉しいんだよ……」
あーあ、と仲間たちは溜息をつきました。誰もがあきれて笑っています。本当に、どうしようもなく優しくて仲間思いのフルートです。
ところが、ポポロだけは真剣な目で見つめ続けていました。
「それなら――ねえ、フルート――あなたも笑ってくれなくちゃだめよ。フルートが幸せでいてくれなかったら、あたしたちも幸せになれないんだもの。フルートが笑ってくれなかったら、あたしたちも笑えないの……。そのことだけは忘れないでいてね」
フルートは何も言えなくなりました。自分を見つめるポポロのまなざしが胸にしみます。
うむうむ、とゼンがうなずきました。
「まったくだな。いいこと言うぜ、ポポロ」
「フルートが幸せなのが、あたいたちにも幸せ、かぁ。ホントだよね」
とメールも笑顔になります。犬たちも、ワンワンとほえ、尻尾を振って同意します。
ゼンが力強く言いました。
「忘れんなよ、フルート。俺たちはこれからだってみんな一緒だ。ずっと、ずっとな」
フルートは思わず目を細めました。こみあげそうになった涙をこらえて、笑いながらうなずきます――。
盗賊の首領と死闘を繰り広げながら、フルートの脳裏に走馬燈のようによみがえってきたのは、そんな宿屋でのやりとりでした。仲間たち一人一人の声と笑顔が、くっきりと思い出されてきます。
目の前に首領が立っていました。手にした短剣をフルートの頭めがけてまた突き出してきます。研ぎ澄まされた刃が、夕日を返してまたぎらりと光ります。フルートはあわてて頭を下げ、盾で短剣を払いのけました。体勢を崩して、後ろ向きに倒れてしまいます。
そんなフルートに首領が飛びかかってきました。小柄な体に馬乗りになって抑え込みます。
「いよいよだな。もう逃げられねえぞ。観念しろ!」
首領が笑いながら短剣を振りかざしました。フルートは兜をはぎ取られています。むき出しの頭を守るものがありません。
フルートは無我夢中でまた盾をかざしました。顔に突き立てられそうになった短剣を、やっとのことで防ぎます。
「無駄な真似しやがって!」
首領がフルートの盾をつかみました。力任せに引きむしって、それも兜と同じように遠くへ放り投げてしまいます。ガラガラン、と盾が地面に落ちて激しい音を立てます。
ところが、盾を放るために伸び上がった首領の体が一瞬浮き上がりました。フルートを抑え込む力が緩みます。すかさず、フルートは首領の背中を膝で蹴りつけました。堅い鎧で包まれた膝です。首領が思わずうめいてのけぞいたところを、思いきり身をよじって跳ね飛ばします。
「じたばたとあがきやがって」
と首領がまた毒づきました。フルートに蹴られた背中が痛むようで、背中に片手を回して顔をしかめています。その隙を狙って、フルートは剣を握り直しました。今度こそ決着をつけようと、剣を高く振りかざします。
とたんに、首領はにやりと笑いました。あざ笑う目でフルートを見ます。
「それでどうするつもりだ、え、坊主? 振り下ろす勇気もねえくせによ」
フルートはまた、凍りついたように動けなくなっていました。剣を握る腕がどうしても下ろせません。背中や額からは冷たい汗が流れ続けます。切りつけなければ、倒さなければ、と思うのに、心がひるんで、どうしても体を動かすことができません。
「さあ、今度こそ本当に終いだな。とっととあの世に行きやがれ。お優しい勇者様には、光り輝く天国が門を開けて待ってくれているぞ――!」
高く笑う首領の声に、遠くから少女の声が重なって聞こえていました。ポポロです。すすり泣きながら呼び続けています。
「フルート……フルート……フルート……!」
泣きじゃくる顔までが、はっきりと見えるような気がします。
泣かないで、ポポロ、とフルートは心の中で言いました。泣かないで。そんなに悲しそうに泣いちゃだめだよ――。
すると、ゼンの声もかすかに聞こえた気がしました。ゼンはどなっていました。
「馬鹿野郎、フルート! 死ぬんじゃねえ! 戦えったら! 戦え――!」
フルートは大きく目を見開きました。
目の前でうずくまる首領は、手に短剣を構えていました。低い位置から、フルートの眉間を狙って剣を突き立てようとしています。その顔は笑っていました。フルートが剣を振り下ろすはずはないと安心しきっているのです。
フルートは剣を強く握りしめました。冷たい汗は流れ続けます。優しい顔が泣き出しそうに歪みます。
そして、フルートは叫びました。
「ぼくは――ぼくは、生きるんだ! ポポロやゼンやみんなと一緒に――ずっと一緒に――生きていくんだ!!!」
ほとばしるような声と一緒に、剣を振り下ろします。
西の地平から、夕日が最後の光を投げかけてきました。闇を流し込んだような光が、フルートの剣の上でぎらりと反射します。
血しぶきと共に、大きな悲鳴が上がりました。
それは、盗賊の首領の声でした。