フルートは盗賊の首領と戦い続けていました。
皆が心配しているとおり、人間の首領相手にフルートは実力を発揮できません。何度も相手に切り込むチャンスができるのに、そのたびにためらい、あっという間に反撃されてしまいます。
フルートはあえぎながら剣を構え続けました。背筋を冷たい汗が流れ落ちていきます。息が苦しいのは戦いが激しすぎるせいではありません。
何十回目かの斬撃をフルートはまた跳ね返しました。少年とは思えない力に、首領が思わずよろめきます。とたんにまた隙ができました。首領の左肩から首にかけてが、がら空きになります。
フルートはそこへ切りつけようと剣を振り上げました。急所に近い場所です。一撃で相手にとどめを刺すことができます。
けれども、そのとたん、フルートは停まりました。全身が金縛りにあったように動かなくなり、息がまったくできなくなります。振り下した剣に飛び散る紅い血しぶきが、幻になって目の前に浮かびます――。
その様子に、へっ、と首領は笑い、身を沈めてフルートに体当たりしました。フルートの小柄な体が吹き飛んで、ガシャン、と地面にたたきつけられます。
「ざまァねえな、坊主。そんな甘っちょろいことで、よくも今まで勇者をやってられたもんだ」
突き出されてきた剣を、フルートはとっさにかわしました。首領の狙いは正確です。唯一の急所の顔を寸分違わず貫こうとします。かわしきれなかった切っ先を、盾でやっと防ぎます。
首領の後ろで、デビルドラゴンが羽ばたき続けていました。闇の権化の竜ですが、自分から実際にフルートを攻撃することはできません。ただじっと首領とフルートの戦いを見つめ続けます。
同様に、デビルドラゴンの結界に捕らえられたロキとジャックも、何もできずに戦いを見守り続けていました。どんなにたたいても叫んでも、彼らの声はフルートには届きません。
兄ちゃぁん……! とロキが泣き叫びました。その手の中で金の石が明滅しています。石も焦っているのですが、力が弱っていて、闇の結界を破ることができないのです。
ジャックが見えない壁に拳をたたきつけて、うめくようにつぶやいていました。
「やれよ、フルート……! そいつは救いようのない悪党だぞ。改心するなんてこと、ありえねえんだぞ。早いとこやっつけろよ。おまえならできるだろうが……!」
彼らの目の前で、またフルートが剣を振り下ろしました。鋭い一撃に、首領の刀がたたき落とされます。盗賊たちは身軽が信条なので、フルートのような鎧兜も盾も身につけていません。もう一度、剣を振り下ろせば、確実に首領を倒せます。
けれども、やっぱりフルートはためらいました。また動けなくなってしまいます。その優しい顔が苦しそうに歪みます。振り上げた剣を下ろすことができません――。
首領が、にやりと笑いました。一瞬でフルートの後ろに回ってはがいじめにします。もがいても暴れても、フルートは振り切ることができません。
「放せ! 放せ――!!」
叫ぶフルートの兜に首領が手をかけました。力任せにむしり取ってしまいます。顎の下で留め金がはじけ、金の兜が大きく飛んでいきます。
「さあ、これで殺しやすくなったぜ」
と首領が笑いながら言いました。その手には、いつの間にか短剣が握られていました。懐に隠し持っていたものです。フルートを抑え込んだまま、一気にその首をかき切ろうとします――。
すると、地の底から闇のものの声が響いてきました。
「ゆうしゃ――ユウシャ――勇者――」
フルートと首領のすぐ近くの地中から、長い爪のはえた黒い手が現れ、土をかきむしって這い出してきます。金の目をした猫のような怪物でした。じろりじろりとフルートと首領を見比べて、また口を開きます。
「ドッチが金の石の勇者ダ? コッチか? それとも、コッチか――?」
するすると伸びてきた闇の触手が、フルートから首領を引きはがしました。フルートにも触手が絡みついてきますが、フルートはとっさに炎の剣で切りつけ、そのまま大きく飛び下がりました。
火傷を負った触手を縮めながら、猫の怪物は言い続けました。
「痛イ痛イ……こんな痛イ奴は相手にはシナイ。きっと、コッチが金の石の勇者ダ」
「馬鹿! 俺は金の石の勇者なんかじゃねえ!」
と首領がわめきますが、そんなことはお構いなしに、さらに多くの触手を伸ばし始めます。首領をがんじがらめにして食い殺そうとします。
ところが、とたんに黒い光が炸裂しました。猫の怪物が一瞬で粉々に吹き飛びます。デビルドラゴンが羽ばたきながら赤い目を開いて見据えていました。
「去レ、我ガシモベ。貴様タチノ出番デハナイ。コノ地ニ近寄ルナ」
闇の竜の声が呪詛のように広がったとたん、地の底からざわめくような声が聞こえてきました。
「来るナと言われた――」
「アノ声は、でびるどらごん。俺たちノ総大将ダ」
「アイツにはかなわナイ」
「逆らえないナ。引き上げヨウ」
怪物の声と気配が遠ざかっていきます。フルートは青ざめて立ちつくしていました。自分を狙って襲ってくる怪物たちを利用して、首領を撃退することもできなくなってしまったのです――。
吹雪の森の中で、ポポロは戦うフルートの姿を見つめていました。
宝石の瞳から大粒の涙がこぼれ続けています。現実の世界は涙ににじんで何も見えなくなっているのに、ポポロの魔法使いの目は、頭の中にくっきりと遠い場面を映し出しています。
兜を失ったフルートの頭めがけて、盗賊の首領が短剣を振り回します。鋭い刃がひらめき、フルートの金髪が一束切り落とされて、宙に散ります。あと数ミリずれていれば、耳を失うところでした。
フルートは歯を食いしばりました。握りしめる剣は、いつの間にかまた炎の剣から銀のロングソードに戻っています。炎を撃ち出すことも、魔力で敵を燃やすこともできない、普通の剣です。
「いいもんだなァ」
と首領があざ笑う声もポポロには聞こえていました。
「どんなことがあったって、てめえに俺は殺せねえ。人質がいるから、ここから逃げ出すこともできねえ。そうやって逃げ回っていても、いつか必ず俺の刃の餌食だぜ」
フルート! フルート……! とポポロは泣き続けました。距離を越えて助けの魔法を繰り出したいのに、魔法を二つとも使い切ってしまったのです。こんなにはっきりとフルートの姿は見えているのに、何をすることもできません。フルートが窮地に追い込まれていくのを見つめるだけです。
そんなポポロの肩をゼンが強くつかんでいました。ポポロの小さな体を激しく揺すぶりながらどなります。
「あいつはどうしてる!? 無事なのか!? どうなった――!!?」
駆けつけたいのに、助けに飛んでいきたいのに、何もできないのはゼンも同じです。ポポロが泣きながら首を振り、そのまま力なく地面に座り込んでしまうのを、茫然と見つめます。
その瞬間、ゼンにもポポロの見ているものが見えたような気がしました。追い詰められたフルートに、盗賊の首領が刃を振り上げます。フルートは剣を握り続けています。けれども、フルートは動けないのです。剣を突き出し、首領に切りつけることができません。
フルート、戦え!! とゼンはどなりました。死ぬな! 死ぬんじゃねえ!!
吹雪は荒れ狂っています。ゼンの叫び声もポポロの泣き声も巻き込んで、たちまち吹き散らしてしまいます――。
その時、立ちすくんで首領の短剣を見つめるフルートに、ひとつの声が聞こえてきました。
「おまえの願いはなんだ? 語るがいい」
燃える炎のような赤いドレスを着た女性が、フルートの心の中に立っていました。
フルートは思わず息を呑みました。ぎりぎりに追い詰められた自分の心が、願い石の精霊を呼び出してしまったのです。
フルートが今にも殺されそうになっていても、精霊は少しもあわてる様子がありません。冷ややかなほどに整った顔で、じっと心の中からフルートを見つめています。
「願いがあるのだろう。それを語るがいい。それがおまえの真の願いであれば、おまえの大切なものと引き替えに、私はそれをかなえよう――」
ぞぉっと冷たいものがフルートの背筋を走り抜けました。
フルートは目の前にいる首領を倒すことを願おうとしたのです。けれども、願い石は願いをかなえる引き替えに、必ず何かを奪い去っていきます。それはなんだろう、と考えてしまいます。
すると、突然女性の隣に小さな少年も姿を現しました。鮮やかな金の髪に瞳の、金の石の精霊です。現実には力を奪われて姿を現すこともできずにいますが、フルートの心の中にやってきたのです。強い声で叫びます。
「願うな、フルート! デビルドラゴンの思うつぼだ! 君が願えば、願いかなった瞬間に願い石は君の中から消え去る。そうなったら、もうデビルドラゴンが恐れるものは何もなくなるんだ。奴を止められるものは何ひとつなくなる。この世界は奴に蹂躙されるぞ! 首領の死を願ったとき、引き替えに奪われるのはこの世界だ! 君の大切な人たちが、一人残らず殺されてしまうぞ――!」
再びフルートは総毛立ちました。願い石に吸い寄せられそうになる自分を必死で引き離し、また前を見ます。盗賊の首領は短剣をフルートの頭に突き立てようとしていました。きわどいところで、それをかわします。
心の中から、精霊たちが姿を消していきました。再び、フルートは一人きりで敵と向き合っていました――。