人と怪物は戦い続けました。
空に向かって光を撃ち出していたジャックが、ふいに、あっと声を上げました。いくら戦棍を空に向けても信号弾が出なくなったのです。弾切れでした。
強い光を嫌って遠ざかっていた怪物たちが、またいっせいに動き出しました。森から、空から、迫ってきます。
空から翼のある怪物が急降下してきました。柔らかな子どもの肉が好きな怪物でした。フルートが撃ち出した炎の弾をかわして、小さなロキに飛びかかってきます。メールがロキを抱えてかばおうとします。
とたんに、怪物が吹っ飛びました。地面にたたき付けられて、ギイィ、と声を上げます。ジャックが戦棍で怪物を殴り飛ばしたのでした。
それを炎の剣で切り倒してフルートは言いました。
「ありがとう、ジャック!」
ふん、とジャックは鼻を鳴らしました。次の敵に向かって戦棍を構えて言い返します。
「馬鹿にすんな。俺は英雄の孫だぞ。こんな怪物くらいでびびってられるか!」
フルートはまたにこりとしました。そうだね、と答えます。
「ジャックは昔からそうだったよね。どんなことをしていたって、どんなことを言ったって、人を見捨てて逃げたりはしなかったんだ」
ジャックは思いきり顔をしかめました。フルートからまともに誉められて、嬉しいような、いまいましいような、複雑な気分になります。その気持ちを払うように、次の怪物を思いきり殴り飛ばします。
「また怪物が来るわ! 大群よ!」
とポポロが空を見て叫びました。青空の彼方を真っ黒に染めて、空飛ぶ怪物の群れが殺到してくるのが見えました。戦う者たちは思わず緊張しました。今でさえ敵を防ぐのに精一杯なのです。これ以上数が増えたら、とても相手にしきれません。
すると、空飛ぶ怪物の群れから、ひときわ大きな怪物が飛び出しました。黒い翼を広げた鳥のような姿をしています。他の怪物を引き離してぐんぐんフルートたちに迫ってきます――。
と、翼の怪物がふいに向きを変えました。飛んでくる怪物の群れに向き直ります。
メールに抱えられていたロキが、急に目を丸くしました。空の怪物をぽかんと見上げます。
黒い翼の怪物が、突然大きく羽ばたきました。どっと起こった強い風に、他の怪物たちが押し戻されます。そこへ翼の怪物が襲いかかり、鋭いくちばしや爪で片端から落としていきます。
ロキは伸び上がり、空に向かって大声を上げました。
「グーリー! グーリー!!」
ギェェェン! と空の上から返事がありました。フルートたちがよく知っている鳴き声です。グリフィンのグーリーが、翼を広げてそこにいました。空から迫る怪物たちを撃墜して、フルートたちを守っているのです。
その背中にほっそりした人影も見えました。長い黒髪が風になびいています。
それは目も覚めるほど美しい少女でした。髪と黒いドレスを風にはためかせながら、じっとロキを見下ろしています。その瞳は血のように赤く、額には一本の角があります。
ロキは夢中で叫び続けました。
「姉ちゃん! 姉ちゃん――!!」
少女が笑いました。闇の民とは思えない、優しい笑顔が広がります。ギェェェン、とまたグーリーが鳴きました。こちらも笑うような声です。
メールとポポロがそれを見上げて言いました。
「アリアンだよ。グーリーと駆けつけてきたんだ」
「ずっと透視力で戦いを見ていたのね……。助けに来てくれたんだわ」
頭と翼と前足がワシで体の後ろ半分がライオンの姿のグリフィンは、怪物たちを次々と倒していきました。あっという間に空から怪物が減っていきます。
ロキは空に手を伸ばして呼び続けました。
「姉ちゃん! 姉ちゃん! グーリー……!」
グリフィンがまた大きく羽ばたきました。強風が空の敵を押し返します。その隙にフルートたちの頭上まで舞い下りてきます。
「グーリー!!」
ロキは歓声を上げました。北の大地で共に生き、別れてきた黒い翼の友だちを、涙のたまった目で見上げます。ギェェ、とグーリーも鳴きました。恐ろしいワシの顔の中で、金の瞳が笑うように細められています。
その背中からアリアンが大きく身を乗り出しました。地上にいる弟へ、白い手を差し伸べます。
「姉ちゃん!」
ロキも精一杯背伸びをして両手を差し出しました。二人の手が空と地上の間で結び合おうとします。
けれども、寸前でなぜかアリアンがためらったように手を引きました。羽ばたくグーリーの背中から、じっとまたロキを見下ろします。
ロキはとまどいました。なんとか姉の手をつかもうと、限界まで伸び上がりますが、やっぱりアリアンはその手を握り返そうとはしません。
「姉ちゃん……!?」
ロキが焦っていると、少女がまた笑いました。優しく美しい笑顔が広がります。赤い瞳が澄んだ涙を浮かべています――。
そして、アリアンはグーリーと身をひるがえしました。彼らの頭上を離れて、また空から襲ってくる怪物の群れへ向かっていきます。
「フルート!」
とポポロが指さしました。フルートの胸の上で、金の石が淡く光り出していました。一行がすさまじい数の怪物に囲まれているのを感じて、最低限の時間休んだだけで、また目を覚ましたのでした。
「これのせいでアリアンは近づけなくなったのかい?」
とメールが尋ねましたが、ロキは涙ぐんだまま空を見上げて、何も言いませんでした。黒い翼の友人と姉は、怪物たちを蹴散らしながら、どんどん遠ざかっていきます――。
「金の石が目覚めたので、我々の姿は再び闇の目から隠されました。これ以上闇の怪物が増えることはありません」
とユギルが言うと、ゼンが言い返しました。
「これ以上増えなくたって、もうすでに充分多いぞ!」
空からの敵はグーリーのおかげでずいぶん減っていましたが、地上はまだ怪物たちでいっぱいでした。森の中にも空き地にも、異形のものが何百匹とうごめいています。オリバンとフルートがそれぞれの剣で必死に戦っていますが、とても倒しきれる数ではありません。
すると、ユギルが森の彼方へ目を向けながら続けました。
「大丈夫です。もうじき到着いたしますので」
「到着する――誰が!?」
とオリバンがどなるように尋ねます。
「濃紺の壁です。もうすぐそこまで来ております」
「濃紺の?」
ユギルが言っているのは象徴の姿です。濃紺の壁の象徴で表されるものと言えば……。
占者と同じ方向を眺めていたポポロが目を輝かせました。両手を握り合わせて叫びます。
「来たわ!!」
とたんに、鬨の声が響き渡りました。森の木々を揺るがし地面を震わせます。フルートたちに殺到していた怪物たちが、仰天してあたりを見回します。
すると、嵐のような蹄の音と共に、森の奥から馬に乗った大勢の男たちが押し寄せてきました。武器や防具がぶつかり合う音も響きます。それは、銀の鎧兜で身を包んだ大軍でした。闇の怪物たちにまっしぐらに襲いかかっていきます。
「ロムド軍だ!!」
とフルートたちは歓声を上げました。
完全武装のロムド軍が、軍馬に乗って駆けつけてきたのです。たちまち、いたるところで兵士と怪物の激しい戦いが始まります。
先陣の兵士たちに混じって、濃紺の鎧兜で身を包んだ老人が馬で駆けてきました。ワルラ将軍です。そのすぐ後には副官のガストを従えています。
「ご無事でしたな、殿下、皆様方。信号弾が次々と上がったので心配いたしましたぞ。間に合って良かった」
将軍とロムド軍は、オリバンやジャックが闇の怪物を追い払うために打ち上げた光の信号を目印に、この場所へ駆けつけてきたのでした。
「将軍、どうしてもう来たんだよ? あんたらは明日の朝、全軍が揃ったところで追いかけてくるはずだったろう?」
とゼンが目を丸くして尋ねました。絶好のタイミングでしたが、打ち合わせた行動とは違っていたのです。
ワルラ将軍は、にやりと笑い返しました。日に焼けた顔の奥から、茶目っ気のあるまなざしでユギルを見ます。
「皆様方が出発してから、ずっとどうにも胸騒ぎがしておりましてな。これだけ長い年月を戦場で過ごしてくると、この手の虫の知らせはよく当たるようになる。一番占者のユギル殿を差し置くようで申し訳なかったが、揃っていただけの兵を率いて後を追ってきたのです」
それを聞いて、銀髪の占者は苦笑しました。百戦錬磨の老将軍へ深々と頭を下げます。
「戦場は変化が非常に早いので、占い切れないことがしばしばございます。まったく、戦闘のことでは将軍にはかないません……。わたくしの占いにお逆らいくださってありがとうございました、と申し上げるべきなのでしょうね」
「ユギル、悔しそうだぞ」
とオリバンがからかうように口をはさみ、ユギルは思わず憮然としました。オリバンや将軍たちが笑い出します。
フルートは剣を下ろし、汗にまみれた顔であたりを見渡していました。もう彼らに襲いかかってくる怪物はいません。千騎近いロムド兵たちが、怪物たちを剣や松明や火矢で追い回しています。ロムド兵たちは聖なる武器を持っているわけではありませんが、数にものをいわせて、どんどん怪物を追い払っていきます。もう大丈夫だ、とフルートはやっと本当に安心しました。
すると、そこへポポロがやってきました。フルートと視線が合うと、にっこりほほえみます。とても嬉しそうに笑う少女は、まるでひとしずくの宝石のように輝いて見えました。フルートの胸に唐突に一つのことばが浮かんできます。
ありがとう――。
けれども、それを声にするのはなんだか照れくさくて、フルートは顔を赤らめました。曖昧に笑ったフルートを、ポポロが不思議そうに見返しました。