「ヨクモ!」
森の上空に広がった影が巨大な竜の形に変わり、地の底から響くような声を上げました。
「ヨクモ――ヨクモ! 勇者ノ連中メ!」
影の竜が翼を広げました。空をおおい尽くすほど大きな四枚の翼です。
とたんに、どぉっと激しい風が吹きました。森の梢が大揺れに揺れ、枝や幹がぎちぎちときしみます。同じ空にいたポチとルルがあおられて、あわてて高度を下げました。背中に乗せた人たちを吹き飛ばされそうになったのです。
「ついに出たな、デビルドラゴン!」
とゼンがどなりました。もう次の矢を弓につがえています。矢がみるみるうちにまた緑の輝きを帯びていきます。
けれども、ゼンがデビルドラゴンに向かって放った矢は、竜がにらみつけたとたん砕けてしまいました。闇の竜には届きません。
「ちっくしょう!」
ゼンはまた次の光の矢を放とうとしました。三本目の矢がまた光り始めます。
ところが、それが急に光を失っていきました。緑の輝きが消えて、普通の矢に変わってしまいます。ゼンの腕の光も急速に薄れて消えてしまいます。
メールが怒ってわめきました。
「時間切れだよ! ゼンが魔法を早く受けとらないからさ――!」
「うるせえ! 説明もなしでそんなのわかるか!」
とゼンがどなり返します。
すると、メールを抱いていたオリバンが言いました。
「あわてるな。ゼンの光の矢は無駄にはなっていないぞ。見ろ」
示した先で、霧の怪物の様子が変わっていました。大蛇の姿が崩れて、また元の霧の海に戻っていきます。その黒い闇の色も、みるみる薄くなっていくのです。
「デビルドラゴンが仮面から離れたので、魔王は存在しなくなった。魔王の力が失われつつあるのだ――」
白い仮面はまだ宙に浮き続けていました。
光の矢が貫いていった額にはぽっかりと穴が空いています。そこから黒い霧を血のように吹き出しながら、仮面は金切り声を上げました。
「戻れ、デビルドラゴン! もう光の矢はない! もう一度、私に取り憑いて、私を魔王にするのだ!」
闇の竜が影の首を伸ばしました。空の上からじっと仮面を見下ろします。何百年もの歳月を生きてきた仮面の怪物は、裏から黒い闇の触手を突き出し、つかみ取ろうとするようにデビルドラゴンへ伸ばします。
竜の影の頭の中に、二つの赤い光が現れました。竜が目を開けたのです――。
とたんに、フルートが駆け出しました。
「そんなことはさせるか!」
と叫びながら剣を振ります。炎の弾が走り、行く手の霧の怪物を消し去ります。
そこを全速力で駆け抜けながら、フルートは仮面の怪物に向かいました。足下にまた禍霧が迫ってきます。暗黒の力は失いましたが、相変わらず、触れた生き物はなんでも溶かす怪物です。
「金の石ノ勇者――!」
「ソウダヨ、これが金の石の勇者ダヨ!」
「捕まえテ、捕まえテ!」
「食べて、願い石をモラオウ!」
ざーっと音を立てて押し寄せてきます。
フルートは地面を蹴りました。禍霧の上を飛び越え、剣を振り上げます。その目の前に浮いているのは、白々とした仮面でした。ぽっかりと開いた眼窩の奥で、黄色い目がぎょろぎょろとフルートを見据えています。
「来るな、金の石の勇者! 来るな――!!」
仮面はわめくばかりで逃げようとしません。以前ポチが気がついたとおり、仮面は動くことが苦手でした。一度大きく移動した後は、しばらくその場から動けなくなってしまうのです。
逃げることもかわすこともできなくて、仮面は金切り声を上げ続けました。
「よせ! 私は魔王だぞ! よせ!! やめろぉ――!!!」
フルートが仮面に剣を振り下ろしました。
カコーン、と仮面は乾いた音を立てました。金切り声がぴたりとやみます。真ん中に一筋の傷が現れ、仮面が左右に分かれて行きます――。
と、仮面がふいに火を吹きました。赤い炎に包まれながら、ゆっくりと落ちていきます。それは、ごく普通の木の仮面が燃えていくようにしか見えませんでした。
おぉっと突然盗賊たちが声を上げました。彼らの顔をおおっていた黒い仮面が、音もなく崩れて、霧となって散っていきます。仮面の魔王が作り上げた魔法の仮面です。主が失われたとたん、存在していられなくなって消滅したのでした。
彼らの周囲で、禍霧がまだ波のように揺れ続けていました。
「金の石ノ勇者!」
「金の石の勇者はドコ?」
「食べたいヨ」
「食べなくチャ」
「食いたいヨ」
「食わなくチャ」
「アレが勇者ダヨ」
「ドレ? わからナイよ」
「いいさ、みんな食べヨウ――ゼンブ一緒に――!!」
仮面が消えて素顔に戻った盗賊たちに、ひとかたまりになっているゼンやメールやオリバンに、剣を振り下ろしたままの恰好でいるフルートに、禍霧はいっせいに襲いかかろうとします。空からはポポロやロキが悲鳴を上げ続けていました。
「逃げて! みんな、逃げて――!!」
すると、フルートは後ろを振り向きました。
暗黒の力が去っても薄黒くよどんでいる霧の海を見つめ、強い声で呼びかけます。
「金の石――!!」
とたんに、霧の海の中から金の光がほとばしりました。澄んだ光が四方八方に広がります。光に押されて、霧がざざぁ……っと激しく波立ちます。
渦巻く霧の真ん中から、一人の人物が姿を現しました。鮮やかな金の髪に金の瞳の小さな少年――金の石の精霊です。禍霧の海を見渡し、その中で今にも襲いかかられそうになっている人間たちを眺めます。
フルートが言いました。
「金の石! みんなを助けてくれ!」
精霊は宙に浮いたまま、ちょっと首をかしげました。皮肉っぽい顔で笑って見せます。
「こっちは、たった今まで闇に力を奪われていたんだけどな。全員助けろって言うのか? 石使いが荒いぞ、フルート」
「頼む!」
とフルートがまた叫びます。
やれやれ、と精霊は肩をすくめました。空でまだ羽ばたきを続けている闇の竜をちらりと見上げ、片手を高く差し上げながら、鋭い声を上げます。
「消え失せろ、霧の怪物、闇の竜! この地から立ち去れ!」
手が振り下ろされたとたん、再び霧の海から金の光がほとばしりました。先の光よりも強い輝きが、爆発するように広がります。あっという間に周囲から禍霧を吹き飛ばし、風と共に散らしていきます。
森の中を風が吹きすぎていった後、一同がまた顔を上げると、そこにはもう霧の海はありませんでした。霧の怪物はどこにも見当たりません。
そして、空からはデビルドラゴンの姿も消えていました。ただ青空に白い雲が浮かんでいるだけです。
メールは目を丸くしました。オリバンの腕から地面に下り立ち、同じように驚いた顔をしているゼンと並んで周囲を見回します。本当に、禍霧はもうどこにもいません。闇の竜と共に消え去ったのです。
ふいに、ゼンはぐっと拳を握りました。それを青空に突き出して大声を上げます。
「やったぁ!! 追っ払ったぞ!!!」
「フルート!」
とメールも叫びます。空からはポポロやロキや犬たちが、同じように賑やかな歓声を上げていました。
フルートは仲間たちを振り向きました。兜をかぶっていない顔は、紅潮して汗にまみれていますが、痛々しい火傷の痕は消えていました。金の石の光が癒したのです。
そして、フルートは、にこりと笑いました。少女のように優しい笑顔がいっぱいに広がりました――。