フルートとゼンとオリバンは霧の蛇のとぐろの中で、必死に戦い続けていました。黒い霧は絶えずとぐろから離れて押し寄せてきます。それを炎の剣と松明の火で追い返しますが、すぐにまた別の方向から押し寄せてきます。
時々、彼らの隙を突くように、巨大な蛇の頭も襲いかかってきました。そのたびにフルートが大きな炎の弾を撃ち出します。もう何発撃ちだしたか、自分でも覚えてはいません。真冬だというのに、フルートは全身も汗まみれになっていました。肩で大きく息をしながら炎を撃ち出し続けます。
その様子にオリバンが眉をひそめました。フルートは疲れてきています。もう余り長くもたないだろう、と見取ったのです。フルートが炎の弾を撃ち出せなくなったら、もう霧の怪物を追い返す手段はありません。オリバンやゼンが持つ松明の火はあまりにちっぽけで、怪物を倒すだけの力はないのです。なんとかしなくては、と焦りますが、なんの手段も思い浮かびません。
すると、彼らの頭上から声がしました。
「フルート! ゼン――!」
ポポロとメールでした。彼らに向かってポチが飛んできます。
「馬鹿、来るな! 危ねぇ!!」
とゼンがどなりました。
近づいてくる風の犬と少女たちへ霧の蛇が襲いかかります。ひと呑みにしようとする巨大な口を、ポチが身をひねってかわしまます。
が、蛇が頭を下ろすと、ポチは再び急降下してきました。フルートたちの元へ舞い下りようとします。また蛇に飛びかかられて空に逃げます。
「やめろ! 食われるぞ!」
とゼンがまたどなりましたが、ポチは三度、急降下の体勢に入りました。それを見てフルートが言います。
「何かしようとしてるんだ……!」
「だが、この状況では」
とオリバンが周囲を見回します。蛇はとぐろをどんどん縮め、霧はもう彼らのすぐそばまで迫っているのです。無事に舞い下りてきても、今度はすぐに地上の霧に捕まってしまいます。
すると、ポチたちよりもさらに高い空からユギルの声が響いてきました。
「殿下――戦棍を! 信号の戦棍をお使いください!」
なに? とオリバンは驚きました。何を言われているのか、とっさにはわかりませんでしたが、次の瞬間、自分が腰のベルトに魔法の戦棍を挟んでいたことを思い出しました。彼らが先発隊として出る際、盗賊の隠れ家に着いたらロムド軍に合図を送るように、とワルラ将軍から手渡された道具です。
オリバンは短い金属の棒をベルトから引き抜きました。短いとげが付いた丸い先端を空に向けます。ただそれだけで、明るい光の弾が飛び出して、しゅるしゅると空高くまで上っていきます。
再びユギルの声が響きました。
「皆様、目をお閉じください!」
とたんに、空の真ん中で光の弾が炸裂しました。真っ白な光が森を照らし出します。まともに見上げていたら、目がくらんでしまうまばゆさです。
信号の光は森の空き地でとぐろを巻く霧の蛇にも降りそそぎました。暗黒の力で強化されている蛇は、まぶしい光にもたじろぎません。逆にそれを呑み込もうと、長い鎌首を光に向かって伸ばしていきます。
その隙に、ポチが空から舞い下りてきました。フルートたちのすぐ頭上までやってきます。
すると、メールが呼びました。
「ゼン!」
ゼンは思わず目を開けました。
光が蛇に呑まれて消えていく中、幻のような白い風の犬から長身の少女が飛び下りてくるところでした。両手を広げ、ためらうこともなくゼンに向かって落ちてきます。
「ば――馬鹿!!」
ゼンは仰天しました。あわててメールを受け止めます――。
メールの体がゼンに抱きとめられました。まるで木の葉か何かのように、軽々と片腕だけで受け止めたのです。そのまま、すくい上げるような動きで自分の肩に載せ、細い足首を押さえます。バランスを崩しかけたメールは、ひゃっと声を上げてゼンの頭にしがみつきました。
「馬鹿! なんで来たんだよ!?」
とゼンはどなりました。信号の光を呑み込んだ霧の蛇が、また鎌首を彼らに向けていました。ポチはポポロだけを乗せてまた空へ舞い上がっています。メールをその背中に戻すことはもうできません。
すると、メールが言いました。
「ポポロから預かってきたものがあるんだ。ちょっと下ろしてよ」
「できるか、馬鹿! 霧に食われるぞ!」
ゼンはさっきからメール相手に馬鹿と言い通しです。いくらメールが騒いでも、絶対に地面に下ろそうとはしません。
「いいから! 早く下ろしとくれよ! で、あんたの手を貸してったら!」
メールは叫び続けました。けれども、ゼンはやっぱり聞き入れません。また飛びかかってきた霧を松明の炎で払いのけます。
「ゼンったら――!」
メールは思わず泣き出しそうになりました。ゼンはメールの足をがっちり押さえています。振り切って飛び下りることは不可能です。
すると、メールがきゅっと唇を一文字に結びました。泣き顔が突然気の強そうな表情に変わります。松明をふるって霧を払い続けるゼンの頭をつかみ直します。
そうして、メールは細い体を折り曲げました。両手で挟んだゼンの顔へかがみ込み、ゼンの唇へ自分の唇を重ねてしまいます。
いきなりメールからキスをされて、ゼンはまた仰天しました。思わず霧を追い払うのも忘れて棒立ちになってしまいます。
メールが重ねた唇をゆっくり離しました。そのまま、深い青い目でゼンを見つめてきます。ゼンは声が出せません。茫然とそれを見返します。
「馬鹿者! そんなことをしている場合か――!?」
オリバンが松明を振りながらどなりました。あきれているような声です。
すると、メールが急に真っ赤になってどなり返しました。
「違うよ! ポポロから預かったものを渡しただけだよ! ゼンったら、手を貸そうとしないからさ――」
ポポロから預かったもの? とゼンがまた驚くと、メールが言いました。
「あんたの両手を見てごらんよ、ゼン」
松明を握り、メールの足首を押さえる自分の手を見て、ゼンは目を丸くしました。肩から手の先まで、腕全体がぼうっと光り出していたのです。淡い緑色の光です。
「ポポロの魔法だよ。聖なる光の力をあんたによこしたんだ。これで魔王を撃ちな。矢が光の矢に変わるってさ」
「なに――!?」
ゼンは声を上げました。次の瞬間には、メールを放り出すように隣のオリバンへ渡していました。
「ちょっと抱いててくれ!」
と言いながら、背中からエルフの弓を下ろし、白い羽根の付いた矢をつがえます。
すると、みるみるその矢が光り始めました。ゼンの腕から光が矢に伝わり、矢全体が淡い緑色に輝き出します。輝きがどんどん強くなっていきます――。
闇の障壁の向こうで白い仮面の魔王が揺れていました。
「いかん」
と一言うなると、声を張り上げます。
「来い、禍霧! 私を守るのだ!」
ざざーっと霧が流れてきました。仮面の魔王の前に黒く寄り集まって壁を作ります。光を食らう闇の怪物で光の矢を防ごうとしたのです。
すると、フルートが魔王をにらみつけました。ものも言わずに剣を振り上げ、思いきり振り下ろします。特大の炎の弾が切っ先から飛び出し、黒い壁に激突して霧を吹き散らします。
「よっしゃぁ!」
ゼンは歓声を上げました。いっぱいに引き絞った矢を放ちます。
矢が緑の光の尾を引きながらまっすぐに飛んでいきました。さえぎる霧はありません。闇の障壁も貫いて、さらに先へ飛びます。そこには白い仮面が浮いていました。
仮面の魔王は矢を避けようと大きく横へ飛びました。すると、矢も向きを変えてそれを追います。エルフの矢は狙ったものを決して外しません。その能力は、ポポロの魔法で光の矢に変わっても、失われてはいなかったのです。
仮面の奥の黄色い目が大きく見開かれました。仮面にはない口から、悲鳴のような声が上がります。
「よせ――よせ、やめろ――!!!」
骨のように白い仮面の額に、光の矢が突き刺さりました。そのまま仮面を貫いて、緑の光に変わります。
とたんに、すさまじい声が上がりました。咆吼です。オォーォオオォォーーーー……と森中を震わせながら響き渡ります。
ルルの背中からロキが空を指さしました。
「見て! デビルドラゴンだ!」
矢に射抜かれた白い仮面から、真っ黒な影のようなものが立ち上り、空の真ん中で巨大な竜の姿に変わったのでした――。