みんな危ないよ! 逃げて! と言うメールとポポロの声に、フルートやオリバンたちは、はっとしました。森の奥から押し寄せるように迫ってくる黒い霧が、怪物たちの向こうに見えていました。
「またあの霧の怪物か」
とオリバンが言いました。禍霧、というのが怪物の名前ですが、彼らはそれを知りません。
「気をつけろ、フルート、ゼン。あいつに捕まると、あっという間に骨も残さず食われてしまうぞ」
「はん。でも、あいつら、オリバンの聖なる剣にはすぐに逃げてったぞ。聖なる武器には弱いんだろ」
とゼンが答えると、フルートが即座に言いました。
「いいから下がれ、ゼン。君は聖なる拳なんか持ってないんだから」
「あ、なんだよ、その言い方!? おまえだって聖なる武器は持ってねえだろうが!」
「炎の剣は闇の敵に効くんだよ。下がれったら」
「ちっくしょう! 本当に、光の矢がここにあれば、闇の敵なんかあっという間に倒してやるのによ!」
ゼンは歯ぎしりして悔しがりながら戦いの最前線から退きました。フルートとオリバンの間にはさまれる形になります。
そこへ、ざわざわと霧が押し寄せてきました。そのあちこちで霧が寄り集まってこぶのように盛り上がり、小さな人や動物の姿になって話し始めます。
「ソコにいるのが金の石の勇者ダヨ。スゴク光ってる。間違いナイ」
「でも、三人もイルよ。ドレが勇者かわからナイね」
「ゼンブ食べようヨ。ドレカは勇者だから、きっと願い石を持ってるヨ」
「そうだね。ワタシはお腹がペコペコだ。たくさん食べたいナ。たくさんたくさん……肉も骨も皮もはらわたも、ナニモかも残さずに、ゼンブ」
子どもが話しているような調子ですが、言っていることがなんとも不気味です。オリバンが聖なる剣を構えて横なぎに切り払うと、剣の圧力に押されたように、ざーっと霧が崩れて下がりました。フルートたちを遠巻きにして小人や動物の姿になり、またぺちゃくちゃとしゃべり始めます。
「イヤダナ。あいつ、聖なる武器を持ってるヨ」
「消滅させられチャウ。逃げヨウか?」
「デモ、お腹減ったヨ」
「願い石もゼッタイほしいヨ」
話し声は、ざわめく水の音のようにも聞こえます。
そこへフルートが剣を振りました。剣の切っ先から炎の弾が飛び出し、霧の真ん中で炸裂します。大きな火の塊が飛び散り、ざざーっとまた霧が大きく退いていきます。
「イヤダ、イヤダ。火が来たヨ」
「火は光を出すよ。キライだよ――」
「あら、風も嫌いじゃないこと?」
とルルが言って舞い下りてきました。霧の海の真ん中でつむじを巻くと、怪物はあおられて、いっそう後ろへ下がりました。
すると、ふいに別の声が話しかけてきました。
「力を貸してやろう、禍霧よ。おまえたちを強くしてやる」
仮面の魔王でした。相変わらず森の中に浮かびながら、黄色い目で霧の怪物を見ています。
少し離れた場所から盗賊の首領が尋ねました。
「何をしやがるつもりだ? 俺たちを巻き添えにするような真似はごめんだぞ」
「おまえたちは大事な協力者だ。手出しさせぬさ。禍霧は夜の闇から生まれた霧だから光に弱い。その闇の力を強めてやろうというのだ。光を呑み込んでしまえるくらいにな」
それを聞いて、首領はにやりとしました。
「なるほど。俺にくれた力を、連中にやろうって言うわけか」
「連中は人間ほど頭は良くない。闇の力を使いこなすとまではいかないが、聖なる武器の力を奪うくらいのことは充分やって見せてくれるだろう」
白い仮面は冷ややかに言うと、目の前に横たわる霧の海に向かって呼びかけました。
「受けよ、禍霧たち! 暗黒の力をその身に宿して、光に勝る闇となるのだ!」
とたんに、黒い霧が激しくざわめき出しました。波立つように表面が揺れ、やがて、その色がゆっくりと濃くなり始めます。闇そのもののように、底なしに深い黒い色です――。
「いけない!」
とユギルが顔色を変えました。腕にロキを抱えたまま空に呼びかけます。
「ルル様! ルル様、おいでください!!」
「え……?」
ルルはとまどいました。その眼下で霧はますます黒くなっていきます。フルートたちとユギルたちのどちらへ飛んでいこうかと一瞬迷ってしまいます。
「お、おい! 霧が近づいて来たぞ!」
とジャックがあわてました。彼らを取り囲んでいた霧が、じりじりと迫り始めたのです。急いで手に持った金の石を差し出しますが、逆に霧はそれに寄ってきます。
「石をお引きください! 霧が光を食い尽くそうとしています!」
とユギルが叫びます。ロキは真っ青になると、声を上げて助けを求めました。
「兄ちゃん! フルート兄ちゃん! 早く来て――!」
けれども、フルートたちも真っ黒な霧の海の中で立ち往生していました。霧がどんどん迫ってきます。それも、今度は聖なる剣を狙って、オリバンの目の前に集まってくるのです。
「やべえ!」
とゼンがどなりました。
「下がれ、オリバン! 襲ってくるぞ!」
言っている目の前で霧が大きく盛り上がり、大きな熊の姿に変わりました。いきなり後足で立ち上がると、そのままざあっと襲いかかってきます。
オリバンは飛びのきながら反射的に剣をふるいました。霧を横なぎにします。
――リーン、という鈴のような音が響きませんでした。霧は消滅することもなく地面にどっと落ちると、そのまま水のように流れ広がります。
オリバンは思わず息を呑みました。聖なる剣の刀身が真っ黒に変わっていたのです。まるで闇に染まってしまったように見えます。
そこへまた禍霧が襲いかかってきました。今度はオリバンの方を狙っています。オリバンはまた切り払いましたが、剣は霧の中を突き抜けていきました。ダメージを与えることができません――。
「オリバン!」
フルートが飛び出しました。オリバンの隣で剣を振ります。炎の弾が破裂したとたん、霧がばっとオリバンの前から消えました。爆風に吹き散らされたのです。ちりぢりになった先でまた寄り集まり、今度は黒い大蛇になります。
「聖なる剣が使えん! 霧に力を奪われた!」
とオリバンが叫びました。霧は彼らの周りで渦を巻き、大蛇のとぐろに変わっていきます。
すると、周囲の森が急に崩れるように消え始めました。蛇に変わった霧が木々を溶かし始めたのです。あっという間にフルートたちの周囲が拓け、彼らは黒い霧に充たされた空き地にぽつんと固まるだけになりました。
「兄ちゃん! 兄ちゃん!」
ロキが助けを求め続けています。今にも泣き出しそうな恐怖の声です。けれども、彼らは助けに駆けつけることができません。霧の蛇が彼らのまわりでとぐろを狭めていきます。
フルートは剣を握りしめて呼びました。
「金の石――!」
その声に応えるように、ジャックの持つ金の石が輝きを増しました。闇の霧を澄んだ光で照らします。
とたんに、ユギルが片手をロキから離しました。ジャックの手から金の石を払い飛ばしてしまいます。ロキが下に落ちそうになって、悲鳴を上げてユギルの首にしがみつきます。
ペンダントが地面に転がりました。
すると、ジャックの目の前にそそり立っていた黒い霧が、大きくねじれてペンダントの後を追っていきました。雪崩のような勢いで金の石をたたき付けます。ジャックが持ったままでいれば、間違いなく一緒に霧に襲われたところでした。
彼らの目の前で、金の石が輝きを失い、灰色の石ころに変わっていきました。彼らの足下に黒い霧が押し寄せてきます。
絶体絶命の中、彼らは一歩も動くことができなくなっていました――。