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第9巻「仮面の盗賊団の戦い」

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68.霧の海

 「ポポロ。ポポロ、しっかりしなよ」

 メールの声に呼びかけられてポポロは正気に返りました。目を開けたとたん、全身に痛みが走って悲鳴を上げてしまいます。

「ワン、大丈夫ですか?」

 とポチがポポロの下から尋ねてきました。ポチは風の犬の姿でまだ地面の上にいました。

「あ……あたし……?」

 ポポロは体の痛みに顔をしかめながら尋ねました。何がどうしたのか、すぐには思い出せません。

 すると、メールがちょっと肩をすくめるようにして答えました。

「あんたとルルは魔王の魔弾を食らっちゃったんだよ。空から落っこちたところをゼンに受け止められたのさ。でも、その服が魔弾を防いだらしいね」

 言われてポポロは自分の服を見ました。灰色のズボンに革の胴衣という恰好をしていたはずなのに、いつの間にか星のようにきらめく黒い長衣に変わっていました。星空の衣の本来の姿です。着ている者を魔法から守る力があるのですが、不思議なことに、その上にはおったコートにも魔弾が当たった痕はまったく残っていませんでした。

「あんたのお母さんが縫ってくれたそのコート、すごい防御力を持ってるんだってさ。一針一針に強い愛情と守りの想いが込められているんだって。ユギルさんが話してたよ」

 とメールが教えてくれます。ポポロはコートを抱きしめて、お母さん……とつぶやき、すぐにはっとしました。

「ルル! ルルは――!? 一緒に魔弾に当たったって言ったわよね!?」

「ワン、それも大丈夫。ユギルさんが金の石のところへ連れていってくれましたよ」

 とポチが行く手を示して見せます。ちょうど、怪我が治ったルルが風の犬になって空に舞い上がったところでした。ジャックが、ロキやユギルと一緒にそれを見送っています。その顔にもう黒い仮面はありません。ロキも魔王から解放されていました。

 

 良かった、とポポロは胸をなで下ろしました。一番危険な場面は過ぎ去ったのです。フルートは相変わらずたくさんの怪物に取り囲まれていましたが、そこへゼンとオリバンが駆けつけていました。互いに呼び合いながら、また一カ所に集まって、襲いかかる怪物を片端から倒していきます。そこへルルも飛んでいって、風の刃で怪物を切り裂きます――。

「ずいぶん怪物が減ったね」

 とメールが言いました。

「金の石が手元になくても、フルートたちだけでなんとかなりそうじゃないのさ。あとは盗賊どもと、あの仮面の魔王だね」

「ワン。でも、あの魔王、あまり自由に動けないみたいですよ。さっきから観察してたんだけど、一カ所からほとんど動かないんです。きっと、動くのがあまり得意じゃないんだ。それで人の顔に貼り付いていたんですよ」

「花があればなぁ。魔王をあそこからたたき落としてやるのに」

 と花使いの姫は悔しがりました。冬の森の中には冷たい風が吹くだけです。メールに操れる花は咲いていませんでした。

 

 その時、ふいにポポロが、ぶるっと身震いしました。急に寒気がしたのです。風が冷たかったせいではありません。森の奥からひどく暗い気配が伝わってきます。

 ポポロは思わずメールにしがみつきました。

「来る……何か来るわ……」

「何かって?」

 メールとポチは同時に聞き返しました。ポポロは首を振りました。

「わからない。見えないの……。見えないんだけど……なんだかこう、霧みたいな暗いものが……」

 すると、本当に森の奥から黒い霧のようなものが流れてきました。地面の上を這うように、ひたひたとこちらへ向かってきます。

 それを見たとたん、ポポロは今度はポチに飛びつきました。

「飛んで、ポチ! 早く飛んで!」

 メールとポチも目を丸くしました。

「ちょっと、あれって――」

「ワン、ぼくらが闇の結界から戻ってきた時、オリバンたちを囲んでいた霧の怪物ですよ!」

 生き物に押し寄せ、黒い霧の体に包み込んで食べてしまう闇の怪物です。金の石の勇者の気配を察して、またざわざわと森の奥から這い出してきたのでした。

 ポチはポポロとメールを乗せたまま、大あわてで空に飛び上がりました。すぐにその下に霧の怪物が流れてきます。水のように地面の上を走り、行く手にかたまる人々へ向かっていきます。

「みんな、危ないよ!」

「逃げて――!」

 少女たちは空から必死に叫びました。

 

 少女たちが騒ぎ始めるより早く、銀髪の占い師は森の奥へじっと目を向けていました。

「またあの怪物ですね……」

 とつぶやくように言うと、そばにいる二人へ呼びかけました。

「こちらへ、ジャック殿、ロキ殿。わたくしのすぐそばにお立ちください」

 ジャックは、殿、などと呼ばれたのは初めての経験だったので、目をまん丸にしました。意味はわかりませんが、とにかく、言われたとおりユギルのすぐ隣に立ちます。

 ロキも急いで立ち上がりましたが、とたんにまた目まいがして倒れそうになりました。すると、今度はそれをユギルが捕まえました。あっという間に、その細い腕で抱き上げてしまいます。

「ユ――ユギルさん――!?」

 ロキは仰天しました。なんだか今にも取り落とされそうな気がして、あわててユギルの首にしがみついてしまいます。

「落としませんよ」

 とユギルが言いました。珍しく、笑うような口調になっています。

「ただ、暴れないようにお願いいたします。金の石は弱っております。守れる範囲は非常に狭くなっておりますので」

 

 そこへ、森の奥から黒い霧のようなものが流れ出してきました。ざわざわと水のような音を立てながら押し寄せてきます。ひっ、とロキは息を呑みました。

「か――禍霧(かむ)だ! 闇の怪物なんだよ! 食われちゃう!」

 なに!? とジャックも仰天しました。飛びのこうとすると、とたんにユギルに叱られました。

「そのままで、ジャック殿! 大丈夫です。金の石が守ってくれます」

 黒い霧があっという間にやってきました。あたり一面が黒い霧の海に変わります。

 けれども、ジャックとユギルの足下だけには地面が見えていました。彼らの周囲にだけ霧がやってこないのです。直径わずか一メートルほどのささやかな範囲でした。

 ロキは必死でユギルにしがみつき続けました。

「ほ、ほんとに落とさないでよ、ユギルさん――! こいつらはやばいんだ。ものすごく貪欲だから、闇の生き物だってなんだって見境なく襲って食っちゃうんだから!」

「大丈夫です」

 とユギルはまた穏やかに答えました。本当に霧は彼らの足下だけには絶対にやってきません。金の石が守っているのです。それでも、霧の恐ろしさを知るロキは震え続けていました。

 

 すると、そんなロキを見て、ユギルがちょっと笑いました。ロキはたちまち顔を真っ赤にしました。

「な――なんだよ! 笑うな!」

 これは失礼、とユギルはすぐに謝ると、静かな口調で話し続けました。

「ロキ殿がおかしかったのではありません。昔を思い出して、懐かしくなっただけなのです。ロキ殿のような小さな子どもたちと一緒に暮らしていたことがございますので。……親のない子どもたちでした」

 ロキは目を丸くしました。

「孤児院かなんかかい?」

「いいえ。貧民窟――と言って、ロキ殿におわかりになるでしょうか? 最下層の人間たちが寄り集まって暮らす場所です。わたくしはそこで不良少年たちのリーダーをしておりました。もう十年以上も前のことです」

 これには今度はジャックが驚きました。不良少年のリーダーだったのはジャックも同じです。しかも、貧民街の不良たちとくれば、ジャックたちなど足下にも及ばないほどの悪揃いのはずです。思わずまじまじとユギルを見つめてしまいます。長い銀の髪の占い師は、落ち着いた様子で立ち続けていました。上品で優美な姿からは、そんな過去は微塵も感じられません……。

 すると、ユギルがほほえむ目のままでジャックを見つめかえしました。

「どんな生き方をしてきたとしても、人は未来へ向かって生き続けます。過去はどうであっても、これから変わっていくことができる、とはお考えになれませんか? わたくしの占いの中で、ジャック殿を表す象徴は折れた剣です。確かにジャック殿には心折られるような経験がおありなのでしょう。ですが、折れても剣は剣です。それを手に他の方々を守ることはできましょう」

 占い師のことばは、具体的なようでどこか抽象的です。とまどって立ちつくすジャックの頭の中に、ただ一つのことばだけが繰り返し響いていました。

 過去はどうであっても、これから変わっていくことができるのではありませんか、と――。

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