朝食をすませると、フルートたちはさっそく出発の準備に取りかかりました。装備を整え、武器を点検し、食料や必要なものを補給して、さらに馬の準備をします。メールとポポロは自分たちの馬をロムド軍に預け、代わりに軍馬を貸してもらいました。ゴマザメとクレラを実戦に連れていくのは無理だったからです。
「メール様はこれをお持ちください」
とユギルが馬上のメールに手渡してきたのは槍でした。二メートル近くある長い樫の棒の端に、鋭い金属の穂先が光っています。細身の少女には不似合いなほど本格的な武器です。
「おい。おまえ、そんなもん使えんのかよ」
とゼンがあきれると、メールがにやっと笑いました。馬にまたがったまま、両手で槍をくるくるっと水車のように回し、次の瞬間、馬の前に立っていたゼンに、びしりと穂先を突きつけます。ゼンは思わずその場から動けなくなりました。
ふふん、とメールが得意そうにまた笑いました。
「父上の親衛隊長のギルマンに教わったんだよ。海では剣より槍や銛(もり)の方が戦いやすいからね。筋がいい、ってギルマンにも誉められたんだから」
さすがは渦王の鬼姫でした。
オリバンはワルラ将軍と最後の打ち合わせをしていました。
将軍が短い金属の棒を差し出して言います。
「これは戦棍(せんこん)ですが、戦闘用ではございません。合図のための魔法の道具です。先端を空へ向ければ、上空へ信号の光が撃ち出されて、数キロ先からでも見ることができます。盗賊の隠れ家に着いたら、これでお知らせください。我々はそちらをめざして突撃を開始いたします」
「わかった。将軍たちも注意して来い」
とオリバンは戦棍を受けとりました。剣を下げる腰のベルトに挟み込みます。
フルートがコリンの鞍にまたがろうとしていると、そこへポポロが来ました。いつものコートの下は、また革の胴衣姿になっています。ポポロの戦闘服です。
フルートは振り向いて目を丸くしました。ポポロが驚くほど真剣な表情をしていたからです。
「なに?」
と尋ねると、ポポロが言いました。
「約束を忘れないでね、フルート……。絶対に、自分だけが犠牲になるような戦い方はしないで……。あたしたちもいるから。必ず、一緒に戦うから」
緑の瞳が食い入るようにフルートを見つめてきます。そのひたむきさに、フルートは思わず胸がいっぱいになりました。また声が出なくなってしまって、ただ、黙ってうなずき返します――。
「ワン、ロキは? どこだろう?」
ポチがあたりをきょろきょろ見回して言いました。仲間たちは皆、出発の準備を整えて、次々馬にまたがっているに、ロキだけがまだ姿を現さなかったのです。
「やぁね。あんなに一緒に行くって言い張ってたのに、いざ出発になったら臆病風に吹かれちゃったわけ?」
とルルがあきれたように言います。
「ワン、そんなはずはないですよ。どうしたんだろう? どこ行っちゃったのかなぁ?」
ポチがさらに探し回っていると、森の奥から小柄な少年が出てきました。黒い服の上に灰色の毛皮の上着を着込んで、さらに短いマントをはおったロキです。皆が集まっているのを見て、あわてて駆け寄ってきます。
「こら、おいらを置いてくな!」
「遅いぞ! どこに行ってたんだよ!?」
とゼンが黒星の上からどなります。
ロキはメールに手を引っ張ってもらって、メールの馬の後ろに乗りながら言いました。
「仮面を探してたんだよ。ほら、黒い霧みたいな怪物に殺された盗賊が、仮面を残してただろ? あれを拾いに行ってたんだ」
「なんだよ。おまえ、ここでもやっぱり戦場泥棒やろうってのか?」
「違うったら! 兄ちゃんたちがあの仮面をつけたら、盗賊のふりして隠れ家に忍び込めるんじゃないかと思ったんだよ。でも、いくら探してもなかったんだよな」
「ふぅん? 誰かが拾っちゃったのかな?」
とメールが言うと、ワルラ将軍が答えました。
「いや、昨日の戦闘の後、兵たちに盗賊の死体の確認と収容をさせたのだが、どの死体からも仮面はなくなっていたのです。逃げていく際に、仲間の盗賊たちが集めていったようですな」
「仮面を集めていった――?」
フルートが思わず考え込みました。刺客や強盗が自分たちの正体を隠すために、死んだ仲間を運んでいくことはよくありますし、それができないときには、死体の顔をつぶしていく、という話も聞いたことがあります。ところが、この盗賊団は、逆に仮面を外して仲間の顔を明らかにしていったのです。なんとなく、納得がいかないような気もします。
「あの仮面、そんなに高価なものだったのかなぁ。だったら、もっと早く拾っておくんだった」
とロキが残念そうに言ったので、ゼンがロキの頭を小突きました。
「だから、そういうのを戦場泥棒って言うんだ! 一度死んで懲りてねえのか? いい加減にしろ!」
「ったぁ! やめろよ、ゼン兄ちゃん! 本当に乱暴なんだからなぁ!」
とロキが文句を言います。
「それでは出発いたします」
とユギルがオリバンや少年少女たちを振り向いて言いました。全員が馬に乗っていますし、ポチとルルも、それぞれフルートとポポロの馬上の籠に入っています。
「くれぐれもお気をつけて」
とワルラ将軍が言いました。副官のガストとジャックの隊の小隊長が後ろで頭を下げます。
フルートは小隊長に向かってうなずいて見せました。
「必ずジャックを助け出してきます」
穏やかな口調ですが、その中に強い響きがあります。誰にも動かせなくなる、あの固い決意の声です。それを受けるように、オリバンが言いました。
「行こう」
ユギルの馬が動き出し、それに仲間たちが続きました。六頭の馬が一列になって森を駆け出し、やがて馬上の人々と共に木立の中に見えなくなっていきます。蹄の音が遠ざかって、やがて聞こえなくなります。
それを最後まで見送ってから、ワルラ将軍は部下たちを振り向きました。
「では、我々も準備を開始するぞ。明朝、仮面の盗賊団の隠れ家へ総攻撃をかける。全軍にそう伝えろ」
「了解!」
ガスト副官と小隊長が敬礼をして駆け出します。
一人きりになっても、ワルラ将軍はその場に立ち続けていました。濃紺の鎧の前で太い腕を組み、雪のように白くなった眉の下から、勇者たちの去った方角を見つめ続けます。
将軍の胸には言いようのない不安が渦巻いていました。これは、間違いなく罠なのです。敵は人質を使って金の石の勇者を先頭に引っ張り出そうとしています。仮面の盗賊たちが勇者の一行を待ち伏せていることでしょう。
けれども、彼らはそれを承知の上で出発しました。自分たちが襲撃されることも、命がけの乱戦が起きるだろうということも、すべて覚悟しながら。たった一人の青年の命を救うために。
「正義の戦士たちに、武運あれ――」
と老将軍は低く祈りました。