フルートは薄闇が漂い始めた森を一人で歩き続けました。
森の中ではロムド兵が小隊ごとに火を起こし、食後の歓談をしています。暗い森の中にたき火が明るく見えています。その間をフルートが歩いていくと、あちこちから声をかけられました。
「これは金の石の勇者殿」
「こんな時間にどちらへ? 一緒に火に当たりませんか?」
「お話が伺いたかったんですよ。ぜひどうぞ」
兵士たちは皆フルートよりずっと年上の男ばかりです。戦士だけあって背丈も体格も立派な者が多いのですが、小柄で少女のような顔をしたフルートに向かって、本当に丁寧に話しかけてきます。ロムド兵たちは、フルートたちが怪物や盗賊相手に勇敢に戦い、撃退した様子を目の当たりにしています。さらに、戦闘の後に怪我人を癒し、森の火事も防いで大活躍する様子も見ています。自然とフルートに敬意を払う口調になっているのでした。
フルートは穏やかな笑顔でそれを丁重に断り、先へ歩き続けました。人のいない場所を探し続けます。
すると、その目の前に若いロムド兵が現れました。ふてぶてしい顔つきをした大柄な青年です。フルートのよく知っている人物でした。
「ジャック」
とフルートは笑顔になりました。
「良かった、無事だったんだね。戦闘の後、姿が見当たらなかったから心配してたんだ。怪我はしてない?」
「どこもなんともねえよ。俺は後方支援だったからな。盗賊とは直接戦わなかったし、怪物もこっちまでは来なかったんだ」
とジャックが答えました。なぜだか不機嫌そうな声です。フルートはちょっと首をかしげてから、すぐに片手を上げました。
「ごめん、ちょっと今は急ぐんだ。また後でね」
とその場を立ち去ろうとします。
すると、ジャックがさらにぶっきらぼうな声になって言いました。
「金の石の勇者様はご多忙か? 勇敢で立派な英雄だもんな。俺みたいな下っ端の兵卒なんか相手にもしてられねえだろ」
「ジャック?」
ことばの端々に潜むとげに、フルートは目を丸くしました。なぜジャックがこんなに不機嫌でいるのか、理由がわかりません。
けれども、ジャックは背中を向けると、肩を怒らせたまま離れていきました。もう一言も口をききませんでした。
やがて、フルートは森の中の切れ間に出ました。やっと人のいない場所を見つけたのです。そこは、怪物のテナガアシナガが燃えた場所のすぐ近くでした。類焼を防ぐために木を切り倒した跡が空き地になっていて、その先の森は黒こげになっていました。夜の色に変わってきた空の下で、炭になった木々がまだ白い煙を上げ、幹の奥で赤いおき火を光らせています。
フルートは自分の鎧の内側からペンダントを引き出しました。金の透かし彫りに囲まれた石を手に載せて呼びかけます。
「精霊……金の石の精霊」
すると、フルートの目の前に金の光がわき起こって、その中から小さな少年が姿を現しました。黄金の髪と瞳の精霊です。フルートは、人目を嫌う精霊のために、誰もいない場所を探していたのでした。
「なにさ、フルート」
と金の石の精霊がいつもの調子で言います。フルートは答えました。
「話があるんだ。魔王やデビルドラゴンのことなんだけど――」
「倒すのが大変だから願い石に頼みに行こう、っていう話なら断るぞ」
と精霊がさえぎるように言ったので、フルートはまた目を丸くしました。
「違うよ! だいたい、どうして今、そんなことを頼まなくちゃいけないのさ!? ……そうじゃなくて、魔王が誰かを君に聞きたかったんだよ。君はあの盗賊の首領も見たわけだし、あいつの正体が何なのかわかったんじゃないかと思ったんだ」
「ああ、それならわからない」
あっさりと精霊が言い切ったので、フルートはまたびっくりしました。その顔を見て、精霊は肩をすくめます。
「魔王が魔王として登場すれば、さすがにわかるけれどね。人間のふりをして現れたら、ぼくにはそれを見抜くことはできないよ。そもそも、デビルドラゴンは人の心の闇に棲みつく怪物だ。闇の心は人間なら誰でも持っているものだから、どの闇の心に闇の竜がいるかまでは、ぼくにはわからないんだよ。――とはいえ」
と精霊はフルートの手の上にある自分の本体を指さしました。
「ぼくが出した聖なる光を、盗賊の首領は平気で浴びていた。もし、デビルドラゴンに取り憑かれて魔王になっていたら、絶対に溶けて、元の人間の姿に戻ったはずだ。そこから考えれば、盗賊の首領は魔王じゃない、ということになる」
それは、以前闇の結界の中でフルートが考えたことと同じでした。フルートは食い下がりました。
「でも、それじゃ、魔王はどこにいるんだろう? あの首領は強力な闇を操るぞ。宙に浮かぶし、闇の結界まで作り出す。まるで魔王みたいだよね。なのに魔王じゃないんだとしたら、きっと本物の魔王はすぐそばにいるはずなんだ」
「闇の中にいるのかもしれないな」
と精霊は言いました。
「あの首領のすぐそばの闇に身を潜めているのかもしれない。――その闇がどれか、というのが問題なんだけれど」
フルートと精霊は考え込んでしまいました。
森の切れ間の上に空が広がっていました。日が暮れて、すっかり夜の色になった中、雲におおわれた空がわずかに赤く光って見えます。森でまだ燃え続けている炎の光が、雲に映っているのです。なんだかまた雪が降り出しそうな、厚くけむった雲でした。星は一つも見えません。
すると、フルートの隣から金の石の精霊が黙って姿を消しました。いきなりのことにフルートが驚いていると、森の中から誰かが近づいて、話しかけてきました。
「フルート……」
あ、とフルートは振り向きました。ポポロだったのです。
ポポロはいつものコートを着て、たった一人で立っていました。戦闘が終わったので、コートの下は赤いスカートに変わっています。
「今、一緒にいたのは金の石の精霊よね? 何を話していたの……?」
ポポロはとても心配そうな顔をしていました。緑の瞳は大きくうるんで、今にも泣き出しそうです。フルートは思わず苦笑しました。
「大したことじゃないよ。今回の魔王は何者でどこにいるんだろう、って精霊と話していたんだ」
「そう」
ポポロが今度はあからさまにほっとしたので、フルートはまた苦笑しました。ポポロは魔法使いの目が使えます。フルートが一人で陣営を抜け出してこんな場所に来たので、心配して後を追ってきたのでした。
「大丈夫だよ」
とフルートは言いました。
「もう願い石を呼び出したりなんかしないから。魔王もデビルドラゴンも、絶対に君たちと一緒に倒す。それは約束するから」
夜の暗がりの中、空の雲が放つ赤い光がぼんやりと少年と少女を照らします。その中で、フルートはほほえんでいました。見つめ続けるポポロを安心させるようにうなずいて見せます。
すると、少女が口を開きました。
「それじゃ、もう一つ約束をして、フルート――。無茶な戦い方もしない、って。自分を囮(おとり)にして敵を惹きつけるような真似はしないでほしいの」
フルートはちょっと面食らいました。いつもおとなしいポポロには意外なほど、強く真剣な口調だったのです。ポポロ? と聞き返すと、少女は話し続けました。
「闇の結界の中で、フルートがポチの背中から飛び下りて、闇の怪物たちに『金の石の勇者はぼくだ。願い石はここだぞ』って言った時、あたし、心臓が停まるかと思ったわ……。あたしたちをガーゴイルから守ろうとしたのはわかるけど……でも、フルート……それって、願い石に光を願うことと同じなのよ。自分を捨てて、みんなを守ろうとしているんですもの……。お願い、何もかも一人で背負い込んでしまおうとしないで。みんな一緒にいるのよ。みんな、フルートと一緒に戦ってるの。あたし――あたしは、一日に二回しか魔法が使えないし、コントロールも悪いから、あんまり頼りにならないかもしれないけど……でも、あたしだって、一緒に戦っているのよ……」
大きく見張った少女の瞳には、もう涙がいっぱいにたまっていました。それでも、必死で言い続けます。
「約束して、フルート。絶対に自分だけで戦わない、って。あたしたちを守ろうとするように、自分自身のことも守る、って。そうしなかったら、いつか必ず願い石はフルートを捕まえるわ。フルートはきっと、みんなのために光になるって願ってしまう……。行っちゃ嫌なの。絶対に、行ってしまっては嫌。だから、お願いよ、フルート。約束して……」
いつの間にか、フルートの両手はポポロの華奢な手にしっかり握りしめられていました。宝石のような緑の瞳から、ついに涙がこぼれ出します。大粒のしずくが、次々と頬を伝っていきます。
フルートは、とまどい、どうしようもないほど胸を震わせていました。ポポロが自分に寄せてくれる気持ちが嬉しくて、なんだか泣きたいくらいです。想いが乱れあふれて、ことばにすることができません。
ポポロは泣きながらフルートを見つめ続けていました。フルートが約束してくれるのを待っています。
けれども、やっぱりフルートは何も言えませんでした。何か、気のきいたことをすることもできません。ただ、少女に向かって黙ってうなずきました。それが、フルートにできる、精一杯の返事でした――。