ジャック? と天幕から出てきた人々は驚きました。目の前で警備兵に抑え込まれている若い兵士を眺めます。
フルートがあわてて前に出ました。
「ま――待ってください! 彼は怪しい人間じゃないです! ぼくの知り合いです!」
言いながら大急ぎで金の兜を脱ぎます。その顔を見て、若い兵士が声を上げました。
「フルート! やっぱりフルートなのか――!」
フルートやポチに負けないくらい、あっけにとられた声でした。
オリバンが近づいてきました。
「この顔はどこかで見たことがあるな?」
とジャックをのぞき込みます。ジャックがぽかんとそれを見返すと、たちまち警備兵たちにどなられました。
「無礼者! こちらにいらっしゃるお方がわからんのか!? オリバン殿下であらせられるぞ!」
オリバン殿下? とジャックはさらに目を丸くし――突然その正体に気がついて飛び起きました。警備兵たちを跳ね飛ばすようにして大きくのけぞり、尻餅をついてしまいます。
「こここ――皇太子殿下――!!?」
そう言ったきり、ことばが続けられなくなってしまいます。
その様子を見てゼンが言いました。
「こういう場面のたんびに思うんだけどよぉ。皇太子ってのはつくづく偉いもんなんだな、オリバン。みんな、面白いように仰天してくれるじゃねえか」
「おかしいか? 私はこれでもこの国の王子だぞ」
とオリバンが大真面目に答えます。
「でもよぉ、王子だろうがなんだろうが、手は二本だし足も二本だし、飯を食ったり寝たりするのもみんなと同じじゃねえか。俺にはオリバンもフルートも他の連中もまったく同じに見えるぞ」
自分たちの王を持たず、どんなに偉い相手にも敬意を払うということを知らないドワーフらしいもの言いです。オリバンも、ただちょっと笑い返しただけで、腹を立てた様子はありませんでした。
フルートが言いました。
「オリバン、彼はジャック。シルの町の出身で、ぼくと同じ学校に通っていました。去年の夏に卒業してロムド軍に入隊したんです」
ああ、とオリバンはうなずきました。願い石の戦いの時、過去を映す「時の鏡」で見た、シルの悪童の顔だと思い出したのです。彼は、他の少年たちの先頭に立って、小柄でおとなしいフルートをいじめ抜いていました……。
けれども、フルートはまったく屈託なくジャックを振り返りました。
「入隊してここに配属されていたんだね。まさか、こんなところで会えるとは思わなかったなぁ。どうしてぼくがいるってわかったの?」
「部隊中がおまえらの噂でもちきりになってるぞ。金の石の勇者とその仲間たちが訪ねてきたってな――」
とジャックが答えました。フルートは平気な顔をしているのに、ジャックの方が憮然としているのが、なんとも対照的でした。なおも確かめるように、フルートの顔を見つめ続けます。
フルートは、くすりと笑いました。
「本物かどうか確かめに来たんだね。――オリバン、ワルラ将軍、彼は本当に怪しい人間じゃありません。放してあげてください」
皇太子だけでなく、軍の最高司令官であるワルラ将軍にまで平気で声をかけるフルートに、ジャックはまた目を見張って驚きました。雲の上のような人々の前だというのに、思わずまた声を上げてしまいます。
「フルート! 皇太子殿下や将軍にそんなになれなれしく話しかけるなんて、どういうつもりだよ、いったい!?」
え? とフルートはきょとんとしました。
「どういうって……だって、ワルラ将軍にはずっとお世話になってるし、オリバンは友だちだよ」
「と――友だち――!?」
皇太子をあっさり友人と言ってのけるフルートに、ジャックは開いた口がふさがりません。
その様子に、とうとうゼンが吹き出しました。
「フルート、おまえ、シルで自分のことを全然しゃべってなかったな? 相変わらずだなぁ」
「ワン、フルートは奥ゆかしいんですよ」
とポチが笑いながら答えると、メールが肩をすくめます。
「奥ゆかしいにもほどがあるんじゃない? ま、フルートらしいと言えばフルートらしいけどさぁ」
オリバンがまたジャックをのぞき込みました。ジャックは人より大柄ですが、ロムドの皇太子はそれよりさらに体が大きくて、前に立たれると圧倒されてしまいます。ジャックは青ざめ、声もなくそれを見上げ続けました。立ち上がることができません。腰が抜けていたのです。
ふむ、とオリバンは言いました。
「今さら私が心配することでもないか。……フルート、この者をどうしたい?」
「少し二人だけで話をさせてください。半年ぶりなんです」
とフルートが笑顔で答えます。本当に、まったく屈託がありません。フルートがジャックにいじめられていたのは、もう遠い昔のことなのです。
オリバンはうなずきました。
「我々は仮面の盗賊団を探す。見つかるまでには少し時間がかかるだろう。その間、おまえたちは休んでいるといい」
と言い残し、ユギルと一緒に天幕に戻っていきます。ワルラ将軍は、警備兵にジャックを放すように言い、勇者たちの休憩所を準備するようにと周りの者たちに命じました。人々がいっせいにまた動き出します。
「そら、行くぞ。あっちでみんな飯を食ってらぁ。俺たちもわけてもらおうぜ」
とゼンがフルート以外の仲間たちに呼びかけました。
「え、でも、今将軍があたいたちの食事も準備するって言ってくれたじゃないか」
とメールが言うと、ゼンが言い返しました。
「そんなもん待ってられるか。俺は腹ぺこなんだ。いいから行こうぜ」
でも……となんとなく渋る仲間たちを、強引に野営地の真ん中へ引っ張っていってしまいます。
フルートは笑顔でそれを見送りました。ゼンがわざと仲間たちをその場から連れ出してくれたのだとわかったのです。遠ざかりながらゼンが話す声が聞こえてきます。
「大丈夫だって。――だぞ。今さらあんなヤツにどうこうされるもんか――」
ワンワン、とポチもほえて言っていました。
「――はもう――ですよ。心配ありません――」
警備兵がまた警護を始め、ワルラ将軍も天幕に戻って、周囲に人がいなくなると、ジャックはようやく生き返ったような顔つきになりました。驚きのあまり立てなくなっていた足腰にも、少しずつ力が戻ってきます。ジャックは地面の上に座り直して、大きな溜息をつきました。まったく、と頭を抱え込んでしまいます。
「おまえ……こんなに偉いヤツになっていたなら、ちゃんとそう言えよ。驚かせやがって……。皇太子殿下からにらまれたときには息が止まるかと思ったぞ」
「偉いのはぼくじゃないさ。オリバンや将軍やユギルさんたちが偉いんだよ」
とフルートがあっさりと答えます。ジャックは思いきり顔をしかめました。
「謙遜もそこまでくると嫌みだぞ。ホントにやな野郎だな、おまえは」
苦々しい声でしたが、フルートはますますきょとんとするだけでした。謙遜しているつもりさえなかったのです。なんでもよくわかっているようで、肝心の自分自身が全然見えていないのがフルートでした。
そんなフルートをジャックは憮然と眺め続けました。ロムドの国民なら知らない者はないというほどの英雄のフルートですが、当の本人は少しも偉ぶらないし穏やかです。ただの新米兵卒の自分にも、皇太子と同じような調子で接します。こんなヤツだからみんなから好かれるんだよな、とジャックは考えました。町の鼻つまみだった自分と違って、フルートを悪く言う人間は誰もいません。シルの町には、フルートに想いを寄せる女の子たちも大勢いました。彼らの幼なじみのリサでさえ――。
突然、ジャックの胸の内に苦いものがいっぱいに広がりました。ジャックは入隊する前にリサに告白をして、思いきりふられたのです。リサはひそかにフルートが好きでいました。ただ、フルートより年上なのを気にして、何も言わずにいたのです……。
ジャックはためらい、フルートの顔を盗み見るようにしながら尋ねました。
「その……リサは何か言ってたか? おまえによ」
「リサ?」
とフルートは目を丸くしました。なぜここでその名前が出てきたのか見当がつかなかったのです。
「別に。ぼくはずっとシルの町を離れてたし。年末に一度家に戻ったけど、すぐまた旅に出たから、町の人には誰にも会わなかったしね」
ふぅん、とジャックはつぶやきました。本当にわけのわからない顔をしているフルートの隣に、気の強そうな美人になったリサを並べて思い浮かべてしまいます――。
夜が明けた野営地の中は賑やかでした。森の中に三々五々兵士たちが集まり、火をおこして朝食にしています。冷え切った森の中にいい匂いが漂っています。
そんな中に混じって、ゼンやメールたちも一緒に食事をしていました。揃いの銀の鎧の中、彼らの姿はとても目立ちます。若い兵士たちが女の子たちに親しげに話しかけています。
いつの間にかそちらをじっと見ていたフルートに、ジャックがまた尋ねました。
「で――おまえたちは何しにここに来たんだよ? 国王陛下から盗賊団を一緒に退治するように言われてきたのか?」
とワルラ将軍と同じことを言います。突然野営地に金の石の勇者の一行が現れたので、誰もがそんなふうに考えたのでした。
ううん、とフルートは首を振りました。
「ぼくたちは人を助けに来たんだよ。ぼくたちの友だちが盗賊にさらわれたんだ。大切な友だちだ――。何があっても、絶対に彼を助けなくちゃいけないんだよ」
きっぱりとそう言い切ったフルートは、今までとまったく違う顔になっていました。いきなり表情が変わったのです。少女のように優しい顔が、怖いほどに厳しい戦士の顔つきになっています。
そのまま、鋭い視線を森の彼方へ向けたフルートを、ジャックは面食らって眺めてしまいました。