老将軍は野営地のはずれに立っていました。
針葉樹の目立つ森の中、兵士たちのテントがそこここに並んでいます。まだ夜明け前なので、見張り以外の人の姿はありません。兵士たちはテントの中で残りわずかな眠りをむさぼっています。
森に雪はありませんでした。夜明けが近づくにつれて、空気が痛いほど冷え切り、木々の枝や枯れ草を真っ白い霜で包んでいきます。濃紺の鎧を身につけた老将軍の体にも、しんしんと寒さはしみ込みます。
けれども、将軍は動きませんでした。老いてもたくましい体で腕を組み、今は兜をかぶっていない頭を、じっと森の彼方へ向けています。明るくなってきた空の光が、雪白の髪とひげを照らし出します。
すると、凍りついた森の中から蹄の音が聞こえ始めました。数頭の馬がこちらに向かってやってきます。老将軍はなおも待ち続けました。その隣にいつの間にか副官がやってきて、一緒に馬を待ちます。何ごとかあれば即座に上官を守ろうと、腰の剣の柄を握りしめています。
森の奥から人を乗せた六頭の馬が姿を現しました。先頭は長い銀の髪をなびかせた細身の青年です。続いて、非常に大柄な青年、金の鎧兜の小柄な少年、毛皮のコートの長身の少女、黒っぽいコートを着込んだお下げ髪の少女、大きな弓矢を背負った少年がやってきます。
将軍は駆け出しました。自ら出迎えに走ったのです。馬を止めて飛び下りてきた人々に声をかけます。
「殿下! 勇者殿――!」
「出迎えご苦労、ワルラ将軍」
と大柄な青年が言いました。年若くても王者の威厳を持つ皇太子です。
将軍が言いました。
「斥候が皆様方の知らせを持ってきた時には、まさか、と思いましたが、本当にこんな場所までおいでになられるとは……。しかも、殿下と金の石の勇者殿たちがお揃いとは。陛下のご判断でしょうか?」
ワルラ将軍はロムド軍を率いて盗賊団の討伐に来ていましたが、闇から飛び出しまた闇へ逃げ込む盗賊たちを、どうしても捕らえることができずにいました。苦笑いしながら、そう尋ねます。
銀髪の占い師が即座に頭を振りました。
「そうではございません。勇者の皆様方の大切な友人が仮面の盗賊たちにさらわれました。力を貸していただきたいのです」
ワルラ将軍はたちまち表情を変えました。
「そのような事情であれば、わしの天幕へどうぞ。話を伺いましょう」
と先に立って歩き出します。年齢をまったく感じさせない機敏な動きです。一同は駆け寄ってきた兵士たちに馬を預け、それについていきました。
ワルラ将軍が使っている天幕は、ひときわ大きくどっしりした造りをしていました。天幕とはテントのことなのですが、それだけの大きさがあると、ちょっとした建物のようです。持ち運びできる炉が据えてあって天幕の中を暖めています。
将軍は一同に温かい飲み物を勧めると、あとはひたすら彼らの話を聞いていました。フルートとゼンとポチが交互に北の大地での戦いとロキのことを話し、その後を継いで、主にオリバンがコネルアでの盗賊との戦いについて話します。
すっかり話を聞き終わると、老将軍は、ふーむ、とうなって白いひげをなでました。
「ユギル殿は最初からこの盗賊団を魔王の配下だとおっしゃっておいででしたな。それが証明されたわけだが……なかなか容易ならない状況だ。魔王は勇者殿が出てこられるのを承知でいる。それで、人質にロキという子どもをさらっていったわけです。最初からそれを計画して、町から子どもたちをさらっていたのですぞ」
「町から子どもをさらっていた――?」
とオリバンが聞き返しました。初耳だったのです。
将軍は難しい顔でうなずきました。
「盗賊団に襲撃された町や村は、例外なく徹底的に焼き払われていて、住人は皆、焼死体で見つかっているのですが、その中に小さな子どもの死体がほとんどないのです。年齢にして二歳以下くらいの子どもは、生きているものも死んでいるものも、まったく見つかっていません。おそらく盗賊たちにさらわれたのだろうと思われます」
フルートたちは真っ青になっていました。ことばもなく互いの顔を見合わせています。盗賊たちが何のために小さな子どもをさらっていたのか、彼らには、はっきりわかったのです。ロキを狙っていたのに違いありません――。
「ということは、盗賊団の連中には、どれが探し求める子どもなのかわからなかった、ということだな。どこに住んでいるのかも、はっきりとはわからなかったのだろう。それで、その近辺の町や村を片っ端から襲っていたのだ」
「それじゃ、北の街道はロキのために盗賊たちに襲われていたってことですか!? そして、そのロキはぼくたちをおびき出すために狙われていたんだ! それじゃ、この事件は全部ぼくたちのせいってことに――!」
思わず声を上げたフルートに、オリバンが、落ち着け、と手を振りました。
「北の街道を襲ったのはおまえたちではないのだぞ。何もかも、そんなに自分たちの責任と思うな。これは魔王やデビルドラゴンがおまえたちを本当に恐れているという証拠だ。闇を止められる者がおまえたち以外にはいないことを、連中の方で認めているのだ。だから、なんとしてもおまえたちを倒そうとして、派手に暴れ回り人質まで取ったのだ」
すると、ユギルがうなずいてそれを引き継ぎました。
「勇者殿たちがいらっしゃらなければ、闇は勢いづいて、たちまち全世界にその手を伸ばしてまいります。そうすれば、北の街道でのような事件が世界中で起こります。殺される者も、比較できないほどの人数に上りましょう。闇は勇者殿たちを非常に恐れている。そのために、この狭い場所にまだ留まっているのです」
勇者の少年少女たちは、思わず自分たちの真ん中にいる金の鎧の少年を見ました。闇は勇者たちを恐れている、とユギルは言いましたが、本当に魔王やデビルドラゴンが恐れているのは、願い石と金の石の二つの魔石を持つフルート一人だけなのだと、誰もが充分承知していたのです。
皆が見つめる中で、勇者の少年は何も言わずにいました。ちりっと心の奥で何かがうずいたような気がします。
それは問いかける声でした。人々がこれ以上闇に苦しめられないこと、それがそなたの真の願いか? ――と、冷ややかな女の声で尋ねてきます。フルートは青ざめながらその声に耳を澄まします。
とたんに、ゼンが動きました。フルートのマントの胸元をひっつかんでどなります。
「まぁた変なこと考えてやがるな、この阿呆! おまえに願い石は使わせねえって言ってんだろうが! 忘れんな!」
仲間たちもたちまち顔色を変えました。ポポロがあわててフルートにしがみつき、籠手に包まれた腕を胸の中にしっかりと抱え込んでしまいます。思わず赤くなったフルートの頭を、兜の上からオリバンが、ぐいと押さえつけました。
「そうだ、しっかり捕まえておけ。すぐにしょうもない発想になる大馬鹿者だからな。――敵はおまえたちに用心して攻撃の範囲を広げようとしない。だからこそ、我々にも勝機があるのだ。ワルラ将軍、仮面の盗賊団の隠れ家について、まったく手がかりはないのか? 連中の隠れ家をたたけば、ロキを助け出すことができるし、その上にいる魔王を引きずり出すこともできるのだ」
魔王と真っ向から対決するつもりでいることを隠そうともしない皇太子に、ワルラ将軍は思わずにやりとしました。軍人らしい、頼もしい笑顔を見せます。
「むろん、我々も闇の帝王などに恐れをなすつもりはありません、殿下。仮面の盗賊団は北の街道の中部の町や村に襲撃を繰り返しているので、連中の隠れ家もこの近辺にあると考えられるのです。現在、軍は五つの部隊に分けて、それぞれに森の中を捜索させております。今朝も、明るくなるのを待って捜索を再開することになっております」
「では、わたくしがそのお手伝いをいたしましょう」
とユギルが口をはさみました。
「北の街道に入ってからというもの、闇の濃い場所と薄い場所のむらがあるのを感じております。濃い闇の中を見通すことはできませんが、その中にこそ敵の隠れ家があるのだと思われます。闇のひときわ濃い場所こそ怪しいと言えましょう。それを見つけ出します」
「おお、ユギル殿に協力していただければ百人力ですな。ありがたいことだ」
とワルラ将軍が笑顔で何度もうなずきます。
「で――あたいたちは何をすればいいわけ? あたいたちにできることってないのかい?」
とメールが尋ねました。待つことが大嫌いな鬼姫です。気短な性分そのままの口調になっています。ゼンは舌打ちしました。
「ったく、じっとしてらんねえ奴だな――。いいか。俺たちは一晩中ここまで馬を走らせてきたんだぞ。しかも、その前に盗賊たちとも戦ってきたんだ。飯を食ってひと休みしなくちゃ、この後動けなくなっちまわぁ。まずは食え、そして寝ろ、だぞ」
「えぇ、寝ろっていうわけ? この状況で!?」
とメールはますます不満そうな顔と声になります。
「敵の居場所がつかめねえんだ。他に何ができる」
すると、ふと、ユギルが顔を上げました。色違いの瞳を天幕の外の方へ向けて、こんなことを言い出します。
「その前に、勇者殿にお客様がおありですね。大変珍しい方がおいでのようです――」
珍しい客? と一同が目を丸くしたとたん、外から騒ぎが聞こえてきました。天幕を警備する兵士が何かを見つけたようで、誰だ!? と問いただす声と共に、いっせいに人が動き出します。剣が引き抜かれ、人と人とがもみ合う音が続きます。
フルートやオリバンたちは驚きました。ここはロムド軍の野営地のど真ん中、しかも、厳重に守られた将軍の天幕です。大胆にもそこに近づいたのは何者だろう、と飛び出します。
すると、それより先に外に出たワルラ将軍がどなりました。
「騒がしい! 何ごとだ!?」
「は! 怪しい者が将軍の天幕をうかがっておりました!」
と警備兵の一人が答えて、他の兵士たちに捕まっている男を示しました。
それは一人のロムド兵でした。支給の鎧兜とマントを身につけただけで、階級章もない兵卒です。体は大きいのですが、警護の兵士たちに地面に抑え込まれて、身動きできなくなっていました。
「ち――違います! 違います! 怪しい者じゃありません! ただ――ここに金の石の勇者が訪ねてきたって話を聞いたもんですから――!」
と男はわめき、警備兵に後ろ手に腕をねじられて、いてててっ……! と情けない悲鳴を上げました。とたんに、フルートは目をまん丸にして立ちすくみました。聞いたことのある声だったのです。
警備兵が兵卒の兜を勢いよく取りました。面構えはふてぶてしいのですが、まだ少年の面影の濃い顔が現れます。今は、泣きそうになりながら必死で何かを訴えようとしています。
その顔を見たとたん、ポチもあっけにとられてしまいました。フルートの足下から思わずこう叫びます。
「ワン! ジャックじゃないですか――!」
シルの町の悪童のボスだったジャックが、ロムド兵の恰好でそこにいたのでした。