フルートたちは、行く手に現れた青年をあっけにとられて見つめてしまいました。鈍い銀色の鎧兜の上に黒いマントをはおり、馬にまたがっています。ロムド国の皇太子のオリバンです。その後ろには馬に乗った従者たちがいて、闇に灯りを掲げています。
すると、皇太子がまたフルートたちに向かってどなりました。
「この馬鹿者どもが!! おまえたちは行く手に何がいるのか想像もできんのか!?」
オリバンはまだ十九歳の若さですが、非常に生真面目な人物で、年に似合わない迫力のある物言いをします。
フルートたちがとっさには返事をできずにいると、オリバンの後ろからこんな声も聞こえてきました。
「このまま進んではなりません、勇者の皆様方。北の街道に大きな危険が待ちかまえております――」
従者たちを追い越すようにして、馬に乗ったもう一人の人物が進み出てきました。黒い服の上に灰色のマントをはおった細身の青年です。掲げた灯りを返して、長い銀の髪が夜の中にきらりと流れます。
「ユギルさん!」
と少年少女たちはまたいっせいに声を上げました。ロムドの皇太子だけでなく、ロムド城の一番占者までがそこにいたのです。浅黒い肌に整った顔立ちの、とても美しい青年です。
ユギルは静かに話し続けました。
「このまま行ってはなりません。行く手には非常に濃く深い闇があって、わたくしの占いでも、底にあるものを見通すことはできないのです。この気配は間違いなく魔王です。このまま行っては、敵の手の中に自分から飛び込むことになりましょう」
ユギルは中央大陸一とも噂される優れた占者です。フルートたちが向かう北の街道に魔王がいることを読み取って、ロムド城から皇太子のオリバンと共に止めに来たのに違いありませんでした。
フルートたちが答えに困って顔を見合わせると、オリバンが意外そうな顔になりました。
「知っていたのか、おまえたち――。行くな。これは罠だぞ」
フルートは苦笑しながら口を開きました。
「それも承知の上なんです、オリバン。ぼくたちはどうしてもコネルアに急がなくちゃいけないんです」
「そこにいるヤツを魔王から守らなくちゃなんねえんだよ」
とゼンも言います。
オリバンはさらに驚きました。
「守る? 誰をだ?」
「ロキっていう、小さな男の子です」
とフルートは言って、これまでのいきさつを話し出そうとしました――。
すると、ふいにユギルが片手を上げてそれを制しました。
「おまちを、勇者殿……先客がございます」
先客? とフルートたちが目を丸くしたとたん、フルートの腕の中で、ポポロが息を呑みました。
「金の石が!」
と声を上げます。フルートの鎧の隙間から金の光が洩れて、暗く明るくまたたき始めたのです。
「ワン、闇の敵だ!」
とポチが言いました。全員がいっせいに緊張して、あたりを見回します。
とっさに剣を抜こうとするオリバンをフルートが止めました。
「攻撃しないで。ぼくたちは金の石に守られていて、闇の目からは見えなくなっているんです。こっちへ。音を立てないようにすれば大丈夫です――」
とささやき声で言います。
ゼンがメールを後ろに乗せたまま、フルートに馬を寄せました。油断のない目で雪が降りしきる夜を見透かし、やがて低く言います。
「あっちに何かいやがるな。大きな影みたいのが見えるぞ」
オリバンの従者たちがあわてたようにいっそう馬を寄せてきました。従者は三人いましたが、毛皮のコートを着て、剣を腰に帯びているだけで、防具は身につけていません。
「闇の怪物ですね。かなり大きいようです」
とユギルがゼンと同じ方向を見て言いました。落ちつき払った静かな声です。
「ワン、近づいてきますよ――」
ポチが耳を立てて警告を発し、全員は黙り込みました。手綱を握りしめながら、闇の中からやってくる怪物を待ちかまえます。
やがて姿を現したのは、オオカミに似た怪物でした。凍りついた雪にびっしりとおおわれた毛の中から、らんらんと光る目であたりを見回しています。
思わず後ずさっていこうとした従者たちに、オリバンが低く言いました。
「動くな。静かにしていろ」
威圧感のある声です。従者たちはすぐに動かなくなりました。恐怖に目を見開きながら、それでもじっと立ちつくします。
フルートは全員の中心に立ちながら、近づいてくる怪物をにらみ続けました。金の石は彼らを闇の目から隠しています。例え怪物がこちらに向かってきても、こちらが見えているわけではないのです。
はあっと人間の溜息のような音を立てて、オオカミが立ち止まりました。匂いをかぐように、風の中に鼻面を上げます。一同はさらに緊張しました。姿は見えなくても、匂いで嗅ぎつけられるのではないかと不安になります。黄色く燃える目が、ひとかたまりになっている人々に向けられます。
けれども、次の瞬間、怪物の視線は彼らの上を素通りしていきました。夜の中をさらに見渡していきます。
怪物は立ち止まることもなく、すぐ近くを通り過ぎていきました。馬の三倍もありそうな、本当に巨大なオオカミです。むっと鼻をつく生臭い風が、怪物の方から吹きつけてきます――。
すると、突然従者の馬の一頭がイヒヒーン、と鋭い声を上げました。馬はとても臆病な生き物です。すぐそばに迫った怪物の気配に耐えられなくなって悲鳴を上げたのでした。必死で抑えようとする従者を乗せたまま、後ずさってまたいななきます。
ぎろり、と黄色い目がこちらを見ました。雪の中に声が響き渡ります。
「ソコにいるのは、誰ダ――!?」
地の底から響くような不気味な声に、他の従者の馬たちもいっせいにおびえ出しました。雪の中で足踏みし、狂ったように頭を振って鼻を鳴らします。
雪の中を見透かした怪物が、にやりと大きな口で笑いました。
「こんなトコロに馬の群れカ――。思いがけナイ獲物がイタな」
怪物は騒ぐ馬たちだけを見ていました。物音を立てないフルートたちには、相変わらず気がつかずにいるのです。ところが、怪物ににらまれたとたん、従者たちまでが悲鳴を上げました。怪物に背を向け、雪の中をいっせいに逃げ出します。
「コレハコレハ、人間も一緒か。ご馳走ダナ。逃がさナイぞ――」
とオオカミの怪物は楽しげに言うと、大きく空を飛びました。ジャンプしたのです。次の瞬間には従者たちの馬の真ん中に飛び込み、手近な者にかみつこうとします。
「いかん!」
とオリバンが叫んで馬を走らせました。腰の剣を引き抜きます。
すると、それより早く一本の矢が飛んでいって怪物の右目に突き刺さりました。白い矢羽根のエルフの矢です。馬上で弓を構えたゼンが舌打ちしていました。
「ったく、大人のくせに度胸ねえなぁ。おかげで気づかれちまったじゃねえかよ」
言いながら次の矢を弓につがえ、今度はオオカミの左目を射抜きます。夜目の利くゼンは、夜の中でも狙いをつけて矢を放つことができるのです。
ところが、オオカミは頭を大きく振って矢を二本とも振り落としました。傷が血を流していますが、見る間にそれが消えていってしまいます。ゼンはまた舌打ちしました。
「これだから闇の怪物ってのはやっかいなんだ。普通の武器だと、すぐに傷が治っちまうんだからな」
「聖なる武器は?」
とメールがゼンの背中から尋ねました。闇の怪物を倒すには、聖なる武器で攻撃するか、首を切り落として動けなくしてから全身を焼き払うしかないのです。
「んなもんあるか。エルフの矢は百発百中だけど、聖なる力はねえからな」
と言いながら、それでもゼンは矢を放ち続けました。矢は一本残らず怪物に命中しますが、たちまち抜け落ちて傷が治っていってしまいます。怪物には少しも応えた様子がありません。
その間にオリバンが駆けつけました。従者たちを背中にかばって剣を構えます。オオカミの怪物が、またにたりと笑いました。
「今日は運のイイ日ダ。こんなにタクサンの人間を一度に食えるトハ」
ぼうっと怪物の全身が光りました。毒々しい赤い光があたりを照らし、雪を血のような色に染めます。
と、黒い蛇のようなものが怪物から飛び出してきました。闇の触手です。とっさにかわしたオリバンの鎧をかすめ、その後ろにいた従者の胸に突き刺さります。
従者はすさまじい悲鳴を上げて馬から転げ落ちました。その胸に触手は刺さったままです。のたうちながら引き抜こうとする従者の手が、みるみる細くしわだらけになっていきます。触手に体液と生気を吸い取られているのです。
「この!」
とオリバンは剣を触手に振り下ろしました。とたんに、リーン、と鈴を振るような音が響き渡って、触手が黒い霧になって消えていきます。オリバンが持っているのは、闇のものを霧散させる聖なる剣だったのです。
けれども、怪物は大きすぎました。剣の一撃で怪物全体を消滅させることができません。怪物が怒りの目でオリバンをにらみつけ、黒い触手をまとめてオリバンに突き出してきました。いくら聖なる剣でも防ぎきれないほどの本数です――。
すると、今度はその前にフルートの馬が飛び込んできました。背中に乗っているのはフルート一人だけです。両手に黒い剣を高く構え、かけ声と共に鋭く振り下ろします。
「はぁっ!!」
とたんに、その切っ先から炎の塊が飛び出しました。闇の触手を一瞬で焼き尽くし、怪物の頭に激突して燃え上がります。炎の剣の魔力です。
「やったか?」
と尋ねるオリバンに、フルートは首を振りました。
「まだです。凍った雪で体を守ったから、燃えてません」
その目の前で、怪物から炎が消えていきました。全身は黒く焼けただれていますが、それが見る間にはがれ落ち、その下からまた新しい毛が再生してきます。
ガァァァ……ッと巨大な口を開けて怪物がほえました。生臭い息が、風になって、どっと吹きつけてきます。
その中に立ちながら、フルートは首の鎖をつかみました。鎧の中からペンダントを引き出し、飛びかかってきた怪物を見据えながら叫びます。
「金の石――!」
目もくらむような金の光がペンダントの真ん中からほとばしり、あたり一面を照らしました。怪物が放つ赤い光も、金の輝きの中に薄れて呑み込まれてしまいます。
光の中で怪物の体が溶け出しました。火に投げ込まれた蝋細工(ろうざいく)のように、たちまち形を失って崩れていきます。怪物の悲鳴が何度も夜の中に響き渡ります。
やがて、あたりが静かになった時、彼らの目の前から怪物はすっかり消えていました。
輝きの収まった金の石が、しんしんと降り続く雪を淡く照らしていました――。