フルートの予想通り、夜のうちに吹雪はやみ、翌朝には青空が広がりました。白い雲を浮かべた空から降りそそぐ朝日に、一面の雪野原がまぶしく光ります。
その中を馬で進み始めた少年と少女たちは、思わず声を上げました。
「いい天気になったなぁ! 最高の旅日和じゃねえか!」
これはゼンの声です。がっしりした体にいつもの毛皮の上着を着込み、マントをはおって、その上から大きな弓と矢筒を背負っています。白い石の丘のエルフからもらった魔法の弓矢で、狙ったものは決して外すことがなく、どんな混戦の中でも誤って仲間に当たることがありません。上着の下には青く輝く胸当てをつけ、腰には同じ青い色の小さな丸い盾を下げています。水のサファイヤで強化された魔法の防具で、胸の上には獲物を狙う鷹の図案が浮き彫りになっています。腰にはもう一つの愛用の武器のショートソードが下がっていました。北の峰のドワーフが鍛えた逸品です。
ブルル、とゼンを乗せた黒星が鼻を鳴らしました。名前の通り額に白い星のある黒馬で、主人に似たがっしりした体格をしています。
そこに自分の馬を並べて、メールが言いました。
「思ったより雪は積もんなかったね。風に吹き飛ばされちゃったのかな」
馬の足下の雪は、せいぜい深さ二十センチというところです。
真新しい鞍の上でしゃんと背筋を伸ばすメールは、昨日と同じ長い毛皮のコートを着て、毛皮で裏打ちされた革のブーツをはいていました。コートのフードは後ろに押しやっているので、一つに束ねた長い髪がよく見えています。メールの髪は、初夏の梢の色です。
メールが乗っている馬は昨日、フルートがラトスの町で買い求めたものでした。白っぽい体に灰色のぶちが入った馬で、白いたてがみと尾をしています。メールはその馬に「ゴマザメ」と名前をつけていました。「そういう魚が海にいるんだ。その模様にそっくりなんだもん」というのがメールの説明でした。
ポポロは何も言わずに自分の馬の上から雪原を見ていました。遠いまなざしを地平線に向けています。
ポポロは今日も赤い髪をお下げに結い、母の手作りの黒っぽいコートを着込んでいました。コートは首元をリボンで留めているだけなので、その下の服がよく見えています。今日はスカートのように丈の長い青い上着に白いズボンという恰好です。朝になったら、いつの間にか馬に乗りやすそうな服に変わっていたのでした。元は星空の衣なので、ずっと着たままでいても、汚れても、ひとりでにまた綺麗になっているという優れものです。
同じ馬の鞍の前に取り付けた籠から、ルルが話しかけました。
「何か見える、ポポロ?」
ううん、とポポロは首を振りました。
「ずっと向こうまで晴れているわ……このまましばらくお天気は変わらないみたい」
ポポロは、その気になればどこまででも見通すことができる魔法使いの目を持っています。それで行く手の空を眺めていたのでした。
ポポロとルルが乗っているのは、やはり昨日フルートが町で買い求めた新しい馬です。全身が茶色で、たてがみと尾と足の先の方だけが黒い、鹿毛(かげ)と呼ばれる色合いの馬でした。優しい目をしたおとなしい馬で、ポポロはそれに「クレラ」と名付けました。天空の国にある山の名前なのだという話でした。
「これから街道をずっと南下していくよ」
とフルートが仲間たちに呼びかけました。
「大荒野を横切る街道だから町はあまりないんだけど、それでも小さな宿場町はところどころにあるんだ。進めるところまで進んで、日が暮れないうちに適当な町で宿を取ろう。冬の荒野で野宿するのは自殺行為だからね。無理しないで、時間をかけて渡っていくよ」
「荒野はおまえの管轄だ。俺たちは言うとおりにするぜ」
とゼンが笑いました。そう言うゼンも、場所が山や森の中になると、即座に先頭に立って本領を発揮し始めます。海や湖といった水の中なら海の王の娘のメールの独壇場です。彼らはそれぞれに得意の場所や持ち場というものがあり、それを互いに認め合っているのでした。
フルートが、にこりと仲間たちに笑い返しました。防寒服で厚着をしている仲間たちと違って、服の上に直接金の鎧兜をつけ、マントをはおっただけの恰好をしています。二本の剣はいつも通りに背負っていますが、盾は他の荷物と一緒に馬につけているので、いっそう身軽に見えます。日の光を浴びてきらめく鎧と兜には小さな黒い石がちりばめられ、石と石の間を黒い線が結んで、星座のような模様を浮き上がらせています。本当に綺麗な防具です……。
「ワン、この街道を行き止まりまで行くと、ミコンに続く街道ですよ。信仰の道っても呼ばれてます。かなり距離はあるけど、国境近くまでずっと平地だから歩きやすいと思いますよ」
とフルートの前の籠からポチが言いました。全員が南に広がる荒野を眺めます。
荒野は見渡す限り雪野原で、街道も雪におおわれ、どこに道があるのかすぐにはわからないほどでした。ただ、よく目をこらせば、道は周囲よりわずかに低くなっていて、ところどころには目印の石も道ばたに置かれていました。石の上に積もった雪が、白く丸く盛り上がっています。朝早くに出発した旅人の足跡や荷車の轍(わだち)が、雪の道の上にずっと続いています。
「さあ、行くよ、コリン」
とフルートは優しく自分の馬に話しかけました。全身赤っぽい茶色の栗毛の馬で、フルートが勇者として旅立ったときから、ずっと一緒に旅しています。おとなしくて、とても我慢強い馬です。
歩き出したコリンに、仲間たちの馬が従いました。まぶしいほどにきらめく銀世界を進んでいきます。
ラトスの町を旅立ってからも、しばらくの間は街道沿いに点々と家が建っていました。家のそばには必ず大きな牧場があり、馬や牛が雪を掘って餌の草を捜しているのが見えます。家の西側には、決まって大きな木の林があって、家におおいかぶさるように枝葉を広げています。
「屋敷森(やしきもり)。風を防ぐための林だよ」
とフルートが説明すると、ゼンがうなずきました。
「そういや、フルートの家の裏にもあったよな、こんな林。風よけだったのか」
「ワン、あとは落ち葉や枯れ枝を燃料にも使いますよ。林の中にはウサギやリスもいるし。ぼくは時々ウサギをつかまえて、お母さんに料理してもらうんです」
とポチが楽しそうに言います。
荒野は年中乾燥していて、強い西風が吹き荒れます。冬場に雪は降っても、それ以外の季節に雨があまり降らないのです。植物もなかなか育ちませんが、人々は少ない水でよく育つ木を家の西側に植えて、風を防ぎ、生活の大切な糧(かて)にしているのでした。
ふぅん、とメールがつぶやいて言いました。
「ねえさぁ、あたい最近ずっと考えてたんだけどさ――世界には本当にいろんな場所があるよね。海があって山があって荒野があって森があって……ポポロたちが住んでるような、空に浮いてる不思議な国もあるし。でも、どんな場所であっても、そこにはたいてい人が暮らしてるんだよね。砂漠でさえ、そこを通って商売をしに行く人たちがいたんだろ?」
「うん、キャラバンだね。ラクダに荷物を積んで、オアシスを渡り歩きながら砂漠を越えるんだ」
とフルートが答えました。黄泉の門の戦いの時に大砂漠で出会ったキャラバンと、その若い隊長のダラハーンを思い出します。フルートたちには死の世界に見えた砂漠も、彼らにとっては生きるための大切な場所だったのです。
すると、メールが続けました。
「そんなふうにさ、どんな場所でも、人はその場所に合わせて生きてる。海なら海に合わせて、山なら山に合わせて、荒野なら荒野に……。なんか、すごいよね。あたい、すごくそう思うんだ」
フルートはうなずきました。
「うん、それはぼくもずっと感じてる。どんな場所でも、人は工夫しながら暮らしているんだよ。年中雪と氷しかない北の大地でさえ、人は暮らしていたんだからね。氷で家を造って、ユキエンドウを育てて、トナカイを飼って……。人って本当にすごいなぁ、って思うよ」
それは、世界的な視野の始まりでした。自分たちが住んでいる狭い場所から、もっと大きな場所へ出て行ったときに、世界は本当はとても広く、さまざまな場所があるのだと痛感するのです。同時に、そのどの場所でも、人は同じようにたくましく生き続けているのだと。
すると、ルルが言いました。
「その世界中の人たちを、私たちはデビルドラゴンから守ろうとしてるのね」
仲間の少年少女たちは、はっとしました。頭の中で思い描いていた世界の広さと、自分たちが担っている役目に、思わず圧倒されそうになります。世界は限りなく広く、そこには数え切れないほどたくさんの人々が暮らしているのです。自分たちはこんなにちっぽけで、しかも、たった四人と二匹だけだというのに。あまりの差に、なんだか声が出なくなってしまいます――。
けれども、次の瞬間、ゼンがにやっと笑いました。
「ま、みんな一緒だ。なんとかならぁ!」
と胸を張って言い切ります。仲間たちは今度は吹き出してしまいました。ふてぶてしいくらい自信に満ちているゼンに、根拠など何もないはずなのに、本当になんとかなっていきそうな気がしてきます。
少年と少女たちは進み続けました。雪の街道に明るい笑い声が響いていました。