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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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エピローグ 旅立ち

 城壁で願いと共に消えていこうとするフルートを仲間たちが引き止め、旅に出る決意をしてから、二日が過ぎました。

 朝日にまた照らされたロムド城の北門の前に、人々が並んで勇者たちを見送っていました。

 本来ならば、城の正面の大門から街の大通りへ、凱旋するように堂々と立つのがふさわしいものなのかもしれません。けれども、勇者の少年少女たちは、そういう大げさな見送りを好みませんでした。城下町の人々の目にもつかないようにと、早朝の時間帯を選んで出発しようとしていました。

 それを見送っているのは、勇者たちに近しい、ごく一部の人々だけです。とはいえ、決して少ない人数ではありません。ロムド王、皇太子のオリバン、一番占者のユギル、リーンズ宰相、やはり王の重臣でフルートの剣の師匠でもあるゴーリス、その妻のジュリア。ゴーリスとジュリアの一人娘のミーナは、暖かそうなおくるみに包まれてジュリアの腕の中で眠っています。彼らの前には、ノームの鍛冶屋の長のピラン、後ろには四大魔法使いと呼ばれる四人の魔法使いたち、さらに、メーレーン王女、道化のトウガリ、メノア王妃、礼儀作法の先生であるラヴィア夫人の小柄な姿もあります。皆、金の石の勇者の一行に関わり、共に戦ったり、旅をしたり、励ましたりしてくれた人々です。

 さらにその一番端には、彼らをザカラスまで運んだ御者のロブ・コラムの姿もありました。ザカラス城を脱出したフルートや王女たちを丘で馬車に拾って、ロムド城まで連れ帰る手はずになっていたのですが、丘はザカラス兵に見張られ、街道もいたるところに監視の目が光っていて、何もできずにただ引き返すしかなかったのです。夜昼なく馬車を走らせて、フルートたちが旅立とうとするところにちょうど戻ってきたのでした。

「勇者殿たちやトウガリ殿はどうされたかと案じておりましたが、すべてとっくに解決していたのですね」

 とロブ・コラムは苦笑いで頭をかきましたが、ロムド王から直々に労をねぎらわれると、光栄に顔を輝かせて喜びました。

 

「ワルラ将軍は昨日、任務のために国の南方へ出発されました。勇者の皆様方に、くれぐれもよろしく、とおっしゃっていました」

 とリーンズ宰相が言いました。フルートはうなずき、見送ってくれている大勢の人たちへ頭を下げました。

「本当に、いろいろとありがとうございました。これにて失礼いたします」

 フルートはまた金の鎧兜に身を包み、背中に二本の剣をつけて、戦士の格好になっていました。片手に馬の手綱を握っています。フルートの愛馬のコリンです。ハルマスのゴーリスの別荘に預けてあったのですが、黄泉の門の戦いでハルマスが襲撃される前に、別荘の使用人たちがロムド城まで避難させてくれていたのです。馬の鞍の前にはポチが乗る籠がくくりつけてありますが、ポチはまだ一行の足下にいました。子犬の首輪の上で、ピランが修理してくれた風の石が綺麗な緑色に光っています。

「礼を言うのは、我々の方だ、勇者たち」

 とロムド王が言いました。年を感じさせない張りのある声です。

「そなたたちは、襲撃してくる魔王からハルマスや人々を守り、メーレーンたちをザカラス城から助け出してくれた。これほどまでにロムドのために尽くしてくれたこと、王として誠に感謝しているぞ。ありがとう」

 王冠をかぶった頭をためらうこともなく勇者の少年少女たちに下げます。

 すると、メノア王妃とメーレーン王女が進み出てきました。先日降り積もった雪も、今はもう溶けてしまっていましたが、吹いてくるのは身を切るような木枯らしです。王妃と王女は暖かそうなコートで身を包んでいました。王妃は落ち着いたえんじ色、メーレーン王女はいつものバラ色です。

「勇者の皆様方には、本当にお世話になりました」

 とメノア王妃が言いました。子ども相手にも偉ぶる調子のない、ゆったりとした口調です。

「おかげで、メーレーンもトウガリも、無事に闇の怪物から助け出されました。本当に、心から感謝していますわ」

 ザカラス城での真相を知らない王妃の笑顔は、今でも天使のほほえみのままです。にっこりと暖かく勇者たちに笑いかけます。

 メーレーン王女が、母によく似た笑顔でフルートたちに笑いかけ、トウガリは大きく腕を振って道化のお辞儀をしました。二人は何も言いませんでした。ただ、まなざしに感謝と無事を祈る気持ちをいっぱいに込めて、勇者たちを見つめます。がんばっていけよ、とトウガリが彼らに心で声援を送っていることに、フルートたちは気がつきました。メーレーン王女は、寄り添って立つフルートとポポロを見て、ほほえみ続けています。何かをこらえるような切なさが、ほんの少しだけ漂っていました――。

 

「で、これからどうするつもりなんだ?」

 とゴーリスが少年少女たちに尋ねました。相変わらず黒ずくめの服で腰に大剣を下げ、貴族というより剣士というほうがふさわしい格好です。

 フルートが答えるより先に、ゼンが言いました。

「まずみんな、一度自分の家に帰るぜ。フルートとポチは馬で、俺は走り鳥で、ポポロはルルに乗って、メールは花鳥でな。で、それぞれ準備を整えたら、また魔の森に集合して、そこから旅に出ることにしてんだ」

 そういうゼンは青い胸当てと盾を身につけ、エルフの弓矢を背負っています。かたわらには、馬のように手綱をつけられた大きな鳥が立っています。走り鳥です。フルートの馬同様、ハルマスからロムド城に避難していたのでした。

 メールの後ろでは色とりどりの花でできた大きな鳥が羽ばたきを繰り返しています。メールはこの花鳥でまず魔の森まで飛び、森の中央の金の泉から、西の大海にある自分の島へ帰ることにしていました。

「魔の森を出発するのは新年の頃になるかもね」

 とメールが言いました。これから家を離れて長い旅に出発しようとしているのに、とても楽しそうに見えます。

 ポポロとルルも顔を見合わせてほほえみ合いました。

「あたしたちは、天空の国に戻ったら、まず天空王様に御礼を申し上げに行かなくちゃね、ルル」

「そうね。とても心配していただいたから」

 とルルが長い茶色の毛並みに銀の毛を光らせながら言います。

 すると、ユギルが静かに言いました。

「わたくしたちの分も、かの恩方(おんかた)へよろしくお伝えください。光の力とペガサスをわたくしたちにお貸しくださって、ありがとうございました、と」

 それを聞いて、オリバンも大真面目でうなずきました。

「考えてみれば信じがたいようなことだ。光と正義の恩方から直々にことばをかけていただいただけでなく、大変な助けまでいただいたのだからな。恐れ多いことだ」

 すると、ゼンが目を丸くしました。

「うん? それって天空王のことか? 確かに頼りになるけどよ、でも、そんなに恐れ入るほどのことかぁ? ロムド王と同じ、ただの王様だぜ」

 ドワーフの少年は、相変わらず、相手が王族だろうが光の王だろうが、いっこうに敬意を払おうとはしません。ゼンったら、とフルートが肘で小突きました。天空王にもロムド王にも失礼なことばになっていたのです。

 ロムド王は怒りませんでした。見送る人々の間に、和やかな笑いが起こります。

 

 すると、ジュリアがミーナを夫に渡し、勇者をひとりずつ抱き寄せながら頬にキスをしました。豊かな栗色の髪をした、落ち着いた女性です。とても物静かに見えるのに、ハルマスでは他の戦士たちと共にゼンを勇敢に守ってくれました。

「気をつけてお行きなさい。あなたたちに幸運がいつも共にありますように」

 と勇者たちの旅路を祈ってくれます。

 フルートは照れ笑いをしました。ちょっとかすれる声で言います。

「ジュリアさんとゴーリスは、ぜひミーナを連れてシルまで来てね。お父さんもお母さんも絶対に大喜びするから」

「ああ、行こう。暖かい季節になったら必ずな」

 とゴーリスが答えます。無骨にさえ見える腕の中で、小さなミーナはすやすやと安心しきって眠っています。

「防具の具合が悪くなるようなことがあったら、エスタ城のわしを訪ねてこい。いつでも修理してやるぞ」

 とノームのピランが言いました。鍛冶屋の長は小さな体で偉そうに腕組みをして、胸を張っています。フルートたちはうなずきました。本当に、これからそうしなければならない時が来るかもしれません。

「勇者の皆様方の上に、神の大いなる守りと力が常にあらんことを」

 白の魔法使いと呼ばれる女神官が、片手を上げて一行の無事と武運を祈り、青、赤、深緑の他の三人の魔法使いたちがいっせいに頭を下げてそれに唱和しました。フルートたちも深く頭を下げて感謝します。

 

 一番最後に見送る者の列から進み出てきたのは、ラヴィア夫人でした。痩せた小さな体は、背中こそ丸くなっていて、杖をつきながら歩いていますが、その足取りには力がありました。丸い眼鏡の奥から勇者の少年少女たちを見渡し、フルートの上で目を留めます。

 と、夫人は黒っぽいドレスの裾を片手でつまんで頭を下げました。老体で、信じられないほど優美なお辞儀を一同にして見せます。

 ぽかんと見とれる少年少女たちに、ラヴィア夫人は笑いながら言いました。

「皆様方のおかげで、私はこの世に生きながらえました。病が治ったばかりか、以前よりも健康で元気になってしまったくらいです。これでは当分、天国からのお迎えにも来ていただけそうにありません」

 フルートは穏やかにほほえみました。

「どうかいつまでもお元気でいてください。先生から教えていただいたことは、これからも忘れずにいようと思います」

 と相変わらず少しかすれる声で言います。

 おやまあ、とラヴィア夫人は楽しそうに笑い出しました。

「私がお教えしたことを? これから勇者殿の役に立つことがあるでしょうか? 見たところ、勇者殿もとうとう声変わりが始まられたようですのに」

 フルートは、ぱっと顔を赤くし、仲間たちは驚いたようにそれを見ました。フルートは前日の朝あたりから、急に声がかすれるようになっていたのです。てっきり風邪をひいたのだろうと、仲間たちもフルート自身も考えていたのですが、それは変声期の始まりだったのです。

「おまえもとうとう大人の仲間入りか」

 とゴーリスも笑い出しました。ミーナはまたジュリアの腕の中に戻っています。大きな手をフルートの肩に置いて言います。

「大人になる日は、いつだって急にやってくるもんだ。俺たちだってそうだった――。気をつけて行けよ。みんなで力を合わせていけ。俺に言えることは、それだけだ」

 フルートはうなずきました。もうひとりの父親のような剣の師匠を見上げて言います。

「それじゃ行くよ、ゴーリス」

 黒衣の剣士がうなずき返します。

 

 人々が見送る中、勇者の少年少女たちは出発しました。まだ馬や走り鳥には乗りません。自分たちの足で城の北に広がる野原を歩いていきます。花でできた大きな鳥が、ゆっくりと羽ばたきながらメールの後ろを飛んでいきます。

 歩きながら、彼らは互いに話をしていました。ゼンとメールが他愛もないことで口喧嘩を始めています。フルートとポポロが一言二言ことばをかわし、それだけで幸せそうにほほえみ合います。ルルが何かをポチに話しかけ、ワン、とポチが吠えます。

「知らないですよ、ルル。そんな白い犬なんか、ぼくは――」

 何故だか逃げるように野原を飛び跳ねていきます。

 

 次第に遠ざかっていくその姿を見送りながら、ユギルが口を開きました。

「デビルドラゴンは勇者殿のお命を狙い続けます。闇の怪物たちも、かの石を手に入れるために勇者殿を探し続けることでしょう。勇者殿は、ご自分の周りに危険が起き続けることをご承知です」

 占者の金と青の色違いの瞳は、勇者の後ろ姿より、はるかに遠いところを見ていました。占いの力が回復しつつあるのです。静かな声で話し続けます。

「勇者殿はご自分のことで他の方を巻き込みたくないとお考えです。多くの人が暮らすこのロムド城やディーラには、もうお戻りにならないでしょう」

「そのようだな」

 とゴーリスが低く答えました。剣の師匠は、フルートの様子から、その胸中を察していたのでした。ただ腕を組んで、遠ざかる愛弟子を見送り続けます。

 オリバンは驚いていました。もうここへは戻ってこないという勇者の一行を、目を見張って見つめてしまいます。

 やがて青年は、馬鹿者、と低くつぶやきました。

「おまえたちが戻ってこないというなら、そのうちに、こっちから押しかけてやる。今は私にも務めがあるが、機会を見つけて必ず行く。おまえたちだけに戦わせたりするものか――!」

 憤然と言い切る皇太子に、占者は微笑しました。長い銀の髪が輝きながら揺れています。

 

 すると、野原の向こうで声が上がりました。少年少女たちが、見送る人たちを振り向いて大きく手を振っていました。人々がそれに手を振り返すと、また前に向き直り、それぞれの乗り物に飛び乗ります。フルートとポチは馬に、ゼンは走り鳥に、ポポロは風の犬に変身したルルに、メールは色とりどりの花鳥に。

 そうして、彼らは野原を走り出し、空へと飛び立ちました。荒野へ、山へ、天空へ、海へ、まっすぐに向かっていきます。彼らはそれぞれの家に戻り、家族に別れを告げて、新しい世界へ旅立つのです。

 少年と少女たちの姿は遠ざかって小さくなり、やがて、人々の目から見えなくなっていきました。

The End

(2007年11月1日初稿/2020年3月22日最終修正)

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