「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

前のページ

第28章 最後の危機

105.城壁

 「フルート!!!」

 ポポロは悲鳴を上げました。

 それが魔法使いの目で見通している遠くの景色なのを忘れて、思わず駆け出します。野原へ向かって歩き出すフルートに追いつこうとします。野原はどこまでも続く新雪になめらかにおおわれています。その真ん中に、赤金色のドレスの女が立っています。願い石の精霊です――。

「危ねぇ!」

 ゼンが腕を広げてポポロを受け止めました。走り出したポポロは、もう少しで部屋の壁に激突するところだったのです。それを必死で押しのけようとしながら、ポポロは叫び続けました。

「行っちゃう! フルートが行っちゃうわ! 願い石のところへ――!!」

 宝石の瞳から涙がこぼれます。

 ぎりっとゼンは大きく歯ぎしりしました。ポポロの両肩を押さえて尋ねます。

「フルートはどこだ?」

 どなることもない低い声――ゼンは最大限に腹を立てています。ポポロの肩をつかむ手が震えています。ポポロは泣きながら答えました。

「北の……城壁の外……! 野原に向かって歩いてるわ……」

「北の城壁か!」

 オリバンが一声叫ぶなり部屋を飛び出していきました。その後をユギルが追っていきます。

「俺たちも行くぞ!」

 とゼンは仲間たちに叫びました。

「あいつを止めるぞ! あの馬鹿――願い石を使うつもりだ!!」

 フルートの中に眠る願い石は、どんな願いもたった一度だけかなえることができる強力な魔力を持っています。

 けれども、不可能を可能にする力は、世界に大きな歪みももたらします。かなわぬ願いをかなえる引き替えに、いつだって、願った者から大切な何かを奪い取っていくのです。

 フルートがずっと願い続けているのは、この世界に平和をもたらすことでした。何度も魔王を生み出してはこの世を生き地獄に変えようとするデビルドラゴンを、完全に消滅させることです。願い石にはそれをかなえる力もあります。そして、その引き替えに奪われるのは、フルート自身の存在なのです――。

 全員が飛び出していった部屋に、ノームのピランだけが残りました。体の小さなピランは、全速力で走っていく者たちに追いつくことができません。

「こりゃあ、えらいこっちゃ……!」

 と青ざめながら、こちらはロムド王の元へ駆け出しました。

 

 ゼンはオリバンたちの後を追って全速力で城の階段を駆け上がり、通路を走りながら心の中でどなり続けていました。

 どうしてだよ、フルート!? どうして今、願い石なんだよ!? 魔王もデビルドラゴンもザカラス王も、みんな敗れていなくなったじゃねえか! ロムドもザカラスも平和になったじゃねえかよ! それなのに、どうして今、願い石に願おうとするんだよ――!?

 どれほど心で問いかけても、答えはありません。

 その足下を走りながら、ポチがつぶやくように言っていました。

「ワン……フルートはぼくに心配かけないようにって、ずっと、ぼくに感情の匂いをかぎつけられないようにしてた……。違う感情の匂いを作って、ぼくに試すようにそれをぶつけて……。今だって、フルートはわざと照れた匂いだけをぼくに見せてたんだ。あんまりそれが強かったから……まるで強い香水の匂いみたいに強烈だったから……それでぼくには……」

 犬のポチは泣くことができません。けれども、もしも泣くことができたら、あるいは、大砂漠をシェンラン山脈目ざして歩いた時のように人間の少年の姿だったら、ポチは大粒の涙を流していたに違いありませんでした。フルートが何を考えているのか見抜くことができなかったのです。自分は人の感情をかぎ分けられる犬のはずなのに!

 ルルが、それに並んで走りながら怒ってました。

「言ったじゃないの、フルート! 行かないって! 願い石の戦いの時に、約束したじゃないの! それなのにどうして――!?」

 メールは走りながら城の中に呼びかけてました。

「おいで! おいで、花たち!」

 けれども、飛んでくる花はありません。メールはザカラス城に行くときに城中の花を花鳥にして連れて行ってしまいました。その後、また花鳥で連れ戻った花は、すべて大広間の冬至祭りの会場を飾っていて、城の他の場所に花は残っていなかったのでした。メールは心の中で呼び続けました。花たち! お願いだよ、花たち! ここまで来ておくれ――! 城のはるか下の方にある大広間へと、精一杯に意識を伸ばします。

 ポポロは何も言いませんでした。走りながら心の目で見つめ続けているのは、雪を踏んで野原を歩いていくフルートの姿です。心臓が今にも破裂しそうなほど激しく打ち続けています。フルートが願い石の精霊に近づいていきます。その精霊の隣に淡い金色の光がわき起こります――

 

 一同は城からの渡り廊下を駆け抜け、最後の階段を駆け上がって、ついに北の城壁の上に出ました。

 石造りの城壁は、警備兵が周囲を見回り、敵が攻めてきた際にはそこから攻防できるように、上が通路になっていました。通路の縁には胸壁と呼ばれる凹凸の繰り返しになった石の壁が作られています。兵士たちはそこの陰に身を隠して、敵の矢を防ぐのです。

 胸壁は一番低くなった場所でも一メートルほどの高さがありました。そこから城の北側に広がる野原が見渡せます。野原は一面の新雪におおわれています。一同は胸壁に駆け寄りました。ポチとルルはそれぞれにゼンとオリバンの背中に飛びつき、その肩によじ登ります。ワンワンワン、とポチが高く吠えました。

「フルート! フルート! フルート――!!」

 白い野原をフルートが歩いていました。一組の足跡が、城壁からフルートの足下までずっと続いています。その行く手に二人の人物がいました。その足下に足跡はありません。無傷な雪原の真ん中に立ってフルートを見ています。ひとりは赤い髪を結い赤金色のドレスを着た女性、もうひとりは黄金色の髪をして異国風の服を着た小さな少年です。魔石の精霊たちでした。

 ゼンが胸壁にしがみつきながらどなりました。

「こら、金の石の精霊! 何やってやがんだ、おまえ!? 早くフルートを止めろよ――!!」

 すると、雪原の中から精霊の少年が城壁を見上げました。遠い場所なのに、何故だか精霊の声が彼らの耳にはっきりと聞こえてきました。

「ぼくはフルートに呼ばれた。フルートと光になってデビルドラゴンを消滅させに行くよ」

 子どもの声なのに、まるでひどく年をとった大人が話しているように聞こえます。

 打ちのめされたように声を失う人々の中、どうしてさ!? と金切り声を上げたのはメールでした。

「あんた、その願い事は取り下げたはずだろ!? だから、願い石だって眠りについて――! それなのに、どうしてまたそんなこと言い出すのさ!?」

「言い出したのはぼくじゃない。フルートだ。フルートがぼくたちを呼び起こしたんだ」

 精霊の少年の声は、あくまでも冷静です。

 今度はオリバンがどなりました。

「どういうつもりだ、フルート!? 何故、今頃またその気になった!? 説明をしろ!」

 城壁の上の彼らと雪原のフルートたちの間には百メートル以上の距離があります。普通ならば、声は届いても、なんと言っているかまで聞き取るのは難しいのですが、何故だかこのときには互いのことばが聞こえていました。精霊の魔力に違いありません。フルートが雪の中で立ち止まって振り返りました。表情まではよく見えませんが、城壁の上の仲間たちには、フルートがほほえんでいるように思えました。

 

「ずっと前から、決めていたんだよ」

 とフルートは答えました。ごく静かな声です。それなのに、彼らの耳にははっきりと伝わってきます。

「本当は、ハルマスに一年ぶりで集まった、あの夜に行くつもりだったんだ。最後にもう一度だけみんなで集まって話したかったから、そこまで待った。あれはぼくの最後のわがままだったんだよ。でも、そうしたら、ゼンがワジに刺されて狭間の世界に行っちゃった――」

 フルートの声が苦笑いをするような調子になりました。

 ゼンは、声が出ませんでした。頭の中でめまぐるしく一ヶ月前の出来事を思い出します。

 ハルマスのゴーリスの別荘の中庭で、ゼンはワジに刺されて倒れました。魔王になったレィミ・ノワールが差し向けた毒虫です。生と死の狭間の世界へ行ったゼンを救うために、フルートはポチと一緒にシェンラン山脈へ出発しました。けれども、その前――ゼンがワジに刺される直前――フルートは中庭の東屋にいて、確かに金の石の精霊と何かを話していたのです。

 ワン! とポチがまた吠えました。ゼンの肩の上で震えながら叫びます。

「フルート! ぼくに感情の匂いをかぎつけられないようにしてたのは――あれは――あれは――!」

「うん。家にいるときから、もう決めていたんだ。半年前、金の石が魔王の復活を感じて目を覚まして、ぼくを呼んだその時から」

 フルートの声は本当に穏やかでした。弟のような子犬に、優しく話しかけます。

「君は本当に勘がいいし、頭もいいからさ、気がつかれないようにするのにとても苦労したよ。ねえポチ、一年前にも言ったけどさ、お母さんとお父さんをよろしくね。二人ともきっと、すごく悲しむから――だから、君だけはお母さんたちのそばにいてやってね」

 クゥゥ……とポチは咽の奥から犬の悲鳴を上げました。もうそれ以上声が出せませんでした。ゼンの肩にしがみついたまま、ぶるぶると震え続けます。

「何故だ!?」

 とオリバンがまたどなりました。

「おまえは何故、また光になりに行こうとする!? わけを言え!!」

 すると、フルートが城壁を見上げ直しました。遠目にもはっきりとわかる大柄な青年を見つめます。まるで兄のような、ロムドの皇太子です。

「だって、ぼくには手が二本しかないから」

 フルートは、静かにそう言いました――。

素材提供素材サイト「スターダスト」へのリンク