一晩中降り続けた粉雪は、朝にはあたり一面を銀世界に変えていました。霜枯れた庭も葉を落とした木立もすっぽりと雪におおわれ、朝の光にきらめいています。普段なら通りにうるさく響く荷馬車の音も、降り積もった雪にかき消されて、街は意外なほど静かです。ただ鳥だけが賑やかにさえずっています。
メールとポポロは、ロムド城に準備された自分たちの部屋にいました。メールがベッドの上に寝ころんで、椅子に座ったポポロに話しかけています。
「で、体の調子とかはなんともないわけ? ただ魔法が使えないだけ?」
うん、とポポロはうなずきました。赤いお下げ髪に黒い衣の少女は、いつもと変わらずおとなしげです。
「さすがに魔法を使いすぎたみたい……。朝になっても全然魔力が戻ってこないの。でも、心配ないってユギルさんが。一時的なものだから、またすぐに回復するって」
「まあねぇ。ポポロも、昨日はかなり魔法を使ったもんねぇ。デビルドラゴンがいる結界の部屋を抜け出すのにザカラス城を壊して、で、それをまた止めたんだもん。さすがのポポロでも魔法の種切れになっちゃうか」
メールはベッドの上にうつぶせになってほおづえをつき、膝を曲げて裸足を宙で組んだりほどいたりしていました。袖無しシャツに半ズボンといういつもの格好は、冬至を迎えるこの時期にはもう寒そうに見えますが、当人はまったく頓着していません。もっとも、部屋では暖炉が赤々と燃えていたので、本当に、寒いということはなかったのです。
すると、そこへ外から扉を押し開けて、二匹の犬が元気に飛び込んできました。ルルとポチです。茶色と白の毛並みが、どちらも雪まみれになっています。
「ああ、楽しかった!」
とポチが尻尾を振りながら言いました。
「メールたちも来れば良かったのに。すっごく面白かったんですよ! メーレーン王女様も一緒だったから、雪合戦もしたんです!」
「ほぉんと。ポチったら子どもなんだから」
とこちらは床に腰を下ろし、長い毛についた雪をせっせとなめながら、ルルが言いました。私は雪なんかにははしゃがなかったわよ、という様子をしています。ポチは、ぴんと耳を立てました。
「ワン、そんなこと言ってるけど、ルルだって積もったばかりの雪は冷たくて綺麗で最高だ、って喜んでたじゃないですか。ぼくたちは犬なんだから、雪が好きなのは当たり前なんですよ」
「ま。私は天空の国のもの言う犬よ。そのへんの犬と一緒にしないで」
つん、とルルが顔をそらしてしまいます。けれども、その全身がポチに負けないほど雪まみれになっているところを見ると、どうやらポチの言うことのほうが正解のようでした。
メールが笑いながら話しかけました。
「王女様はどうだった? 相変わらずかい?」
「ワン、元気でしたよ。王妃様にもお会いしたけど、今朝はずいぶん明るい顔になってました。トウガリがそばにいて、王妃様を笑わせてましたからね」
部屋の中の少女たちは思わず黙り込みました。王妃に片想いをする道化を、それぞれに考えます。割り切れないような、でも、それでいいんだというトウガリのことばもわかるような、複雑な気持ちになります……。
すると、そんな場の雰囲気を変えるように、ポチが話し続けました。
「ワン、もう一つすごいニュースがあるんですよ。ルルがメーレーン王女様を乗せて空を飛べるようになったんです!」
へぇっとメールとポポロは驚きました。ザカラス城を逃げ出した後、ルルは、どんなにがんばっても風の犬になった背中に王女を乗せられなかったのです。
「王女様を友だちだと思えるようになったんだ、ルル」
とメールが言うと、ルルはますます、つんと頭をそらしてしまいました。
「思ったより悪い子じゃなかったってわかっただけよ。もう一度風の犬に乗ってみたいって言ってたし、ポチは今、風の犬に変身できないから、代わりに私が乗せてあげたのよ」
「ワン、ルルったら。王女様を気に入ったって、素直に言えばいいのに」
とポチが笑いました。とたんに、怒ったルルに、がばっと押さえ込まれてしまいます。白い子犬はルルよりも二回りも小さな体をしていました。
「ワンワン、力ずくは卑怯だぁ! 放してくださいよ!」
「最近本当に生意気よ、ポチ。この際とことん思い知らせてあげましょうか?」
ルルは、ポチに乗せた前足にぐっと力を入れました。その拍子に、ポチの銀の首輪が目に入ります。そこに風の石はありません――。
ルルはなんとなくとまどった気持ちになって、ポチを放してしまいました。ほんの少し考えてから、こう言います。
「ポチの風の石……ピランさんに預けてるって言ったわよね? まだ直ってこないの?」
「ワン、まだです。家に帰るまでに直してもらいたいんだけどなぁ」
とポチが答えます。ルルが疑うような、確かめるような目で自分を見たことには気がつきましたが、知らん顔をしていました。
すると、メールがまたベッドから話しかけてきました。
「やっぱり家に帰るんだ。いつ?」
「ワン、フルートと相談しないとわからないけど、あと十日で新年ですからね。さすがに早く家に帰らないと」
「あたしたちも帰らなくちゃね、ルル。お母さんもお父さんもきっと心配してるわ」
とポポロも言いました。彼らは実に一ヶ月近くも自分の家を留守にしているのです。
メールがふいに頭を抱えました。
「考えてみたら、あたいもだぁ。ハルマスのゴーリスの別荘に、ミーナのお祝いに集まった時から、ずっとだもんね。しかも、あたいはアルバとの婚約をおじゃんにしたんだった。その後もずっと島に戻ってないんだもん、絶対に父上がかんかんになってるぅ!」
「ゼンを連れていきなさいよ。渦王が怒ったら、文句はこの婚約者に言ってくれ、って言うの。渦王もゼンが相手だったら怒れないでしょう?」
とルルが笑って言いました。半分以上メールを冷やかしているのですが、メールは真剣な顔で考え込みました。
「うーん。それでうまくいく可能性が半分、父上とゼンで大喧嘩になっちゃう可能性が半分。喧嘩になったら、二人とも、勝負がつくまで引かないだろうしなぁ。だいたい、ゼンは次の渦王になるのは絶対嫌だって言って聞かないんだよね」
「あら、どうして? メールと結婚したくないって言ってるわけ?」
すごいことをさらっと言ってのけたルルですが、これもやっぱり冷やかしです。最近とても幸せそうにしているメールをからかっているのです。
メールは口をとがらせました。
「渦王にならないで結婚するって言ってるんだよ。あたいに北の峰に来いってさ。そんなの、父上が許すわけないのに」
「あらあら。せっかくうまくいくようになったのに、まだまだ前途多難ねぇ」
「ワン。でも、ゼンなら案外、渦王も似合う気がするけどなぁ。ゼン、渦王の島で海の生き物たちからすごく人気ありましたもんね」
とポチが言います。
そんな仲間たちの話を、ポポロは意外なくらい落ち着いて聞いていました。
ずっと好きだったゼンがメールと婚約してしまって、悲しくてしかたなかったのに、今はこんなに具体的な話を聞かされても、少しも心乱されません。むしろ、メールたちを応援したいような気持ちさえするのです。
ポポロは、自分の心の変化に自分で驚いていました。いつの間にこんなふうに変わってしまったのかしら、と考えます……。
そこへ、扉をノックしてフルートが顔をのぞかせました。フルートは今朝は普段着姿です。部屋の中を見回し、椅子に座ったポポロと目が合ったとたん、ぱっと顔を赤くしました。ポポロの方でも思わず赤くなります。前の晩、雪が降る城の屋上で月を見た二人は、この朝、初めて顔を合わせたのでした。
「お、おはよう」
とフルートは赤い顔のまま言いました。ポポロが黙ってうなずき返します。フルートに抱きしめられたことを思い出して、どきどきして、何も言えなくなってしまいます。
「ワン、なんですか?」
とポチが驚いて尋ねると、フルートは我に返って、あわてて答えました。
「え、ええと、ポチの風の石が直ったんだよ。首輪を預かってこい、ってピランさんから言われたんだ」
「ワン、直ったの!? 良かったぁ!」
ポチは歓声を上げると、すぐにフルートに駆け寄って銀の首輪を外してもらいました。石を留めつけていた台座は空っぽになっています。ここにまた、緑色の風の石がはまるのです。
すると、フルートは犬の少女にも言いました。
「ルルもだよ。ピランさんが、ついでにルルの首輪も点検してくれるってさ。一緒に持っていってあげるよ」
「あらそう? そうね、ピランさんに確かめてもらえたら安心ね」
そう言いながら、ルルはポポロに自分の首輪を外してもらいました。ルルの首輪の風の石は綺麗な青です。ポポロがフルートのところまでそれを持っていきました。フルートが、また顔を赤らめて受けとります。
その様子に他の仲間たちは、うん? という顔になりました。赤くなって見つめ合っている二人を見直してしまいます。
フルートがポポロに話しかけていました。
「魔法が使えなくなってるんだって? 大丈夫?」
「うん。一時的なものだって、ユギルさんが……。魔王も敵もいなくなったから、何日か魔法が使えなくなったって平気よ」
「それならいいけど――無理はしないでね」
いつも優しいフルートですが、このときポポロに話しかけている声は、いつにもまして優しい調子に聞こえました。ポポロが恥ずかしそうにうなずきます。ほほえみが二人の間で行き交います……。
フルートが、そそくさという感じで立ち去ると、部屋の仲間たちは、わっとポポロを囲みました。
「ちょっと、なぁに、今の!? なんなのよ、あのフルートの態度!」
「あんたたち、何かあったね!? 何があったのさ!?」
「な、なにって……」
ポポロは目を見張ってたじたじとなりました。
「あ、あたしたち、別に何も……」
「ワン、何もないはずないですったら」
とポチが言いました。
「ぼく、フルートともう三年も一緒にいるけど、あんなに照れた匂いをさせてるフルートは初めてですよ。絶対に、何かあった!」
ポポロはますます赤くなりました。頬に両手を当ててうろたえてしまいます。そんな彼女を取り囲んで、ルルとメールとポチが問い詰めます。
「こらっ、白状しなよ、ポポロ!」
「フルートと何があったの!?」
「ワン、いつの間に?」
ポポロは真っ赤になって頭を振りました。隠しているのではありません。恥ずかしさに声が出なくなってしまったのです。
すると、そこに今度はゼンが顔をのぞかせました。部屋の中を見てあきれたように言います。
「なに大騒ぎしてんだ、おまえら? 廊下までむちゃくちゃ聞こえてくるぞ」
メールはゼンに言おうとしました。聞きなよ、今ポポロとフルートがさぁ……。
けれども、ゼンは後ろを振り向くと、外の通路にいる誰かに声をかけました。
「ポチがいたぜ、じっちゃん。やっぱりここだった」
ぴょいっとゼンの足下から別の顔がのぞきました。背丈が六十センチほどしかない灰色のひげの老人――ピランです。金属のように光る緑色の服を着ています。
ピランは部屋の中の少女や犬たちを見渡すと、いつもの大声でポチに言いました。
「おう、いたいた! どれ、ポチ、首輪をよこさんか! 風の石の修理が終わったぞ! つけ直してやる!」
そう言うピランの小さな手には、緑色の綺麗な石が握られていました――。