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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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102.雪月

 フルートはロムド城の屋上に、ひとりで立っていました。

 夜になって粉雪が降り出していました。音もなく降りしきる中、雪を透かして夜空が見え続けています。フルートは冷えた空気の中に白い息を吐きながら、黙って空を見上げていました。

 すると、そこへ階段を上ってポポロがやってきました。フルートの姿を見つけると、ほっとした顔になり、嬉しそうに近寄ってきます。

「ここだったのね、フルート……。急に大広間からいなくなるんですもの、どうしたの……?」

 フルートは振り向きました。自分は服の上にマントをはおっていますが、ポポロは星空の衣の姿のままです。夜の中、黒い服の上で星の光がまたたき、赤いお下げ髪の少女を美しく彩っています。フルートの胸が密かにときめき始めました。そんな自分を隠すように、ことさら普通の声で答えます。

「貴族の人たちが大勢いる場所は、やっぱりなんだか気疲れしてさ。ゼンたちがぼくを捜してた?」

 ううん、とポポロは首を振りました。

「ゼンとメールはもうとっくにゼンの部屋に逃げてっちゃったわ。ポチとルルは、メーレーン様の遊び相手をしてるし。探していたのは、あたし……」

 フルートの心臓が、どきんと鳴りました。なんでもないことばのはずなのに、なんだか特別な意味に聞こえてしまったのです。赤くなった顔をあわててそらして、また空を見上げます。

 すると、とたんにポポロが表情を変えました。悲しそうな表情になって、うつむいてしまいます。自分が探しに来たことをフルートが迷惑に感じたのだと誤解したのです。小さな姿が、しょんぼりと肩を落とします。

 フルートはますますあわてました。そうじゃない、迷惑なんかじゃないよ、と言いたいと思うのですが、あわてればあわてるほど、ことばが口から出てこなくなってしまいます。

 自信なさそうにうつむく少女と、想いをなかなか口にすることができない少年。本当に、相変わらずの二人です――。

 

 けれども、しばらくの沈黙の後、ポポロが顔を上げました。勇気を奮い起こすようにフルートを見上げて、また話し出します。

「フルート……あの、あのね……」

「なに?」

 フルートは、ポポロがまた話しかけてくれたことに、ほっとしながら返事をしました。優しくほほえんで見せます。それにさらに勇気を得たように、ポポロはことばを続けました。

「あのね、フルート……ありがとう。あたしを助けに来てくれて……」

 フルートは目を丸くしました。自分にとって、ポポロを助けに行くのはあたりまえのことだったので、それに礼を言ってもらえるとは思わなかったのです。

 城の屋上の遠いかがり火が、ポポロの横顔を照らしていました。その頬が真っ赤に染まっているのが、夜目にもはっきりとわかりました。

「あたし……あのとき、もう少しでデビルドラゴンに負けてしまうところだったの……。こんな情けない自分が嫌だったから……デビルドラゴンから力をほしいって、本当に思っちゃったの……」

「そんなこと――!」

 思わず声を上げたフルートに、今度はポポロがにっこりほほえんで見せました。少年が、はっとしたように黙ります。

「うん……。もう少しでデビルドラゴンのところへ行きそうだったんだけれど、寸前で立ち止まれたのよ。フルートがあたしを助けに来てくれたから……。あたし、ザカラス城でずっとフルートを見ていたの。フルートは一生懸命あたしを助けようとしてくれてたわ。本当に一生懸命――」

 でも、助けにいけなかったけどね、と少年はつぶやくように言いました。ポポロとトウガリの両方を助けようとして絶体絶命に追い込まれてしまったことを思い出したのです。

 ううん、とまたポポロは首を振りました。

「フルートは、本当にあたしを助けてくれたのよ。だって、フルートがそうやって一生懸命来てくれたから、あたし……こんな自分でもいいのかな、って、思えたんだもの……。こんなあたしでも、このまんまでも、いいのかな、って……」

 フルートは思わず目を見張りました。ポポロを見つめてしまいます。驚いたようなその表情をまた誤解して、ポポロが自信のない顔になりました。ごめんなさい、変なこと言っちゃって、とあっという間に涙ぐんでしまいます。

 すると、フルートがうなずきました。暖かい優しい笑顔が、包み込むように広がります。

「そうだよ、ポポロ。君はそのままでいいんだ――。泣き虫だって、魔力が強くったって、そういうのが全部君だし――すごく素敵だから」

 本音をありのままに言って、フルートは顔を赤らめました。

 ポポロも真っ赤になります。どきどきしながら、心の中でフルートのことばを反芻(はんすう)してしまいます。君はそのままでいいんだ。そういうのが全部君だし、すごく素敵だから――。それは、ポポロにとって涙が出るくらい嬉しいことばでした。

「でも……やっぱりあたし、もう少し魔力をコントロールできるようにならないとね。みんなを巻き込んじゃうもの」

 そう言って、ポポロは笑いました。笑いながら、宝石の瞳から綺麗な涙をこぼしました。

 

 粉雪は夜空から降り続けていました。雪を透かして星や月が見えます。三日月をほんの少し過ぎた月は、西の地平線近くまで傾いていました。雪に月の輪郭がにじみます。

 フルートはいつの間にかまた静かな表情に戻っていました。黙って月を眺めています。

 ポポロはその隣に立って同じ月を見ながら、心の中でまた堂々巡りを始めていました。耳の底を冬至祭りのトウガリの歌が流れていきます。想いをことばに出して言えるのは幸せなことなんだぞ、と言い続けています。

 フルートのそばにいてもいい? とポポロは聞いてみたかったのです。迷惑かもしれないけど、でも、できるだけ邪魔にならないようにするから、そばにいてもいい? と――。

 本当は、もう少し違う言い方があるような気がしたのですが、ポポロにはこんなことばしか思いつきませんでした。そして、そう言うと、「今だって、こうやってそばにいるのに?」とフルートから笑われそうな気がして、口にする勇気が出なくなってしまうのでした。呼べるなら呼べよ、その人の名を――とトウガリの歌はポポロに語りかけます。けれども、ポポロはフルートの名前を呼ぶ勇気がどうしても出ないのでした。

 フルートは、じっと雪の中に月を見つめています。

 

 すると、フルートが呼びました。

「ポポロ」

 その目は月を見たままです。ポポロはとまどいました。なに? と聞き返します。

 フルートがポポロを見ました。青い瞳が、ほほえむように少女を見つめます。その深いまなざしに、ポポロは急にまたどきどきしてきて、真っ赤になりました。なんだかフルートの優しい顔を見ていられなくなって、つい目をそらしてしまいます。それでも胸のときめきは止まりません。

 黒い衣を着たポポロの肩に、雪がうっすらと積もり始めていました。粉雪は止むことなく降り続けています。

 すると、フルートが腕を大きく横へ動かしました。ばさり、と音を立ててマントが広がり、冷えたポポロの体を包み込みます。フルートの両腕が、後ろから少女を抱きしめます。

 ポポロは息が止まりそうになりました。本当に、ことばがまったく出てきません。

 すると、フルートが万感を込めた声で言いました。

「君が無事で良かった。――本当に、良かった――」

 フルートは金の鎧兜を身につけていませんでした。いつもの鎧の堅い感触が、二人の間にありません。フルートの体のぬくもりが、じかにポポロに伝わってきます。

 フルートがポポロの肩に顔を埋めました。少女の華奢な体をいっそう強く抱きしめます。そんな二人をマントが包み込んでいます。

 とたんに、ポポロは泣き出しそうになりました。胸にひとつの熱い想いがこみ上げてきます。

 この人が好き。あたしは、この人が好き――。

 本当に涙ぐみながら、ポポロは心に繰り返しました。自分を包んでくれるフルートを全身で感じ取って、とうとう涙をこぼし始めます。

 

 二人はそれきり何も言いませんでした。

 声もなく泣き続ける少女と、それを腕の中に抱きしめる少年。夜はどこまでも静かです。

 降りしきる粉雪の中で、細い月は、ゆっくりと地平線に沈んでいこうとしていました。

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