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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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101.道化の歌

 フルートたちが通路を通って正面入り口から大広間に戻っていくと、トウガリは口上の真っ最中でした。

 いつもは玉座が据えられる壇上が、今日は舞台になっています。その正面の席にロムド王とメノア王妃が座り、両脇にオリバンとメーレーンが座っています。同じ最前列に、ユギルやゴーリス、リーンズ宰相やワルラ将軍の姿もあります。

 病気から回復したラヴィア夫人は、他の貴族たちと一緒に後ろの方の席に座っていました。それを見つけてフルートたちが隣に座ると、夫人は黙って会釈をしてきました。老いた顔に深い安堵と感謝の表情があります。フルートたちも、何も言わずに大きな笑顔を返しました――。

 

 トウガリが舞台の上から人々に何度も大げさなお辞儀をしていました。頭を下げるたびに、帽子の鈴がリンリンと鳴ります。

「偉大なる国王陛下と麗しの王妃様、また勇敢な皇太子殿下とお優しいメーレーン様の上に、光の加護はまぶしいばかりでございます。ロムドの平和と繁栄は、これからもいついつまでも続きましょう。――さて、折しも今日は冬至祭り。この日には大切な人同士がプレゼントを贈り合うのが古くからの習わし。麗しの王妃様に、トウガリからはこれをお贈りいたしとう存じます」

 長身の道化が舞台を下り、最前列のメノア王妃に近寄りました。王妃はこの日、一度もほほえんでいませんでした。賑やかに冬至祭りが行われているというのに、ひっそりと椅子の中に座ったまま、時折そっと涙をぬぐっています。父であるザカラス王が急逝したことを知らされ、深い悲しみに沈んでいたのです。メーレーン王女やロムド王やオリバンが心配そうにそれを見ていましたが、王妃は顔を上げようともしませんでした。

 トウガリは王妃の前に立つと、深く一礼をしました。大きな身振りで王妃の目の前に片手を差し出して見せます。その手は空っぽで、贈り物も何も持ってはいません。さすがの王妃も、一瞬、不思議そうな表情になります。

 すると、そのトウガリの手から黄色い毛玉のようなものが現れました。自分から動いて手からこぼれ落ち、ピヨピヨと甲高い鳴き声を上げ始めます。それは、生きたヒヨコでした。何もないはずの手から次々に出てきて、王妃のドレスの膝の上に落ちていきます。王妃の膝の上は、あっという間に七、八羽のヒヨコでいっぱいになってしまいました。

「まあ!」

 とメノア王妃は目を見張りました。メーレーン王女も国王やオリバンも目を丸くしています。ピヨピヨピヨ。ヒヨコの鳴き声は賑やかです。

 すると、王妃が突然両手を打ち合わせて笑い出しました。

「まあ……まあ、トウガリ! これはおまえが初めてザカラス城に来たときに見せてくれた手品ですね! あのときは、父上も兄上も一緒にいらして、やっぱり同じようにびっくりして見ておいででした。いつも怖い顔の父上が、とても楽しそうに眺めていらして――」

 思い出の中の父の元気な姿に、王妃は笑顔のまま、また涙をこぼし始めました。冷酷無比なザカラス王でしたが、それでも、メノア王妃にとってはたったひとりの大切な父親だったのです。

 そんな王妃にトウガリは優しく話しかけました。

「お笑いください、メノア様。王妃様の笑顔は世界一です。そのほほえみは、ザカラスにも、遠い天上の光の国にも届いていくことでございましょう。もちろん、王妃様のお父上にも……。メノア様が笑っておられれば、お父上もきっとご安心なさいます」

 メノア王妃に真相は告げられていません。ザカラス王の冷酷な正体も知らされてはいません。王妃の思い出の中で、ザカラス王は厳しいけれども優しい父のままでした。そして、国王もオリバンもユギルも、フルートたちも、誰ひとりとして王妃に真実を知らせようとはしませんでした。優しい夢の中にいる王妃を、そっと暖かく見守ります。

 メノア王妃は涙をぬぐいました。トウガリに向かって、にっこりと笑って見せます。

「そうですわね。お父様に心配をおかけしないためにも、私は笑って差し上げなくては」

 トウガリは、王妃にまた深く一礼をしました。おどけたしぐさで舞台へ戻っていこうとします。

 

 すると、急に王妃の隣からメーレーン王女が立ち上がりました。バラ色のドレスをひるがえしながらトウガリに駆け寄ると、驚いて振り返ったトウガリの首に抱きついてしまいます。

「トウガリ! トウガリはメーレーンのためにザカラス城まで来てくれました! メーレーンはとても嬉しかったです。トウガリが無事に帰ってきてくれて、本当に嬉しく思ってますわ――!」

 王女は父や兄たちから、今回の一件については黙っているように、と口止めされていました。特に、ザカラス城をデビルドラゴンが襲ったことは、母を悲しませるから絶対に話してはいけない、と言われています。感謝を具体的に話すわけにはいかなくて、王女は一瞬ことばに詰まり、次の瞬間、態度でそれを示しました。トウガリの首に堅く抱きつき、痩せた頬の上にキスをしたのです。

 トウガリは、道化の化粧をした顔でもそうとはっきりわかるほど、本当に驚いた表情になりました。化粧の下の素顔は、もしかしたら真っ赤に染まっていたのかもしれません。話す声が照れるような調子になっていました。

「これはこれは……このトウガリまで、思いがけずプレゼントをいただいてしまいました。姫様からキスしていただけるなど、トウガリにとっては一生の宝物でございます。思い出の宝石箱に、大切に大切にしまわせていただきます」

 そう言って、トウガリは片手を胸に当て、王女に頭を下げて見せました。その手の下、道化の服の奥には、鎖を直したペンダントがありました。ペンダントの中にはメノア王妃の肖像画がしのばせてあります。一生涯トウガリが口にすることのない想いでした。

 王女はまた自分の椅子に戻っていきました。そのときに、後ろの方の席に座る勇者の一行が目に入ります。フルートの隣には、黒い星空の衣を着たポポロの姿があります。メーレーン王女は、二人に向かって、にっこりと笑って見せました。それは、母のメノア王妃によく似た天使の笑顔でした――。

 

 トウガリはまた壇上に戻っていきました。大広間に集まる人々に大きく道化の礼をして言います。

「さて、皆様。皆様方にはこのトウガリから、いつもとちょっと違った趣向の贈り物をさせていただきます。滑稽もひょうきんもない、甘く切ない恋のバラッドでございます。冬至祭りは、いつもとは違う大切なお祭りでございます。その祭りの席ならば、こんなものもまた一興でございましょう」

 トウガリはいつの間にか小さな楽器を取り出していました。おもちゃのように小さな銀の竪琴です。それを、初めはおどけたしぐさでかき鳴らします。その様子を見て、人々がまた笑います。

 すると、トウガリがふいに態度を改めました。竪琴を抱きしめるように大切にかかえ、低く静かに歌い出します。

 

 

 君よ、誰を想うのか

 青ざめた顔で 溜息をつきながら

 君よ、誰を慕うのか

 君の想い人は誰なのか

 

 語らぬ口 語らぬ声

 けれども 君の瞳は語り続ける

 愛しき人の名を

 

 呼べぬ名であるか その人の名は

 見ることさえ許されぬのか

 その人の笑顔は

 

 呼べるなら呼べよ その人の名を

 その名前は美しい

 その笑顔は美しい

 想い語れることは幸せなことならば――

 

 

 それは、ロムドに昔から伝わる恋の歌でした。哀愁を帯びた旋律に乗せて、甘い歌詞が流れていきます。トウガリの少しかすれた歌声が、意外なほど歌によく合っています。

 そして、その歌詞は本来のものから少し変えられていました。誰かに向かって語りかけるような調子になっています。

 人々の後ろの席に座って、フルートたちは目を見張っていました。トウガリが、他でもない自分たちに向けて歌っているのだと気がついたのです。

 好きな奴がいるならば、名前を呼んで告げてやれ。そうやって想いを正直に語れることは幸せなことなんだぞ――とトウガリは彼らに言っていました。

 

 ふいに、メールが隣に座るゼンの肩に顔を伏せました。涙ぐんだ声で言います。

「やだな……なんか切ないよ……」

 ゼンは黙ったまま、メールの肩に手を回して抱き寄せました。

 その足下でポチとルルは思わず互いを眺め、視線が合ってしまって、あわててまた目をそらします。

 フルートとポポロは何も言えませんでした。竪琴のかき鳴らす旋律は、少年と少女の胸の琴線にも強く響きます。トウガリの歌声が心に迫ります。二人は壇上のトウガリを、いつまでも見つめ続けました――。

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