ザカラスの皇太子は、父王に短剣を突きつけながら、階段の隠し通路から出てきました。その後ろで扉が閉じて周囲の壁と区別がつかなくなります。
フルートたちは驚いて声が出せませんでした。目を見張ったまま、ザカラスの王と王子を見つめてしまいます――。
「アイル、なんのつもりだ?」
とザカラス王が尋ねました。青ざめていますが、まだまだ自分の方が優位にあることを感じさせる声と口調です。
ザカラス皇太子は、父王より青ざめた顔で言いました。
「も、もうやめましょうと、も、申し上げているのです……。か、彼らの言う通りです。ジタン山脈の魔金は、わ、我が国に利益にはなりません。い、いっときは国を潤しても、か、必ず我が国を妬む他の国々から攻め込まれます。ザカラスは戦場になります――。ち、父上、もう良いではございませんか。父上のお力で、ザ、ザカラスは以前に増して栄えました。に、西の海岸沿いでは、が、外国との貿易も盛んに行われておりますし、街道に沿って、ロムドともエスタとも、年を追って交易の量は、ふ、増えております。ジタンの鉱脈などなくとも、ザ、ザカラスは大国なのです。それを堅固に守り続けることこそ――」
「わしに説教するつもりか、アイル」
とザカラス王が突然さえぎりました。鋭いほどに冷ややかな声です。必死で話す息子のことばに、これっぽっちも耳を貸そうとはしません。
ザカラス皇太子は、びくりと痩せた肩をふるわせました。真っ青になった顔で、短剣をいっそう堅く握りしめます。
すると、それを見てザカラス王は言いました。
「それをどけろ、アイル。父を殺す勇気もないくせに、愚かな真似をするな。今すぐそれを手放せば良し。さもなければ、我が息子と言えども承知はせんぞ」
それはただの脅しではありませんでした。ザカラス王は本気で、自分に逆らうならば処刑する、と皇太子に言っているのです。冷ややかなまなざしは、自分の血肉を分けた息子を見る目ではありませんでした。
ザカラス皇太子はぶるぶると震え出しました。その手に短剣を強く握りながら、金切り声を上げます。
「わ――私を息子などと呼ぶな――!!」
それは、強い獣に追い詰められた小動物が突然捨て身で敵に飛びかかっていく様子に似ていました。
「わ、我が子だなどと、一度だって思ったこともないくせに! ち、父上にとって、私はただのゲームの駒だ! 今回の一件だって、く、国の内外から責任を追及されたら、わ、私のしわざだと言って片づけるのだ! わ、私ひとりを処刑して見せて、そ、それで父上は平然とザカラスに君臨し続けるのだ――! それがあなたのやり方だ、父上!!」
けれども、ザカラス王は死にものぐるいになっている息子を、つまらなそうな目で眺めただけでした。冷ややかに答えます。
「当然であろう。わしはザカラス王なのだ」
ザカラス皇太子は茫然と立ちすくみました。
父に積年の恨みを吐き、告発していても、心のどこかではかすかな期待をしていたのです。今まで逆らうこともなく従ってきた自分が反発すれば、さすがの父王も驚いて、自分のこれまでのやり方を振り返ってくれるのではないか、と。
けれども、ザカラス王はそんな生やさしい人物ではありませんでした。息子も単なる自分の道具なのだと堂々と言い切っています。
「何をそんなに驚く、アイル。王室とはそういうものだ。国を守り繁栄に導くためには、いかなるものでも犠牲にしなくてはならない。歴代のザカラス王は、そうやって国を守り続けてきた。おまえの祖父も、おまえの曾祖父もそうだ。おまえも王族の一員であるなら、その務めを果たすがいい――」
「だ、黙れ!!」
ザカラスの皇太子は突然また引き裂くような声を上げました。
「そ、そんな――そんなもののために殺されてたまるか――! 王室がなんだ! 王がなんだ! き、貴様など王ではない! 私の父でもない! 貴様は、ザカラスに生まれ落ちてきた悪魔だ!!」
泣きながら、叫びながら、ザカラスの王子は短剣を力一杯突き出しました。父の胸を背中から突き刺そうとします。それをかわして、ザカラス王が前へ逃げます――。
すると、その間にフルートが飛び込んできました。ザカラス王を後ろにかばい、手にしたロングソードでザカラス皇太子の短剣を受け止めます。ギィン、と耳障りな音が響いて刃が止まります。
とたんに、皇太子は短剣を取り落としました。衝撃が大きすぎて、手がしびれてしまったのです。短剣が床の上を転がっていきます。
はっと驚く人々の前で、フルートは叫びました。
「殺してはいけません、殿下!」
ザカラス皇太子が、ぎょっと身を引きました。その顔色は青を通り越して死者のような白い色に変わっています。血の気の失せた唇で言います。
「な、何故止める……金の石の勇者。そいつはお前の敵だぞ……? お、おまえや仲間たちを、な、何度も殺そうとしたんだぞ……?」
「そうだ、フルート! そんな奴、助けることねえぞ!」
とゼンがどなりました。メールも叫びます。
「ザカラス王なんて守ってやる必要ないってば! 勝手にさせなよ!」
けれども、フルートは後ろに王をかばいながら、きっぱりと首を振りました。
「それでも、殺しちゃいけません。この人は、あなたのお父さんだ」
ザカラス皇太子は顔を歪めました。新しい涙がまた頬を流れ落ちていきます。
「そ――そんな男が父であるものか! わ、私は――私は――!!」
それ以上ことばが続かなくなって、声を上げて泣き出します。
それを見ながら思わず立ちすくんだのはオリバンでした。胸をつらぬかれる想いがしていました。オリバン自身も、かつてロムド王である自分の父親を憎んだのです。自分は父から疎んじられている、愛されていない、と思いこんで。
目の前のザカラス王は、本当に息子の皇太子を愛していないのかもしれません。ザカラス王は冷酷無比な人物です。自分自身に愛されてきた経験がないために、誰かを愛することも知らないのです。アイル皇太子の告発は真実に違いないとは思います。オリバンの父のロムド王とは違うのです。
けれども、アイル皇太子の姿は、かつての自分自身と重なりました。あの頃は、自分も心の中で何度も父親へ刃を向けていたのです。ついにそれを実行しないですんだのは、二度目の母であるメノア王妃と、かわいい妹のメーレーン、そして、金の石の勇者のフルートのおかげでした――。
フルートはザカラス皇太子に静かに言い続けていました。
「だめです、殿下。自分のお父さんを殺したりしては、いけないんです」
アイル皇太子は声を上げて泣き続けています。
すると、突然ポチが声を上げました。
「ワン、何を――!?」
人間たちより低い位置にいる子犬は、ザカラス王が顔を上げて床に目をやったのに気がついたのでした。ザカラス王は冷ややかに笑っていました。その視線の先には、アイル皇太子の手から飛ばされた短剣が落ちています。
ザカラス王は、恰幅のよい体からは想像がつかない身のこなしで短剣に飛びつくと、拾い上げてフルートを振り向きました。驚いたような顔をしている勇者へ、剣を振りかざします。
「知っているぞ、金の石の勇者! 貴様のその鎧の弱点は、顔だ――!」
短剣が冷たく光りながら振り下ろされていきます。
「フルート!!!」
仲間たちは思わず叫びました。アイル皇太子も驚きの声を上げます。誰もがすくんでしまって動けません。
フルートは、とっさに片腕を上げて顔をかばいました。腕をおおう金の籠手が剣を受け止めます。
すると、短剣が途中で折れました。あらゆるものからフルートを守る鎧です。衝撃に負けてぽっきりと折れた刃が、跳ね返っていきました。飛んでいった先は、ザカラス王の胸の真ん中です――。
王は悲鳴を上げました。
どう、とその場に倒れて動かなくなります。
やがて、倒れた体の下からじわじわと紅い色が床の絨毯ににじんでいきました。王の背中からは、折れた刃の先が、血に濡れながら突き出ています。
茫然とする人々の中で、フルートは我に返りました。あわてて自分の首からペンダントを外そうとして、はっとその手を止めます。金の石は眠りについています。癒しの力は発揮できないのです。
ユギルが、うつぶせに倒れているザカラス王にかがみこみました。静かにその片手を取り、脈が次第に弱まり、やがて完全に触れなくなるのを確かめて、また手を床に下ろします。
子どもたちは誰も何も言えませんでした。二人の皇太子も声もなく立ちつくすばかりです。
トウガリが近づいてきました。唇をかんで立ちすくんでいるフルートの肩に、そっと手をかけて言います。
「畑にはまいたものしか実らない。ザカラス王は、自分にふさわしい収穫を手にした。ただそれだけのことだ――」
ザカラス城では花が咲き、緑の葉が揺れ続けていました。
すると、ひときわ強い風が吹いてきて、バラの花びらを散らしました。薄紅色の花びらが風に巻き上げられ、ひらひらと床の上に落ちてきます。
ザカラス王の上にも花びらは散りました。それは、隣国へ嫁いだ後も父王を案じていた、心優しい姫がこぼす涙のようでした。