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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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96.制止

 ポポロは崩れるザカラス城の中にいました。不気味な振動を繰り返す建物から外に逃げだそうとしません。城の崩壊を止めたいのにできない、と言って泣きじゃくっています。

 城の裏庭に立って、仲間たちは青くなっていました。城に向かって叫びます。

「馬鹿なこと言ってんなよ、ポポロ! ザカラスは敵なんだぞ! そんなもん、助ける必要ねえんだよ!」

「いくらポポロでも、そんな大きなもの止められないって! 早く逃げ出しておいで! 魔法はまだ使えるんだろう!?」

 ゼンとメールが必死で呼びかけます。

 彼らの頭の中に響くポポロの泣き声が、いっそう大きくなりました。

「いや……! 関係ないんだもの! ここの人たち、本当に全然関係ないんだもの! それなのにお城と一緒に死なせちゃうだなんて……!」

 それはポポロの言うとおりでした。ジタン山脈の魔金を狙い、執拗にロムドにしかけてきていたのはザカラス王です。世界を支配しようとデビルドラゴンを城に招き入れ、ポポロを捕らえようとしたのはジーヤ・ドゥです。それ以外のザカラス人は、王の命令でフルートたちを捕らえようとはしましたが、真相も、ザカラス王たちが何をしているかさえも、まったく知らずにいるのでした。

 座り込んでいるポポロには、城中の騒ぎが聞こえていました。どんどんひび割れ崩れる城に、人々の悲鳴が響き渡っています。逃げまどい、落ちてきた岩や倒れかかった家具に押しつぶされて、また悲鳴を上げます。彼らには、城に何故こんなことが起きているのか、まったくわかりません。神に救いを求めながら、泣き叫び、必死で城から逃げ出そうとしています。けれども、城は広大です。城が崩落する前に全員が脱出することは、とてもできそうにありません――。

 そのとき、ポポロの元に疾風の勢いで飛んできたものがありました。風の犬に変身したルルです。落ちてくる岩や天井の漆喰を跳ね飛ばしながら、通路をまっしぐらにやってきて、ポポロへ舞い降りてきました。

「見つけたわ、ポポロ! さあ早く! ここから逃げるわよ!」

 風の背中にポポロをすくい上げようとすると、ポポロが激しく首を振りました。そばの柱にしがみついてしまいます。

「だめよ、ルル――! お城が壊れるのを止めなくちゃ! これはあたしの魔法なんだもの――!」

 言って、ポポロはまた激しく泣きました。

 いつだってポポロの魔力は大きすぎて、ポポロ自身にもコントロールすることができません。予想もしなかった事態を引き起こして、周囲の人々まで巻き込んでしまいます。そして、ポポロには、その後始末をすることさえできないのです。

「ポポロ……」

 ルルは絶句してしまいました。

 

 城の裏庭でフルートは青ざめながら城を見上げ続けていました。城の崩壊を止めるまでポポロに脱出する気がないことは、声の調子でわかりました。なんとか止めようと必死になっているからには、今日の魔法はまだもう一つ残っているのでしょう。ただ、崩壊があまりにも大きすぎて、さすがのポポロにもどうすればいいのかわからないでいるのです。

 他の仲間たちがあわてふためく中、フルートは城を見上げて、じっと考え続けました。なにか手段はないかと探し続けます。

 と、その青い瞳が自分の胸の上のペンダントを見ました。その先で光る石へ呼びかけます。

「金の石! 金の石の精霊!」

 ほんの少しの間があって、黄金色の髪と瞳の少年がまた姿を現しました。

「なにさ?」

 と小さな子どもの姿には似合わない、大人びた口調でフルートに尋ねます。

 フルートは必死で言いました。

「ポポロが城の中にいる! 城が崩れるのを止めてくれ!」

 精霊はまた少しの間沈黙しました。フルートを見上げる顔は、なんの表情も浮かべていません。やがて、静かに答えます。

「それは無理だ。ぼくは小さい。いくらぼくが守りの石でも、こんなに大規模な崩壊を食い止めることはできないよ」

 金の石の本当の名前は聖守護石と言います。かつては今の三倍以上もある大きな石で、そこから放たれる光は戦場をあまねく照らし、何万という闇の敵を消滅させ、同じくらいの数の味方を守ることができました。その時代の守護石であれば、城の崩壊を止めて人々を救うこともできたのです。

 けれども、今、金の石は本当に小さな姿をしていました。直径わずか三センチほどの小石です。フルートの守りの想いに応えて強く輝くことはできますが、それでも発揮できる力には限界があったのでした。

「どうしても無理なのか――?」

 とフルートが金の石の精霊に食い下がりました。

「申し訳ないけれどね。ぼくひとりの力では及ばないよ」

 と精霊は答えました。石の精霊たちは心のありようが人間とは違います。事実は事実として、淡々と語ります。

 フルートはうつむきました。唇をかみ、さらに必死で考え続けます。

 ゼンがポポロを助けに城に飛び込もうとして、ユギルやオリバンに抑えられていました。

「行ってはなりません、ゼン殿! 死んでしまいます!」

 というユギルの声に、メールは真っ青になってゼンに飛びつきました。抱きつくようにして引き止めます。ゼンは振り返って顔を歪めました。メールを振り切って城に飛び込んでいくことができません――。

 フルートはまた金の石の精霊を見ました。

「君は北の大地の戦いの時に、ものすごい光を放った。あのくらいの光があれば、城を止めることができるんだろう?」

「あれは友情の守り石の力の援助があったからだ。ぼくだけの力じゃない」

 石の精霊は、あくまでも冷静です。すると、フルートが重ねて聞きました。

「ポポロの力では? ポポロの魔法は光の魔法だ。君を援助することができるんじゃないのか?」

 精霊の少年はちょっとの間、また黙りました。考え込むような顔をして、やがて、フルートを見上げて答えます。

「やってみよう」

 

 城がまた大きく揺れました。亀裂はもう城全体をおおっています。壁が大小の岩の塊になってばらばらと落ちていきます。細い尖塔が上の方から崩れだしています。

 すると、突然金切り声が響きました。崩れる塔の途中に、死にものぐるいでしがみつく人の姿がありました。ザカラス城の家来です。別の場所では泣きながら窓際にすがりつく侍女たちの姿も見えていました。人々は皆、寝間着姿です。明け方近くに闇の怪物が突然城に入り込み、続いて城が崩壊を始めたので、着替える間もなく逃げまどっていたのです。

 いやぁぁ……! とポポロが泣き叫ぶ声が聞こえていました。崩れる塔から今にも落ちそうになっている人々を、魔法使いの目で見ているのです。

 金の石の精霊がフルートに言いました。

「ぼくを城壁に押し当てろ。――ポポロ、聞こえるか? これから城の崩壊を止める! ぼくに力を貸すんだ!」

 けれども、返ってきたのは混乱した泣き声だけでした。ポポロは恐怖と衝撃で、自分が何を言われているのかもわからなくなっているのでした。

 フルートは走りながら叫びました。

「ポポロ! 金の石に力を貸すんだ! 金の石と一緒に城を止めて、みんなを助けるんだ!!」

 みんなを助けるんだ、ということばが、少女を正気に返したようでした。はっとしたように息を呑み、泣き声が止まります。フルートは城壁に駆け寄りました。その上に大小の岩が降りかかってきて、鎧兜に跳ね返されます。フルートは金の石のペンダントを城に押し当てました。

 精霊の少年が呼びかけます。

「ポポロ、力を――!」

 一瞬の沈黙の後、それに応えるように呪文が響き渡りました。

「エカムヨラカーチニイレイーセ!」

 ポポロの声です。

 とたんに緑の閃光がまた城全体に広がりました。城がいっそう大きく揺れます。城中から大勢の人間の悲鳴が上がります。

 精霊の少年は片手を高く上げ、城に向かって叫びました。

「守りの光よ、包め! 城中の人々を守れ!」

 とたんに、緑の閃光が色を変えました。まばゆい金の光になって、城全体を照らし渡します。さらに光は城全体をおおい、きらめきの中に城全体を包み込んでいきます――。

 

 不気味な地鳴りが止まりました。

 落石もやみます。

 見上げると、尖塔は今にも崩れそうになったまま、凍りついたように動かなくなっていました。墜落しかけていた男が、必死でよじ登っていくのが見えます。

 フルートの頭上の城壁でも、ひときわ大きな岩が今まさに転げ落ちようとしたまま、動かなくなっていました。金の光がすべてのものを包んで押さえているのです。

「すっげぇ……ホントに止まったぞ」

 とゼンが思わず言うと、精霊の少年が言いました。

「まだだ。ポポロの魔法は二、三分しか効かない。それが切れたら、城はまた崩れ出す。――メール、花を城壁に行かせるんだ」

「花を?」

 メールは驚きましたが、精霊の言うとおりに、花たちをフルートのそばへ飛んで行かせました。城の前が花で埋め尽くされ、美しく彩られます。

 精霊の少年が花に目を向けると、その中でまた金の光がひらめきました。メールが命じているわけでもないのに、花たちがいっせいにざわめき出します。

 と、そこから緑のものが飛ぶように上へ伸び始めました。花の蔓(つる)です。みるみるうちに花畑から伸びて、城壁を這い上がっていきます。

 フルートはペンダントを城壁に押し当てたまま、目を丸くしてその様子を眺めていました。蔓はものすごい勢いで伸びていきます。枝分かれした先でさらに伸び、城壁全体に広がり、さらに緑の葉を広げていきます。

 やがて、城は下から上まで一面蔓草の緑色でおおわれました。蔓と葉が崩れかかったザカラス城を押さえ、今にも落ちそうになった大小の岩も、蔓草に絡みつかれて動かなくなってしまいます。その上で、つぼみがふくらみ、やがて花びらが開き始めました。色とりどりの花が、崩れかけた城を飾ります――。

 光が城から消えていきました。金の光も緑の閃光も、もうどこにも見当たりません。ただ緑の植物が巨大なザカラス城を一面におおい、むせかえるほどの花の香りを漂わせていました。冬の中、城は花に包まれています。

 

 フルートはペンダントを城壁から離しました。笑顔で金の石の精霊を振り返ります。

 小さな少年の姿の精霊は、ふう、と溜息をつきました。

「さすがに疲れたな……。今の光で城内の闇の怪物も全部消滅した。あとは休ませてもらうよ」

 そう言って、精霊は見えなくなっていきました。淡い金の光だけが漂っていましたが、それもすぐに薄れていきます。

 すると、フルートの手の中で金の石が音もなく光を失っていきました。ただの石ころのような灰色に変わってしまいます。魔石は眠りについたのでした。

 そこへ、蔓草が絡みついた出口から子犬が走り出てきました。尻尾を振りながら、ワンワンとフルートに駆け寄っていきます。

「ポチ!」

 とフルートは歓声を上げてそれを抱き上げました。

「良かった、無事だったね! どこに行っているのかと思ったよ!」

「ワン、すみません。城から脱出しようとして、落ちてきた石にはさまれてたんです」

 子犬の返事を聞いて、フルートは顔色を変えました。

「それで怪我は!?」

「ワン、大丈夫です。足の骨を折ってたんだけど、金の光が降ってきたと思ったら、あっという間に治っちゃいましたから。城中がそんな感じですよ。崩れてきた建物で怪我した人が大勢いたんだけど、金の光があふれたら、みんなすっかり治っちゃったんです。あれは金の石の癒しの光ですね?」

「うん。金の石とポポロが協力して城の人たちを守ったんだ。――本当に良かった」

 そう言って、フルートはまた、ポチをぎゅっと抱きしめました。

 

 ポポロが閉じこめられ、デビルドラゴンと対決した部屋は、城の中央付近にありました。崩れかけた城の中でも、その階は特に激しく壊れていて、壁という壁が残らず崩れ落ちていました。石の柱だけが残る場所から、朝日に照らされたザカリアの街が見下ろせます。あれほど激しく揺れていた城が、今は嘘のように静まりかえっています。

 城は緑の植物でおおわれていました。蔓が壁を這い、柱に絡みついて、ひび割れた建物を押さえています。冷たい冬の風の中、緑の葉がざわめき、数え切れないほどの花が花びらを揺らしています。

 その階には特にバラの花がたくさん咲いていました。赤、白、クリーム色……さまざまな色がありますが、中でも一番数が多いのはピンク色のバラでした。光の差し込む城の中で、夢見るように咲き続けています。そこにポポロが倒れていました。絨毯におおわれた床の上にも蔓バラは伸びてきて、すぐそばで花を咲かせています。ポポロが着ているドレスと同じ、柔らかな薄紅色です。

 かたわらに、茶色の犬の姿に戻ったルルが座っていました。眠るように倒れているポポロを見ながら、静かに尻尾を振り続けています。

 

 すると、そこへ一行がやってきました。先導はユギル、続いて、フルート、ゼン、メール、ポチ、オリバン、それにトウガリの順番で階段を上ってきます。階段にも蔓バラがいたるところに絡みついて、花を咲かせていました。

 フルートはポポロとルルを見たとたん、ユギルを追い抜いて駆けつけました。

「大丈夫!?」

 と声をかけると、ルルが笑うように答えました。

「もちろん大丈夫よ。ポポロも大丈夫。魔力を使いすぎて疲れて眠っちゃってるだけ。心配ないわ」

 そこへ白い子犬が近づいてきました。ルルが一瞬、疑うような、確かめるようなまなざしをしましたが、ポチは知らん顔でそばまで行って、ぺろりとその頬をなめました。

「ワン、無事で良かったですね、ルル」

 ポチは、それ以上何も言いませんでした。ルルも、何かを言いかけて、思い直したように口を閉じました。

 

 フルートはポポロにかがみ込みました。バラ色のドレスを着た小柄な体を、そっと揺すぶります。

「ポポロ……ポポロ」

 やがて少女が目を開けました。宝石のような緑の瞳が、金の鎧兜の少年を見上げます。

「……フルート……」

 フルートは、にっこり笑って見せました。

「全部終わったよ、ポポロ。もう大丈夫さ」

 ポポロは思わず顔を赤らめました。フルートの優しい笑顔を見上げてしまいます。そんなポポロへ、フルートは手を差しのべました。そっと床から起き上がらせます。周囲では、夢見る色の花が咲き乱れています。

 すると、ゼンが腕組みをして言いました。

「なんだよなぁ。そこでキスして起こしてやれば物語としても絵になるのによ」

 えっ、とフルートとポポロは赤くなりました。ルルとポチとオリバンが吹き出し、ユギルとトウガリも笑い出します。

 メールが冷やかすように言いました。

「今からでも遅くないよ。お姫様をキスで起こしてあげなよ、フルート」

 たちまちゼンも笑い始めます。

「ゼン!! メール!!!」

 フルートは真っ赤になって大声を上げました――。

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