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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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第24章 最終決戦・2

93.雄犬

 城の通路でルルとジーヤ・ドゥが戦い続けていました。ジーヤ・ドゥは杖をかざして魔法を繰り出してきます。ルルはその動きを一瞬早く読み取って、攻撃をかわします。

「すばしこいな」

 と魔法使いが言いました。いらだつような声です。

 ルルはあざ笑いました。

「私は天空の国の犬だもの。魔法のかわし方なら少しは身についているのよ。天空の国の魔法使いに比べたら、あなたの魔法なんてぬるいわ」

 老人は歯ぎしりをしました。また杖をかかげて黒い光の玉を撃ち出します。ジーヤ・ドゥが使ってくるのは闇の魔法です。

 ところが、そのとき突然足下が揺れました。不気味な地響きが這い上がるように聞こえてきて、城の壁に、ぱぱぱっと閃光が走っていきます。轟音が通路全体を包み込み、さらに上へと広がっていく気配がします。

 ひとりと一匹は思わず戦いを止めてあたりを見回しました。通路は揺れ続けています。壁に閃光が走った痕が、亀裂になっているのが見えます。

「な、なによ……!?」

 ルルが思わず声を上げると、ジーヤ・ドゥが突然歓声を上げました。

「魔王だ! 魔王が誕生したのだ! デビルドラゴンがポポロに乗り移ったぞ!!」

「なんですって!?」

 ルルはぎょっとしました。笑いながら引き返していこうとするジーヤ・ドゥに飛びかかりましたが、その牙は黒い衣をかんだだけでした。

 とたんにジーヤ・ドゥが振り向き、魔法の弾を撃ち出しました。とっさにルルは衣を放しましたが、魔弾に脇腹をかすられて、全身がしびれて床に倒れました。

「邪魔をするな、犬!」

 とジーヤ・ドゥは言いました。

「わしが魔王の主になるときが来たのだ! わしの時代の到来だ! 誰にも邪魔はさせん!」

 長年ザカラス王の下で鬱憤をためながら仕え続けた老魔法使いは、解き放たれたように笑っていました。手にした杖をルルに向けます。

「消えろ、犬! わしは世界の王になるのだ!」

 ルルは恐怖に目を見張りました。全身がしびれて動けません。魔法の弾をかわせません――。

 

 そのとき、通路に一匹の大きな獣が飛び込んできました。倒れたルルの上を飛び越え、杖を構えた魔法使いにまっしぐらに襲いかかっていきます。痩せた老人を通路の上に押し倒してしまいます。

 それは全身真っ白な毛並みをした雄犬でした。ポチではありません。大人の、それも、りっぱな体格をした犬です。雌犬のルルより二回りも大きな体をしています。

 ルルが目を丸くしている前で、見ず知らずの雄犬はジーヤ・ドゥにのしかかり、魔法の杖にかみついて、あっという間に奪い取ってしまいました。勢いよく遠くへ放り出します。

「この……!」

 ジーヤ・ドゥが片手を犬に突き出しました。魔法使いたちは杖がなくとも魔法を繰り出すことができます。杖があった方が威力が強まり、コントロールが効きやすくなるだけなのです。

「危ない!」

 とルルは叫びました。

 すると、雄犬がすばやく体をひねって身をかわしました。魔法の弾が宙を貫いて、通路の天井を直撃します。

 雄犬は魔法使いの手首にかみつきました。魔法使いの悲鳴が上がります。

 すると、その犬の首できらっと光るものがありました。首輪です。銀色の糸を編み上げて作ってあります。

 ルルはまた目を丸くしました。あれは風の首輪です。ということは――

「ポチ……?」

 ところが、雄犬は振り向きませんでした。魔法使い相手に戦い続けています。

 ルルの体からしびれが薄れてきていました。ルルはよろめきながら立ち上がって雄犬を見つめ続けました。ポチと同じような雪白の毛並みをしていますが、ポチのはずはありません。これはもっと大人の犬です。

 とたんに、雄犬が振り向きました。ルルに向かって人のことばで叫びます。

「離れて!」

 その声も、やはりポチの声ではありませんでした。

 ルルは気がつきました。これは天空の国のもの言う犬なのです。天空王様が使わしてくださったのでしょう。再び雄犬の首輪が見えましたが、そこにはめ込んである魔石は銀色をしていました。ポチの風の石は緑色です。やっぱりポチではありません

 天空の国にもの言う犬はたくさんいます。その多くは貴族に飼われていて、天空王の城にもやってくるのですが、ルルはこれまでこんな犬を見たことがありませんでした。いったい誰なのかしら、と考えてしまいます。

 

 すると、雄犬が突然ルルに飛びつき、その上にのしかかるようにして通路に押し倒しました。驚くルルと雄犬の上を黒い魔法が飛びすぎていきます。雄犬はルルを守ったのです。

「ぼんやりしないで! 離れて!」

 と雄犬は再び言うと、またジーヤ・ドゥに飛びかかっていきました。髪の毛のない頭と顔に激しくかみつきます。魔法使いの悲鳴がまた響き渡ります。

 ルルは言われたとおり通路を下がりながら、雄犬を見つめ続けました。本当に、驚くほど強い犬です。そして――とても綺麗な姿をしています。誰なのかしら、いったい誰なのかしら、と考えながら、ルルの胸は気がつかないうちにどきどきし始めていました。

 雄犬が、魔法を巧みにかわしながら、またジーヤ・ドゥにかみつきました。まともに一対一で戦ったとき、人間は犬の敵ではありません。顔や肩をかまれ、血を流しながら、ジーヤ・ドゥは恐怖の表情になりました。必死でまた魔法の弾を撃ち出そうとします。その手に、雄犬がまたかみつきます――

 

 ところが、ふいに雄犬が飛びのきました。倒れた魔法使いを前に、とまどうように身をひきます。

「いけない……」

 と雄犬がつぶやいたのをルルは聞きました。はっとしたような響きの声です。

 すると、雄犬が急に身をひるがえして駆け出しました。今来た方へ向かって駆け戻っていきます。ルルは驚いて呼び止めようとしましたが、雪白の姿はあっという間に通路を曲がって見えなくなってしまいました。

 ルルはあっけにとられてそれを見送りました。ジーヤ・ドゥが這うように逃げ出していましたが、それを追いかけることさえ忘れていました。

 周囲では轟音が続いていました。壁や天井に走った亀裂から、ぱらぱらとかけらが落ち始めます。すぐ近くに小さな岩のかけらが落ちてきて、ルルはようやく我に返りました。改めてあたりを見回します。

 ザカラス城は崩れ始めていました。城を地震のような震動が何度も揺るがします。そのたびに亀裂が広がっていくのがわかります。

「ポポロ!」

 とルルは声を上げました。城の奥にポポロの気配がしています。さっきよりずっと強く、その存在が感じられます。デビルドラゴンの障壁が消えたのです。

 ポポロは泣いていました。泣きじゃくって、動けなくなっています。それを感じたとたん、ルルは完全に正気に返りました。ごうっと音を立てて風の犬に変身します。ジーヤ・ドゥが逃げ去ったとたん、また風の首輪が力を取り戻していたのです。

 周囲で城の壁や天井がどんどん崩れていました。城中が崩壊を始めています。

「ポポロ、待ってなさい!」

 ルルはそう叫ぶと、城の奥目ざしてまっしぐらに飛んで行きました――。

 

「ふぅ」

 とポチは溜息をつきました。ルルが風の犬になってポポロのところへ駆けつけていくのを、通路の陰から見守っていたのです。子犬の姿になった自分を見回して苦笑いします。

「あーあ。本当に数分間しか効かない魔法だったんだなぁ。もう元に戻っちゃった」

 ザカラス城が崩れだしたとき、ポチは単独で城の中に飛び込みました。入り口から奥に向かって、ルルとフルートの匂いがしていました。それをたどっていくと、通路の真ん中でルルが黒衣の老人と戦っていたのです。

 それがジーヤ・ドゥという魔法使いなのは、ポチにも一目でわかりました。魔弾でルルを撃ちのめそうとしています。危ない! と思った瞬間、ポチの体は大人の犬になっていました。ノームの鍛冶屋の長が傷ついた風の石の代わりにポチに貸してくれた魔石の力でした。首輪の銀の石には、少しの間、ポチを大人の姿にする魔力があったのです。

 ポチはジーヤ・ドゥに飛びかかりました。体が大人になっただけで、他に特別な能力はありませんでしたが、力が強まっていました。素早さも上がっていました。ポチはジーヤ・ドゥの魔法をかわし、ルルを守って戦いました。ルルは、それがポチだとは思わなかったようです。ポチも正体を名乗りませんでした。ただ、ルルのために戦い続けました。

 今、ポチの首輪から銀色の石は消えていました。魔法が切れるのと同時に消滅してしまったのです。もう大人の姿に変身することはできません。ポチはルルが飛び去った通路の奥を見て、またちょっと苦笑いしました。

「――ま、いいか」

 城は崩れ続けていました。でも、ルルがいればポポロはきっと大丈夫でしょう。

 フルートの匂いは城の中から消えていました。フルートはここにはいないんだと、ポチは考えました。

「ワン、フルート!」

 子犬は一声叫ぶと、小さな頭を巡らして通路を駆け戻り始めました。

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